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柳川の戦い④城島城籠城戦(準備)

筑後の城島城は天正11年(1583年)に作られた比較的新しい城であった。


筑後川の自然堤防の上に建てられ、筑後と肥前の国境を守る拠点としては重要な役割を担っている。


かつては龍造寺隆信の家臣の西牟田氏の居城であり、奇しくも大友宗麟の軍勢が攻め込んだこともあった。

その際の二軍の大将は、立花宗茂の養父である立花道雪、そして実父の高橋紹運だったのである。


そして、今はその立場が完全に逆転していた。


今この城に攻め込むのは、龍造寺家として鍋島直茂。

そして守るのは立花家として桂広繁なのだ。


しかしその軍勢の規模は全く異なっている。


当時と比較して、城内の兵は約三百と、さして変わらない。だがかつての立花高橋軍が約五千だったのに対して、今の鍋島軍は一万五千…


今回の戦にあける、その兵力差は実に五十倍である。


史実では、城主であり立花家の筆頭家老でもある薦野増時が留守であったこともあり、わずか半日も持たずに、あっさりと落城することになる。


しかしこの時は違った。


なぜならそこには、桂広繁がいるからである。



慶長5年10月12日、立花宗茂へ秀頼からの書状を届けた後、広繁は城主である薦野増時とともにすぐに城島城に入った。

そこで増時は、城の中にいた二人の子供たち…甚兵衛と弥兵衛に対して、広繁の補助役となるように指示をすると、正式に広繁を城代として指名して、踵を返して柳川城へと戻っていったのであった。

なお、増時の子にはその他にも二人の男子がいるが、この時はいずれも筑後川の沿岸の警備にあたっていて、留守にしている。


そして、増時を見送った広繁は、早速迎撃の準備に取り掛かる為、城の中と外をつぶさに知る事から取り掛かった。


門や櫓、堀などの城の設備はもちろんのこと、城が立っている周辺の地形や特徴といった城外の事、さらに鉄砲や矢、兵の数や士気、姫や子供の数などの城内の事など、細部にわたるまで確認して回ったのである。


城島城の規模は小さく、大軍相手に長期間守ることには適しているとは思えない城郭であった。

しかし、守るべき時間が短期間であれば、どうか…


「1日であれば、たとえ大軍が押し寄せてこようとも、守りきれるかもしれぬ」


そう広繁は考えた。そして豊臣秀頼からの『少しでも立花の開城を引き延ばせ』という命令において、そのわずか1日の持つ意味は重要だと思えたのである。


彼が「1日は持つだろう」と考えた理由はいくつかある。


まずは立地だ。

その城は、西側には筑後川が広がり、城の周囲は湿地帯で囲われている為、攻め手の進軍が可能な場所が限られているのだ。


次に戦力。

そして城に配置された兵三百の士気は高く、城主である薦野増時からの日頃の鍛錬がうかがえるほどに、いずれも鍛え上げられた者たちばかりだ。

城内の鉄砲は約百丁、弓矢も十分に備わっている。

十分に戦えるほどの戦力と言えた。


そして最後に戦後の逃亡である。

既に姫や子供たちは本城の柳川城へと移されており、城を囲まれても、自分たちの脱出だけを考えればすむ状況で、落城の間際まで攻撃と防御に力を注ぐことが可能であった。


この状況を知った時、さすがは立花家の筆頭家老、薦野増時だ…と広繁は感心した。

しかしこれだけ準備が整っていても、大軍が勢いよく攻め込んできたら、半日も持つまい…と広繁は直感していた。


城郭と兵力は、言わば「地力」である。

今はこの「地力」しか整っておらず、それだけではこの城を大軍から守る事は不可能だ。


そしてその「地力」を何倍にもするのが「策」なのだ。

今、城島城に足りないものは、その「策」であり、「策」こそが、桂広繁に求められていることに他ならないのである。


だが、彼は黒田如水や、真田安房守昌幸のように、敵も味方も度肝を抜くような奇抜な策を考えることなど出来ない。

実直な彼は、あくまで彼が今まで戦ったり、見てきた経験をもとにした、言わば「正当」な策しか、考えることが出来なかったのだ。


しかしその「経験」が彼の場合、常人のそれとは、大きく異なって、壮絶なものであった。

なお彼は、本丸を守る城主と東丸を守る守将が敵方に寝返った鴨庄城に立て籠って、押し寄せる織田信長の軍団に対して、屋根の上からの苛烈な鉄砲攻撃を浴びせ、寝返った東丸を、なんと自らの手で焼き払うことで、撃退した経歴すらあるのだ。その壮絶な戦歴は、それだけでうかがいしれよう。


