関ヶ原の戦後処理 「思いやり」と「重い槍」
幕間になります。
関ヶ原の戦いを記述した者の、いわば『けじめ』のようなものだと思っていただければと思います。
慶長5年(1600年)10月1日ーー
加藤清正と黒田如水は、徳川家康のいる西の丸に赴いていた。
無論、彼らの目的は、大坂城を発つにあたっての挨拶をしにきたのである。
「これはこれは、如水殿に、清正殿。
こたびの大坂城への駆けつけの件、実にご苦労であった」
そう切り出したのは、家康の方である。
よく肥えた腹を重そうにし、左の肘を脇息に乗せている。
その表情は、愉快とも不愉快とも取れない、まことに読みづらいものであった。
如水は、傍目から見れば「不気味」ともとらえられるような、笑みを口もとに浮かべて、家康のねぎらいに返した。
「ありがたきお言葉で、もったいない次第でございます。
てっきり、内府殿よりも先に大坂城に入城したこと、ご叱責を受けるものだと思っており、覚悟しておりましたゆえ、余計に嬉しく存じます」
ピクリと家康の眉が動く。
内心はあまり面白くないものが沸き上がっているのかもしれない。
しかしそんな表情を気取られまいと、家康は高笑いした。
「ははは!これは、亡き太閤殿下の軍師殿ともあろう方が、少し見ぬうちに、目が曇ってしまわれたようだ。
安心せい!そんなにわしは小さい男ではない。
むしろお主らの、秀頼君への忠義は、見上げたものである。
このわしも見習わねばならぬのう、と考えていたところだ」
その言葉に「何を白々しい」と青筋を浮かべそうな清正であったが、如水の鋭い横目の視線に、場をわきまえて、グッとこらえた。
そして如水はあらためて頭を下げて、出立を告げた。
「ではそろそろ、わしらは立花と島津を始末しに、ここを発ちます」
そして間髪いれずに、清正が続いた。
「くれぐれも、殿下のことを、お頼み申します」
その語気は強く、聞くものが聞けば、さながら脅迫のようであったに違いない。
しかし家康はそんな清正の言葉など、意に介することなく、
「ふむ。では、九州のこと、よろしく頼むぞ。
立花宗虎には…内府が安堵を約束しておるから、強情になるでない、と伝えてやってくれ。
これであの者も、安心して城を開くであろう」
と、二人に餞の言葉を送るのだった。
「では、いってまいります。必ずや、ご期待にそう働きをお見せいたしましょう」
こう静かに答えた如水は、清正を促しその場をあとにしようとした。
その時であった…
その二人の背後から家康の言葉がかけられる。
「ああ… そうそう、そう言えば、お主らは秀頼君とともに、石田殿らと何やら密談をしていたとか…
それはまことか?」
如水はその場で振り返り、答えた。
「はて…?密談とは、物騒な。
確かに、佐吉が坊主になったゆえ、その坊主頭を笑いに、みなで大坂城の秀頼公のお部屋に集まりましたが、世間話で終わりもうした。それが何か?」
穏やかな表情を崩さない家康は、
「それはあいすまなかった。この老いぼれの邪推に過ぎんかったというわけじゃ。
この歳になると、どうも疑り深くなってしまって困る。
この前の秀頼君との会談でも、秀頼君の裏で糸を引いている者がおるのではないかと、変に勘ぐってしもうた。
もう『第二の治部』が現れるのは、勘弁だからのう」
と、ゆっくりとした口調で話したのだが、その目は鋭く、見る者を圧倒するような威圧感を放っている。
しかし幾度もの死線を越えてきた如水にとっては、その視線さえも、涼やかに感じたようで、あっさりと笑い飛ばす。
「カカカ!これは、したり!変な疑いをかけてしまわれるような行動をした、わしらが悪い。
あいすまなかった。許してくだされ。
しかしこの如水、誓って不忠義な行いなどしてはおりませぬぞ」
その様子を見て、家康の目はとたんに威圧感を解いた。如水に二心なし、と見たのだろか、それとも、今の彼はボロを出すようなへまなどしないと、諦めたのだろか…
「いや、わしの方こそ、老いぼれの猜疑心ゆえに足止めした上に、失礼な言い草をしてしまい、すまなかった。
見事に九州の件を片付けてくれたあかつきには、存分に褒美を取らせるゆえ、勘弁してくれ」
その家康の言葉に、一礼だけした如水は、清正とともに、部屋をあとにしたのだった。
それを後ろから見る家康…
「決して不忠義な行いはしていない…とな…
この場合、『誰に』対する忠義なのかのう…」
と、絶対に如水には見せない、苦々しいものを顔に浮かべているのであった。
一方、静かに歩いていく如水と清正。
そのうち清正の方が、
「褒美をとらす…だと…もう天下人の気分なのか。増長するなよ、このタヌキめ」
と、怒りに満ちた顔で、ボソボソとつぶやくのであった。
◇◇
大坂城をまさに出ようとしていた如水と清正であったが、意外な人物と、ばたりと出くわした為、再び足止めを食ってしまうことになる。
それは、如水の息子、黒田長政であった。
実直な青年そのものな彼は、普段の節制が表れているかのように、引き締まった体つきだ。
それは「自分に厳しい」ということを示しているのだが、同時に「他人にも厳しい」という、性格も表しているようであった。
その性格の一端が出たのか、長政は驚きに満ちた表情を浮かべながらも、
「これは、父上ではありませぬか!?
