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最後の星②忠義のあり方

◇◇

少し話は戻る。

慶長5年(1600年)9月終わり――


関ヶ原での大一番が既に徳川方の圧勝に終わった後においても、北から南まで各地で、争いは続いていた。しかしそれらの多くはもはや「残り火」と言っても過言ではないもので、徳川方の大名たちによって、次々と鎮火されていった。

そして、ここ紀州(現在の和歌山県)も同じであった。


「おのれ!一晴!徳川に寝返りおったのか!!」


そう怒りに震えたどら声が、城の中に響き渡った。

その男の見た目は、そのどら声が象徴のように、豪快その物で、熊のような体つきに、顔中が髭で覆われている。

意外と小さな目の持ち主であるが、今はその目を血走らせて、大きく見開き、興奮で体中の毛という毛は逆立ち、顔は真っ赤に染まっていた。


「殿!既に大勢は決しております!その上、敵は目前…

ここは一旦、北山道の方へ逃れるべきかと…」


と、彼の傍にいた一人の家臣が進言する。

彼はその城の主人であり、ここら一帯を治める大名なのだ。


そんな彼に対して、家臣の合理的な言葉はむしろ、今の彼には火に油を注いだようなものであった。


「盛正!!裏切り者を目の前に逃げよと申すか!

そのような弱気など断じて許さん!ますは貴様から血祭りにあげてくれよう!!」


そう叫ぶと、近くにあった槍をその盛正と呼んだ家臣に向けた。

しかし、どこまでも盛正は引かない。


「殿!!これは殿一人の問題にはござらぬ!!

まだ幼いお子たちはどうなさるのですか!!?

さしたる抵抗をしていない今、ここで退けば一族郎党全て処刑とまではいきますまい!!

