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柳川の戦い⑩10月22日 朝~昼すぎ

◇◇

慶長5年10月22日 朝 大坂城――

史実では、八院の戦いは二日前に開戦し、終戦を迎えている。しかし桂広繁の城島城での奮闘によって、それは二日ほど遅れた。

つまりこの日に八院での激戦が勃発したのである。


遠く離れた大阪城で俺、豊臣秀頼は、そんな事は知るよしもなかった。

無論、八院でこの年の10月に立花軍と鍋島軍が激突することは知っていたのだが、その戦の布陣や、戦いの様子などについては、全く知識がなかったのである。

ましてや自分の画策によって戦の始まりが遅れたことなど、知りようがなかったのだ。


そして、この戦の事について感想があるとすれば

「立花軍の方が圧倒的に不利だったのに、よく戦ったな…」

ということと、

「この頃の北九州地方では、稲作と麦作の二毛作が行われており、この時期は麦作の種まきの時期だったのにな…」

という、大局に影響しないような俗人的なものだったのである。


そんな俺であったが、関ヶ原の戦いの時のように、やきもきしながら手をこまねいて報告を待っているというような、受け身な姿勢を取るつもりは一切なかった。


そして来るべき時を待って、行動を開始した。

それが10月22日という日だったのである。


まず二通の書状を送る事にした。

一通は、霧隠才蔵の手の者には、柳川城で交戦中の立花宗茂に向けて、もう一通は片桐且元を通じてその手の者には、富隈城に居を構えている島津義久に向けた。


なお、この時島津家の当主は、関ヶ原の戦いで見事な撤退を見せた島津義弘であり義久の弟にあたる。しかし島津家の当主のみが所持することを許される「御重物」は、依然として先代当主で隠居の身である義久が保持しており、名目上は義弘が当主ではあるが、実質は義久が実権を握っているのだ。


つまり、立花家には忍を利用して「非公式」で、島津家へは使者を通じて「公式」の書状を送ったわけだ。


そしてそれらの書状の内容は、次の通りだ。


立花宗茂には

「島津は立花の味方である。立花殿はその助けを借りて城を守り通すがよい。

後はこの秀頼が立花殿と島津殿の本領安堵と、九州の平和に尽力いたそう」

というもの。


この書状を「非公式」として送ったのは、徳川家康にこの内容を知られたくないからに他ならない。

なぜなら、現時点の家康の九州における軍事行動は「豊臣家と、天下の安泰の為」であり、それを豊臣秀頼が、さながら煽るような内容の書状を送ったとなれば、天下泰平に背く不逞の行為として、家康により一層つけこまれる隙となるであろうことは明らかだからである。

ただ、引き続き九州の戦が長引くことは、そこに住む民の事を思えば本望ではない。

しかし、今後家康と対峙していくためには、ここで立花宗茂が柳川城を守りきり、豊臣の味方となってくれることが何よりも優先されると考えたのだ。


そして「島津は立花の味方である」という一文が、立花宗茂が城を守り通す為の非常に重要な鍵であると考え、それを何としても伝えたかったのである。


それはなぜか…


慶長5年11月3日と言われている宗茂の柳川城の開城と、そのわずか三日後に、島津義弘率いる1万の軍勢が、立花宗茂を救援にやってくることについて、どうにも不思議に思っていたことがあったからだ。


