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石田三成の救出③母二人

◇◇

俺…豊臣秀頼は今、猛烈に苛ついている。


そんな俺を気遣っているのだろうか。

傍らの二人から、のんびりとした口調で声がかけられる。


「秀頼ちゃん…少しは落ち着いたらどうかしら?男子たるもの、いつでもデンと構えていることが大切ですよ」


「そうです!そのように顔をしかめて、ただお座りになられているだけでしたら、この千が遊んで差し上げてもよいのですよ?」


ぐぬぬ…


ここで「ええい!うるさい!」と一喝でもしようものなら、数百倍になって返ってくるだろう。俺は仕方なく、ぐっとこらえて、深呼吸で気持ちを落ち着かせる。


しかし、そんな俺の気持ちを代弁するように、正面に座っている大男が、大声を上げた。


「おのれ!佐吉のくせして、いつまで殿下をお待たせさせるつもりか!!やはり、あの男は許せん!」


激昂してその大男が立ち上がると、まるでそびえ立つ壁のような威圧感を感じる。

そこに、落ち着いた老女の一喝がこだました。


「これ!虎之助!秀頼殿の前で、なんと、はしたない!控えなさい!」


「ぐぬぬぅ… しかし、かか様…」


「しかしも、かかしも、ございませぬ。

それに、もう佐吉のことは、『許す』とつい先日決めたばかりではないか。

その歳になって、まだあんたは落ち着かんのかね?

まだ声に出さないだけ、秀頼殿の方が、大人というものです」


そういさめたのは、久しぶりに大坂城の本丸まで足を運んできた、北政所…つまり、叱られてしゅんと小さくなっている大男の加藤清正の、母親代わりとなって育ててきた、その人である。


俺たちは今、一人の男の到着を待って、大坂城の一室にいた。

いや、正確には、その男を待っているのは、俺、加藤清正、大谷吉治、桂広繁、そして北政所の五人だ。

残りの二人…淀殿と千姫にとっては、その男の到着など、あまり重要なことではなく、これ以上、秀頼が危ないことに首をつっこまないか、という方が重要なことなのだろう。


そして、そこにはいるべき男の姿も見当たらない。


無論、黒田如水その人である。

彼は「用事がある」と、堺の街の方へと朝から出かけてしまっているのだ。


そして、俺らが待っているのは、言わずもがな、石田三成、その人であった。



「しかし、北政所様におかれましては、すでにご隠居された御身…ここまで足を運ぶのを咎める者もいたのではありませんか?」


そんな風にたずねたのは、淀殿。

『今のところ』は穏やかな顔でその場に溶け込んでいる彼女は、優しい顔を北政所に向けていた。


「それが意外とすんなりここまで来られたから、自分でも驚いているのよ。

それに、今回だけは、佐吉におね自ら会わねばならぬ。

母として、しっかりと叱らねば気が済まないのじゃ。

万が一、それを咎めるものがおっても、止めることなど出来ますまい」


そう答えた北政所の表情は、柔らかなものであったが、瞳には強いものを感じる。


この意志の強さと、筋を通すところが、彼女を「母」と慕う者たちに受け継がれているのかもしれないな…そんな風に俺は、未だにばつが悪そうにしている清正の横顔を見ながら、うらやましく思ってもいたのだった。


その北政所が、今度は清正に話を振った。


「ここまで足を運ぶのが難しい…と申せば、虎之助に軍師殿の方が難しいのではなかったのか?なんで、九州にいたあんたらが、こんなところにおるのかね?」


その言葉に、俺の表情が突然こわばった。

それを見逃さなかった淀殿の目が、『蛇』のように冷たく、鋭いものに変わった。


「あら?秀頼ちゃん。何か顔色が悪いようですけど…清正殿が、ここにおられる理由に、思い当たる節があるのかしら?」


「い、いや…俺には何のことやら…」


俺は慌てて、清正に視線を送る。

無論「余計なことはしゃべるなよ」という合図だ。

その視線を受け取った清正が、力強くうなずいた。

そして彼は答えた。


「ちと、伏見にある屋敷に忘れ物をしてしまいましてのう。しかし、謹慎のわが身…困りはてたところに、軍師殿がお目付けとして随行してくれたのだ。

しかし、殿下の顔も拝めたし、こうして佐吉に直接文句…いや、酒が飲めるかもしれないのだ。わざわざここまで来た甲斐があったというものよ」


おお!これぞ、固い絆に結ばれた主従というものだ。


徳川家康と本多親子の絆に負けないくらいの強さを感じる。


これなら、対等に渡り合えるはずだ。


そんな風に俺が鼻息を荒くしているのを、横の千姫は気持ち悪そうに眺めているのだが、そんな視線は無視である。


しかし北政所は、追及の手を緩めなかった…


「これ、虎之助。あんたまさか、自国の民や兵を放っておいて、たかだた『忘れ物』の為に国を離れたのではあるまいな?