しかも虎之助まで…
九州の方はいかがしたのでしょう!?
まさか内府殿の言いつけを無視されたのではないでしょうな!?」
と、その場にいることをなじるような言い草で、如水に問いかけてきた。
「ふん!あいにく、わしも虎之助も家臣どもが優秀でのう。
わしらがいなくても、首尾よくことは進んでおるわ。
そういうお主の方こそ、こんなところで何をしておるか?」
と、如水は不機嫌そうにたずねた。
すると得意げなものを顔に浮かべた長政が弾む声で答えた。
「それがしは徳川内府殿のお呼びに、こうして馳せ参じたのです」
如水は息子の正面に立ち、その顔をじっと見る。
そして問いかけた。
「それで?何を言われたのだ?」
長政はその問いにも上機嫌で答えた。
「はは!それはお褒めの言葉を頂戴したのでございます!こたびの戦は、この長政のおかげで勝てたようなものだ、ありがとう、と」
「…で?」
ただらなぬ雰囲気を身にまとう如水。
それに気づかない長政ではないだろうに、彼は興奮したまま語った。
「それがしの右手を取り、三度も頭をお下げ頂いたのです。これほどの名誉はございますまい!」
つかつかと長政の前までやってきた如水。
少しだけ背の高い彼を見上げるようにして、凍える声を潜めて問いかけた。
「その時、貴様の左手は何をしていた?」
そんな如水を見下ろす長政。
目は父にも負けないほどに、冷たいものを宿しているが、その口もとには余裕を浮かべている。
「もちろん内府殿をお守りしておりました」
その答えが意外だったのか、如水は目を見開く。
「なんだと…?」
「内府殿の両手は塞がっておりましたゆえ、内府殿から見れば右側は、それがしがしっかりとお守りしておりました。
また狼藉者がいつ現れるとも分かりませんからな」
その言葉に表情をこわばらせる如水。
そんな如水を穏やかな表情で見つめる、息子の長政。
親子の不思議な見つめ合いが、しばし続いた。
しかし次の瞬間、如水は大きな声で笑い飛ばした。
「カカカ!よくやった長政!それでこそ忠義の誉れである!これからもせいぜい忠義に励むがよい!」
その様子に、ほっとしたのか長政も肩の力を抜き、その場をあとにしようと別れのあいさつをした。
「では、父上。それがしは急いでおりますゆえ、これにて失礼いたします」
「うむ。この大戦の後に、急ぎの用とは、そなたも大変だのう」
その如水の何気ない問いかけに、長政の表情が曇った。
不思議そうにする如水に対して、長政は何かこらえたような声で、その理由を告げたのだった。
「京の六条河原にて、大罪人の処刑があるのです。そちらを見届けようと思いまして…」
秀頼の手によって「1日」早められた史実の出来事であったが、きりの良い10月1日の処刑の日取りまでは、早まることはなかったようだ。
しかし、本来ならば処刑を待つ身であるはずの、石田三成の姿はなく、小西行長と安国寺恵瓊の二人がその瞬間を待っているのだった。
◇◇
静まり返った牢獄が並ぶとある場所に、二人の男が静かな足音を立てて訪れてきた。
無論、牢屋にて待つのは、この日に処刑される小西行長と安国寺恵瓊である。
一方は、かたわらに置くことが許された聖母マリア像を前に最後の祈りを捧げ、一方は現世に未練を残すように、険しい顔つきでぶつくさと呟いている。
そして彼らをたずねてきたのは、本多正純と石田宗應(石田三成のこと)の二人であった。
この時、本多正純としては、宗應に対して、自分の起こした戦で、かつての盟友が処刑されていく姿を見せることで、罪悪感に悩まされるように画策したのだ。
