最後の星【幕間】 二人の沙汰
◇◇
大谷吉治と堀内氏善、桑山一晴、さらに九鬼嘉隆を介錯した青山豊前守の四人は、新宮城を出た後、北山道を北へと急いでいた。
嘉隆の首は、豊前守が大切に持ち、その胴は新宮城で川面右近が守っている。
なお、それらは全て新宮城の桑山一晴の手配で成ったものだ。
嘉隆の自害の後、鬼宿丸は新宮の港に入った。
その後、吉治が新宮城の新たな城主である、桑山一晴に経緯を説明すると、「大谷殿が鳥羽城を通るのは危ない」との一晴の判断によって、北山道を通って大坂へと戻ることとなったのである。
一方の氏善は、嘉隆の死後自分も殉死する為、腹を切ろうとしたが、彼の旧臣である色川盛正の懸命の制止によって、それは無事に未遂で終わった。
そこに吉治から、嘉隆の残した書と数々の船の絵図を手渡された。
嘉隆の書には「大谷殿と世の中が驚く、民が豊かに暮らせるようになる為の船を作れ」と書かれていたらしい。
嘉隆からの言葉はそれだけで十分だったようだ。
次に目を通した絵図に氏善は釘付けになると、涙に濡れた頬は赤く染まり、瞳が輝き始めたのは、彼の舟乗りとしての本能がそうさせていたのだろう。
そして吉治の「ともに秀頼様のもとで、民の為に船を作りましょう」という一言は、彼が一歩前に足を出すきっかけとなった。
彼は涙に濡れた大きな瞳を吉治に向けると、大きくうなずいたのだった。
その後「氏善の罪を少しでも軽くできるのではないか」という一晴の祖父の桑山治部卿法印の考えで、吉治の護衛として氏善は大坂に付添うこととしたのだった。
また桑山一晴は関ヶ原の戦い直後は石田方として参戦しており、途中からそれをひるがえし、新宮城を奪ったものの、家康に許しをこう為に随行することにしたのだ。
城を奪われた氏善と奪った一晴は、いわば呉越同舟のようなものであったが、元来さっぱりした気性の持ち主である氏善にとって、それはあまり気になるものではなかった。
慶長5年(1600年)10月7日、新宮城で一晩明かした吉治たちは、北山道へと出立した。そして、同日中に京城へと入ると、氏善は家族に嘉隆の死と大阪へ行くことを告げたのだった。
嘉隆の養女であった彼の妻は、嘉隆の死に涙こそ見せたが、気丈に振る舞い、吉治らに対して失礼のないようにもてなした。
そして、大坂城に吉治一行が入ったのは、10月12日であった。
「ではまた後ほどお会いしましょう」
そう吉治が告げると、氏善と豊前守は、未だに大坂城の西の丸に留め置かれている九鬼守隆のもとへ、一晴は家康への取次を担当している本多正信のもとへ、吉治は本丸の秀頼のもとへと、それぞれ報告に行くため、別れたのだった。
◇◇
事情を知らない守隆は、大坂城の一室で、豊前守と氏善を笑顔で迎えた。
というのもこの日、彼は念願叶って、徳川家康と面会を果たし、同席した福島正則らの計らいもあって、父嘉隆の命の安堵の許しを得たのである。
「喜べ!徳川内府殿より父のお命の安堵を得たぞ!」
その話を聞いた瞬間に、豊前守と氏善は崩れるように、その場で顔を伏せ、大声で泣き出した。
「どうしたというのだ!?そんなに喜んでくれるのか?」
不思議そうに問いかける守隆に対して、泣き崩れていた彼らは、顔を上げることすら出来ずに、守隆を困らせたのであった。
そしてようやく豊前守が泣き腫らした顔を上げて、話し始めたのは、実に四半刻も経った後だった。
「申し訳ございませぬ…
すでにご隠居殿は…立派な最期を遂げられました…」
その言葉に固まる守隆。
あまりの衝撃に、ただ一言問いかけることしか出来なかった。
「な…何が起きたのだ…?」
………
……
「おのれぇぇぇ!!五郎右衛門め!!ただではすまさん!!」
悲しみの涙を滂沱として流しながらも、理性を失うほどの怒りが悲しみを遥かに凌駕していた。
