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最後の星①忙殺

慶長5年(1600年)10月2日――


黒田如水、加藤清正、桂広繁の三人は大坂城を西へと出立し、大谷吉治は豊臣秀頼の書状を携えて、東へと旅立っていた。


秋はすっかり深まり、木々は美しく色づき始めている。その日も雲一つない綺麗な青空だ。

美しい季節に、彼の跨っている馬も気持ち良さそうに、先を急いでいた。


しかしとある場所まで来ると、吉治は馬の手綱を緩めた。


右手には小高い山。

目の前には今や誰もいなくなった関。


「静かなものだな…」


彼は顔を伏せて、ぼそりと呟いた。


そう、ここは関ヶ原の戦いにおいて、彼が最初に敷いた陣のあった場所であった。


つい二十日ほど前は、この場所は殺気をまとった自軍の兵たちで埋め尽くされ、残暑と相まって、異様な熱気に包まれていた場所だ。


しかし今は、一人の兵もおらず、冬の訪れを間近に控えた、冷んやりとした空気が辺りを覆っている。


吉治は思わず、ぶるぶると身震いをした。

そして、右手の山を見上げた。


松尾山だ。


目を閉じれば、あの時の激闘が、未だに昨日の事のように感じられる。

そして山頂から見た、あの景色が色鮮やかに思い出されるのだった。


「父上…」


彼の頭の中に、父である大谷吉継の姿が浮かぶ。

それは彼が最後に見た、全身を白い布地で多い、その上から甲冑を着た父の姿だ。


関ヶ原での大戦の結果を見ずして、戦場の華となった散ったであろう父が、もし生きていたら、今の自分にどんな言葉をかけてくれるだろうか…


そう感傷に浸らざるを得ない。


「足を止めるな…でしょうか…」


そんな風に叱咤するだろうな、と彼は思い、思わず苦笑いを浮かべてしまった。

なぜなら、彼にとって、目的の人物に書状を届ける事こそが、今の主君である豊臣秀頼に対する初めての奉公であり、彼は未だ何の実績も残していないからだ。


「今の俺には、まだ父に報告することすらないのだ。

こんな場所で感傷に浸っている場合ではないな」


そう独り言を呟き、気合いを入れると、彼は再び馬の腹を蹴って、先を急ぐのであった。


◇◇

ちょうど同じ頃、大坂城の西の丸は、秀頼のいる本丸よりも、遥かに多くの人間で溢れかえっていた。


無論、人々はその西の丸の現在の主人である、徳川家康を目がけてやってきているのだ。


それは、免罪を嘆願しにきた石田方に加担した武将、あらたな領地に赴任しに行く為に別れと謝意を示しにきた大名たち、さらには、新たな時代の覇者に媚びを売ろうとしている、商人、貴族さらには異邦人の姿まであった。

さすがの家康と言えど、体は一つで、時間も限られている。

彼ら全員と会う訳にもいかず、留め置かれた人々は、次から次へと増えていく一方であった。


その中に、とある青年大名の姿もあった。


彼は肉親である父親の助命嘆願の為にやってきたのだが、家康への謁見は、三日以上留め置かれた今でもかなっていなかったのである。


と、その青年の前を、忙しそうにした本田正純とそのお供が早足で通りかかった。

そこに青年が、この機会を逃すまいと、必死に声をかける。


「やや、これは本田正純殿!お待ちあれ!お願いしたい儀がございます!」


その声に足を止めたものの、向きまでは直さず、顔を横に向けたままに、正純は答えた。


「これは長門守殿ではござらぬか。拙者にご用とは?