宗應はもちろんその画策など悟っていた上で、正純の随行の誘いに乗ったのだった。
なぜ自らの心を痛めることを覚悟してまで、彼は二人の処刑の様子を見に行かねばならなかったのか…
それは、彼はこの目で見ておかねばならぬと強く思ったからに間違いない。
彼は自分で起こした事を後悔はしていない。
しかし、それによって巻き込んでしまった人々の顛末については、自分の心に刻んでおくのが彼の義務であると思っているのだった。
それは行長や恵瓊のことだけではない。
大谷吉治からは、彼の父である大谷吉継の想いや最期について聞き、明石全登からは、彼の元の主君である宇喜多秀家がどんな思いで戦に臨んだのかを聞いた。
その度に彼は、胸の内にさながら杭が打ち込まれるように鈍い痛みを抱え、肩に重いものがのしかかる思いに襲われた。
それは、強い罪悪感と、「彼らの分まで自分は精一杯世の中へ奉公しなくてはならない」という責任の重さを実感する、いわば懺悔の時間であったのだった。
そして今…恐らくこの懺悔の時間は、これが最後だろう。
そんな風に彼は感じていた。
秋が深まり、草履の上からでも底冷えを感じる牢の中を、ひたひたと進んでいく正純と宗應。
しばらく進むと、正純が
「ここからは石田殿一人で行かれるがよい」
と、冷たい微笑みをたたえた顔で促した。
宗應は一つ頭を下げると、一歩ずつ目的の牢へと近づいていく。
時間の経過によるものなのだろうか…思いの外、彼は平常心を持って、足を進めることが出来た。
そして…
最初に彼が対面したのは、安国寺恵瓊であった。
恵瓊は最初うつむいていた為、彼の来訪に気付いていないようであったが、その影が目に入り、頭を上げた瞬間、その死んだ魚のような目に、燃えさかる炎をたたえた。
「貴様… どの面下げて、ここにやってきた?」
宗應は黙って、頭を下げる。
すると、その様子に我を忘れたように恵瓊が牢の太い木の格子をつかんで、唾を飛ばしながら宗應に罵声を浴びせてきた。
「きさまぁ!!貴様のせいで、誰のせいでこんなことになったと思う!?
それなのに貴様だけは、檻の外でのうのうと生き延び、わしらの事を見物しに来たという訳か!?
反吐が出るとは、まさに今のわしの気分のことを言うのだろうな!
ちなみにお主はどんな気分じゃ!?
どうせ腹の中では、その嫌味たらしい顔で、ほくそ笑んでいるのだろう?
とかげの尻尾を切るように、せいせいしているのか?
それともその坊主頭よろしく、見せかけの同情でもしておるのか?
もし同情しているなら…そんなことするくらいなら、わしをここから出してみよ!
自分の命を救ったその二枚舌をもって!
ふん!出来ないだろうなぁ。
否!しないだろうなぁ。
なにせ、貴様は自分がいつでも可愛い。
自分がいつでも正しいと思いこんでいる、めでたい男なんだからな!」
この世の毒を全て吐き出さんとするような、恵瓊の罵倒に、宗應は唇をかんだ。
それは煽られたことによる怒りではない。
彼の言っていることが、全て的外れとは言い切れないことへの、自分への恥ずかしさゆえであった。
そんな彼を見て、恵瓊は続けた。
「そのような顔をすれば、許されると思ったのか?
ははは!もしそうであれば、それは滑稽なことこの上ない。
わしはお主の事を絶対に許さんぞ!
例えこの身が朽ち果てようとも、わしはあの世からお主を呪ってくれよう!
ああ…わしは最後の最後で賭けるべき相手を間違えたのが、無念でならん!