悔しそうに何度も畳を叩きつけると、拳を固く握りしめ、噛み締めた唇からはうっすら血が滲んでいる。
目は真っ赤に充血し、額には青筋を立てたその顔は、さながら怒れる金剛力士のようであった。
「殿、お怒りはごもっともなれど、まずはこの首を持って、徳川内府殿にご報告せねばなりませぬかと…」
その豊前守の言葉に、ようやく少しだけ冷静さを取り戻した守隆は、
「それもそうだのう…よし、早速、取次である本多佐渡守殿にお話して、徳川殿に直接報告いたそう」
と、切り出すとすぐに立ち上がり、重い足取りで本多正信の部屋へと歩いていったのであった。
………
……
守隆、豊前守、氏善の三人が家康に目通りが叶ったのは、なんとその日のうちであった。
この頃になってようやく家康が落ち着いてきたというのもあるが、助命や安堵の嘆願と、隠居の身とはいえ一人の大名の自害では、その報告内容の比重が全く異なったからだ。
前者が家康に対する忠誠につながるのに対して、後者は、対応次第では家康に対する不満につながる可能性がある。
しかも今回の件は、見方を変えれば家康が待たせ過ぎたことによって、自害を止められなかったとも受け止められる為、彼としては早めに対応することで、誠意をみせて不満の芽が出てこないうちに、摘んでしまおうと考えたのである。
西の丸の一室に通された三人を待っていたのは、家康と正信、それに本多正純の三人であった。
家康がもっとも上座に腰をおろし、それに向き合う形で守隆らは座った。
豊前守から一通りの経緯が説明されるのを、神妙な表情で聞いていた家康は、その報告が終わると、その重い口を開いた。
「ふむ…これは嘉隆殿には申し訳ないことをしたのう。わしからの沙汰がもう少し早ければ、死なずにすんだかもしれぬのに…」
そうしんみりと言った家康は、なんと守隆に向かって頭を下げた。
それを見て、驚いた守隆は慌てて、
「いえ、これは当家の家臣の先走った行動が、原因にございます!
むしろ徳川内府殿には、父をお許しいただき、感謝しかございませぬ!
頭をあげてくだされ!」
と、家康に向って、頭を上げるよう促したのだった。
「ふむ…しかし惜しい男を亡くしたのう…」
と、あからさまに落ち込んだ表情を見せる家康。
その言葉に守隆は、
「近頃の父は、死に場所を探していたように思います。こたびの大戦でそれが叶ったため、あの世で後悔などしてはおられないのではないかと…」
と、つぶやくように言った。
そして守隆は顔を上げると、
「それに『世のみなが驚く船を作る』という、父の夢はここにいる堀内安房守殿と、大谷大学助殿に引き継がれました。父は憂いもなく、旅立ったのではないかと思うのです。
その夢の引き継ぎ先が、それがしでないのが、少々不満ではございますが…」
と、ことのほか明るい表情で告げた。
その表情を見て、ほっとしたように肩の力を抜いた家康。
そして彼は沙汰を下した。
「では、堀内安房守殿よ。そなたに知行や城を与えるわけにはいかないが、その命および家族は、どこにでも自由にしてよい。
お主ほどの者であれば、どの大名でも抱えたがるだろう。
ただし、お主の元の領地の近く…すなわち紀伊の浅野殿および大和の織田殿とこれからその地に移ってもらう桑山一晴殿、それに尾張の松平忠吉への仕官は認めてやるわけにはいかん。
万が一のことがあってはならぬからのう。察してくれ」
穏やかな声ではあるが、有無を言わせぬ語調の家康に、氏善は深く礼をする。
「ははーっ!!これは寛大なご沙汰で、この堀内安房守、ありがたき幸せにございます!」
「ふむ。仕官がかなったあかつきには、嘉隆殿のご遺志を引き継ぎ、よい船を作って、このわしも驚かせてみせて欲しいのう」
「はっ!必ずや、内府殿が驚くような船を作ってみせます!」
