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柳川の戦い⑥城を守る鬼

慶長5年10月20日ーー


夜が明けて、城島城の本丸の最上階に、桂広繁と甚兵衛、弥兵衛の三人が眼下の鍋島軍の様子を見ていた。

彼らとしても前日の夕刻に、総大将の直茂の軍勢が合流し、その数が三万二千にも膨れ上がったことは確認済みであったのだが、その様子に、甚兵衛と弥兵衛の兄弟は驚きを隠せないでいた。

いや、正確には鍋島軍というよりも、一晩のうちに起こった変化に驚いていたのである。


「桂殿…これは…一体どういう事でしょう…?」


一方の広繁は眼下の様子に、笑みを浮かべた。


「さすがは鍋島直茂殿だわい!ははは!

これは面白い!」


「何がそのように面白いのでしょう?」


少しいらついた様子で弟の弥兵衛が問いかけると、広繁は表情を元に戻して答えた。


「いやはや、すまなかった。逆境になるほど、血が騒いでしまうのは、それがしの悪い癖なのだ。

許してくれ」


「…ということは、かなり状況は悪いということですね…」


そう兄の甚兵衛が肩を落とすと、そんな彼の肩に手を置いて、広繁は続けた。


「それはそうだのう。

あのように一晩で、大手門へ続く道が『埋め立てられて、広くなった』のだ。

あれでは、門に大勢の兵が押し寄せることが出来る。

すなわち門が破られる可能性が高くなってしまったのだから、状況は良いとは言えぬ」


「それでは、もはや『あれ』しかないのでしょうか?」


そう弥兵衛がたずねると、広繁は再び口もとを緩めて答えた。


「そうだのう。その時が来たら、そうするより他はあるまい。

ぬかりなく、やっておくれ」


広繁がこう語りかけると、若い兄弟はこくりとうなずいて、表情を引き締めるのであった。



◇◇

「では、そろそろ行くか…」


そう鍋島直茂は、隣にいる成富茂安に話しかけた。

既に秋の日は高く、時は正午前である。

大手門までの道幅を広げる為に、水を引かせて土で道の周辺を埋める工事を突貫で夜通しさせたため、このような時まで兵たちを休ませたのだが、朝になって気合いが充填され始めた兵たちの様子を見て、進軍の頃合いと判断した。


彼のそんな一言に、既に茂安は最前線の鍋島忠茂隊の方へと駆け出している。なんとも優秀な側近であると、彼は言葉に出さずとも、そう思って、馬にまたがる彼の後ろ姿を見つめていたが、何かを思い返したかのように、素早くその視線を遠くに臨む城島城の方へと向けると、


