登場人物のおさらい【豊臣方】
本編は本日はお休みになります。
申し訳ございません。
◇◇豊臣家◇◇
豊臣秀頼(主人公)
太閤豊臣秀吉の忘れ形見。
その秀吉が死の間際に、怪しげな黒魔術師に頼みこんだことにより、彼の丁度二年後に、中身が現代の高校生、近藤太一に変わってしまう。
中身の秀頼は、歴史マニアで、この時代の人物たちに憧れを持っている。
素直に感情を面に出す癖があり、向こう見ずで突っ走り周囲を慌てさせたり、斬り捨てられるほどの危機に陥ったりすることも…
様々な体験を通じて成長をしていき、関ヶ原の合戦終了時点では、人々が豊かな世の中を作ることを目標として生きていこう、と宣言した。
そして、徳川家康との争いは避けられないと考えている。
なお、逃げ足が速いのと、女性に弱いのは、父親である秀吉ゆずりなようだ。
1600年時点で七歳。
淀殿
豊臣秀吉の側室にして、秀頼の母。
普段は慈愛に満ちた良い母親であるが、強い怒りや不安によって、別の人格が出てくることがある。
その人格は、妖艶、幼稚、冷酷と、それぞれ持っている顔が違う。
秀頼の中身が変わってしまった秘密を知ってはいるが、本人にはその事を話してはいない。
秀頼を溺愛しており、彼を守るためなら、相手が誰だろうと容赦はしない。
千姫
秀頼の婚約者で、徳川秀忠の娘。
三歳児とは思えないほどに、感情豊かで、よく喋る。
秀頼に常に構って欲しいのだが、全く相手にしてくれない為、よく拗ねている。
そんな秀頼は、不自然なほどに彼女の「地雷」を踏んでしまい、その度に彼女の鉄拳制裁が、秀頼の顔を腫れさせている。
淀殿ことは「おかか様」といって慕っており、時には結託して秀頼を追いこんでいる。
北政所
豊臣秀吉の正室。
秀吉の死後は大坂城を出て、京にある太閤御所(または京都新城という)に住んでいる。
清正や宗應の母親代わりで、恐れられている。
筋が通らないことが嫌いで、あっけからんとした性格の持ち主。
宗應への魂を込めた一喝は、秀頼の人生にも大きな影響を与えた。
【豊臣の七星】
黒田如水
軍略の達人。
亡き太閤秀吉の軍師にして、「天才」とまで称された人物。
秀頼の書状に感じるものがあり、彼のもとへ駆けつけた。そして、彼の秘密を知ると、彼の消えかけていた情熱に再び火がともり、彼の味方をすることとなった。
七星のまとめ役として、評定の進行役もつとめる。
加藤清正
築城と攻城の達人。
官位は1600年時点で、「主計頭」。
幼名は「虎之助」。
元より秀頼を「殿下」と呼ぶほどに、忠義にあつい。
秀頼からの書状により、如水とともに九州から駆けつけ、秘密を知った時には戸惑いはしたものの、あらためて彼に忠誠を誓った。
カッとなりやすい性格はあるが、如水が教育係となり、彼をいさめている。
石田宗應
内政と経済の達人。
石田三成が関ヶ原の戦いの後、捕らえられている最中に出家し、「宗應」と名をあらためた。
幼名は「佐吉」。
関ヶ原の戦いの首謀者であり、史実では処刑となるはずであったが、秀頼によって、その命を長らえることになった。
忠義と正義に真っ直ぐな男。
今までは、その思い入れが強すぎる傾向にあったが、関ヶ原の合戦を通して、心の成長を遂げる。
関ヶ原の合戦の処分によって、北政所へ奉公することとなった。
大谷吉治
用兵の達人。
大谷吉継の息子。
官位は「大学助」。
関ヶ原の合戦では、開始直後に小早川秀秋が寝返るという、史実とは異なる展開もあり、合戦を生き延びた。
その際に見せた見事な敵陣突破は「大学助の逆落とし」として、後世にその名を残すこととなった。
熱血漢で、「鐘切りの刀」という大きな刀を愛用している。
父大谷吉継の遺言によって、秀頼に忠誠を尽くすことになった。
明石全頭
戦術と交渉の達人。
官位は「掃部守」。
霊名は「ジョアン」。
元は若くして宇喜多秀家の筆頭家老であり、宇喜多のお家騒動を、一人で取りまとめた経歴を持つ。
存在感が薄く、他人に気付かれることがあまりなく、急に現れたように驚かれることも少なくない。
その特性を活かし、一度戦場に出れば、神出鬼没。
関ヶ原の合戦では、福島正則を翻弄した。
しかし実は、派手な「かぶき者」に憧れており、その象徴と言える、花房職秀に執着がある。
関ヶ原の合戦後は、堺の教会に隠れていたところを、黒田如水によって助けられ、秀頼のもとで、家族とともに世話になることとなった。
桂広繁
籠城の達人。
元は毛利輝元の家臣。