もし本当にそんな事をしたなら、おねはそのでかい尻を引っ叩かなくてはならぬぞ」


この言葉に清正の顔色が変わった。

青を通り越して、白くなっているのは、『尻叩き』がよほど恐怖だったのかもしれない。

彼は慌てて、言った。


「ちょっと、待っておくれ!かか様!俺は、殿下に書状をもらって駆けつけたのだ!むしろ忠義者と褒めてくれたってよいのだぞ!?」


………


………


沈黙…


………


………


そして、冷たい視線を清正に向ける俺。

その視線をちらりと確認した清正は… すぐにそらした。

しかし、俺は清正の方に視線を向け続ける。例え、彼がこちらを見ることがなくとも…


なぜなら…そんな俺に、まるで凍える吹雪のような凍てつく視線が、向けられているからで、俺は蛇に睨まれた蛙のように、身動きがとれなくなってしまったのだ。


その恐怖の視線の持ち主から、声がかけられる。

その声も、耳に入ってきた時点で、俺の脳を通じて全身を凍らせた。


「秀頼ちゃん?どういうことかしら?まさか、この母に黙って書状を送ったのではないですよね?」


突然すくりと立ち上がる俺。


「うむ。かわやにでも行こうかのう」


と、手と足を同時に動かす不自然な格好で、一歩また一歩と歩き出す。


「あら? 自ら『あの部屋』に向かおうというおつもりなのかしら?」


もちろん「あの部屋」が指すのは、あの部屋である…思い出すだけで、幼い俺の胸を恐怖で覆い尽くす、あの部屋だ…


「ぎゃぁぁぁぁ!!吉治どのぉ!しんがりを頼む!」


俺はその場に同席していた、心優しき青年に背を任せ、その場を走り出した。

まだ三成の到着の報せは届いていない、ならばこのほとぼりが冷めるまでは、どこかに身を潜めておこう…そう考えたのである。


背中からのんびりとした北政所の笑い声が聞こえる。


「まったく…都合が悪くなると、すぐ逃げ出すところなんか、亡き太閤殿下そっくりじゃ」


その奥からは淀殿の高い声。


「お千!秀頼ちゃんを逃してはなりませぬ!行きなさい!」


「はい!おかか様!殿!まてぇぇい!!」


しかし部屋を突破した俺を、千姫が止められるはずもない。


「ふん!お千の鈍い足で俺を止められると思ったか!」


と俺は必死に追いかけてくる千姫に顔を向けて、舌を出して挑発した。


「な、な、なんですってぇ!むきぃ!千を侮辱するとは許せません!」


いくら声をあげても、俺に追いつくことなど出来まい。

その時はそんな風にたかをくくっていたんだ…


まさか、顔をそむけていた俺の目の前に、『気配が全くない』男が立っていることなど知らずに…


しばらく廊下を走り、角を曲がったその時である。


ぼふっ…


柔らかな感触が俺の体全体を包み、俺の足は止められた。


「ん…?なんだ?これは…」


俺は足が止まったところで、ようやく顔を前に戻すと、そこには一人の男が、驚いた表情で俺を見つめていた。


いつからそこにいたのだろう…


全く気付かなかった…


そしてその顔をじっくりと見ると、どこかで見覚えが…


「明石殿か!明石全登殿!おお!まさか、こんなところで再び会おうとは!嬉しいのう!」


そう、明石全登だ。

変幻自在に軍を動かす用兵の天才にして、若くして宇喜多家の筆頭家老をつとめた、あの明石全登…

俺は再び会うことが出来たことに、大きな喜びを感じて、思わず手を取ってしまった。


「…秀頼様…拙者のことを、覚えてくれていたのですか…?」


「当たり前だ!こんな優れた人物を忘れることなどあるものか!」


なぜか物凄く嬉しそうに顔を赤らめる全登。

その様子を見て、彼の後ろから歩いてきた男が、大声で笑い飛ばした。


「カカカ!ほら、言ったであろう!全登殿!そなたの憂慮など、杞憂にすぎんとな!カカカ!」


その笑い声で誰かはすぐに分かった。

堺の町へと出かけていた黒田如水だ。

後から聞いたことであるが、明石全登が堺の教会かにかくまわれていることを聞いた黒田如水は、彼を引き取りにいったそうだ。

そして主君とはぐれ、生きる目的を失っていた彼に、

「ならば、面白い世界を秀頼公と見ようではないか!どうせ一度しかない人生。思いっきりかぶいてみたって、マリア様とてお叱りにはなりますまい!」

と、如水は、俺の陣営に加わるように、熱心に誘ったそうだ。

そして、主君を敗軍の将にしてしまったことにより、自信を失って自分を卑下して固辞していた全登であったが、如水の必死の説得によって、一度だけ俺に謁見を申し入れることを決心したのだった。

