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最後の星⑥九鬼嘉隆

◇◇

「そうか…とうとう来ちまったのか…」


そう背を向けたままつぶやく声に、力はない。

声だけではない。

その丸まった背中も、白いものが混じる髪も、その男の放つ雰囲気も…

全てにおいて、生きる気力を失い、まるで枯れ木のようであった。


「鳥羽城のご城代、豊田五郎右衛門殿より書状を預かって参りました」


「その声は…豊前か…ふふ、五郎右衛門もなかなか粋なことをしてくれるではないか…

遠い昔に戦った相手を、死の使者に送りこむなんてよ」



「ご隠居殿、その言葉は心外にございます。

拙者、今の今まで、殿のために尽くして参りました。

今もその思いは変わってなど…ううっ…」


そこまで言うと青山豊前守は言葉につまり、その先を口にすることが出来なくなってしまった。


するとゆっくりと振り返ったご隠居殿と呼ばれた男…すなわち九鬼嘉隆は、豊前守の肩に手を乗せて言った。


「それはすまなかったな、豊前。ありがとう」


そして彼の前に出された書状に目を通した。

その深い皺が刻まれた顔は、自害を強く促している書状の内容を見ても、特に変わることはなかった。


「殿!豊田殿はこう進言しておりますが、守隆殿が徳川内府殿にかけ合っておりますゆえ、もうしばらくお待ちになってもよいかと!

それに、豊臣秀頼公のご使者の大谷吉治殿が、秀頼公からの書状を携えてこちらに向かっております!

どんな内容かまでは存じあげませぬが、せめて、せめてそちらだけでもお待ちになってはいかがでしょう!?」


豊前守は懸命に嘉隆の自害を引き止めようと、彼にすがりついた。

しかし嘉隆は首を横に振る。


「もう『夢』も枯れちまったこの身…

ことさらこの世に未練などないわ…」


「ではせめて、明日の昼まで、この豊前に殿のお時間を頂きとう存じます!

