最後の星④汚点
◇◇
慶長5年(1600年)10月5日 鳥羽の港――
大谷吉治は秀頼からの命を受け、九鬼嘉隆に書状を送る為にその港までやってきた。
港から臨む海は穏やかで、海鳥たちの鳴き声が空高くから聞こえてくる。
ここも関ヶ原の決戦地と同じように、つい先日まで戦があったことを感じさせない静けさに包まれていた。
ここからは馬から船に乗りかえて、秀頼が指示した答志島へと向かうことになる。
吉治はその為に、その港にそびえる鳥羽城へと足を運んだ。
その鳥羽城は「鳥羽の浮き城」と呼ばれるにふさわしく、まるで海上に浮いているような錯覚に陥らせる美しい城で、その大手門の目の前には鳥羽の海が広がり、水軍の棟梁が住む城にふさわしいものに、吉治には思えた。
鳥羽城は九鬼嘉隆によって建てられた城で、嘉隆が隠居した後は息子の守隆が城主となった。
関ヶ原の戦いが始まると、東軍として徳川家康の軍に従軍した守隆のいない隙に、西軍に属した嘉隆が城を奪ったのだが、関ヶ原における本戦に決着が着くと、嘉隆は城を自ら離れたのだった。
関ヶ原の戦いの開始以降、守隆不在の間は、城代を守隆の義理の弟にあたる豊田五郎右衛門がつとめており、吉治は鳥羽城にて、目的地である答志島への渡航の許しを得る為に、彼をたずねたのだ。
もちろんこれも秀頼からの指示であった。
◇◇
鳥羽城の一室――
大谷吉治は、豊田五郎右衛門と対面するように、通された客間に座っている。
吉治にとって、「海賊大名」と称された九鬼嘉隆の家臣や息子たちは、「海賊」よろしく荒々しい武者ぞろいの印象が強いのだが、この五郎右衛門は、見た目からして線が細く、政務に長けた人物なのだろうと、彼は勝手に思っていた。
こうして使者と城代による会見は始まった。
対面して座る二人の年齢は大きく変わらないものであったが、その態度は正反対のものであった。
吉治の堂々とした態度に比べると、五郎右衛門は、どこかおどおどした態度で、目の焦点が定まっていない。
もちろん吉治はそんな事などおかまいなしに、答志島への渡航の許しを求めた。
秀頼の名前を出した瞬間から顔が青くなっている五郎右衛門は、額に汗を浮かべて、吉治に恐る恐る問いかけた。
「確かに秀頼公からの使者なのでしょうか…?」
「はい、こちらに豊田殿に宛てた書状もございます」
と、吉治は毅然とした態度で答え、きびきびした動きで五郎右衛門に秀頼からの書状を渡すと、五郎右衛門はそれをその場であらためた。
そこには、吉治が九鬼嘉隆に「早まることがないよう」書状を届けに行く旨、城主の守隆の了承は大坂にて秀頼自身が取る旨、そして城代の五郎右衛門を労うための褒美を吉治に持たせてある旨が書かれていたのだった。
「ふむ…」
秀頼からの書状を読み終えた五郎右衛門は、相変わらず青い顔をして、大きく息をついた。
そこに、吉治は秀頼から預かった「褒美」を五郎右衛門に差し出す。
彼はそれを素早く手元に引き寄せると、
「では船が用意できたらお呼びするので、それまではこの城で鳥羽の景色でもご堪能いただきながら、おくつろぎくだされ」
と、吉治に告げた。
「かたじけない。ところで、船のご用意にどれくらい必要でしょう?」
「明日の朝にはご準備出来るかと…」
「ふむ…本当は先を急ぎたいのだが、仕方あるまい。ではそれまでの間、やっかいになります。どうぞよろしくお願いいたす」
「こちらこそ、何か不都合がありましたら、この五郎右衛門をお呼びつけくだされ」
と、彼は言い残すと大事そうに書状と褒美を抱えながら、その場を後にしたのだった。
一人部屋に残された彼は、窓から鳥羽港を眺めた。
そこには答志島も目に入れることが出来る。
秋の陽は傾くに早く、黄金色に輝くにはまだ早いが、それでも既に青い海には紀伊半島の影が長く伸びていた。
美しい景色に旅の疲れを癒しながらも、吉治は
「いよいよ明日、嘉隆殿との対面か…不備がないようにしなくては…」
と、表情を引き締めるのだった。
一方の豊田五郎右衛門――