それは至って素朴なものであった。

「もしそれが真実だとしたら、なぜ宗茂は義弘の救援を待たなかったのだろうか」

というものだ。


さすがに三日後に到着する1万の軍勢が近づいてきていることに、気付かなかったはずはない。島津軍が柳川に接近していることは、当然鍋島も立花も知っていたはずである。


そして、その疑問の一つの答えとして、

「義弘の軍勢について、『救援』だとは立花宗茂が思わずに、『討伐』に来たと勘違いしていたのではないか」

と推測したのである。


もしその推測が当たっていたとすれば、「島津は味方」という豊臣秀頼の言葉は、立花宗茂を大いに勇気づけ、城を守る力となるであろう。


しかし、仮にそんなことは宗茂には承知していたとしたら…


つまり義弘が救援に来ているのを知っていて、義弘が参戦する直前に降伏したのならば、それは

「島津の立場をこれ以上悪くしたくない」

との裏返しであることは明白だ。

そのことも考えて、「秀頼が立花殿と島津殿の本領安堵と、九州の平和に尽力いたそう」の一言で、島津家の立場を悪くはさせないから大いに戦え、と励ましたのだ。


つまり立花と島津の背後を豊臣が支えよう、という意志が含まれており、当事者の宗茂であれば、その事を読み解くのは難しくないはずだと考えて書状を送ったのである。


………

……


そして、島津義久には、

「九州の平和は危惧しているところである。

一日も早く九州内で起っている戦乱が収まり、島津家の安泰が訪れることを願ってやまない。

そこで、惟新殿(島津義弘のこと)の件については、この秀頼が内府殿を取りなそう。

決して悪いようにはせぬから、安心いたせ。

そしてもう一つ。

その代わりに、島津殿には普請を申しつけたい。

今、京に日の本一の学府を建設している最中である。

その普請の為に、島津殿の家臣をお借りしたい。

それを伊集院忠真殿とし、忠真殿の家臣と一族郎党を全て、京に移り住ませるように手配いたすように」

との内容の書状を送った。


もちろんこの書状は、島津家に恩を売っておくためのものだ。


そしてこれを「公式」の書状としたのは、たとえ徳川方に知られることになろうとも、伊集院忠真とその一族を、薩摩から引き離したかったからだ。

それには、「非公式」な文書ではかなわないと考えたのである。


なぜ家康に島津との連絡を取り合っている事実を知られる危険をおかしてまで、伊集院を薩摩から出すのか…


それは、このことこそが島津を籠絡する為の、最大の『肝』と考えていたからだ。

この書状が生んだ結果を知るのは、もう少し先になるであろう。この時はただ成功することを祈るばかりであった。


………

……


そしてもう一つすべき事があった。

これこそが10月22日を選択した理由なのだ。


なぜなら…


この日は、大坂に居残っている島津の家臣たちが徳川家康への取りなしを、とある大名に依頼した日だと記憶していたからだ。


その大名の名は寺沢広高。

九州の大名たちと上方との取次役を、豊臣秀吉に任されると、彼亡き今はその役割を徳川家康からも任されている人なのである。


その広高を謁見の間に呼び、片桐且元、大谷吉治の同席のもとに会う事にしたのだ。

それは豊臣秀頼と寺沢広高の公式の会談を意味しており、そこで島津家の仕置きについて、豊臣家の意見を述べることにしたのだった。


………

……


このように、俺は立花と島津を味方につける算段を、着々と進めていった。


先の関ヶ原の戦いでは、全て後手に回り、結果として史実とさして変わらない状況となってしまったが、今回は違う。

何せ、天下人に一歩近づいた徳川家康は、この頃多忙を極めているはずで、東北地方もくすぶっている中にあって、特に遠い九州地方への対応は鈍い。


そこを突いたのだ。


もし思惑通りに、立花と島津が豊臣に肩入れすることになれば、史実は大きく変わっていくことも決定的となる。


そんな未来を想像すると、胸は高鳴り、顔が赤くなるのを抑えられない。

そしてそんな時はいつもの通り、かたわらにあるガラス瓶に右手を突っ込む。

無造作に中のコンペイトウを取り出して、口の中へと放り込むのだ。


「甘いのう…」


そのただ甘いだけのその菓子は、興奮し過ぎた頭を冷やすには、なぜかもってこいだったのである。



こうして、柳川を舞台にした忠義者や若者たちの熱き戦いは、遠い大坂の地における、豊臣と徳川との腹黒い駆け引きへとつながっていくのであった。



◇◇

同日昼すぎ 水田天満宮――

加藤清正は、黒田如水とは異なる陣屋にて、八院での鍋島軍と立花軍の大一番の戦況報告を、腕を組んで聞いていた。


「なんと悲惨な戦いだ…」


その頃は、ちょうど立花三太夫たち第一陣と、十時惟久たちの第二陣が全滅して、みな戦場の華となって散った頃合いである。

もちろん清正には三太夫たちとの面識がある訳ではない。

しかし未来があったはずの若者たちが足軽大将として加わっていたことは聞いていたし、そんな彼らが無惨にも散っていくことを、冷静に聞くことが出来なかったのである。


そしてなんと言っても、敵対しているとは言え、立花宗茂には朝鮮の役以来の大きな恩があり、心の中では八院合戦において彼らの軍に肩入れしていたのである。


時間がたつにつれて、立花の将兵たちに痛めていた胸のうちにふつふつと熱いものが沸いてくる。