これまで奉公してきた者への、最後の褒美として、どうかお聞き入れください!」


その豊前のあまりの剣幕に、嘉隆は折れたかのように、ため息をついた。


「分かった、分かったから、もう頭を上げよ。

明日の昼をもって、俺は腹を切ろう。

それまでは、この世の最後の時を、『友』と一緒に心安らかに過ごそうではないか」


「ははーっ!ありがたき幸せ!」


豊前守は再び頭を下げて、そのまま涙を流し続けていた。

その様子を見ても、嘉隆の心はぴくりとも動かなかった。


なぜなら彼の心は既に数年前に死んでしまっていたのだ。


今彼の目の前の海辺に、見るも無惨な姿で浮かんでいる大安宅船…『鬼宿丸』とともに…



◇◇

「うぅ… ここはどこだ…」


大谷吉治は目を覚ました。


情けないことに、決死の覚悟で海に飛び込んだものの、暗闇の海を右も左も分からずに泳いでいる最中に気を失ってしまったのである。


その吉治は体を起こすと周りを見回す。


体がぎしぎしと痛むのは、土の地面で寝そべっていたからであろう。


そして目の前に映ったのは…


檻であった…


「牢屋…であるか…」


辺りはしんと静まりかえり、わずかに外の光が入る窓からは、弱い月の明かりが入ってくる。

どうやらまだ夜明けからは離れているようだ。


吉治は立ち上がり、身の回りを確認する。


鐘切りの刀はもちろんのこと、秀頼から預かった書状の入った包みもなくなっている。


「俺の命よりも大事な書状と刀をなくしてしまうとは…無念だ…」


彼は悔しそうに唇を噛み、木の檻を掴んで、そのまま頭を打ちつけた。


他の牢屋には誰もいないのだろうか…


その鈍い音は静寂の中をどこまでもこだましていた。


「結局捕らえられてしまうくらいなら、潔くあの不忠義者を道連れにして、死ぬべきであった…」


と、嘆く吉治にひたひたと近づいてくる足音が聞こえてきた。


「誰だ!?」


吉治はその足音の持ち主が五郎右衛門の手の者だと思い、威嚇するように声をかけた。


するとその足音の間隔が早くなってきたと思うと、一人の甲冑武者が吉治のもとにやってきて、素早く膝をついたのだ。


その様子に吉治は戸惑う。

なぜなら、彼はとらわれの身にも関わらず、相手の武者の仕草があまりにも丁寧だったからである。


さらに驚くべきことに、その武者は、吉治の刀と書状の入った包みを差し出したのだ。


「おお!これは!無事であったか!」


と、吉治は真っ先に秀頼から預かった書状の入った包みを手にした。

さすがに包みは海水で濡れてしまっている。しかし、書状の方は少し濡れてはいるが、どうやら無事なようだ。


吉治は目の前の武者の正体を置いておいて、安心のあまりにその場に包みを抱いて、座りこんでしまった。


「よかった…」


そして、吉治が座ったことで、武者と視線の位置が合う。

ふと、その武者の顔を見ると、どうやら初老の男のようであった。

その瞳からは敵対するわけでもなく、むしろ好意的なものを浮かべていた。


ただ、その武者の表情は厳しい。


そして彼は頃合いと見たのか、吉治に小さな声で語りかけた。


「秀頼公のご使者にこのような場所に留め置いていること、誠に申し訳ござらぬ」


「いや、よいのだ。むしろ海で溺れていたそれがしを助けてくれたのだあろう…感謝いたす。

して…どなた様であろか…それがしを助けてくださったのは…」


その吉治の問いかけに、武者が軽く頭を下げた。


「それは拙者にございます。

拙者は、九鬼嘉隆殿が家臣、川面右近と申します。

今は訳あって、鳥羽城のご城代、豊田五郎右衛門のもとで奉公しておりますが…」


そこまで話しをしたが、右近の歯切れが悪くなる。

しかしすぐに何かを覚悟したのか、ごくっと唾を飲み込むと、驚くべきことを告げた。


「嘉隆殿のもとへこれから馳せ参じたいと思っております」


吉治はその真偽を確かめるべく、右近の目を見つめた。

その目には強い決意が感じられる。

どうやら嘘ではなさそうだ。


「なぜ九鬼殿のもとへとうかがいたいのでしょうか?」


何か反乱を起こすような決意であれば、それは止めねばならない、と吉治は思っていた。

しかし右近の答えは、吉治の懸念が全くの見当違いであることを意味するものだった。


「もちろん…そのお命をお助けしたい為にございます!」


その並々ならない決意に吉治は圧倒されてしまう。


「ふむ…しかしご城代の意志に背いて行動するとなると…それなりのご覚悟が必要かと思われるのですが…」


「大谷殿!拙者は、嘉隆殿とともに生きてきた身にございます!

その嘉隆殿のお命が消えかかっているのを、指をくわえて眺めていられるほど、薄情者ではございませぬ!