お子のお命とお家の為、ここは涙を飲んでくだされ!」


その言葉に彼の脳裏に、まだ幼い彼の子供たちの顔が浮かぶ。

どんなに猛将であったとしても、彼も人の子の親であり、子供のことを出されると心が揺らぐのは、必然といえよう。

しかし一方で彼にも武人としての意地があり、そして一つ気がかりなことがある。

それが煮え切らない歯ぎしりとなって表れた。


「ぐぬぬ…しかし、ここには何かあれば、義父(おやじ)殿が駆け込んでくることになっておる…

義父殿が来るまで持ちこたえねば、義理が立たん!」


「それならもしこちらに来られたら、殿の後を追うように、それがしが手配いたしましょう」


その言葉に逆立っていた毛が徐々に収まっていく。

しかしそれでも彼の中でくすぶり続ける怒りの火は、彼の首を縦に振るのを許さなかった。


…と、そこへ、一人の女性が、二人の幼い男の子を連れて、彼の目の前にやってきたのだ。


「お、お前…どうしてここに…?」


もちろんその女性らの登場は、盛正の手配によるものなのだが、そんな事など彼の頭に全くない。


「お前様の大きな怒鳴り声に、子供たちが不安になっておりますゆえ、どうか安心するようにおっしゃって下さいまし」


と、その女性は、二人の男の子を彼の前へと歩ませる。

この女性こそ、彼の妻であり、今目の前にいる男の子たちは、彼の愛する息子たちなのだ。


「お父上!お父上は負けなどしませぬ!」


と、六つになる長男坊が、健気に彼を激励してくる。

すると、


「負けなどしませぬ!」


と、兄にならって五つの弟が、真剣な顔つきで、少年ならではの高い声で言った。


その姿とその声を聞いた時、彼の中で何かが音を立てて崩れ落ちた。


「くっ…うぐ…」


悔しさのあまりに、涙をこらえきれない。

そんな父の様子を見て、兄弟が口を揃えて父親を叱咤した。


「お父上!誇り高い熊野海賊は泣いてはなりませぬ!とお父上に教わったばかりでごさいます!」

「ございます!」


父親の姿に何か感じるものがあったのであろう。

兄弟もいつの間にか、その頬を涙で濡らしている。

ふらふらと重い足取りで息子たちの前に立った彼は、二人を抱き寄せ、告げた。


「覚えておけ…

潔く退くことが出来るのも勇気ある者の証である。

てめえらが熊野海賊のはしくれなら、常に勇気を持って行動しなくちゃなんねえぞ。

分かったか…?」


その父親の行動と言葉を理解するには、兄弟たちは若すぎたようで、彼らは不思議そうな表情を浮かべながら、


「はい!お父上!」

「はい!お父上!」


と、元気に答えるのであった。


そして彼は決意した。

彼は息子たちから離れ、彼らを母親のもとへと返すと、部屋の中にいる者たちに告げた。


「これより俺たちはこの城を出て、北山道に入る。

目標はすぐ北の京城(みやこじょう)だ…」


その言葉に、撤退を進言した盛正以外の家臣たちは、みな一様に無念の涙を流した。

そして盛正が、彼に向かって言った。


「ではそれがしが、こちらに進軍中の桑山殿の元へ行ってまいります。

城を明け渡す条件として、殿たちの撤退の後を追わせないことと、義父殿が来られたあかつきには、京城に向かわれるように取り計らっていただきましょう」


「頼んだぞ…絶対に死ぬんじゃねえぞ」


「もったいなきお言葉…この胸に刻んでいってまいります。では、ごめん」


と、盛正は足早にその場をあとにしたのだった。

そして彼も


「そうと決まれば俺たちももたもたしてられねえ。

すぐに出立するぞ!

おい!兵たちには暇を与えよ。

降伏して、この城に入ってくる新たな主人のもとで働くもよし、どっかの船に入って働くもよし…

好きなように生きてくれと伝えてくれ。

そして、無責任な主人ですまなかった…と」


と、彼は近くにいた家臣に指示を出すと、すぐに撤退の支度を始めた。


そして彼は一枚の絵図を大事そうに袋に入れる。


「義父殿…無事でいてくれよ…

俺たちの『でっけえ夢』…

まだ叶えてねえんだからよ…」


そう呟くと、彼は家族たちが城をたってから、一番最後に、城を後にしたのだった。


彼の名前は、堀内安房守氏善――

鎌倉期より続く「熊野水軍」の棟梁にして、熊野三山の統括を意味する「熊野別当」もつとめており、新宮城の城主である。

そして彼の妻は、かの「海賊大名」で知られる九鬼嘉隆の養女なのだ。

すなわち、彼の言う「義父殿」とは、九鬼嘉隆のことであった。


その氏善は、嘉隆とともに石田方に加担した。

しかしその一方で、戦の始まる前に彼らは、大事があれば新宮城にておちあう事を約束していたのだ。

戦の大勢が決した今、それが果たせないことが、氏善にとっては心残りでならなかった。


彼は後ろ髪を引かれる思いで、城を背に北山道を北上し、京城を目指したのであった。



そしてそんな氏善とは逆の方角へと馬を走らせる盛正…彼の本名は、色川盛正であるが、彼は一目散に、氏善が撤退を始めた新宮城の近くに陣をはった桑山一晴に向かって駆けていった。


「やや!あれは盛正ではないか!?

さては、あやつ上手くやりおったな!」


小高い場所に敷いた陣を出て城の方を眺める、青年大名の桑山一晴が、喜びに弾む声を出した。

しかし、間髪いれずに彼の背後から、老人がそれをいさめる。


「これ、小藤太!ぬか喜びに終わったらいかがするか?

