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最後の星⑦誇りを捨て、愛を残す

慶長5年(1600年)10月6日 答志島洞仙庵――

この小さな寺の一室は、四人の男の熱気に包まれていた。


そこにいるのは、今朝がた島に到着した大谷吉治と川面右近、そしてその前日から訪れていた青山豊前守…そして、その三人と向かい合うようにして静かにたたずんでいるのが、「海賊大名」の異名を持つ九鬼嘉隆その人であった。



「それでは、どうしても腹を切る…ということなのですな…」


そう悔しそうに漏らしたのは川面右近である。

青山豊前守、川面右近の忠臣両名による、必死の説得も実らず、九鬼嘉隆の自害の決意を覆らせることはできなかったのだ。


「分かってくれ、右近。男には筋を通さなくちゃいけねえ時ってのがあるんだ。

それが、俺にとっては『今』であり、それが『腹を切る』ってことなんだ」


その答えに、大谷吉治は横から口を挟むように、一つ問いかけた。


「秀頼様のご意向を無視されてまで、通さねばならぬ筋なのでしょうか?」


と、吉治も言葉は穏やかだが、その語気には熱を含んでいる。

しかし嘉隆の答えにはその吉治の熱をも冷ますような、温度のないものであった。


「大谷殿、せっかくの秀頼公の命なれど、当主である九鬼守隆に背き、こともあろうことかその居城を奪った罪は、自分でけじめをつけねばなりますまい。

既に隠居の身なれば、その命に背くこと、どうかお許しあれ」


若い吉治は、その嘉隆の言葉に食ってかかるように反論する。


「例えご隠居の身とは言え、九鬼のお家の者であることには変わりますまい。

秀頼様のご意向に背いたとなれば、九鬼のお家自体に責任が問われることになっても、構わぬとおっしゃるのか?」


「大谷殿。お気持ちは嬉しゅうございますが、豊臣家の圧力に屈して筋を曲げたのでは、それこそ九鬼家の名折れ、後世に恥を残すことになりましょう。

それに、もしそれがしの自害によって、秀頼公が九鬼のお家を害するようなことがあれば、世間は秀頼公のことをどう思うでしょうか…」


「それは… しかし、なぜそこまでかたくなに死のうとするのでしょう?その理由が釈然としない限り、九鬼殿の自害をお止めするように言いつけられているそれがしも退くわけにはいかないのです」


その問いに嘉隆は目をつむって、変わらず静かに答えた。


「それがしには『夢』があったのは、ご存じであろうか…?」


「それは川面殿よりうかがいました」


「ふむ…それは話が早くてよい。

その『夢』は、九鬼の全てが宿る『鬼宿丸』であった」


「それもうかがっておる。敵も味方もたいそう驚かせたとのこと。

その『夢』がかなったから、もう死ぬとおっしゃるのか?」


嘉隆は静かに首を振る。


「いや…そうではない。なぜなら、それがしは決して夢がかなったとは思っておらぬ」


「では、なぜ!?」


「それがしは…どの船よりも強く、絶対に負けない船を作りたかった。

単に相手を驚かせるだけしか能がなく、実際はすぐに壊されてしまうようでは、ただの笑い草であろう。

その為に、より大きく、より強く船を改良していったつもりだ。

しかし…それは間違っていた…」


「どういうことでしょう…?」


「それがしの作った船は決して強くはなかったのだ」


その言葉には、確かな無念がこもっており、吉治の心に重く響いた。

そしてそれは文禄の役での、集中砲火、そして大破寸前まで打ちのめされたことを意味していることは、嘉隆が何も言わずとも理解するのに難しくはなかった。


「その時からそれがしには『夢』が見られなくなってしまったのだ。

夢は理想を作り、理想が信念を作る…

かつて亡き織田信長公はそれがしにいつも言っておった。

『理想を持ち、信念に生きよ』

と…

理想がなく、信念を持てないそれがしは、廃人も同然…

もはや、この世に未練などないのだ…」


嘉隆の悲しげな言葉に一同はしんみりと下を向いてしまう…


ただ一人を除いて。


「それは冒涜ですぞ!九鬼殿!」


そう大きな声をあげたのは吉治であった。

その声には先ほどまでよりもさらに熱がこもっており、みな顔を上げて、目を見開いた。

そして吉治は誰の言葉を待たずに続けた。


「それがしは関ヶ原の戦場で、大勢の仲間や敵の死を見てきました。

その中の多くが、生きたくても生きられなかった者たちに違いありません!