覚悟などなければ、危険をおかしてまで、大谷殿をお助けなどいたしませぬ!」


「なるほど…では、川面殿とそれがしの二人で、嘉隆殿を説得しようという事ですかな?」


その問いかけには、右近は頭を横に振った。

その様子を怪訝そうに見つめる吉治。

すると右近は言った。


「拙者たちだけではござらぬ」


「それは、どういうことですかな?」


「嘉隆殿に恩を感じている者たちがみな、既に港にてひっそりと集結しております」


「なんと…城代に見つかる恐れはないのか…?」


その問いかけに右近が少しだけ笑みを浮かべた。


「こんな夜中に海へと出る者など、普通ではおりませぬ。

ただでさえ戦で城内の兵が足りない今、夜の港の見回りは薄いのでございます」


「なるほど…この牢屋にも囚人が誰もおられぬゆえ、人手が足りぬ今は見回りもなく、それがしの身を隠すのには最適だったというわけでしたか…」


右近は話しをしながら、牢の鍵を開けて、吉治を外に出した。


「では、行きましょう!」


牢を出ながら、吉治は最後に右近に問いかけた。


「ところで、このような暗闇の中をどのようにして、答志島へと向かうのでしょう?」


「ははは!ここらは拙者らにとっては、庭みたいなものにございます。

目をつむっておっても、目と鼻の先である答志島くらいであれば、たどり着くことなど、たやすいことにございます!」


と、右近は何でもないことのように笑い飛ばすのだった。



暗闇の中を静かに駆けていき広い港に出ると、そこには数隻の船と乗り手である兵たちが、いつでも出航できる状態で、首を長くして吉治たちを待ちわびていた。


「みなのもの、待たせた。では…頼んだぞ…」


と、大将である右近が大きく頷くと、彼らは表情を引き締めて、静かに行動を開始する。その手際は見るものを感心させるほどに良く、長年の経験を感じさせるものだった。


最後に、吉治と右近がそのうちの一隻に乗り込むと同時に、まだまだ暗闇が支配する中、わずかなかがり火の明かりを頼りにして、次々と船が港を発ったのであった。


◇◇

答志島へと向かう船の中で、吉治は右近から九鬼嘉隆について聞くことにした。


というのも、吉治は嘉隆との面識はなく、その為、彼のことについて「海賊大名」という異名を持つこと以外に、知っていることはなかったからである。


その右近の話によれば、嘉隆は、織田信長の家臣となってからすぐに、船の開発の責任者と織田家の水軍の統括の両方に抜擢される。


すなわち織田家の水軍の全てを任されたのだ。

その大きな期待に応えるように、嘉隆は次々と紀伊の海賊たちを平定していくと、その活躍は紀伊を超え、瀬戸内海へと移っていった。


特に船の開発には、義理の息子である堀内氏善とともに力を入れており、より大きく、より強い安宅船の製造に心血を注いでいたらしい。

そして瀬戸内海においても毛利水軍を撃破するなど、華々しい功績を挙げていき、ついには「海賊大名」と全国にその名をとどろかせるまでとなり、彼の名声は絶頂を迎えたのだった。


信長の死後、豊臣秀吉の時代になってからも変わらず、ついにその集大成とも言える船が完成する。


その名も『鬼宿丸』…

太閤秀吉が命名した別名は『日本丸』であった。

その大きさ、装甲、装備…あらゆるものが他を圧倒するものであり、嘉隆の持つ造船技術の結晶であったことは、言うまでもない。


「あの時の殿の喜びようといったら、まるで川に紛れ込んだ海魚が、海に出会ったような喜びようでございました」


「ふむ…よく分からぬが、それはたいそう喜んだということだな…」


「はい!ご一緒に建造にあたった堀内殿と三日三晩に渡って酒宴を催したほどにございます。

『俺たちの夢がかなった』と何度もお話になられておりました」


「夢…か…」


「はい。殿と堀内殿の夢は『この世に生きるもの全員の腰を抜かすような船を作ること』でしたので…」


そして『鬼宿丸』の活躍の場は、日本国内を超えることとなる。

すなわち文禄の役に、九鬼の…いや日本の威信をかけて、名護屋の港を出航したのだった。


その異様な船の風貌は朝鮮水軍を恐れさせるには十分であった。

開戦当初は驚きのあまり身動きが取れなくなってしまった敵船に対して、一方的に攻撃を加えていき、次々と戦果を挙げていく。


しかし、嘉隆の人生の頂点は、『鬼宿丸』の完成の時であり、その後は正午に頂点を迎える太陽のように、沈みゆく運命であったのだ。

それを示す戦いが、文禄の役であり、序盤以降は、嘉隆の斜陽を決定的にする戦いとなる。


徐々に態勢を直してきた朝鮮水軍は、他を圧倒する大きさの『鬼宿丸』が敵大将が乗る船と定め、集中砲火を浴びせてきたのだ。

その大きさゆえに、自由に身動きが取れない『鬼宿丸』は、四方から雨のように降り注ぐ矢弾を浴び続けたそうだ。

それでも大破せず耐える『鬼宿丸』を、嘉隆は涙しながら操舵し続けるも、あまりに苛烈な敵軍の攻撃により、自慢の二層天守を模した櫓は跡形もなくなり、矢立てもそのほとんどが姿を消した。


見るも無惨な姿を晒したまま、帰国の途についた『鬼宿丸』と嘉隆に待っていたのは、秀吉からの形だけの賞賛であった。


そして、失意の彼をさらに追い込む秀吉の決定が下される。

それは、次の水軍大将は他の武将となり、『鬼宿丸』の修復費用が出されることもなかったのだ。


これが意味すること…すなわち、

「人、船、ともにお役御免」

であった…


その後、息子の守隆に家督を譲って隠居した嘉隆は、まるで魂が抜けたかのように、茶や歌にいそしむ日々を過ごした。また、同胞の堀内氏善は人が変わったように、熊野三山を有する『山』の領地の開発と守備に没頭していったとのことだ。


