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柳川の戦い⑨江上・八院の戦い 地獄橋

◇◇

立花軍の第三陣が崩れると、それまで立花優勢の戦況が、一気に鍋島軍の方へと傾き始めた。


三の橋付近まで突撃してきた先鋒隊であったが、前後左右からの鍋島軍の反攻により、安東範久と石松政之は奮戦虚しく戦死した。


そして先鋒隊として残された立花三太夫は、いつの間にか彼のお供は全て倒れ、単騎となって戦場を、前へ前へと突き進んでいく。


「これがぁ!立花だぁぁぁ!!!」


二十五歳の若い血潮は、敵が増せば増す程熱くたぎり、彼を戦場で躍動させた。

乱戦の中で一人、猛烈な立ち回りで敵をねじ伏せていくその姿に、鍋島の兵たちは近寄ることすら恐れる。


そのあまりの苛烈さに先鋒大将の鍋島忠茂は、本陣の置かれている五反田まで撤退を余儀なくされた。


そしていよいよ三の橋まで差し掛かると、三太夫は一気に加速した。


「橋だ!!後ろは来ない!橋を落としてしまえ!!」


と、鍋島軍の第二陣の大将である後藤茂綱は、大きな声で周囲の兵たちに命じた。


「させるかぁぁぁ!!」


そうはさせじと、三太夫はその足をさらに早めて、一気に橋を渡りきろうとする。


「足を狙って!うてぇい!!」


その三太夫に向けて、茂綱の率いる鉄砲隊による一斉射撃が浴びせられた。


「ぐああああ!!」


三太夫の足に無数の穴があき、彼は苦しそうに悶絶するが、とうの昔に肉体の限界など凌駕している。

なんと彼はそれでも前へ前へと進んできたのだ。

その姿は阿修羅そのものであったが、さすがの彼でもその足は確実に鈍った。


「今だ!火を放て!!」


ようやく火の準備が整った鍋島軍は、三の橋に火をつける。

秋の乾いた空気は、橋の延焼を早め、あっという間にその小さな橋は焼け落ちると、三太夫は河原へと転がり落ちていった。

一度止められた足が、再び動き出すには、血が多く流れすぎた。


それでも彼は諦めない。


立花の名にかけて…


いつでも少年たちの憧れの存在であり続けた彼の姿は、無様に動けなくなったとしても、気高く、誇りに満ちた堂々としたものであった。

しかし敵が弱るとみるや、一斉に襲いかかる、言わば動物的な本能は、戦場にいる誰しもが備えているものだ。

それは鍋島の兵とて同じであったのは言うまでもあるまい。


たちまち三太夫の周囲には、血に飢えた猛獣のように鍋島の兵たちが群がってきたのだった。

それを上半身の力のみで振り払おうと必死に抵抗する三太夫だったが、その手はみるみる力を失い、とうとう動かなくなってしまった。


しかし瞳の色は全く失われることはなかった。

最後の最後まで輝きに満ちたその眼光は、彼の美しい姿そのものだったのである。


そして彼は腰に差した短刀を抜くと、


「正義は立花にあり!!かつ目せよ!!」


と、大声で叫ぶと、そのまま自分の喉を掻っ切って、見事な最期を遂げたのであった…



………

……


三太夫が戦場の華となって散ると、前線に残された立花の第二陣は、やらずの橋まで撤退を始めた。

それを好機ととらえた鍋島軍は、一気に攻勢に転じると、その橋までどっと軍を押し進めてきたのだった。


「ここを通してはならん!!なんとしても守れ!!」


そう副将格の立花鎮実が叫ぶと、


――おおっ!!


と、立花の兵たちは大きな返事とともに、槍を構える。

そこへ濁流のように押し寄せてきた鍋島軍が、文字通り体当たりでぶつかり、立花本陣へと続くその橋を押し通ろうと突撃してきた。

奥行きはあるが、幅の狭いその橋に、兵を並べて待ちかまえる立花軍は、最後の力を振り絞って戦う。

しかし所詮は多勢に無勢…

その橋の上下には、多くの立花兵が倒れていった。


そして、橋の半分以上後ろまで押し込まれたその時であった…


「えいとう!!!!」


橋全体を揺るがすような、その雷鳴のごとき大声が、響き渡ると、敵味方関係なく橋の上にいる全ての人間の動きが止まったのだ。


皆一斉にその声の持ち主の方へと視線を移すと、その声の持ち主は再び橋を揺るがす大声で名乗りを上げた。


「亡き太閤殿下に『日本七本槍』をうたわれた小野和泉守鎮幸!推して参る!!