「さて…いつまで持つかのう…」


と、つぶやくのであった。


………

……


昼前より再開された鍋島軍による城島城への攻撃は、前日のそれを遥かにしのぐ激しさであった。


若い薦野兄弟もよく戦ったが、さすがに多勢に無勢で、大手門が突破されるのは時間の問題であると判断した彼らは、頃合いを見て城門付近から兵たちを撤退させた。


「もうすぐだ!ここを突破すれば、一気に城を落とせるぞ!」


怪我をしていることを感じさせない先鋒大将の鍋島忠茂の督戦の声が響くと、それに応えるようにして、兵たちの城門への一撃が重くなっていく。


そして…


ごおっという大きな鈍い音によって、とうとうその門は開かれた。


「わあっ!!」


という歓声が上がったと同時に、


「つっこめぇぇ!!」


と、忠茂の大声がこだました。


「うおおおお!!」


という腹からの声を上げて、鍋島軍の兵たちは濁流のように城の中へとなだれ込んでいく。


町屋や武家屋敷が並ぶ屋敷街は既に無人でひっそりとしている。


そんな中を、派手な足音と甲冑の擦れる音を派手に立てて、鍋島軍は突き進んでいく。

その間、不気味なほどに立花軍の攻撃はなかったのだが、そんなことをいぶかしく思うものなど、誰一人としておらず、あっという間に屋敷街も鍋島の兵たちで埋め尽くされた。


そして先頭を行く忠茂の先鋒隊は、二の丸へと続く細い通路に入ってきた。

二の丸から本丸に向けて、自然堤防とは言え、少しだけ小高くなっているのだろうか、その通路は少しだけ登っている。

しかしその程度の傾斜は、鍋島軍の足を鈍らせるに至るものでは到底なかった。


そして最後の角を曲がったその時であった…


坂道の先に貧相な門が目に入ってきたのだが、それは大きく開けられている。


その奥に、二人の兵…立花の兵だ。


その二人が大きな槌を持って、城壁の側に立っていた。

もちろんその事だけでは、さながら猪の突進のような鍋島の兵の突撃を止めるには至らない事実だ。

むしろ彼らに取って「敵兵」という得物をとらえたことは、その突撃の足を加速させるには十分な餌となった。


しかし…


次の瞬間、そんな彼らに悲劇が襲おうとは、誰が予想しただろうか…


例え天下の名将と名高い鍋島直茂をもってしても、想像もつかない事態が起こったのである。


それは、ドゴン!という地面を揺るがすような、城壁から大きな音から始まった。

なんと立花の二人の兵が、その手にした大槌で城壁を破壊し始めたのだ。

その大きな衝撃に、みしりみしりと不気味な音をたてて、壁には数本の亀裂が入る。


――ドゴン!

――ドゴン!


二人の兵は息を合わせて、大槌を容赦なく、城壁へと打ちつけ続けた。

しかし、彼らが何を考えて、城壁を壊そうとしているかなど、鍋島の兵たちには全く関係のないことなようで、彼らはその目を血走らせて、坂を駆けあがってくる。


そして登りきったところにある門をくぐりぬけようとしたその時であった。


――ドガァッ!


と何かが完全に崩れた音がしたと思うと、その城壁に大きな穴が開いたのだ。


さすがに無視しきれない驚くべき光景に、先頭を走る鍋島軍の兵の足が止まる。


「何事か!?」


と声を上げ、その場で起きた事を理解しようと頭を巡らせようとしたその時、目の前に突如として現れたものに、彼らは恐怖した。


水だ――


文字通り、彼らの腰ほどまでの高さの波が、彼らを襲ってきたのである。

大きく開いた城壁の穴の先には、豊かな水をたたえた筑後川。

そこから引き込まれた川の水は、閉ざされた城壁によって、その行き場を失くし、城壁の下の堀へと注がれていたのだが、大きな穴が開いたその時より、さながら門が開けられて突撃してくる軍勢のように、一気に城内に流れ込んだのである。

無論その行方は、坂の上よりも下であることは言うまでもあるまい。

すなわち、迫りくる鍋島の軍勢に向かって、文字通り濁流となって押し寄せたのであった。


その水圧は、鍋島の先鋒隊を一気に坂の下まで押し返してもとどまることを知らない。

瞬く間に、屋敷街の方まで水で埋め尽くしていった。


止まることのない水に進むことが出来ず、大軍ゆえにすぐに撤退することもかなわない、城内に突入してきた鍋島の兵たちは、大混乱に陥った。


――早く下がれ!

――ぐわあああ!踏むな!


その様子はまさに阿鼻叫喚というにふさわしいものである。

しかし、彼らの悲劇はここで終わりではなかった。


完全に足止めされた兵たちほど、鉄砲隊にとって格好の的はない。


「よし!かかったぞ!!今だ!!うて!!」


なんと本丸の屋根に突如として現れた立花の鉄砲隊が、甚兵衛の号令によって、『早合』で鍋島軍の頭上から鉄砲を浴びせたのである。


ばたばたと倒れていく兵たち。

しかし退却はなかなか進まない。


「まだまだぁ!!!矢をはなてぇ!!」


今度は本丸の塀の上から、弥兵衛の声が響くと、一斉に火矢が無人の屋敷に向かって放たれた。

すると、木造のその屋敷から火の手が上がる。

しかも建物の下部は水分を含み始めていたので、煙がもうもうと上がり、鍋島軍を大混乱に陥らせた。


――早く逃げろ!

――こっちではない!あっちだ!