それはまるで、船のことなど忘れようと必死になっているように、右近には思えたらしい。


あれだけ行動力に長け、常に走り続けていた嘉隆であったが、『夢』を失い、生きる意味をも失って、ただ日々を無為に過ごすことが、どれほどの苦痛であったであろうか…

右近には想像すらできないと胸を痛めていたようだ。


そんな中、起こった関ヶ原の戦い。


石田方に味方したのは、右近いわく、

「死に場所を求めていたからではないか」

とのことだったのではないか…ということだ。


鳥羽城を奇襲の形で落としたことも、その後伊勢湾を封鎖し、徳川方の海からの進軍を妨げたことも、あえて自分の「罪」を重くする自虐的な行為であり、自らの手でこの世を去ることを、正当化しているように、周囲には映ったようであった。


そして…今回の豊田五郎右衛門の書状…


本来であれば徳川家康の沙汰を待つべきであったところに、城代からの「自害を促す書状」は、彼にとって、自ら命を絶つ千載一遇の機会であるように思えたに違いない、そのように右近は思い、いてもたってもいられなかったそうだ。


「大谷殿!大きなことなど申しませぬ。

せめて徳川内府殿の沙汰が届くまでの間だけでも、そのお命を繋いで頂くよう、一緒にご説得にあたって欲しいのです!」


吉治はうっすら涙を浮かべる右近の瞳を見て、大きくうなずいた。

その様子に吉治の誠意を感じたのか、


「ありがたき幸せ…」


と、右近は深々と頭を下げるのだった。


気づけばあたりは白みはじめ、目の前には島が近づいてきた。

吉治は決意を新たにして、運命の一日を迎えたのだった。



◇◇

吉治たちを乗せた船が登志島に到着した頃である。


港に泊まる船が数隻姿を消していることを不審に思った兵が、豊田五郎右衛門にその報告をしていた。

それとほぼ時を同じくして、川面右近をはじめ、古くからの嘉隆に奉公していた者たちが姿を消していること、さらに何者かが牢屋を使っていた痕跡が残されていることが、報告されたのである。


五郎右衛門は、右近らが登志島の嘉隆のもとへと走ったことを、即座に直感した。

そして牢屋にかくまわれていた人物は、大谷吉治であろうことも…


「おのれぇぇ!!どこまで俺を愚弄するつもりだ!!」


怒り狂った五郎右衛門は周囲の書物にあたりちらし、さながら駄々をこねる子供のように暴れまわった。

そして一通り書物をまき散らすと、肩で息をしながら告げた。


「はあはあ…城に残る全兵に告ぐ…出陣だ…答志島ごと燃やしてしまえ…」


「しかし、今城に残っているのは、守備兵にございます。外に出て戦うとなると、城の中が空になってしまいます。それに、島民にはなんの罪もございません…」

「ええい!黙れ!!今の城主はこの俺である!

俺が一番偉いのだ!

言うことがきけないなら、その首を斬りおとしてくれよう!!」


五郎右衛門が戸惑う兵にそう一喝すると、慌てた兵は出陣の準備のために、部屋を逃げ出すように後にしたのだった。


「九鬼嘉隆ごときに好き勝手などさせん!俺を怒らせるとどうなるか…その身をもって味わうといい」


そう独り言をつぶやいた五郎右衛門の目は血走り、そして濁りきっていた…



そもそも大谷吉治が使者として訪れたことによって、史実は歪むことは決定的だったのだ。


そしてそれは「答志島の乱」とか「五郎右衛門の乱心」などと呼ばれるようになる事件を引き起こすことになった。


その乱が今まさに佳境を迎えようとしていた…





鳥羽城の跡地にはなぜか「牢屋跡場所」の立て看板が、他の屋敷跡場所がほぼない中にひっそりと立っているようです。

(現地に取材せずに書いてしまい、地元の方に対しては失礼な事だとは思っております。すみません。。。)


この「牢屋」を舞台にした物語にいたしたく、大谷吉治がかくまわれた場所といたしました。

(ちなみに着物は替えを用意してくれていた、ということにしてくださると…ビショビショでしょうし…)


九鬼嘉隆の文禄の役の後の過ごし方などは完全に私の想像によるものになります。

しかし私なら無為な日々を過ごしていたのだろうな…と思った次第にございます。


加えて、豊田五郎右衛門のファンの方がいらっしゃいましたら、本当にすみません。

この人は完全に狂ってしまっています。

もしこの事が家康や秀頼の耳に入ったら、城代に指名した守隆にその責が問われるでしょうに…


次回はいよいよ大谷吉治と九鬼嘉隆の会談のシーンになります。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。



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