その様子を満足そうな表情で見た家康は、引き続き守隆に言った。
「まず…今回の騒動であるが…」
守隆はその言葉に頭を下げる。家康はその様子をじっと見つめながら、続けた。
それは守隆を値踏みしているように思える、鋭いものであった。
「これはいわばお家騒動である。その騒動に民の生活がおびやかされた。
大谷大学助殿の機転によって、今回の被害は限定的なものであったが、これがもし彼がおらねば、もしかしたら民の死者が出たかもしれぬほどに、大事であったかもしれぬ」
「本当に申し訳ございませぬ。これもひとえにそれがしの当主としての力量が足らぬゆえの事…どうぞどんなお咎めも受ける所存にございます」
家康は目を細めた。
そして重々しく続けた。
「しかしこたびだけは、そなたの亡き父、九鬼嘉隆殿に免じて、お咎めなしとしようではないか」
がばっと守隆が顔を上げる。
その表情は驚きで青くなっていた。
家康は人を驚かせるのをこよなく愛している。
特に、喜びに驚く顔はことさら好きだ。
今まさに、守隆はその表情を浮かべている。
家康は表情が緩みそうなのを、なんとかして抑えながら続けた。
「ただし、燃やされてしまった集落の修復は、お主が率先して行うこと。
そうすれば、不満のたまった民の溜飲も下がるであろう。
それから、今回の騒動を起こした豊田五郎右衛門の裁きは、しっかりと行うこと。
賞罰を明らかにせねば、民はおろか家臣もお主についてこなくなるだろう。
いかに、義理の兄弟の引き起こしたこととはいえ、身内に甘い処分をくだしたらならぬぞ」
守隆はそこで再び深く頭を下げる。
「ははーっ!!」
家康は単に処罰をくだすというより、細かく処理を指示することで、民と家臣から不満を出さず、次の騒動へと発展しないような配慮をしたのだ。
守隆は「罪が赦された」という安堵よりも、家康の騒動後の処理の思慮深さに感心し、あらためて「彼についていけば、万事うまくいく」と、絶大な信頼を寄せることにしたのだった。
そして最後に家康はもう一つ、守隆に沙汰をくだした。
「そこにある嘉隆殿の首と、新宮城にある彼の胴を、答志島にてしっかり弔うがよい。
これだけの人物だ。
後世の人々が、彼のことを忘れることがないよう、堂々とした墓を建てるのだぞ。よいな」
「ありがたき幸せ…」
この時点で守隆の頬には一筋の涙が流れていた。
しかし次の家康の言葉は、守隆の心を完全に割るには十分なものとなる。
「それから…日本丸…いや、嘉隆殿に敬意を表して、鬼宿丸としておこう。その鬼宿丸は、わしが責任を持って修繕し、わしの家臣によって手あつく保護させる。
嘉隆殿の残した『夢』の形は、これで後世に、目に見える形で残ることになろう」
その言葉に、守隆は、我慢していた感情が吹っ切れた。
瞳からは涙があふれ、口からは嗚咽が漏れる。
とてもじゃないが、誰にもその顔を見せることはできない。
彼はつっぷしたまま、しばしの間、家康の前であるにも関わらず、号泣してしまったのであった。
◇◇
次に守隆と氏善は、豊臣秀頼のもとへと向かった。
青山豊前守は、新宮城にある嘉隆の胴を回収し、鳥羽城に向かうため、嘉隆の首を抱えて早くも大坂城を出立している。
もうすでにあたりは暗くなり始めている。
そんな中、秀頼は彼の部屋に、いつも通りに誰も通さないように七手組に指示をして、彼らを迎え入れた。
すでに彼の横には大谷吉治がおり、秀頼は守隆を自分の対面ではなく、その横に招いた。
そして氏善も含めて、四人はまるで円陣を組むかのような配置で座ると、あらためて吉治から今回の騒動の顛末が語られ、次いで守隆から家康からの沙汰が語られた。
この時、秀頼はわずか七歳であるが、守隆にはとても七歳とは思えない、その堂々とした態度に驚いていた。