それを、嘉隆殿は、生きることが許される身でありながら、たった一度の挫折によって、その貴重な命を落とそうとしておられる!

それは、戦場で散っていった者たちへの冒涜と言わずして、何と申しましょう!」


その言葉に嘉隆は低く小さな声で答える。

しかしそこには確かな温度が感じられた。


「お主のような若造に何が分かるというのだ…」


「確かにそれがしは若い!しかし、それが何だと言うのでしょう!?

父はいつも申しておりました。

『人は負けた時が終わりではない。進むことを辞めた時が終わりなのだ』と…

九鬼殿の『夢』が致命的な傷を負った時の心の痛みは、若いそれがしには測りしれないものであったでしょう。

しかし、まだ『終わり』ではござらぬ!

天下に奉公する侍である以上、その能力を万民が豊かに暮らせる世を作る為に発揮されるのが、九鬼殿の『筋』ではござらんのか!?

ご自身で勝手に『終わり』を決めつけてはなりませぬ!!

共に、進みましょう!万民のために!!」


一気にまくしたてる吉治。

その言葉には魂がこもっており、嘉隆を豊臣家の利益の為に利用しようとするような『欲』は一切感じられなかった。

しかしその理想に燃える言葉は、ことさら嘉隆の神経を逆なでした。

なぜなら、主家の為の下心が見えたなら、これほど心を動かされることはなかったからである。


「黙れ!!若造!!貴様のような理想と現実も区別がつかんような男が知ったような口を聞くな!!

しかも突拍子もないような理想を語ろうとは笑止千万!」


これは戦だ。一騎打ちだ。

そう感じた吉治は、全く退くつもりはなかった。

むしろ膝を進めて続けた。


「これは豊臣権中納言秀頼様の抱く理想である!!

天下万民が豊かに暮らすことの出来る世を作る…

この理想の実現の為に、信念を持って、一人の将星の命を救おうとすることに、何のためらいがありましょうや!!

例え現実と理想の区別がつかぬ若造と言えども、理想を現実を変えてみせる強い信念は持ち合わせております!」


「船を作ることしか出来ねえ俺が、お主らの掲げる理想に対して、何が出来るというのか!!

敵の矢弾の的になるような船を作らせて、万民の笑いのもととでもするつもりか!!」


「万民を驚かせる船を作るのが九鬼殿の『夢』であれば、それを叶えればよい!!」


大真面目でそう言い放った吉治。

その目は血走り、真心を映す瞳は熱く燃えている。

その目を見て、嘉隆はとうとう笑い出した。


「がははは!何を言い出すかと思えば、『驚く船を作れ』だと!?

その驚くほど強い船で万民の為に誰と戦うのだ?」


しかしその馬鹿にしたような笑いを目の前にしても、吉治は表情を崩さない。


「その通りだ!しかし戦いはしない!」


「なんだと!?」


嘉隆は意外すぎる吉治の言葉に、思考が停止し、口は開いたまま塞がることを忘れた。

そして一呼吸おいた吉治は、高らかと透き通る声で、言い放った。


「民が喜びのあまりに驚くような、そんな船を作ったらよいではないか!!