さてそんな彼が、今この城島城を見て、ふと頭によぎったのは、「備中高松城」であった。


もちろんその規模は雲泥の差があるほどに、城島城は小さい。


しかし、その周囲を川に囲われた立地には共通しているところがあり、彼は秀吉による高松城攻めのことを思わざるを得なかったのである。

なぜなら彼が「最も尊敬する人物を一人挙げよ」と言われれば、高松城を背に腹を切った、清水宗治その人だったからだ。

城の守り手として、最後の最後まで忠義を貫き、大軍相手に一歩も引くことなく戦い通した宗治の崇高な姿は、十年以上経った今でも、鮮明に彼の脳裏に残っているのであった。


…とその時、彼に一つの「策」が頭をよぎった。


もちろんその「策」の元になったのは、「秀吉による備中高松城攻め」だ。


秀吉はその際に「水攻め」を選択した。

周囲の川を十日以上せき止めて、頃合いを見てせきを切ることで、城の周囲を水で埋めたのである。

これにより、城への往来は舟を使わねばならない程に城は孤立し、攻めることすら出来なくなってしまったのだ。


それは攻め手にしてみれば、城への補給路を断ち、守備兵の奇襲を防ぐことにつながったが、裏を返せば、攻め手が攻城することも出来なくなった。

これにより「火急の用が出来た」秀吉は力攻めすることがかなわず、結果として大幅な譲歩をした和平交渉をまとめることとなったのだった。


つまり水で囲まれることは、短期的に城を守るには、究極の防御策と言えるのだ。


ただし、城島城は支城であることを忘れてはならない。

もし備中高松城のように、完全に水の中に埋まってしまい、守備兵が城から出て敵の背後を突くことが出来なくなってしまえば、その城の価値はなくなる。

それはつまり、敵としても「攻める価値がない」ことを意味するのだ。


それは絶対に避けねばならない。


すなわち攻め口は、守り手の奇襲路として残しつつ、周囲を水で囲むこと…


それが広繁の出した「策」の答えだったのである。


その事を早速、甚兵衛と弥兵衛の兄弟に相談した。

すると兄の甚兵衛がそれに答えた。


「それでしたら、門周辺だけは残して、この城の南北を水で埋めるというのはいかがでしょう。

もとより西は筑後川で塞がれておりますし、東は堀が深く、なおかつ二重の塀で囲まれております。

この城の南北は田が広がっておりますゆえ、しばしその水路をせき止めておけば、すぐに水で浸すことは可能でしょう」


広繁はその言葉に大きくうなずくと、兄弟に指示を出した。


「ふむ!その案を採用いたそう!