秀吉による中国攻めの際に、城主さえも寝返る中で、一人で城を守るために奮戦したという逸話を持つ。
関ヶ原の合戦時には、久留米城にて、その時の主君である、小早川秀包の留守を守るべく、寡兵で加藤清正の大軍を迎えうった。
寡黙な老人であるが、そのうちに秘めたる闘志は相当なものである。
久留米城開城とともに、黒田如水に誘われて、一緒に大坂城へと入った。
そして秀頼の秘密を知った上で、彼の最後の奉公相手として秀頼を選ぶ。
【豊臣方の武将】
真田信繁
官位は「左衛門佐」。
豊臣秀頼の秘密を最初に知った武将で、彼の初めての友人代わりでもある。
淀殿や石田宗應とも昵懇の仲で、大坂城では顔がきく。
いつでも冷静で、にこやかな表情を変えない。
しかし忠義にあつく、友情を大事にする熱血漢な部分もある。
関ヶ原の合戦時は、地元の信州上田城を守っていた。
片桐且元
大坂城に常駐している家老。
秀頼や淀殿と、諸国の大名たちとの間を取り持つだけではなく、豊臣家の面々の世話役でもある。
秀頼によって、淀殿や千姫を押し付けられる事が多く、その度に彼のお腹が壊れていっている。
霧隠才蔵
真田信繁の家臣。
一方で、忍者の棟梁でもあり、何名か部下を抱えている。
信繁の命令により、秀頼の世話役兼警護に当たっており、彼の素性に関係なく、勤勉に尽す。
秀頼が外に出る時は必ず随行し、様々な場面で手助けをしている。
七手組
豊臣秀頼の馬廻り衆で、言わば警備隊の七人のこと。
常に大坂城に待機しており、秀頼に危険が及ぶことがないように見回っている。
しかし融通のきかない者たちばかりで、秀頼を守るためなら、彼のわがままは通さない。
【関ヶ原の合戦で秀頼に関連した人物】
毛利輝元
官位は「中納言」。
毛利家の当主であり、関ヶ原の合戦での、西軍の総大将。
毛利元就からの重鎮である小早川隆景や吉川元春の操り人形のような人生を歩んできた。
しかし、黒田如水らの軍勢が、彼の居城である、広島城に近づいてきたと知るやいなや、愛する側室である二の丸殿を守る為に、自らの意思で、家康との和睦を決めて、大坂城を出た。
大谷吉継
官位は「刑部少輔」。
関ヶ原の合戦では、石田宗應との友情を取り、徳川家康と対峙した。
秀頼が宗應と家康に書状を送り届ける途中で、彼と対面した時、自分の姿を見て涙を流したことに胸をうたれ、息子である吉治に対して、秀頼に仕えるように指示すると、その吉治の背後を守るようにして、戦場で散った。
福島正則
官位は「左衛門太夫」。
幼名は「市松」。
筋を通し、曲がったことは断じて許さない、実直な性格の持ち主で、豊臣家に忠誠を誓っている。
関ヶ原の合戦後に、秀頼が地元の村人たちによって、近くの山に匿われていたところで、彼と遭遇した。
秀頼の大立ち回りによって、心を変えた後は、たとえ敵方の大名からの制札しかもっていなかったとしても、村人たちへの狼藉を一切許さないこととし、村々を見回った。
林権兵衛
関ヶ原付近の農民の青年。
名主(村の取りまとめ役)の家系で、跡取り。
心優しく、関ヶ原の合戦時に、合戦場に取り残された、秀頼を助けて、村人たちが隠れている山へと案内した。
その後、西軍として戦に戻ったものの、敗北。
狼藉者が迫ってきている事を知らせに隠れ場までやってきたが、その場で、仇敵である隣村の名主の跡取りである平野茂吉に背中から刺されて、致命傷を負う。
その際に、彼の唯一の肉親である、妹のあざみの事を秀頼に託して、命を落とした。
あざみ
林権兵衛の妹。
歳は秀頼と同じ。
貧困により、痩せているが、顔立ちは可愛らしい。
太閤検地によって、一家が困窮に陥り、母親が病死。
父親と長男は、隣村の名主である平野氏より強盗に押入られ、その命を落としたことから、侍のことを嫌っており、特に太閤を恨んでいる。
母親が残した薬草畑を守ることに使命を感じていたが、その畑が禁じられていた『隠し畠』であったことが判明し、福島正則によって焼却処分となるところを、秀頼によって救われた。
そんな経緯もあり、太閤の息子ではあるが、秀頼に特別な感情を抱き始めている。
また秀頼も彼女に対して好意的な感情を抱いてはいたが、彼は自分のなすべきことの為に、再会を約束して、彼女と決別した。
史実とは異なる『あざみ園』の基礎を築いたとされる。
林蔵主
権兵衛とあざみの祖父。
穏やかな性格の持ち主で、戦乱を避けてきた秀頼を、素性も分からないままに、丁寧に扱い、かくまった。