城主の間で、一通の書状をしたためた彼は、近くにいた者に、先ほど吉治と対面していた時とは全くの別人のように、冷たい声色で命じた。
「おい!青山豊前守殿をここに呼べ」
「御意!」
すぐにその青山豊前守は、彼の前にやってきた。
豊前守は見た目の通り、すでに老齢の身であり、若い五郎右衛門とは二回り以上も歳が離れているにも関わらず、城代である彼に対して、丁寧に頭を下げた。
「豊田殿、この老骨に何か御用でございましょうか?」
そう問いかけた豊前守の様子を、苦々しい表情で見下ろす五郎右衛門は、
「おぬしが待ち望んだことをさせてやろう」
と、相変わらず冷ややかな声色で答えた。
その言葉に顔を上げた豊前守は、不思議そうに首をかしげる。
「はて?待ち望んだこと…でございますか?」
すると五郎右衛門は、ぐいっと豊前守に顔を近づけると、ささやくような低い声で告げた。
「九鬼嘉隆を殺させてやる… と言っておるのだ」
豊前守の顔が驚愕に変わり、目が大きく見開かれた。
「な…なにを申しておるか、自分でお分かりか…?」
五郎右衛門は、元に居直るとその問いかけに対して、冷ややかな声色に戻して答えた。
「俺は気が狂ったなどという事はない。もちろん自分で言っている事の意味はしっかりと心得ておる」
そんな彼に対して、目を鋭くした豊前守が、先ほどまでの穏やかな口調を一変させて、どすの利いた低い声で五郎右衛門に問いかけた。
「ご隠居殿を害するという事は、主家である九鬼の家に謀反を起こすという事も同じである。
それを分かっての事か、と聞いておる」
青山豊前守は、かつて「志摩十三人衆」と呼ばれたほど、志摩一帯では名の知れた豪傑である。しかし、織田信長の家臣となった九鬼嘉隆が志摩平定に乗り出すと、彼はその軍門に降り、九鬼家に仕えているのであった。
そんな経緯があったにせよ、今彼は九鬼の家臣団の一員であり、隠居の身とは言え、元のあるじを害することを命じられたのだから、驚きとともに底知れぬ怒りが湧いたのは、当然のことだ。
しかし五郎右衛門も、嘉隆の長女を妻とし、今では城代を任されるほどの人間である。
そんな豊前守の怒りなど、全く気にする様子もなく、残念そうに続けた。
「おぬしなら喜び勇んで、それがしの命を受けると思っていたのだが、これはとんだ思い違いであった。
志摩十三人衆と言えど、その牙を抜かれてしまえば、ただの人…というわけですか」
「答えになっておらぬぞ、五郎右衛門殿」
「そういきり立つでない。主従ともにこのような猪武者ばかりだから、お家が大きくならぬのだ。もう少し、それがしのように物事を深く考える者がおらぬと、そのうちお家が取りつぶしになってしまうだろうに…」
「何が言いたいのか、と聞いておる。これ以上はぐらかすようであれば、五郎右衛門殿に二心ありとして、この場で斬り捨ててくれるが、よろしいか?」
「まあ、よい…良かれと思っての言葉であったが、それがしのとんだ思い違いであったようだ。
申し訳なかった。
ではあらためて、おぬしに命じる。この書状を答志島の砦に隠れておる、ご隠居殿に届けてくれ」
発言を謝罪したとはいえ、一度疑いを持った相手をそうそう信用はできない。
豊前守は訝しい表情のまま、五郎右衛門に聞いた。
「先に内容を確認してもよろしいかな?」
「ああ、好きにするがよい」
呆れたように首を振った五郎右衛門から、書状を受け取った豊前守は、即座にその書状を広げると、それに目を走らせた。
すると怒りで赤くなっていたその顔が、みるみるうちに青くなり、ついには瞳から大粒の涙を流し始めたのだった。
「これは…どうにかならないのか…もうこれしか許されていないのか…」
愕然として動けないでいる豊前守に対して、五郎右衛門はするすると近寄り、その肩に手を乗せて、優しく語りかけた。
「これもご隠居殿が優れたお方ゆえに招いたこと…
お家を守るには、もうこれしかござらぬのだ…
辛い役目を申しつけて胸が痛むが、ご隠居殿と九鬼の家の両方の為でもあるのだ…
やってくれるな?」