このようにわが身が可愛さに命を長らえるような凡人とともに、天下をねらった自分が情けない!
しかし、人はどんなにあがこうとも、必ずその命はついえるものだ。
であれば、わしはお主を地獄で待とう。
地獄でこの借りは返してくれる!
それだけを楽しみに、この首を落としてくれようではないか!
わしは自分と毛利の出世を考えてお主に味方したのを後悔している。
お主も、自分本位な考えだけで、多くの人間を死なせたことを後悔して、その重荷を抱えながら、せいぜい長生きすればよい!
ああ、憎い!わしはお主が憎い!
そして、もっと生きたい!この身が惜しい!
さあ、もう行け!
もうお主の顔など見たくもないわ!」
と、散々自分の言いたいことだけを言って、恵瓊はそっぽを向いてしまった。
宗應は、そんな彼に対して深々と頭を下げて、次の牢へと足を運んだのだった。
次は…
もちろん小西行長である。
彼はすぐに宗應に気付き、穏やかな笑顔を向けた。
その顔を見た瞬間から、宗應は緊張から解かれ、涙が頬を伝う。
その様子に行長は語りかけた。
「やあ、佐吉。元気そうでなによりだ。それに…その姿、思いの外、よく似合っているよ」
昔から変わらぬ穏やかでゆったりした口調。
間もなく処刑されるというのに、全く動揺の様子をみせない行長に、宗應は嗚咽をしながら、その名前を呼ぶことしかできない。
「弥九郎…」
「佐吉…俺は、お主に味方し、こうして処刑されることについて、恨んでもいなければ、後悔もしていない。
俺は、自分で正しいと思う道を常に選択してきたつもりだ。
商人としての道を捨て、太閤殿下の元で奉公をした事も、そしてこたびの事も同じだ。
最終的には皆、自分で決めたことなのだ。
皆、お主の志に心を揺さぶられ、お主という男に惚れて味方をしたのだ。
だから、お主は自分を責めることはない。
皆、お主を許しておる。
家康憎しで死んでいった者はおろうが、お主を恨んで死んでいったものなどおらぬ」
宗應の心を救うような、暖かな言葉の数々が行長の口から出てくる。
ついに彼は立てずに、その場でうずくまってしまった。
その様子に手を差し伸べるように行長は続けた。
「立っておくれ、佐吉よ。
お主は俺たちの事を重荷に感じることはないのだ。
心を軽くして、秀頼公に尽くしておくれ。
俺は…お主が生きてくれて嬉しいのだから」
「ありがとう…すまぬ…」
宗應の精一杯の言葉であった。
彼はよろめきながら立ちあがると、再び深々と礼をして、その場を後にしたのだった。
正純と宗應が去り、再び静寂に包まれる牢。
そんな中、老人の低い声が一方の壮年の方へと向けられた。
「お主は残酷じゃのう…」
「はて?俺の言葉は真心からのものだ。お主の汚い罵りの方が、相手を傷つけると思うが…」
「若い…お主は、人間というものを分かっていない」
「それはどういう意味でしょう?」
「相手が求める事をしてやる、というのが優しさというものだ」
それっきり二人が会話をすることはなかった。
そしてその日の昼過ぎ…
二人の男の処刑が、執り行われた。
その時の二人の表情は、全く同じであったらしい。
それは、この世に一片の未練など残さない、実に晴れやかなものであった。
タイトルにある「思いやり」と「重い槍」。
もちろん、それぞれお感じになられるところは異なるかと存じますが、人と接するという事は難しいものです。
どうぞこれからもよろしくお願い申し上げます。
ところで読者の皆様は、豊臣の七星の最後の一人を、どなただと予想されてらっしゃいますでしょうか?
なお、豊臣の七星の条件は以下の通りです。
・何かの達人
・ある程度自由な身(蟄居や地方大名ではない)
※加藤清正は地方大名だろ!と思われるかと思いますが、これには深い訳があるので、今は突っ込まないで下さい!お願いいたします!
さて、読者のみなさま…
当てることが出来ますでしょうか。
どしどし感想欄まで、お答えください!
当てられた方には、その方のリクエストにお応えした物語を書きたいと思います…なんて、全然魅力的ではないですね…
答えは明後日の予定です。
それまでをご回答期限とさせて下さい!
では、よろしくお願いします!