そして次の秀頼からの一言でさらに彼は驚く。
「守隆殿…こたびの嘉隆殿のご自害の件、非常に、非常に無念である…ううっ…」
なんと父嘉隆を知っているだけでなく、その死を悼み、突然泣き出したのである。
それは守隆の隣に座っている氏善にとっても同様なようだ。
彼も開いた口がふさがらない様子を隠せない。
そんな彼らのことなど構わずに秀頼は続けた。
「海賊大名とまで称された彼であれば、必ず民の為に立派な船の建造と、安全な海洋航行の術の確立に力を発揮したに違いあるまい…民が豊かになるひとつの道が閉ざされたようで、俺は悲しいのだ。ああ…惜しい…」
その言葉に氏善が思わず口をはさむ。
「安全な海洋航行の術…ですと…?」
するとその問いかけに、秀頼は涙を流したまま、無邪気に答えた。
「当たり前であろう!いかに立派な船を作ったところで、乗り手の技術が未熟であれば、その船は宝の持ち腐れになってしまうではないか!」
秀頼の言い分はもっともであった。
しかし、氏善はその答えに対しては大きな疑問を抱かざるをえなかった。
「しかし…漁であれば沖に出るだけでございますし、運搬であれば陸沿いに船を走らせます。
単に船を動かすだけであれば、たいそうな技術など必要ないかと…」
氏善は、秀頼の若さゆえ、船乗りや漁の現状を知らないのだろう、と考えていたのである。
そんな氏善に対して、すっかり泣きやんだ秀頼は鼻を鳴らすように言った。
「何を申しておる、氏善殿!そんなに大きな図体で、言うことは小さいのう」
どこかで聞かされた台詞だ。
しかし不思議と嫌な気分にならないのは、まだ小さい相手に言われたからであろうか、それともその相手の持つ魅力ゆえであろうか…
「な、なにをお考えなのか、この氏善にはてんで分かりませぬ」
すると再び無邪気な語調で秀頼は言った。
それはそんな氏善の想像を遥かに超越したものだったのだ。
「このように海は広いのに、なんの因果で日の本近くだけで船を走らせねばならぬのか?」
その言葉の意味が飲み込めない氏善は、しばらくした後
「はっ…?」
と、短く聞くのが精いっぱいであった。
「もっと遠くで漁ができれば、さらに収穫は増えよう。
より多くの異国の人々と交易が出来れば、より商人が潤い、日の本の民の生活を便利にするような道具も入ってくるというものだ。
より遠くに、より安全に航行する為にせねばならぬのは、船を作るだけではないはずだ。違うか?」
この時、氏善の中で何かが音を立てて崩れた。
それは初めて鉄甲船を目の前にした時の、あの感動と全く同じものだったのである。
氏善に熱いものが腹のうちからこみあげてくる。
とんでもない人だ…この豊臣秀頼という人間は…
この短いやりとりで、彼の狭かった世界が一気に広がった気がした。
そして、それとともに彼の中で『夢』は無限に大きくなったのだ。
「おおおおお!!!!」
思わず心から声がもれる。
その様子を笑顔で秀頼は見つめて、
「分かってくれたか?」
と問いかけた。
「おう!!よく分かりましたぞ!おやじ殿!!!」
「お、おやじ!?待て!俺はまだ七歳…」
「そんなことどうでもよい!!
新しい俺を生んでくれたのだ!!
その時点で秀頼様は俺の『おやじ殿』なのだ!!」
と氏善は秀頼の両手をつかんだ。
それを少し冷めた目で吉治は見ると、
「これ、氏善殿。秀頼様に失礼ではないか」
と、ぴしりと注意した。
しかしそんな吉治の一言で、興奮が抑えられるほど、氏善の中で燃えたぎる情熱は小さくはなかった。
「おやじ殿!俺はやります!!なんでもやります!!だから、おやじ殿の力にならせてください!!」
秀頼は若干引き気味に言った。
「もとよりそのつもりである!」
そして秀頼は氏善に沙汰を下した。
「徳川内府殿からは『自由の身』とのことであったな?