命の惜しくない者からかかってこい!!」


そして橋の真ん中を堂々と歩いていくと、あまりの威圧感に腰砕けとなった鍋島の兵たちに、向かって、


「えいとう!!!」


と、鼓膜を破かんばかりの大声で蹴散らした。


そしてそれは…立花家一の『剛』の者、小野鎮幸の無双の始まりであった。


彼の両脇には、立花鎮実と親雄の親子が固め、鎮幸を助けると、彼はまさに翼を得た虎のように勇躍し、鍋島の濁流を、果敢に押し戻していったのだ。


「えいとう!えいとう!!」


鎮幸が掛け声を上げて、槍を振る度に鍋島の兵は、次々と倒れていき、その様子に恐怖した者たちが後ろへと後退していく始末であった。


「ぐぬ…ここに来て後退を余議なくされるとは…さすがは天下に聞こえし小野和泉の槍よ」


と、前線に戻った鍋島軍の先鋒大将の忠茂は歯ぎしりをして、自軍の兵たちが蹴散らされていく様子をただ嘆くより他なかったのだった。

そしてそれは第二陣の後藤茂綱も同様で、この戦で数々の敵の出鼻をくじいてきた、自慢の鉄砲隊でさえも、鎮幸の突撃の早さをとらえるには至らなかったのだ。


わずかな兵力で、しかも奇襲すらかけられない絶望的な戦場において、鎮幸の武勇と気迫だけで進んでいく立花軍であったが、さすがにそれにも限度があった。


それでも三町(約300m)ほどやらずの橋から押し返すと、鎮幸たちは、そこで立ち止まって周囲を囲む鍋島兵たち相手に大いに戦ったのだ。


「えいとう!えいとう!!負けるな!!みなのもの!!」


と、次々と倒れていく仲間たちを励ましながら、鎮幸は槍を振り続ける。


その時だった。


「ひけい!!今すぐ小野和泉から離れろ!!」


と、頃合いを測ったように忠茂は大声で号令をかけると、戦っていた鍋島軍は、さながら蜘蛛の子を散らすように、鎮幸から距離をとったのである。


気付けば既に鎮幸の周りには、十数人しか仲間がいない。


それは彼を守る盾が、脆くも崩れる寸前であることを意味していたのだった。


それでも鎮幸の気迫はとどまることを知らず、ひいていった鍋島の兵を、鬼の形相で追い始める。しかしその足は既に重く、鍋島軍との距離はなかなか縮まらなかった。


そして…鍋島軍と鎮幸に、不気味な空間が出来た、その時だった。


「狙いは小野和泉!!!みなのもの!!一斉にうてぇぇぇぇい!!」


ーードドドドッ!