秀頼の大立ち回りにより、豊臣家から毎年400石の米が送られることとなったが、その米は自分たちだけのものとせずに、貧困にあえぐ周囲の村人たちに分け与え、名庄屋としてその名を残す。
物語では語られることはなかったが、秀頼を送り出した後に、逃げてきた小西行長を丁寧に保護し、彼の要望によって竹中重門に送り届けたことで、褒美を貰ったが、これを村の為に全額費やした。
【関ヶ原の戦いで石田方に加担した武将】
島左近
いみなは「清興」。
生き様も含めて、全てが「不器用」な漢で、石田宗應に最期の最期まで忠義を尽くした。
関ヶ原の合戦では、宗應の決死の突撃の右翼を担い、黒田長政からの横撃を封じて散った。
彼のこの戦の掛け声は、天まで轟いたと言われ、対峙した黒田の兵たちの心に深く刻まれて、戦後も夢でうなされ続けたとのこと。
宇喜多秀家
通称「備前宰相」。
明るく前向きな性格で、亡き太閤秀吉の天下統一に尽くした。そのせいで、お家を省みることが出来ず、それが引き金でお家騒動を引き起こしてしまった。
関ヶ原の合戦では、石田宗應の突撃の左翼を担い、途中で藤堂や京極の軍勢を抑えに、飛び出していった。
以降行方不明。
小西行長
通称「弥九郎」。
元は商人の出身で、太閤秀吉に才能を見出されて彼の元で奉公することとなった。
性格はおっとりして、穏やかで、争いごとは好まない。
戦では算術の才能を買われ、いつも輜重隊を任されていたが、輜重隊の為に前線で戦うことが少なかった為に、福島正則や加藤清正には馬鹿にされていた。
それをいつも庇ってくれたのが、石田宗應であり、その彼に強い恩義を感じている。
関ヶ原の戦いでは、突撃の最中に、宗應の背後を守る為に田中吉政らの軍を食い止めるも、敗戦後は囚われの身となり、家康の命令で、処刑された。
島津義弘
「鬼島津」と恐れられる戦の鬼。
鉄砲隊を巧みに操り、陣形を自在に変えることにも長けている。
関ヶ原の戦いでは、宗應の直談判に心打たれ、彼の突撃隊の先鋒を務めた。
猛烈な突撃により、次々と切り崩していくが、分厚い徳川の軍勢に阻まれ、そのまま戦死を覚悟する。
しかし島津豊久と山田有栄の機転により、戦場を離脱する。
いわゆる「島津の退き口」により、多くの犠牲を払いながらも、関ヶ原から逃れることに成功した。
島津豊久
島津義弘の甥。
幼少の頃から美少年で知られ、三十歳を超えても、その面影を残していた。
山田有栄とは幼い頃から仲が良く、彼らが離ればなれになる際に義兄弟の契りを交わしている。
勇猛果敢で、島津義弘が敷いた陣では、先鋒を任されていた。
夢は子供を作って有栄とともに、島津家を支えていくことだったが、「島津の退き口」の際に、坐禅陣で敵を防ぎながら散った。
山田有栄
島津義弘の家臣。
幼い頃に人質として、豊臣秀長に送られた。
主家の出である島津豊久に対して、初めは引けを感じていたものの、豊久が彼に対して、分け隔てなく接してくれることに感じ入り、親交を深めていき、いつしか彼にとって豊久はかけがえのない家族のような存在となる。
忠義にあつく、当主の島津忠恒にも信頼されていた彼は、義弘を死なせるな、という当主からの直々言いつけを守り、関ヶ原からの撤退を決めると、強情の義弘を説得した。
また、勇将として知られ、義弘の陣では右の備えを任されると、「島津の退き口」では、獅子奮迅の活躍で義弘を助ける。
その途中で、豊久の玉砕に取り乱すが、関ヶ原から離脱すると、義弘を無事に薩摩まで送り届けることに尽力した。
少し長くなりますので、徳川方とその他の人物については、後ほどまとめます。
一回本編に戻ります。
次は大谷吉治の届ける書状についてです。
豊臣七星の最後の一人についての、答え合わせが始まります。
その件については、多くの方より回答いただきまして、まことにありがとうございます!
あまりの回答の多さに、びっくりしました。
素直に嬉しいです。
みなさんの予想はどれも鋭く、いくつかの方は、実際に検討した武将も含まれておりました。
今川氏真とか…
ちなみにまだ正解の方がいらっしゃらないので、皆さまの期待にはそえない可能性が非常に高くなってきており、内心怖がっております。
(惜しい方はいらっしゃいました!)
一度回答された方でも、回答の再挑戦をお待ちしております。
性格悪くて申し訳ないのですが、皆さまの予想を読むのが、非常に楽しいのです。
(…というより作品作りのヒントにさせてもらっております…すみません)
では、これからもよろしくお願いします!