では早速、それを甚兵衛殿にお任せしてよろしいかな?工作には城の兵たちに助力を頼んでくれるかな。

それと弥兵衛殿は筑後川に置かれた渡しの舟を出来る限り城に集めておくれ」


その指示を承知した兄弟は跳ねるように、すぐに仕事に取り掛かったのだった。


「あとは上手くいくことを願うだけじゃ…しかし、それでも一日持つかどうか…」


そんな風に弱気な広繁の脳裏に、ふと久留米城にいた時の毛利マセンシアの微笑みが浮かぶ。


「希望は捨ててはならぬ…か…」


その一言が彼の気持ちを奮い立たせると、弱気の虫はどこかに消えていったのが分かった。


「不思議なものじゃ」


広繁はそうつぶやくと、口もとに笑みを浮かべて、


「捨てられないほどに強い希望にする為に、『策』をもう一捻りするかのう」


と、城内をもう一度見て回るのであった。



………

……



こうして出来る限りの準備を進めていくうちに、あっと言う間に時間は経過し、運命の朝を迎えたのである。


10月19日…

この日のうちに城は鍋島軍の手に落ち、翌日には八院にて立花軍と鍋島軍の激突が始まるのが史実だ。


それを少しでも後ろにずらす…

すなわち約五十倍の戦力差がありながら、城を一日以上持たせることが、広繁に課せられた命題である。


「やるべきことは全て行った。あとは希望を持って、敵を迎えるだけである!」


と、彼は甚兵衛と弥兵衛の兄弟に告げると、若い兄弟もぐっと表情を引き締めるのだった。


戦の始まりを告げる法螺を吹く音がする。

おそらく鍋島軍が吹いたものであろう。

それは「今開城すれば、互いに無傷ですむぞ」という、最後の勧告であったが、守る立花の兵たちは動揺する素振りなど全く見せない。


つくづく頼もしい兵たちである、と広繁はあらためて感心する。


そしてその法螺の音こそが、待ちに待った桂広繁の大立ち回りの開幕の時を告げるものであった事は言うまでもないだろう。


いよいよ「城島城の籠城戦」が切って落とされた。



◇◇

まず、鍋島軍の目に飛び込んできたのは、まるで湖の上に浮かんでいるような、幻想的とも言える城島城のたたずまいであった。


海津城を落とした勢いそのままに怒涛のごとく進んできた鍋島軍の兵たちであったが、その足は城島城の姿を前にぴたりと止まってしまった。


まだ早朝であるからだろうか…城の内外はしんと静まり返って、わずかに鳥の声が聞こえるばかりである。


総大将を鍋島勝茂、副将兼参謀役に鍋島茂里、先鋒には鍋島茂忠、次鋒には後藤重綱という陣容で、その数は約一万五千。その軍が異様な雰囲気の城島城を前に、動きを止めた。


辺りは湿地帯であり、小高い場所がないため、城から少し離れた比較的足場が良い場所に勝茂は本陣を設置した。

しかしそこからでは城の本丸の姿を臨むことは可能だあるが、進軍の具合は目では確認することは出来ない。

そこで勝茂は、先鋒である茂忠からの報告を待つことにした。

もし城全体が水で囲まれて攻め手がないようなら、城攻めを断念するつもりだったのだ。


ほどなくして物見が報告にやってきた。


「申し上げます!」


「ふむ、して城の様子はいかがであったか?」


「はっ!中の様子はうかがうことはかないませんでしたが、城の外は水であふれておりました。

しかし、大手門付近の道だけは少し高さがあり、なんとか通ることができます!」


その報告にかたわらの茂里が渋い顔をすると、その物見に問いかけた。


「その道の幅は?」


「三人程度かと」


「細いな…」


城内の寡兵であれば、その細い道を通って城外へと出て奇襲をかけることは可能であろう。

しかし鍋島の大軍が勢いに任せて門に殺到するには狭すぎる。

つまり「攻めねばならぬ状況ではあるが、攻めにくい」という事を意味していた。


「茂里殿、いかがいたそうか?」


と若い勝茂は、参謀である茂里に問いかけた。


「このまま素通りしても背後をつかれる可能性があるのなら、攻めるより他ございませぬな…」


「では、こうしてもたもたはしておられぬな。

よし!二陣の後藤殿の鉄砲隊を前に出し、まずは大手門および櫓に向かって発砲せよ!

そしてその後、一気に門を壊して城へとなだれこむのだ!」


「御意!早速伝えてまいります!!」


そう頭を下げた物見は、すぐさま前線へと駆けていったのだった。

その様子を確認した勝茂は、厳しい表情で城を見つめたまま、茂里にといかけた。

そこには、海津城を落とした時の余裕は一切感じられない。


「茂里殿、一つ聞いてもよいか?」


「なんでございましょう?」


「あの城には城主の薦野増時殿は留守にしておると聞いておるが、その他に城を固く守れる者が、彼の配下にいるのだろうか?」


その疑問は茂里も感じていたものだ。

短期間で城の周辺を水で埋める手際のよさ、そして不気味なほどに静かな城内…

いずれにせよただ者ではない誰かが、目の前の小城を指揮しているようにしか思えなかった。


「さあ…それはそれがしにも分かりませぬ…しかし、ただのはったり…かもしれませぬゆえ、そう深くとらえずに、まずは攻めてみて様子をうかがいましょう。

こちらには時間もあまりございませんので…」


「ああ、その通りであるな」


そのように口ではもらしている二人であったが、心の内は何か晴れない、不安のようなものが渦巻いていた。


「父上がここに到着する前には、何とかせねばなるまい」


勝茂の父、すなわち鍋島直茂がこの地に到着するのは、おそらくこの日の夕刻であろう。

それまでには必ず城を落とし、父を安心させねばならない…

関ヶ原で失態をおかしてしまった事を挽回する為にも、父の期待に応え続けることこそが、自分の使命であると、勝茂は心に誓っていたのであった。










前置き長くてすみません。

書きたいことを書いていたら、こんなに長くなってしまいました…


目立った戦の少ない中において、「籠城の達人」の桂広繁の一つの見せ場でございますので、どうぞご堪忍くださいませ。


しかし、籠城戦だけにそこまで派手な戦いになるのだろうか…


むむむ…心配です。


どうぞ次回でがっかりしないでくださると幸いでございます。


これからもよろしくお願いいたします。



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[気になる点] 誤字報告です しかしそこからでは城の本丸の姿を臨むことは可能だあるが、進軍の具合は目では確認することは出来ない。 可能だあるが→可能であるが
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