拙者見ての通り、急ぐ身なれば、このままでかたじけない」


長門守と呼ばれた青年は、そんな彼にすがるように近づくと、頭を低くして言った。


「いや、こちらの方こそ、お忙しい中、呼び止めしてしまって申し訳ない。

お願いというのは、他ならぬ、徳川内府殿へのお目通りの件にございます!」


「ああ…」


気のない返事の正純。

なぜなら、彼はこの手の嘆願を受けたのは、一度や二度ではなく、その度にこうして足を止められ、もっともらしい言い分で、その場を濁すことを、いい加減面倒に思っていたからだ。


そんな正純の様子など、気する余裕が青年にはないのだろうか…

彼は必死に頭を下げて続けた。


「どうか父のお命がかかっているゆえ、早めていただくように、お取り計らい頂けないだろうか」


その青年の必死な態度を見て、正純は一つため息をつくと、


「長門守殿、頭を上げられよ。大名のお主に頭を下げられているのを、殿に見られでもしたら、ご叱責をくうのは拙者の方でございます」


と、だるそうにしながら、青年に促した。


その言葉に、申し訳なさそうに頭を上げた青年。

正純は彼の目を見た。

真剣そのもののその瞳には、父を想う子の切なる願いが込められている。


しかし正純はその瞳に動じることもなく続けた。


「長門守殿、お主のお父上のお許しの件は既にうかがっておる。

もちろん殿の耳にも入っておることだろう」


その言葉を聞いた青年の顔に喜色が浮かぶ。

しかしそれに冷たいものを浴びせるように正純は続けた。


「その上で、殿は沙汰をお考え中なのだ。

殿にはあらためて良いように拙者が働きかけるゆえ、決まるまで今しばらくお待ちあれ」


その言葉に再び頭を低くした青年。


「これはありがたきお言葉!そのお言葉を胸に、今しばらく待っております。

お呼び止めして申し訳なかった」


と、大きな声で感謝を述べるのであった。


一方の正純は、青年に対して軽く一礼すると、お供を促して先を急いだ。

彼は彼で戦後処理に追われる身である。

一時さえも惜しい状況にあって、足止めされた事に対する感情はいかほどであったのだろうか。

しかし、何事もなかったように、相変わらず涼しい顔をして、足を進めるのであった。


そんな彼にお供の一人が声をかける。


「先ほどの件でございますが…」


正純は足を止めずにそれに答える。


「ん?長門守殿の件か?」


「はい…すでに長門殿のお父上の沙汰は『息子である長門殿のご活躍に免じて、死罪は許し、蟄居せよ』と、決まっておったかと…」


恐る恐るお供が正純に話しかける。

正純は表情、口調一つ変えずに答えた。


「それがどうしたというのだ?」


「なぜ正純殿はあの場でそれをお伝えしなかったのでしょう?」


その問いかけに歩きながら、そのお供の顔さえも見ずに、正純は目だけを細めた。


「殿に代わって、それがしが沙汰を下すというのか?」


「い、いえ…そこまでは、申しておりませぬ…ただ、お伝えするだけで、少しは安心していただけるかと…」


「それは、沙汰は決まっておるのに、それを告げる為に殿がお会いになる時間が取れないから、待て…と、言えということか?」


「い、いえ…そこまでは…」


「ああいう相手は必死なのだ。だから少しでも納得いく理由がなくては、余計に不満がたまろう。それが強いては殿への不満に変わってしまっては、みもふたもない話である。

お主なら、『沙汰を検討中の為に待ってほしい』と『会う暇がないから待ってほしい』とでは、どちらが納得のいく理由と心得るか?」


「これは、ごもっともなお話にございます。恐れ入りました」


そんなお供の反応に、正純の口もとが少しだけ緩んだ。

そして彼は続けた。


「それに助命嘆願の儀は後回しで問題ない。

なぜなら嘆願しているくらいだから、すぐに死ぬようなことはないはずだ。

待たせている間は、殿にたてついた事への反省の時間にもなろう」


「なるほど…そこまでお考えとは…」


「いずれにせよ、殿から声がかかるまで、こちらから取りなす必要はないし、余計な事を長門守殿にお伝えするつもりもない」


