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最後の星⑤脱出と罠

◇◇

秋の日の入りは早い。

吉治が鳥羽城に到着してからわずかな時間で、既に周囲は暗闇に包まれていた。


窓から見えるのは、大きな島々の影だけだが、耳から入るさざ波の音が、姿を消した景色に代わって吉治を心地よくさせている。


「夕げをお持ちしました」


そう部屋の外から一声かけると、城で奉公している若い男が、吉治のもとへ食事を運んできた。


「ふむ、ありがたく頂戴いたそう」


食事の内容は、海の魚に山菜と、量は控えめではあったが、非常に満足のいくものであった。


早々に食べ終わった彼は、旅の疲れもあってか、この日は早く寝床につこうと考えていた。


その時…


部屋の外に数人の足音が聞こえたような気がして、うとうとしかけた彼の頭を覚醒させた。

しかし誰も入ってくる様子はない。


「ん? 気のせいか…?」


すると、


「大谷殿。それがしと一献お付き合いいただけないか?」


と、そこから豊田五郎右衛門の声が聞こえたのである。

少し気を張ってしまった吉治は、その声に安心したように、肩の力を抜いて、


「おお、豊田殿であったか。折角のお誘いだ。是非お願いいたしましょう」


と、声を大きくして答えた。

その声とほぼ同時に五郎右衛門が入ってくる。


心なしかやつれたような顔つきの五郎右衛門。

会ったときから顔色は優れない男であったが、さらにそれが悪いように吉治には思えた。


「どこかお悪いのか?顔色が優れないようだが…」


「いや…ご心配には及ばぬ。もしどこか悪ければ、酒などお誘いいたすまい」


「それはごもっともにございます」


吉治はそう言って笑顔を浮かべると、五郎右衛門も愛想笑いを浮かべた。


その時既に吉治は、五郎右衛門から発せられる何か良からぬものに、勘付いていた。


人は何か企み事をしようとするときは、目に表れるものである、と父大谷吉継から何度も聞かされてきた。


そして、その五郎右衛門の目が、吉治には濁って見えたのだ。


はて…自分が害される理由など、何かあっただろうか…

そう不思議に思うが、今は全く心当たりがない。

吉治は警戒心を強めながらも、平静を装い、彼に問いかけた。


「豊田殿はご自身の参加された戦の中では、どの戦がもっとも印象に残っておられるでしょうか?」


「いやはや、それがしは九鬼家の一員でありながら、戦はてんで苦手でのう。

小田原攻めに参陣いたしたくらいなものでして…」


「さようにございますか。それがしなどは、慶長の役で、軍のはしくれにて参陣したのが、初陣にございますゆえ、豊田殿より戦の昔話など聞けたら嬉しいのでしたが…」


「それなら、九鬼の家の水軍にまつわる話などいかがにございましょうか?実際にそれがしが参陣したものにはございませぬが、皆が口々に教えてくださるもので、すっかり自分のことのように染み付いておりまして…」