という地響きににも似た鉄砲の一斉射撃の音。

それが止んだ瞬間に、今度は弓矢の雨が一斉に降り注いだ。


その鉄砲と弓矢の息もつかせぬ連続攻撃が終わると、辺りは静寂に包まれた。


残りわずかになった立花の兵は残らず皆幾重にも折り重なって倒れている。


さすがの鎮幸も、その中の一人となって横たわっているだろう…


そう思い、忠茂は軍勢の中から一人出てきて、立花の兵たちが倒れている場所へと、ゆっくりと近づいていった。


そこには立花鎮実と親雄の親子も、物言わぬ姿となって倒れているのが分かる。


そして固まるようにして兵たちが倒れているその場所に、鎮幸もいるはずだ…そう思い、一歩近づいた瞬間であった。


ーーヒュゥ…


という風を切り裂く音がしたと思うと、忠茂の兜が宙に舞っていた。


ぱっくりと割れた額から血が勢いよく吹き出す。


そして忠茂はそのまま後ろに倒れこんだ。


「忠茂殿!!」


そう叫んで飛び出してきたのは、第二陣の後藤茂綱だ。

彼は忠茂のもとまで駆け寄ると、すぐに彼を見た。

幸いにも傷は浅いが、兜が飛ばされるほどの衝撃だ。

頭を強く揺らされて、気を失っていた。


近くには大きな槍。

どうやら何者かによって、この槍が恐ろしい力で投げつけられたと思われる。


「ま…まさか…なぜ…」


一瞬の出来事に状況を飲み込めないでいる茂綱。

しかし今は忠茂を避難させるのが先決と、彼は忠茂の額に手拭いを巻きつけると、そのまま彼を抱えてその場を後にしようとした。


その時であった…


彼らを大きな影が覆った。


茂綱はその覆った影を見上げた…

そして目に入ったものに言葉を失った…


その男は全身を血まみれで、目だけが白く、ギョロリとこちら睨みながら、見下ろしている。


それは…



小野鎮幸であった。



彼は、無言で長い刀を片手に振り上げていた。


そして一気にそれを振り下ろしたのだ。

とっさに茂綱は腰の短刀でそれを受け止める。


ガッという鈍い音がした瞬間に、茂綱が勢いに負けて刀を落とした。


すると再び鎮幸は、無言で刀を振り上げたのだ。


茂綱は、主君の鍋島直茂の息子で、この軍の総大将である鍋島勝茂の弟の忠茂をかばおうと、彼の上に覆い被さるようにしてかばった。


忠茂はこの時、弱冠十六歳。

未来ある鍋島家の少年を守ろうと、わずか十八歳の茂綱がかばったのである。



しかし…



いつまで待っても鎮幸の刀は下りてはこなかった。


恐る恐る茂綱が、つむっていた目を開き、鎮幸の方へと振り返る。


すると鎮幸は彼を睨みつけたまま、かすれた声でいった。


「丸腰の相手を背中から斬りつけたとなれば、武士の名折れである。

そいつを連れて後ろに退け…」


もはや立っているだけでも精一杯のはずなほどに、傷だらけの鎮幸。

そんな彼が敵である二人に情けをかけたのだ。


周囲を取り囲む鍋島の兵たちは、この気高い大将に対して、どうしたらよいのか分からずに、ただ様子をうかがい、忠茂と茂綱が後ろに退くのを手伝うよりほかなかったのである。



…とその時、今度は鍋島軍の左手が、突如として崩れ始めたかと思うと、さらに鎮幸の後方からは、立花勢が彼を救わんと押し寄せてきたのであった。


それは立花家の上席家老、薦野増時の息子たちが兵を引き連れて馳せ参じたのだ。


鍋島軍の左翼を切り崩しにかかったのは、筑後川の沿岸に陣を張っていた立花吉右衛門の兵三百。

そして鎮幸の背後、つまり柳川城から駆けつけたのは、城島城を脱出して、一度柳川城に入った兵三百と、甚兵衛と弥兵衛の兄弟だった。


吉右衛門、甚兵衛、弥兵衛が鎮幸の元に集まると、既に立ちながら気を失っている彼を抱えて、やらずの橋まで素早く退却していく。


鍋島軍の第一陣と第二陣の軍勢は、その大将たちがまさに今戦場から一時離脱をしたところであり、立花勢を執拗には追い立てることはなかった。


そして…


気を失っている忠茂を安全な場所まで退避させ、いざ戦場に戻ろうとした茂綱の元へ、早馬がやってきた。


「殿よりお達しにございます!

もはや野戦での決着はついたも同然、これより立花とは開城の交渉になるゆえ、全軍五反田の本陣まで兵を退くように、とのことにございます!」


「なんと… 承知した。第一陣と第二陣はそれがしにお任せあれ」


茂綱はその命令に最初は驚いたが、次の瞬間にほっと安堵した。

なぜなら、このまま決着をつけるまで戦うとなれば、再びあの橋で、多くの兵たちの血が流れることが、容易に想像できたからである。


彼は素早く退却の指示を各足軽大将に告げると、まるで海の潮が引くように、鮮やかな手はずで兵を五反田へと引かせたのであった。



一方の立花勢も、鍋島軍の兵が引いたと見て、彼らも柳川城へと入った。




ここに激戦となった八院の戦いは終わりを告げた。


………

……


特に多くの両軍の兵たちの犠牲が多かった『やらずの橋』は、後世には『地獄橋』とその名称を変えることとなる。


そして、華々しく散った立花三太夫は、等身大の地蔵となり、『三太夫地蔵』と名付けられて、祀られている。


その三太夫地蔵の周辺の村では、近年まで立花三太夫の霊を鎮めるための祭りが毎年夏に催されていたとのこと。

今でも付近ではその地蔵は『立花さん』と言われて、地元の人びとに親しまれているそうだ。








後半はフィクションを交えて八院の戦いを締めました。


しかし『地獄橋』と『三太夫地蔵』は史実の通りにございます。


また一方の鍋島軍の先鋒と次鋒の大将たちの年齢も史実の通りです。


両軍ともに前線には若い世代が立って戦っていたということですね…


さらに、この戦いはなるべく史実を書きたいと思ったために、日付の表記をいたしておりませんでした。

一部混乱された方もいらっしゃるかと思いますが、どうぞご容赦ください。


さて、次回はこの激戦を取り巻く周囲の動きと、さらに柳川城防衛と攻略に向けた謀略が動き出します。


引き続き史実を交えつつも、ここからは一気にフィクションの方へと舵を切ります。


どうぞよろしくお願いします。



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