その問いかけに、こくりと一つうなずく豊前守。
五郎右衛門はその様子に、口もとに良からぬ笑みを浮かべるのを抑えられなかった。
その書状の内容とは、端的に言ってしまえば、
「九鬼嘉隆に自害を促す」
ものであった。
その理由として、当主の九鬼守隆が大坂城に留め置かれているのは、嘉隆の件で詰問を受けている為であり、これ以上嘉隆が生きていると、お家の取りつぶしにもなりかねない事、さらに、石田方に味方した大谷刑部の息子が、嘉隆に近づこうとしており、父の仇を討とうとして、嘉隆を利用しようと考えている事、これら二点を挙げて、お家の事を考えて潔く決断して欲しいという旨が、したためられていたのだ。
そのどちらも、五郎右衛門がでっち上げた真っ赤な嘘だ。
史実においても、豊田五郎右衛門から九鬼嘉隆に対して自害を促す書状は送っているが、史実とは異なる吉治の来訪により、その書状の内容は大きく歪んだものとなってしまったのである。
では、なぜ彼は嘘までついて、嘉隆に自害を強く促したのか…
それは、彼の「恐れ」によるものであった。
彼は関ヶ原の戦いの始まる前の、徳川家康による会津征伐から城代を任されていた。
そして戦が始まるとともに、当主の隠居とは言え、敵方である嘉隆に、城を奪われてしまった。しかも、さしたる抵抗も出来ずに、あっさりと明け渡してしまったのである。
この時点で、彼は戦後の「自分」への沙汰に対して、大いに恐れた。
関ヶ原での決戦が終わり、嘉隆が自らの意志で城を彼に返したのだが、守隆が戻るまで、これ以上の「汚点」を残す訳にはいかない。
そんな時に、戦の直後にも関わらず、その伝説的な戦いぶりで早くも名を知れていた、石田方の雄である大谷吉治が、秀頼からの書状を渡すためとは言え、嘉隆を訪ねてやってきたのだ。
彼にとっては、「火だね」以外何ものでもなかったのである。
そして、彼はその「火だね」が引火して自分の「汚点」となる前に、全てを処理してしまおうと決意した。
その結果が、嘘で固められた書状だったのだ。
しかし、それを「嘘」と見抜ける者などいないであろう、と彼は確信しており、現に目の前の青山豊前守などは、その内容を信じ込んで泣き崩れている。
「では、すぐに城をたってくれるな?」
自分でも驚くほどに情がこもった口調で、五郎右衛門は豊前守に問いかけた。
「御意にございます…」
そう豊前守は告げると、その書状を大事そうに懐に入れて、即座にその場をあとにした。
そして彼はそのまま鳥羽の港へと急ぎ、
「日が完全に暮れる前に答志島に着くようにせよ!」
と、船乗りたちに指示を出す。
こうして、嘉隆にとっては「死を告げる使者」を乗せた小さな船が、鳥羽の海原へと発っていったのだった。
その様子をニタリとした笑顔で城から眺める五郎右衛門。
そんな彼に、一人の近習が、部屋の外から問いかけた。
「豊田殿。明日の大谷殿の船はどのようなものを用意いたしましょう?」
彼はにやけ顔を引き締めると、
「そんなものはなんでもよい」
と、冷たく言い放った。
「しかし、秀頼公からのご使者となれば、それなりの船をご用意すべきかと…」
「口ごたえをするな。それがしが何でもよいと言えば、お前はそのようにすればよいのだ」
「…御意にございます」
納得いかない様子の近習が下がっていったのを確認すると、再び気味悪い笑顔に戻り、小さな声で独り言を呟いたのだ。
「なぜなら、物を言わなくなった身となって、船に乗るのだからな…
ご隠居殿には、それがしの『汚点』を作った罪滅ぼしをしていただきましょう」
そう、彼は既に決めていたのだ。
彼に「恐れ」を抱かせた大谷吉治をこの城で殺し、その遺体を答志島へと送ること…
そして、その狼藉を嘉隆とともに答志島に渡った家臣になすりつけて、嘉隆の自害の理由を正当化することを…
これからクライマックスを迎えます。
ほとんどフィクションですので、少し派手に、荒れ狂う海のように物語を進めたいと思っております。
これからもよろしくお願いいたします。