あの者がここにくるまでは油断などしてはならぬ」


「これは、申し訳ござらぬ!ご隠居殿のおっしゃる通りにございます。

ここは心を落ち着けて、かの者を待ちましょう」


そう言った一晴であるが、どうしても心に溢れ出る感情を抑えきれないようで、あちらこちらを行ったり来たりして、とても落ち着いているようには見えない。


そんな彼を、老人はため息をつきながらも、どこか暖かい目つきで見つめている。


この老人は、一晴の祖父で、名を桑山治部卿法印。

既に家督を孫に譲り、隠居した身である。


なぜ、家督を孫に譲ったのかと問われれば、本来家督を継ぐべき一晴の父は既にこの世にないからだ。

その為、治部卿法印は隠居した身でありながら父親がわりとなって、彼を立派な跡取りとなるように、面倒を見てきたわけだ。


そんな彼は、若い頃には丹波長秀のもとで姉川の合戦で勇猛に戦い、その姿に心打たれた羽柴秀吉の要請に従って、秀吉の家臣となってこつこつと実績を積み重ねてきた。

そして一晴に家督を譲る頃には、居城の和歌山城を中心とした四万石を治めるまで、お家を大きくしてきたのであった。


そんな時に起こった、まさに青天の霹靂とも言うべき戦が、関ヶ原の戦いだ。


彼は大いに迷った。

まさかこの歳になってこんなに狼狽することがあるのか、というほどに彼は夜も眠れぬ日々を送ったのである。


そして下した決断が、家督を譲った孫の一晴と、その弟の一直を、それぞれを東西に分けることにしたのだ。


一直は徳川方として、松尾山で大谷吉継の軍と戦い、軍功を上げたことは、治部卿法印の耳にも既に入ってきていた。

一方の一晴には、紀州の他の大名たちである、九鬼嘉隆、堀内氏善とともに石田方に加担させたものの、大きな動きは見せずに、静観に徹していたのである。


すでに一直の方の活躍により、桑山家が改易される心配はないであろう。

しかし、出家した身でありながら、目の前の若い孫の可愛さに欲が出た。


「小藤太(桑山一晴のこと)を敗軍の将としたくはないのう…」


そうして決意したのが、徳川方への反転であったのだ。

しかし、反旗を翻し、声をあげたところで何の実績もなければ、単なる「裏切り者」の烙印を押されるだけとなってしまう。

そこで、多少の犠牲は覚悟の上で、堀内氏善の新宮城の攻略を決めたのだった。


その際に治部卿法印は、兵の被害を最小限にとどめる為、氏善の家臣である色川盛正に目をつけた。

なぜなら色川家は、過去に堀内家と争っていたものの、秀吉の仲裁により和解した経緯があり、もとより心から忠誠を誓っているわけではないと踏んだ彼は、その当主である盛正の調略を試みたのである。

その誘いに盛正は乗ってきたものの「氏善とその家族を害することはない」と約束して欲しいという条件をつけてきた。

それは、お家同士の争いは過去にあったものの、盛正自身は氏善に恩義を感じており、彼を無事に逃がしたいという気持ちの表れであったのだ。

元より無駄な殺生を好まない治部卿法印は、それを約束することに躊躇することはなかった。


こうして、短い間でありながらも最低限の準備を固めて、桑山の軍勢は新宮城へと進軍を開始した。

そして今、色川家の家紋の旗を背負った甲冑武者が、馬を走らせてこちらへと向かってきている。

若い一晴ならずとも、胸が躍るのを抑えられないでいるのは、治部卿法印も同じである。

しかし、それを表に出すか出さないかは、単なる歳を重ねた違いであったのかもしれない。


しばらくすると、その甲冑武者が、桑山軍の本陣に通された。

やはりその武者は色川盛正であった。

その盛正は、彼がやってくる直前に本陣で腰をおろしていた一晴の前で膝をつくと、大きな声で報告をした。


「万事上手くいきましたことを、ここに申し上げます!既に堀川安房守殿を始め、その一族郎党は、城を出て、北山道を通り、京城の方へと落ちのびていっているはずにございます!」