「それは面白い!では、その話を今宵の酒の肴といたしましょう」


努めて冷静に…自然な振る舞いで…


吉治はそう自分に言い聞かせて、相手の出方をうかがっていた。


そして同時に、もし自分ならどこで相手に牙を剥くかを考える。

しかしそれはいとも簡単に頭に浮かんだのである。


これから城代と客人による、なごやかな酒の場が始まるとは思えないほどに、ぎこちない会話が続く。


そこに、酒が運ばれてきた。


吉治はじっと自分に酒を運んでくる人間を見つめていた。

その吉治の視線に気付いたのか、酒と盃を置いた台座を持つ手が震えているのが分かる。


やはり…

酒か…


そう直感した吉治は、自分の足もとに酒が置かれるやいなや、その酒を取り、対面している五郎右衛門の盃につごうと差し出したのだ。

その動作の素早さに驚きを隠せない五郎右衛門は、盃を手にしたのだが、それを思わず隠すようにして、


「やや!大谷殿!おやめくだされ。客人に…まして秀頼公ほご使者様に酒をつがれたと広まれば、それがしは主君の守隆殿に何と言われるかしれませぬ。

今宵は、そういった礼はなしに、無礼講でいこうではありませんか」


「いやいや、部屋を与えられ、美味い食事まで馳走になったのだ。

ここで礼を示さねば、大谷家の名折れであろう。

ささ、どうかこの大学助の気持ちと思って、受け取ってくだされ」


「そこまで言われるのなら…」


と、五郎右衛門は震える手で盃を差し出す。

吉治はそこに酒を丁寧に注ぎ、


「では、ここは一つお先に召し上がれ」


と、その場で飲み干すように、促した。

五郎右衛門は青い顔にして、汗をかいている。

もし、この酒に毒が仕込まれているなら、飲むことは出来ないはずだ。

そう吉治は考えていた。


じっと五郎右衛門の目を見つめる吉治。

そんな吉治の視線など気にしている余裕などないのだろうか…

五郎右衛門は盃を睨みつけるようにして…


一気に飲み干した。


吉治の目が驚きに見開かれる。


「やはり地酒に限りますな、美味い!」


と、五郎右衛門は、先ほどまでの青い顔を、ほんのり赤く染めて言った。


そして今度は返杯とばかりに、自分の酒を吉治につごうと、彼の前に置かれた銚子を持ち上げた。


「ではお次は大谷殿の番でございますな」


「ありがたく頂戴いたしましょう」


吉治は酒に毒が入っていなかったことに、少しほっとした様子で、盃を差し出した。


しかし…


濁りだ…


五郎右衛門の目に、刹那的ではあるが、確かな「濁り」が浮かんだことを、吉治は見逃さなかった。


五郎右衛門が吉治の盃に酒を注ぎ終えると、吉治は極めて自然な手つきで、その銚子を五郎右衛門から取り上げると、


「今度は乾杯といきましょう。戦乱が終わったことへの、乾杯を…」


と、五郎右衛門に盃を取るように促したのだった。

しかし五郎右衛門は動かない。


いや動けないに違いない。


やはり、そうだ。


吉治の銚子から盃で酒をつがれ、五郎右衛門の銚子から吉治の盃へ酒をつぐことを、あらかじめ想定して、毒を自分の銚子の方へ入れておいたに違いない。


吉治は先ほどまでの柔和な表情を厳しいものに変えて、五郎右衛門を詰問した。


「豊田殿!どうして動けないのか説明していただこう」


五郎右衛門は既に毒で仕止める事を諦めたのか、青かった顔色は血色を取り戻している。

そしてぼそりと話し始めた。


「…お主には分かるまい…城代の苦しみなど…」


吉治は厳しい表情のまま、目を細める。

五郎右衛門は続けた。


「ただでさえ一度城を奪われて、『汚点』を残してしまった…

これ以上、お家を揺るがすようなことを起こしてしまっては、それがしの命が危ないのだ!」


「それがどうして、それがしに毒を盛る理由となるのか?」


いつしか五郎右衛門の顔全体に目の濁りが広がっている。


「石田治部にお味方したお主が、ご隠居殿と何やら企む会談を、それがしが許したと知れたら…

それがしの首だけではすまされぬかもしれぬ!

お主には分かるまい!