であれば、お主は加藤清正殿のもとに仕官するがよい。
ただし家族はこの大坂城にて過ごすように。
まだまだ九州は危険であるからな。
それからお主は、早急にやって欲しいがあるゆえ、後ほどそれを指示いたす」
「ははーっ!!!」
氏善は家康の時以上に大きな声で、頭を下げたのだった。
そして秀頼は、すっかりおいてけぼりになってしまっている守隆の方に向き直った。
「守隆殿にお願いしたい旨があるのだが、よろしいかな?」
急に話を振られた守隆は、はっとした顔で、うなずいた。
そして秀頼は、真剣な顔つきでそのお願いを言った。
「答志島の民には、この大谷吉治殿がお世話になった。しかし、その被害は大きかったと言うではないか。
その償いをさせておくれ」
その言葉に守隆は大いに驚いた。
自分の家臣が狼藉を働いたことに対して、咎められるものだとばかり思っていたのだから当たり前だ。
それどころか、秀頼は償いをしたいと申し出たのである。
「そ、そんな…そのお言葉だけでも、もったいのうございます!」
「いや!それではこの秀頼がおさまらないのだ。せめて、焼かれてしまった集落の修繕費用は、俺から出させてほしい。
それに、より多くの者が答志島の嘉隆殿の墓に訪れることができるように、答志島の港を整備する費用も出そう。
これは答志島の民たちにしてみれば、物資が届いたり、より大きな船で漁に出ることができるようになる為の港となろう」
守隆の目は大きく見開かれたまま、閉じることを忘れてしまった。
◇◇
翌朝――
守隆は大坂城を出て、帰路についた。
そして彼は誰にともなくつぶやく。
「家康様は、どこまでも父上の御霊と功績という『過去』を大事にしてくれた。
一方の、秀頼様は、その父上の残したものをさらに民の為に活用しようと『未来』を大事にしておられる…
ああ…
残酷なるこの時代は、このうちどちらかを切り捨てようとしているのか…?
どちらも生きる道は残されていないものなのだろうか…」
この後、鳥羽城に戻った彼は、真っ先に豊田五郎右衛門を処刑にした。
その処刑方法は非常に残酷なもので、見る者の肝を冷やすものであったらしい。
さらに、答志島にて嘉隆の首と胴の墓を建てた。
そして焼けた集落を、大坂城からの援助を受けて立て直し、港も整備した。
民は大いに喜び、当主の守隆だけではなく、村を救った大谷吉治と、資金を提供した豊臣秀頼に対して感謝したという。
そして秀頼と吉治の名声は、答志島だけにとどまらず、嘉隆の墓を訪れた者によって、伊勢志摩一帯に広まったのであった。
◇◇
なおこれは史実の伝説であるが、鬼宿丸は、その後徳川家康の家臣の手によって、約二百年にわたって、手あつく保護されたという。
当時の木造の船の寿命の平均が二十年であることを考えると、その信ぴょう性は疑われているが、徳川家の功績や人を大切にする文化を象徴していると思わざるを得ないのである。
秀頼と家康の物の考え方や人との接し方に、少しずつ特徴が出始めた、今回のシーンにございました。
みなさんはどのようにお感じになられたでしょうか。
そして遅れてしまいましたが、「豊臣の七星」の最後の星は「堀内氏善」でございました。
さて、次は再び九州に目を移します。
やはり時代は綺麗ごとだけではどうにもならないことを象徴するような展開が、秀頼と家康を待っております。
今後もどうぞお楽しみくださいませ。
少しだけ話を整理いたしたく、一回「最後の星」シリーズの登場人物のおさらいを挟んで、本編へと移らさせていただこうかと思います。
千姫や淀殿の登場はございませんが、もしSSのご希望があれば、執筆いたします。
ご希望がございましたら、感想またはメッセージでお願いいたします。
活動報告か、別のシリーズを作っての展開になるかと思います。
以上、ではこれからもよろしくお願いいたします。




