表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/374

夕げ

◇◇

「おかあさま!今日は源二郎にしんしゅうの事をおしえてもらっておりましたぁ!」


より少年らしく、より無邪気に、そして不自然さもなく…

俺は細心の注意を払いながら夕食の会話にいそしんだ。

もはや食事の味など、感じる余裕はない。その舌も含めて、俺の全身の神経は、母である淀殿に向けられていたのである。


その理由は単純だ。

俺は「豊臣秀頼」の面を被った「他人」なのだから。

それを今は絶対に気付かれてはならない。

もし気付かれてしまったら、「中身が入れ替わった」なんて話を誰が信じてくれよう?

俺は何者かが放ったくせ者として、十中八九ここから追い出されてしまうだろう。

その時点で、俺の戦国時代を満喫する野望は終わりを告げてしまうし、何よりも歴史がとんでもない方向に動くことになる。

それは絶対に避けねばならない…

俺はそんなプレッシャーに、少年のくせして胃を痛くしながら、この夕げの時間を乗りきるの必死であった。


「あらあら、そうでしたの。秀頼ちゃん、よかったわねぇ」


淀殿は息子の嬉しそうな報告に、自分ごとのように一緒に喜んでいる。

このほかにも様々な会話を交わしたが、どれをとっても息子である秀頼の事を褒め、否定するようなことはなかった。

この様子からして、相当溺愛しているに違いない。


そんな彼女が、本物の秀頼の中身でないと知ったら、どんな反応を示そうか。

悲嘆にくれ、下手をすれば自害しかねない。

俺はあらためて、「この人にだけは絶対に知られてはならない」と心を固くしたのだった。


しかしいつの時代にも空気の読めない人というのは、いるものである。


「ははさま、聞いてください!」


「どうしたの?お千」


淀殿は、俺に向けるものと同じような愛情深い視線を、俺のかたわらに座っている少女へと移す。


千姫は、少しでも淀殿に近づこうと、その小さな体を乗り出して、ちらりと俺の顔を見た。


その目…


どこかで見た気がする…


その時、俺はハッと気づいた。

幼馴染みの麻理子が同じ目をしたことがあったことを…

確かあの時は…俺がイタズラをして、父さんが大事にしていた壺を割ってしまった事を、麻里子が俺の母さんに言いつけた時と全く同じ顔だ。


俺はなんだかすごく嫌な予感に、体に寒気を覚えた。

そしてその予感は、綺麗に当たったのだからたまったものではない。


千姫は義母である淀殿に、とある俺の失態をなじるように言いつけたのだ。


「秀頼さまったら、亡くなられた太閣さまのお加減を聞いてきたのですよ!

全く失礼なことですよね!」


おい!おい!待て!

このちびっこ!空気を読め!

俺の努力を無駄にするつもりかぁ!


…と、心の中では、千姫の両方の頬をつねりながら、叫び声をあげている。

しかし、もちろん口には出さない。それどころか「それが何か?」とでも言わんばかりに、すまし顔でそれをやり過ごそうと、懸命にこらえていた。


もちろん着物の下は冷や汗が滝のように(したた)り落ちているのだが…そんなことを気にしている場合ではない。


俺を溺愛している淀殿であっても、さすがに怪しむだろうと、すまし顔の俺は身構えていた。

怪しまれたら…

「お父上が、あの世でも元気にやっておるのか、秀頼は心配でなりませんでしたので!」

と返すか…

内心ではそんな事を考えていた。


しかし淀殿の反応は、そんな想定を大きく外すものであった。


「ふふふ、まったく仕方ないわね、秀頼ちゃんは。

でも、そんな忘れっぽいところも可愛くて、母は好きですよ」


俺は淀殿のあまりの親バカぶりに、口をポカンと開けて閉じる事を思わず忘れてしまった。

そして、言いつけた本人である千姫は、顔をひきつらせて乗り出した身を、元に戻すより他ないようだ。


そんな俺たちの様子を見て、満足したように慈愛に満ちた笑顔を浮かべている。そして座ったまま俺たちにそろそろ床に着くように指示した。

その声は最後まで優しく、俺のことを疑うような素振りは見せなかった。


俺は最後に一つしておかねばならない事がある。このタイミングを逃すと、もうそのチャンスはなさそうだ。

俺は慌てて淀殿に向かって、幾分早口で、


「ははうえ!秀頼は、あした治部どのに会いとうございます!」


と、努めて明るく、無邪気さを全面に押し出しながら、戦場の真っ只中にいるであろう石田三成に会いたいという、おおよそ無茶な願いをした。

流石にこの願いは聞き入れられないだろう。

言わばだめでもともと、聞き入れられたらラッキーくらいに考えていた。


しかしそんな俺の悲観的な観測などはお構いなしに、淀殿は全くぶれない。

そんな事など何でもないような穏やかな口調で、


「あら?ちょうどよかったわ。

今日と明日は治部は大坂にいるようなのです。

それでしたら、治部を昼過ぎにでも呼びましょう」


と、あっさり承諾してくれた。


「ありがとうございます!ははうえ!」


そう元気に謝意を述べると、俺は千姫に引っ張られるようにして、床の間へと移っていったのであった。


ああ…まだこの世界にきて、初日なんだよな…

毎日同じ事を繰り返してきた、元の世界の俺の1日と比較すると、何年分か過ごしたような気がするほど、濃い1日だったように思える。





俺は千姫の隣の布団に入ると、つるべ落としのような速さで意識を落とし、深い眠りへとついたのであった。


◇◇

秀頼と千姫が去った後の淀の部屋には、一抹の哀愁のようなものがただよっていた。

淀は静かに立ち上がる。

その動作は誰が見ているわけでもないが、優雅に気品に溢れたものだ。

おそらく小さい頃から、親や周りの者に厳しく躾をされてきた事が、体にしみついているのだろう。

そんな彼女が

「誰かあるか?」

と、先ほどまでの穏やかな口調とは違い、厳しいものを含ませて、襖の奥へ呼び掛けた。


「はっ!」


静かに襖があけられると、一人の若い侍女が頭を下げて待機している。

その女性に淀は、厳しさを携えたままに命じた。


「源二郎をここに」


「はっ!」


短いやりとりを終えると、侍女はすぐさま部屋をあとにした。


そして周囲に誰もいなくなった際の、独特な静寂を確認すると、天井の方を見上げて、


「あの猿め…何をしたのだ…」


と、2年前にこの世を去った旦那に恨めしい愚痴をこぼす。

その表情には先ほどまでの慈愛に満ちた優しいものではなく、般若のように憎悪をたずさえたものであった。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