その報告に、一晴はたまらず腰かけから立ち上がると、盛正の肩に手を当てて


「よくやっていただいた!盛正殿!ははは!やったぞ!」


と、喜びを爆発させた。愉快そうに笑う一晴であったが、盛正は真剣な表情を変えずに続けた。


「ついては、それがしとのお約束も果たしていただきたく、あらためてお願い申し上げます!」


その言葉に、笑いを止めて顔を引き締めた一晴は、大きくうなずいた。


「堀内安房守殿らを傷つけないという約束であったな。

心配するでない。その約束は確かに守ろう」


盛正は一晴にあらためて深く頭を下げると、少しだけ声の調子を落として続ける。


「ありがたきお言葉、これでこの盛正も最低限の義理は果たせたというもの…

加えまして、わがままついでにもう一点お願いしたい儀があるのですが…」


言いづらそうにしている盛正に対して、今度は治部卿法印が優しく声をかけた。


「盛正殿はわれらの恩人のようなものである。この際だ。この治部卿法印で出来ることであれば、聞いてしんぜよう。言ってごらんなさい」


一晴の横にいた治部卿法印の方へ頭を下げ直した盛正は、今度は透き通る声でその願いを告げた。


「はっ!では申し上げます!

九鬼嘉隆殿が堀内安房守殿を目がけて、間もなく新宮城へと逃げてこられるかと思われます。

その際は、嘉隆殿を追い返していただきたく存じます!

決して北山道の方へと逃がさず、来た道を戻っていただくよう申しつけくださいませ。

どうか、お願い申し上げます!」


治部卿法印は不思議そうにその願いに首をひねった。


「はて…?その心をお聞かせくださるかな?」


「はっ!堀内安房守殿と九鬼嘉隆殿は、事前にこの戦において、旗色が悪くなったら、新宮城で落ち合うことを約束しておりました。

恐らく合流することで、再起をお図りになるおつもりでしょう。

しかしそうなっては、徳川内府殿に目をつけられることは必定。

わが殿…堀内安房守殿の処分は避けられませぬ。

ついては、どうか、どうかその二人を近づけさせぬよう、この盛正、一生のお願いにございます!」


額をこするようにして頭を下げる盛正。

その頭の真下の土が、盛正の涙で色を変えていくことに、一晴と治部卿法印は目を見開いたのだった。



その涙が表すことは何か…

その事に治部卿法印は思いを馳せた。



彼は確かに調略された。


言わば主人である堀内氏善を裏切ったわけだ。


しかしその裏には、氏善に心より忠義を尽くす男の血の涙があったのは、今の彼を見れば、想像に難しくないだろう。


苦悩に苦悩を重ねた結果の決断だったのだ。


石田方に加担した時点で、弱小とも言える大名の堀内家は、取りつぶされる運命は決まっていたと言えよう。


その中において、家臣としてどうあるべきか…


それを盛正は真剣に悩んだ。

もちろん、決断までの猶予はほとんどない中、彼は自分の今後ではなく、主人である氏善だけの事を考えていたのである。


その結果、行き着いたところが、「堀内家の大名としての存続」は諦め、「堀内安房守の無事の確保」だったのだ。

つまり、「家」ではなく「人」を守ろうと決意したのだった。


その為、たとえ自分が「裏切り者」の汚名を浴びようとも、主人が望むものとは正反対のことであったとしても、城を敵に明け渡し、その代わりに主人の無事を確保した。さらに、その無事をおびやかしかねない、九鬼嘉隆を遠ざけようとしたのである。


全ては堀内氏善という人間への忠義を貫く為であった。


その燃えるような熱い想いが、地面を濡らしているように、治部卿法印には思えた。


肩を震わせ頭を下げ続ける盛正を見て、一晴は、先ほどまでとはうって変わって、神妙な面持ちで彼に告げた。


「盛正殿、お顔を上げてくだされ。お主の願いはこの一晴が確かに受け取った。

必ずや九鬼殿を追い返してみせよう」


「ありがたき…ありがたき、幸せ…」


盛正は、そう言うのが精いっぱいであった。

彼は崩れるようにしてその場でうずくまると、そのまま嗚咽で動けなくなってしまった。



それは、「人」に対して忠誠を誓った男の、一つの忠義のあり方だった。







急に登場人物が増えて申し訳ございません…


色川盛正は史実の人物ではありますが、堀川氏善から桑山一晴に寝返ったというのは、フィクションになります。


九鬼、堀川、桑山…そして大谷吉治…


彼らのドラマはこれから展開されます。


どうぞよろしくお願いいたします。


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