「かしこまりました」


そこまで話をすると、主従は自分たちに課せられた仕事に没頭した。


なにしろ、世の中の情勢を一変させるような出来ごとの後なのだ。

沙汰を決定し、各大名たちの目通りを受ける徳川家康。

その沙汰や取り決めを書にしたためたり、実施に向けて整理をしている本多正純。

商人や貴族の相手をして献上品や挨拶を受ける徳川秀忠。

その献上品や石田方より没収した金品の整理をする大久保忠隣。

家康と秀忠を補助する本多正信。

現地にて各大名にとりなしをしている井伊直政と松平元忠。

未だにくすぶる各地の争い事に目を光らせる本多忠勝と榊原康政…


徳川家と譜代の武将たちは総出で、各仕事に追われていたのだった。



そして、その日も夕暮れになった頃である。

そんな大坂城の喧噪を抜けると、堺の街もまた別の活気に溢れかえっている。

収穫の時期を迎えて、米や農作物の売買で商人たちが忙しくしているのもあるが、戦が終わり、商売の活気が戻ってきていたのである。


その堺の港には、先ほど正純に懇願していたい青年大名の姿があり、わずかなお供を引き連れて、港から見える海原に目を向けていた。


「ああ…やはりここは落ち着くのう…」


もちろん徳川家康からお呼びがかかってもいいように、大坂城には数名の彼の家臣を留め置いてある。


彼は人の熱気を嫌って、ここまでやってきたのだ。


と言っても、堺の港も、街中と同じように商人たちの活気で溢れている。

しかし、様々な陰謀や欲望渦巻く大坂城に比べれば、今目の前に広がる人々の活気は、非常に気持ちのよいものであった。


その活気の先にある、海の青さに青年の心は洗われる。

秋の夕暮れに青から金色にそまっていく海を見て、彼は故郷を想って、神妙な面持ちとなっていた。


「父上…早まってはなりませぬぞ…」


そう彼はつぶやいた。


しかしこの時の彼は知るよしもないだろう…

彼がようやく家康と目通しがかなうのは、実に十日後のことであることなど…


そしてもし史実通りであれば、その目通りの前に彼の父は自害してしまうのである。



その青年の名は、九鬼守隆――伊勢に本拠地を置く大名である。

そして、彼の父は「海賊大名」でその名を知られた、九鬼嘉隆だ。


戦後でもお家を残す為に、子である守隆は徳川方として、父である嘉隆は石田方として、関ヶ原の戦いに臨んだ。

その後、敗軍の将となってしまった父の嘉隆は、伊勢鳥羽の沖合いにある答志島に逃げ込んだのだが、守隆の助命嘆願が聞きいれられる前の10月12日に、家臣の豊田五郎右衛門の促しにより、自害してしまうのである。


このように、史実の上では残酷な別れが待っているのだ。


しかし、豊臣秀頼はそれを阻止すべく動いた。

すなわち、大谷吉治の書状を届け先は嘉隆であり、その内容は、自害を思いとどまるよう命じたものなのだ。


つまり、その嘉隆の消えゆく運命の命が救われるかどうかは、若い大谷吉治に全てかかっているのだった。




豊臣七星の最後の星について、皆さまの鋭いご意見はどれも参考になるものばかりで、非常に感心させられました。

多くの方にご意見をいただき、作品の参考になりまして、非常に嬉しかったです。


「最後の星」シリーズで豊臣七星の最後の一人が判明いたします。


ネタバレになる可能性がございますので、七星に関するご感想の返信は、後日させていただきたく存じます。

どうぞご了承いただければと思います。


もちろん七星以外にも、多くの人物が豊臣秀頼とともに「夢」を見ていくことになります。

是非ご期待ください。


どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。


※徳川家の仕事の割り振りも含め、全てフィクションになりますので、細かい箇所に違和感を感じられた方や、「この人はここにいたはずだ!」というご指摘は、これからもご勘弁ください。

勝手なお願いで恐縮ではございますが、よろしくお願いいたします。


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