そこで、もし自分の事を必要としてくれるなら、もう一度奉公をしてみよう、そんな風に思っていたそうだ。

しかしこんな自分のことなど、恐らく覚えてすらいないはずだ…そんな風に卑屈になっていたのだ。



「…これは、お恥ずかしい…」


そう頭を下げる全登は、喜びを隠しきれないように、口元が緩んでいる。

その様子に、この時はまだ全登の気持ちなど、全く知らない俺は、


「何やら嬉しそうだな!ならば、俺も嬉しい!これからも共に喜ぼうではないか!」


と、素直な気持ちで、全登の手を取ったのだった。


一人でも多くの人を笑顔に出来たら…

それこそ俺の守るべきものだ。



「…ありがたき幸せにございます…」


なぜかその場で泣き出す全登。

その様子を見て、如水も嬉しそうに笑っている。


笑顔… 笑顔…


こんな風に、世の中が笑顔に溢れたらいい。

その笑顔を守ることが、俺の役目であれば、喜んでこの命を懸けよう。


そう思うと、なぜか、あざみの笑顔が浮かび、心をくすぐったのだった。



「して、殿…水を差すわけではございませぬが、そこに夜叉のごときお顔をされたお千殿が立っておられますが、放っておいてよろしいのですかな?」


笑顔に浸っていた俺は、そんな如水の言葉など聞き流すように、


「よい、よい。放っておけ」


と、何も考えずに答えてしまった。


ちょんちょん…と俺の肩を叩く小さな手の感触がする。


「今すごく気分がいいのだ。後にいたせ」


と、幸せ顔でその手の方に顔を向ける。

しかし…


「げっ…!!」


と、思わず腹の内から声を上げ、さっきまでの幸福感はどこかへ吹き飛んでしまった。


「とのぉ? 今の顔は、『あざみ』っておなごのことを考えていた時と同じ顔をしておりましたよ?」


「ちょ…ちょっと待て!これには深い訳が…!」


すぅっと右の拳を振り上げる千姫。


俺は廊下の向こうから心配してやってきた、清正、吉治と広繁に大声を上げた。


「清正殿!吉治殿!広繁殿!お助けをぉぉぉ!!」


「とのぉぉぉぉ!!」


必死に声をあげる三人。

しかしもちろん間に合う訳もなく…


「秀頼様なんて…だぁいきらいじゃぁぁぁ!!!」


「ぎゃぁぁぁぁ!!」


そんな千姫の鉄拳制裁の様子を、大声で笑う如水、くすくすと笑う全登、清正と吉治、広繁までなぜか笑っている。


なぜだ…この理不尽な状況で、なぜみんな笑える…


そんな風に、理解不能な状況に頭を悩ませながら、俺は千姫の炎の拳を左の頬に食らうのであった。



それを遠くで見つめる。

母二人。


「あの人は、死してなお、とんでもねえ事をしてしまったのかもしれんね…すまんのう…淀殿…」


そう声をかけたのは北政所だ。


「はて?何のことでしょう?おね殿?」


そうとぼけた口調で答える淀殿。


「とぼけなくてもよい。あの子は秀頼公であって、秀頼公ではない」


「ふふふ…おね殿は変なことをおっしゃる。秀頼ちゃんは、秀頼ちゃんでしかありませんよ」


そういった淀殿の横顔をじっと見つめる北政所。

その淀殿の瞳は、我が子を見る慈愛に満ちていた。

それを見て、ほっとしたように一息つくと、北政所は、微笑みを浮かべた。


「しっかし、とてもいい子だな、秀頼公は。

太閤殿下が亡くなり、世の中がまた騒がしくなる中、あの子の周りには、あんなに笑顔がある」


「そうですね。まるで、あの人みたい」


「そうだなぁ。おねがずっと若ければ、今の秀頼公に惚れていたかもしんねえな」


「ふふふ…それは、この淀が許しません」


「だな。ほほほ!!」



母二人が、若い秀頼を通して、その時見ていた風景――

それは、「周囲を笑顔にする天才」豊臣秀吉が、全力で世を駆け抜けていった、あの風景であった。





色々と秀頼像を悩みました。


しかし、どんなに、どんなに書いても、彼の周囲には「笑顔」で溢れてしまう。


シリアスなシーンが続いても、彼が登場すると、心がほっこりしてしまう…


私はそこに悩んでおりましたが、それこそ彼の持つ魅力であり、武器なのではないかと考えました。


これからも、彼の周囲には「笑顔」で溢れることでしょう。

でも、私の秀頼像は、これしかないと思っております。


民想いで人間くさい魅力に溢れる徳川家康と、

周囲を笑顔にする力を持ち、人たらしの豊臣秀頼…


悲しいことに彼らのぶつかり合いは避けることは出来ないのではないか…と思っております。


これからもよろしくお願いいたします。


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