真に強い船とは、揺るがぬ信念のもとに成したものだと、それがしは思うのだが、いかがであろう!」


あまりにとんだ内容と理屈に、一同唖然とした。


それはそうだ。


今まで九鬼嘉隆という男にとって『船』が全てであった。

そしてここにいる全員…いや、九鬼家全員にとって、『船』とは、すなわち『軍船』を意味していたのである。


しかしここにいる言わば『船』の素人の吉治にとっては、軍船であろうと、漁師船であろうと、輸送船であろうと、全て『船』に変わりないのだ。


万民の為になる船であれば、作って驚かせる船は、『軍船』である必要などない。


そんな事を嘉隆は思いつきもしなかったのである。


だが、嘉隆には譲れないものがあった。


「俺に…海賊大名としての『誇り』を捨てよ…というのか?」


そう、彼にとっては『強い軍船』を作ることが、『海賊大名』としての誇りであり、生きがいであったのだ。


そして、その声は先ほどまでの荒々しいものは感じられず、どこか哀愁を漂わせたものであった。

その調子に合わせるように、ぐっと腹に力を込めた吉治は、低い声で締めくくった。



「たとえ『誇り』を捨てることになろうとも、『愛』が残れば、それでよいではありませんか」



愛…



そんな事を考えたことがなかった、と嘉隆は何か目が覚めたような感覚に陥った。

そして思わず声に出てしまったのである。


「愛とはなんだ…?」


その哲学的な質問に対して、吉治は迷うことなく即答したのだ。


「他人を思いやる心にございます」


その答えに嘉隆は再び大笑いした。


しかしその笑い声は、先ほどのように皮肉で湿ったような気持ちの悪いものではなく、爽やかな秋風を感じさせるような、気持ちのよいものであった。


「がははは!!こいつは面白い!

大谷大学助吉治殿!俺はお主のような、面白い若造を見たことがない!

よいぞ!

こいつはでっけえ『夢』になりそうだ!!」


声、顔、身体…

嘉隆をかたどる全てに、生気が戻ってくる。


見た目よりもかなり年老いて見えた彼の姿は、みるみるうちに若返り、年相応に…いや、実の年齢よりもかなり若く見えるまでになったのだ。


吉治はその姿を見て確信した。


自分の誠意が通じたことを…

そしてそれが意味すること、すなわち嘉隆の命を救えたのだということを…



しかし…



次の嘉隆の言葉は、そんな吉治の慢心とも思えるような心に釘をさすものだった。



「これでますますこの世に未練がなくなったわい!」


「えっ…?」


今度は吉治の方が驚きのあまりに言葉を失う。

そんな吉治の肩に手を乗せた嘉隆は、笑いながら続けた。


「今の『夢』は必ずお主が叶えるのだ」


「ちょっとお待ちあれ!それがしは船など作れませぬ!」


「がははは!そんな事は分かっておる!

だからそれがしの馬鹿息子に、お主の事を手伝わせよう!」


「守隆殿が!?」


「いや、あいつは船を作るのは、からっきしだから駄目だ。

俺の義理の息子…まあ、どら息子なんだが、腕だけは一流だ!」


「堀内安房守氏善殿か…」


「ああ、その通りだ!あいつも今は呆けてしまっとるからのう。

一発、尻を張らないと動きやしないだろう」


「し、尻を張る…」


「がははは!そうは言っても本当に張るわけじゃねえぞ!

この歳になって、じじいの尻など、拝みたくもないわ!

それがしの持っている絵図を見せれば、あやつは必ず目を覚ます。だからそれを持っていっておくれ」


大波のような勢いに吉治は思わずうなずいてしまった。

その様子に心の底から嬉しそうに首を縦に振る嘉隆。


吉治の誠意は確かに嘉隆に届いていた。

しかし同時に彼は気づかされたのだ。


時代の新たな(うしお)に…


そしてそこは自分の居場所ではない。

今、目の前にいる大谷吉治や、大きな理想を掲げた豊臣秀頼といった、新たな若い者たちの舞台なのだ。


無鉄砲で、どこまでも情熱に真っ直ぐな若者たちが作る世…


嘉隆はそんな彼らの作る新たな時代を、新たな船を、見てみたくて仕方なかった。

しかしそれを見る場所は、無為に過ごすこの地上ではなく、遥か高くにある天からであることを決めていた。


「若造よ!理想を持て!信念を貫け!さすれば、必ず『夢』はかなう!