右往左往する鍋島兵に対して、立花軍の鉄砲弾と弓矢は雨のように降り注ぐ。

先鋒大将の鍋島忠茂でさえも、命からがら顔をすすで真っ黒にしながら、城を脱出した始末であった。


「先鋒隊!退け!一旦退くのだ!!第二陣以下は道を開けよ!早く!!」


城の外からいち早く異常を察知した成富茂安の緊迫した怒声が響く。

城外の兵たちも一体全体何が起こったのか分からずに、言われた通りに二三歩下がるより他なかったのだった。



その様子を本陣を出て、城に近づいて見ていた直茂は、驚きで開いた口が塞がらない。


「この戦い方は、まさか…」


そうつぶやいた彼の脳裏に浮かんだのは、亡き太閤秀吉から直接聞いた話であった。


それは、かつて秀吉が中国攻めの為に、約三万の軍勢で攻めたとある城の話――


万全を期する為に、本丸を守備する城主と、東丸を守備する武将を寝返らせた秀吉であったが、たった一人の男によって、秀吉の三万の大軍は撃退された、その伝説的な籠城戦。


その時の彼の戦い方が、今まさに目の前で起っていることと、重なった。


その男の取った行動とは、城主以下寝返った武将や兵たちを苛烈な攻撃によって、東丸まで追い込ませた。

そしてなんと彼の全兵士を本丸の屋根の上に集め、そこから一斉に火矢を放って東丸を焼き落としたのだ。

多くの寝返った兵たちは東丸で焼け死に、その城の中は死にゆく兵たちの無念のうめき声で埋め尽くされたらしい…

その男の『鬼』のような姿に恐れおののいた羽柴秀吉と黒田官兵衛は、「もはやこの城は城としての機能を果たすことはない」として、その場を逃げるようにしてあとにしたのだった。


――あれは城を守る鬼じゃ!あのような城の守り方を、わしは後にも先にも見た事はない!


その秀吉の言葉が今でも耳に残っている。


「城を守る為に、城を壊す…その戦い方…まさにかの『鬼』の所業としか思えん…」


城を守る鬼――その男の名は…桂広繁。


「まさか…」


次の瞬間、彼は無意識のうちに大声で指示を飛ばした。

それは誰あてでもない、この場所にいる全兵士たちに宛てたものだった。


「全軍退け!!絶対に戦ってはならぬ!!命を惜しんで、ここは城から離れるのだ!!」


………

……


慶長5年10月21日――


まだ日付が変わったばかりで、辺りはすっかり暗闇に包まれている中、粛々と作業をする兵たちの姿が、城島城の中にあった。

月の明かりを頼りにして、それでも彼らは整然とその作業を進めていく。


それは前日に開けた大きな穴から小舟で城外に脱出するてはずを整えることであった。


準備の出来たものより舟に乗り、筑後川の岸まで進んでいく。

舟はそこで兵を下ろすと、再び城に戻り、また兵を乗せて川に向けて出立する。


そしていよいよ最後に残ったのは二人の若者――

無論、薦野甚兵衛と弥兵衛の兄弟である。


しかし彼らは「かくなる上は城とともに死にます」となかなか舟に乗ろうとはしなかった。


そんな彼らに、若い頃の自分を見るような慈しみの眼差しを向けて、桂広繁は優しく諭した。


「いいかよく聞け。

『城』とは『人』を守るものである。

そして『人』は『希望』を守るものだ。

お主らの守るべき『希望』は今どこにある?

もはやここに守るべき『希望』がないのであれば、城を枕にして死ぬことは、城に対して無礼なことである。

『人』が城を枕にして死んでも許されるのは、その城に守るべき『希望』がある時だけだ。

その事を忘れてはならぬぞ。

分ったなら、今すぐに城を離れるのだ」


この言葉に観念したように、兄弟は目に光るものを浮かべて舟へと乗り込む。

最後に広繁自身も同じ舟に乗ると、


「あともう一つだけ…『希望』は必ずある。お主らが捨てぬ限りはな。

さあ、出発だ」


と、静かに言ったのだった。



その日の朝――


あまりにも静か過ぎる城島城をいぶかしく思った、鍋島軍は、使者として鍋島生三を再度仕向けた。


そして、もぬけの殻となった驚くべき城内の様子を、直茂につぶさに報告したのである。

その報告を聞いた直茂は、


「ははは!!そうか!そうであったか!これは愉快!!敵ながら実に天晴れである!」


と、しばらく痛快に笑っていた。


城島城の戦い――

それは鍋島軍にしてみれば、城を開城させたという点において『勝利』と言えるものであったかもしれない。

しかし忘れてはならないことは、城島城の守備兵の被害は全くなく、一方の鍋島軍のそれは数百をくだらなかったこと。

それに、何の変哲もない小城一つにわずか二百の兵が、三万以上の大軍相手に、二日間も城を固く守ったことである。



そして戦場は、次の場所へと移っていくのであった。




城を守る鬼ーー


城を守る為に城を壊す、その裏にあったのは、城を守る『人』を助けたい覚悟だったのかもしれません。


さて、次は野戦になります。


八院合戦…


この戦いは、極力史実に沿って書きたいと思います。

人物描写はフィクションではありますが、戦闘の内容は伝わる内容としたいと…


一つのクライマックスになります。

どうぞこれからもよろしくお願いします。



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