そんな苦労が!」


ついに五郎右衛門は爆発したように、絶叫した。

しかしその様子に冷ややかな目を向けていた吉治は、


「己の保身の為に、こともあろうことか秀頼公の使者を害そうとするとは何事か!!恥を知れ!」


と、一喝した。


その声は城中に響くかのようで、五郎右衛門は思わず後ろに仰け反ってしまった。

しかし顔には強がるような引きつった笑顔を、懸命に浮かべて告げた。


「しかし、そんなそれがしの苦悩もこれで終わりだ…

もうすぐ終わるのだ…」


「それはどういうことだ?」


「それがしの送った者の手によって、ご隠居殿にそれがしからの書状を届いたことだろう、くくく…」


その言葉に今度は吉治の顔色が青くなる。


「ま…まさか…」


すると態勢を整えた五郎右衛門がニタリと笑った。


「そして早ければ明日にでもそれがしのもとに、ご隠居殿の首が届く…くくく…」


「き、貴様!それは秀頼様のご意志に背くことと知っての狼藉か!!」


とうとう吉治は傍らの「鐘切りの刀」を掴んで立ち上がった。


「こうしてはおられん!すぐに島へと行って、書状を届けねば!」


そう部屋を出ようと歩き出した吉治の背中から、五郎右衛門は言い放った。


「くくく…しかしその秀頼公からの書状は届くことはないだろうなあ…」


「なんだと!?」


足を止めて、五郎右衛門の背中を見つめる吉治。

すると、


「なぜならお主は、『ご隠居殿の家臣によって答志島にて命を落とした』ということになるのだから…くはははは!」


と、高笑いをしながら、五郎右衛門は立ち上がり、


「みなのもの!!かかれ!!」


と、大声で号令をかけた。

その瞬間に襖が音を立てて開けられると、数人の兵たちが槍を構えて、部屋の中へと侵入してきた。


しかし関ヶ原の戦いで修羅場をくぐり抜けてきた吉治にとっては、数人の兵などものともしない。

彼は刀を抜くこともなく、大声で一喝した。


「この不忠義者ども!!自分たちが誰に槍を向けているか、知ってのことか!!」


部屋を轟かせるその声に、兵たちの手足が止まった。

吉治の鋭い眼光が、兵たちを完全に飲み込み、さながら蛇に睨まれた蛙のように、兵たちは動けない。

吉治は刀を鞘に納めたままに、大股で部屋を歩きだした。


「何をやっておるか!?相手は一人ぞ!」


と、金切声を挙げて兵たちを叱咤する五郎右衛門。

しかし兵たちは動けない。

すると痺れを切らした五郎右衛門が刀を抜いて、吉治の背後から斬りかかった。


「きえええい!!」


襖の手前まで来ていた吉治は振り返ることすらせず、横に一歩それる。


すると突然目の前から姿を消した吉治をとらえきれずに、五郎右衛門は吉治の横を刀を振り下ろしながら、通り過ぎていく。


そこに吉治は片足をかけた。


「うげっ!」


五郎右衛門は潰れた蛙のような声をあげながら、その足に引っかかり、前のめりに廊下へと倒れ込んだ。


やはり廊下も五郎右衛門の兵たちで埋め尽くされている。

しかしその五郎右衛門が突然倒れ込んできたので、思わず兵たちは後ずさってしまった。


その隙をついて吉治は部屋から飛び出した。


そして倒れて動けない五郎右衛門の背中を踏み、目の前の兵の群れへと飛び込んだのだ。


「天下への反逆者の烙印を押されたい奴だけかかってこい!

この大学助自ら裁きを下してくれよう!」


関ヶ原の死線をくぐり抜けてきた吉治の放つ気迫は、兵たちの戦う気力を削ぐ。


吉治は愛用の刀を抜くことなく、廊下を一気に駆け抜けると、本丸を抜けて外へと飛び出した。


「追え!追えい!!」


ほとんど絶叫に近い号令をかけ続ける五郎右衛門。

兵たちもその声に追われるように、吉治の背中を追いかけていく。


脱兎の如く前へと突き進む吉治であったが、何せ初めて訪れた城だ。

右も左もわからないのは当たり前で、それに気づいた五郎右衛門は巧みに吉治をある場所へと追い込んでいった。


そして…


ついに吉治は大手門を抜けた。


安堵に息をついた吉治であったが、次の瞬間、彼の顔が明らかに変わった。


「しまった…」


鳥羽城の大手門を抜けた先…



それは…




海である。



海の上に突き出した橋の先は船着場であり、言わば行き止まりだ。


その橋の先端に立ち尽くした吉治を取り囲む五郎右衛門の兵。

じりじりとその差をつめてきている。


さすがに吉治は声を出せずに、睨みつけることしか出来ない。


そこへ高笑いした五郎右衛門が近付いてきた。


「くははは!残念であったな、大谷殿。

もう逃げ場はないぞ。大人しくその首を置いていくがいい!」


「ぐぬぬ…誰が貴様のような不忠義者に…」


「強がるのもそこまでだ!やれ!!」


そう号令がかかると、兵たちは一斉に吉治に襲いかかってきた。


「かくなる上は…!!」


口を真一文字に引き締めた吉治は、兵たちに背を向けると勢いよく駆け出す。


そして…



暗い海の中へと飛び込んでいったのだった。



あまりのことに唖然とする兵たち。


そんな戸惑う兵たちを押しのけるようにして、五郎右衛門は橋の先までやってくると、しばらく暗闇に目を凝らしていたが、背を向けて城の方へと歩き出した。


「もうよい。夜の海に飛び込んだのでは、まず生きては帰れまい。

朝になれば死体も上がってこよう。

死体が出ねば、答志島に向かう途中で、船が転覆したということにしておけばよい。

みなのもの、行くぞ」



鳥羽の海は、人間の騒ぎなど我関せずといった風に、相変わらず穏やかなさざ波の音を立て、月の光が弱い今宵は、その水面はどこまでも黒一色なのであった。





決死の覚悟で海に飛び込んだ吉治。


そして、自害を迫られる嘉隆。


さらに、その嘉隆の元へと向かっている氏善。


この三者三様のドラマはいよいよクライマックスに向けて、加速していきます。


果たしてどんな結末が待っているのでしょうか。

そして、最後の豊臣七星が明らかに…


今後もごゆるりとお楽しみいただければと思っております。

(書いている本人が一番楽しんでいるような気がしています…すみません)


どうぞこれからもよろしくお願いいたします。



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