わしはそれを天から酒でも飲みながら、眺めてやろうではないか!がははは!」


未だに唖然として口を閉じられない吉治とは対照的に、豊前守も右近も、嘉隆につられるようにして嬉しそうに、口もとを緩めていた。


なぜ嘉隆は死なねばならないのか。


その理由は、『起こしてしまったことへの筋を通す』ということは変わらないだろう。


しかしここに来て死にゆく嘉隆の気持ちは大きく変わっていたことを、彼らは理解した。

嘉隆は「この世に未練はない」と言いながらも、裏では大きな挫折に心が折れて、新たな目標に向かって気力を振り絞ることができないだけであった。


だが今は違う。


彼の『世の中を驚かせる船を作る』という夢は、確かに若い吉治に引き継がれ、嘉隆が心から「この世に未練はない」と言っていることを理解できたのだ。


こうなった今、豊前守も右近も、もう嘉隆の自害を翻す気持ちはなくなった。



そしてそれは、目に見えない『夢』のたすきが、確かに手渡された瞬間を意味していたのだった。



「さあ、こんなにめでたいことはない!右近!酒だ!酒を持ってこい!この嘉隆の最期らしく、賑やかな宴を催そうではないか!」


◇◇

そして嘉隆の死が避けられない状況にも関わらず、しばらく賑やかな雰囲気に包まれていた。


いつの間にか数人の兵も加わり、狭い部屋は余計狭く感じられた。


それでもみな肩を抱き合い、まるで死にゆく嘉隆を手を振って笑顔で見送るように、陽気な声でみな海の歌を歌っていた。




その時であった…


一人の兵が部屋の外から、焦ったように大声で報告してきたのだ。


「申し上げます!」


「なんだ!?騒々しい!」


その兵の口調に、その場にいた全員がただ事ではない状況をとっさに理解した。

そして兵はより声を大きくして告げた。


「鳥羽城より小早が十隻、関船が一隻、答志島の港に大挙として押し寄せ、降りてきた兵が村に火をつけて、殿を血まなこで探しております!

村に降り立った兵の数はおよそ百程度!

船の中にはさらに兵がいると思われます!」


その報告にその場の全員が思わず立ち上がった。


「なんだと!!?」


「旗印からして、ご城代の豊田五郎右衛門殿かと思われます!」


「くそっ!あの野郎!とんでもないことをしてくれおったわ!」


そう顔を赤くしていきり立つ嘉隆。

そんな彼に、川面右近がたずねた。


「殿!いかがいたしましょう!?」


「島で戦うわけにはいかねえ!右近!この島にはどれくらい俺のもとへやってきた!?」


「ざっと五十…」


その数に苦いものを浮かべる嘉隆。

しかし右近は力強い言葉で続けた。


「いずれも船を漕がせれば千人力の強者ばかりですぞ」


その右近の言葉に口もとを緩めた嘉隆は、


「よっしゃ!それならいっちょ賭けに出るか!

早速準備に移るぞ!」


と、まるで踊るように身を乗り出した。

そしてそのまま吉治の方へ顔を向けると


「大谷殿!少しだけ時間を稼いで欲しいのだが、やってくれるか?」


と、彼に唾を飛ばすような大声で問いかける。


「当たり前だ!どれくらい稼げばいい?」


「半刻(約一時間)!!」


すると吉治は右手を広げて告げた。


「では五人!五人だけ兵を貸してくだされ!」


「分かった!四半刻たったら、島の裏の港に来てくれ!

豊前!お主は大谷殿を助け、時間になったらその場所へお連れしろ!」


「御意にございます!!」


「よおし!!

これからこの九鬼嘉隆の人生最後の演目をおっぱじめようではないか!!


一同!かかれえ!!」


「おおっ!!」



嘉隆の大号令とともに、その場の全員が気合いを入れてそれぞれの場へと散っていった。



ここに海に生まれ、海に生きた九鬼嘉隆らしい、嵐の海原のような、荒々しい大立ち回りが始まったのだった。








吉治の言葉に心を動かされたにも関わらず、嘉隆は死ぬ覚悟を翻しませんでした。


その理由について、是非読者様それぞれで感じていただければ嬉しく思います。


ちなみに私は、「意地」とか「プライド」といった類のものだったのかな…と。


そしてもう一方で、

もし官兵衛が説得にあたっていたら結果は変わっていただろうか…

家康からの沙汰を秀頼が強引に取りつけて、書状を届けさせていたら、どうだったでしょう…

そんな事も作者でありながら考えてしまいます。


さて次回は『鬼宿丸』という回になります。

どうぞお楽しみになさっていただければと存じます。


昨日とある読者様より「無味無臭の毒にも薬にもならない駄作」という感想を頂戴しました。

(失礼かと存じますが、既に削除させていただいております)


このように感じられる方が多いことは重々承知いたしております。


筆者は未熟者ゆえ、みなさまのご期待に沿うことが出来ない部分も多いかと思いますが、これからもお付き合いいただける方が一人でも多くいらっしゃれば幸いでございます。


なにとぞよろしくお願い申し上げます。



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[良い点] 人物像の描き方がうまい! [気になる点] 創作ものであると同時に、史実に沿った内容もあるため、歴史関連に初めて触れる人は誤認する可能性が。ただ、作者ご自身がそのあたりをよく分かっていらっし…
[良い点] 丁寧に書いているところ [一言] 面白い
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