それはいつしか沸騰し、清正の顔を赤くしていった。


なぜ彼らは死なねばならないのか…

目の前で若者たちが死んでいっているにも関わらず、何も出来ない自分が恥ずかしい…


そんな悲嘆の念は、さらに時間が経つと、目の前にいない者たちに対する怒りの感情へと取って代わっていく。


宗茂殿をおびき寄せる為とは言え、およそ十倍の軍をもって野戦で叩き潰すのは、もはや虐殺ではないか…

未来を知る殿下(豊臣秀頼のこと)はこの事を知っておきながら、「静観せよ」となぜ指示されたのか…

すぐ隣にいる軍師殿(黒田如水のこと)は、この状況を見ても、何も言ってこないのはなぜか…

そして、そもそもこの戦いを命じた徳川家康。もはやこれは、自分に味方しなかったものへの仕打ちという、残酷な見せしめではないか…


一度熱くなった彼の心は、その温度をぐんぐんと上げていくと、さながら火山の溶岩のように、今にも噴火しそうなほどまでになっていった。


こうなると、少しでも触れようものなら、その爆発の矛先は触れた者に向けられる…

その事を知っていた、清正の家臣である飯田覚兵衛を始め諸将は、彼に近づくことすら避けていたのであった。


しかし、そこに運が悪いのか、良かったのか、期せずしてとある人物が、使者として清正の前へ通されたのである。


それは、立花宗茂からの使者…薦野増時であった。

彼は正確には宗茂の意向をもってやってきた訳ではなく、立花家とその将兵たちの事を誰よりも思う彼の強い忠義心が、清正のもとへと走らせたのだ。


その増時は、清正の前へやってくるなり、即座に座りこみ、額を地面にこすりつけた。


「主頭計殿(加藤清正のこと)!!どうか、どうか、それがしの願いを聞いていただきとうございます!!」


その圧倒するような気迫ある大声から、清正は自分の心の内以上に熱いものを感じて、思わず彼は身を乗り出して、


「申してみよ!」


と、彼に負けないほどの大声をもって、増時に続けるように促した。

増時は頭を下げたまま、彼の願いを叫んだ。


「八院での戦いの結果は、もはや火を見るより明らか!

これ以上続けることは、ただ立花の未来ある若者たちが、一方的に殺されていくのみにございます!

そんな残酷な事を許される道理などございませぬ!

どうか主計頭殿より、鍋島殿にかけあっていただき、この戦いを一刻も早くお止めいただけませんでしょうか!

何卒、お願い申し上げます!!」


そう言って頭を上げた増時の顔は、涙でぐちゃぐちゃであったが、その瞳だけは大きく見開かれ、激しい感情と一歩も引かない強い意志をともしている。

清正はその瞳を見て、彼の忠義の魂を感じていた。

立花の事を思う一心で、敵陣とも言える加藤清正の陣まで危険など顧みずに単騎でやってきたに違いない。

そしてその敵に対して、額をこすりつけて懇願することが、どれだけ屈辱的な事か…

しかし今の彼に「屈辱」などという卑屈な感情は一切ないはずだ。


――自分の身と心などは、どうなってもよい、全ては立花の為に!


その鉄の意志で動かないほど、清正は冷酷な人間ではなかった。


「増時殿!お主の願い、この加藤主計頭が引き受けようではないか!」


「ありがたき…ありがたき幸せ!!」



10月22日の正午を過ぎた頃、加藤清正からの書状を持った薦野増時は、清正の兵に守られながら、使者として鍋島直茂の元へと馬を飛ばしていったのだった。


こうして史実の通り、増時の決死の交渉は、地獄橋で死にいく運命にあった、いくつもの立花の若者の命を救ったのである。


八院の戦いにおける立花家で最も大きな功績を挙げた者を挙げるとするなら、当主の宗茂を野戦から遠ざけ、停戦の交渉を成立させた薦野増時であったのではないか、と思わざるをえない。

しかし彼はそんな事を誇ることはなかったであろう。

なぜなら、その地には、あまりにも多くの立花の若武者たちの血が流れてしまったことは、くつがえる事が出来ない結果であったからだ。

それでも彼らの尊い犠牲は、立花家の誇りと勇気を示し、後世に語り継がれるには十分なものであることも、忘れてはならない事実なのであった。



しかし史実にそった柳川城を巡る戦いの進行はここまでで、この日を境として歴史は大きく変わろうとしていた。


それは、本来であれば柳川城を巡る攻防戦において、立花宗茂にさらなる試練を与えることとなる。



その『歪み』の起点とも言える10月22日は、まだ終わってなどいないのであった。



派手な戦いの周辺では、様々な陰謀が渦巻き始めている様子にございます。


いつの時代も、現場と会議室の温度差というのはあったのかもしれません。

(某湾岸方面の警察ドラマを思い出してしまいました)


次回もまた、様々な策略がすこしずつ加速して動き出していくシーンになります。


シーン同様に、筆が重いです。


どうぞこれからもよろしくお願いいたします。


予告になりますが、待望(?)の『女性武将』が近日登場の予定です!

さて、それは誰でしょうか…

(誾千代とは別の方です)


どうぞこちらもお楽しみになさってくださると幸いでございます。

誰かご想像はつきますでしょうか?

※「今回は」かなり有名な方ですので、もうお分かりの方も多いかもしれません


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