食い違い
真田幸村を「幸村」ではなく「信繁」という表記で統一いたします。
ご了承ください。
◇◇
「あっ…あう…」
もうこれで何度目だろうか…
俺の全身は汗に濡れ、水分を奪われた頭は朦朧としている。
「秀頼様!もうお辞めなされ!これ以上は御身が持ちませぬ!」
信繁が俺の汗を手拭いでふき、近くにある水を俺に飲ませた。
ゴクゴクとそれを一気に飲む。夏の日の一室にしばらく放置されていたその水は生温く、決して旨いとはいえないものであったが、俺の喉には良薬となったようで、ようやく「声」が戻ってくる感覚がしてきた。
そして俺は信繁にすまなそうな顔を向け、
「申し訳ない…どうやら『未来』の事は話せないらしい」
と、そのいただけない能力の制限に、謝るしか出来なかった。
この能力の制限に気づく前に、俺は信繁に自分について様々な事を話した。
未来からやってきたこと。実は「中身」は17歳であること。
戦国時代と呼ばれる、今の時代の歴史を学ぶのが好きな事…
そして彼に今後の事――つまり近い未来について口にしようとした時に、喉が焼けるほどの強烈な乾きが襲ってきたかと思うと、次の瞬間には「声」を失った。
それは一度ではない。何度繰り返しても同じことだった。
そしてその制限は書くことも同じらしい事は、すでに実験済みだ。もっとも口ではなく、全身が動かなくなったのだから、余計にたちが悪かったので、一度しか試してはいない。
すなわち俺しか知らない「未来」を他人に伝えるのは無理である事が判明したのだ。
俺の記憶が残っている事だけでもありがたく思わねば…
そう頭を切り替えるしかなかった。
「ふむ、しかし秀頼様の中身は、遠い未来から来られたという事が分かっただけでも良しとしなくてはなりませんね」
と、信繁も言ってくれている。
なんていいやつなんだ。
俺は今猛烈に感動していた。
憧れの偉人に出会えただけでも感動ものなのに、こうして対等に話まで出来るなんて。
憧れのアイドルと写真を撮れただけで、
「私死んでもいい!」
と、放言していた女子の気持ちが少し分かった気がした。
あの時バカにしてごめんよ…と顔すら思い出せないアイドルファンの同級生に心の中で謝っておいた。
そんなくだらない事を考えているうちに、信繁の方は次なる事を考えていたようだ。
「では…秀頼様の見解を述べるというのは大丈夫でしょうか?ただし、もし難しそうなら、すぐに止めましょう」
「よい、やってみよう」
「では簡単な質問からいたします」
信繁は緊張した面持ちで、俺に向き合った。
もしまた俺が苦しんだら…そう考えると、彼はいらぬ責任を感じているのだろう。
あらためてその実直さに感心した。
彼は俺にゆっくりと問いかけた。
「内府殿(徳川家康のこと)と治部殿(石田三成のこと)と、どちらが優勢と見ておりますかな?」
俺は唾をぐっと飲み込んだ。
正直言って、すごく怖い…
言葉が出せないというのは、今まで体感したことのない苦しいものだったのだ。その恐怖が俺の心に焼き付いている。
俺は勇気を持って、声を振り絞った。
「…家康…」
言えた!
言えたぞ!!
歴史の認識について自分の意見が言えた事、これは大きな意味がある。
なぜなら俺が政治や軍事に口を出せる事を意味するからだ。
傀儡の俺ではあるが、俺の「言葉」は非常に大きなインパクトがある。
つまり「俺には歴史を動かせるチャンスがある」という事の証でもあるのだ。
無論、俺の言葉に耳を傾けてくれる者がある…という前提ではあるが…
しかし、とにかくこれは大変喜ばしいものだ。
「よっしゃぁ!!」
俺はガッツポーズをして、拳を信繁につき出した。
「それはなにを意味しているのでしょう?」
信繁は不思議そうな顔をしてとまどっている。
「信繁殿!俺の時代で喜びをわかち合う時は、拳と拳を合わせるんだ!ささ!」
「は、はい!」
信繁が少しはにかみながら、拳を差し出してくる。
線の細い彼とは思えないほどのゴツい拳。
この拳は近い未来、ただ俺を守るためだけに振るわれることになるなんて、今の彼には想像すら出来ないだろう。
俺は自分の拳をその拳に向けて、軽くぶつけた。
コツン!
乾いた小さな音が部屋の中にこだました。
「ふふ!ははは!」
俺は思わず笑いが込み上げてきた。
それは憧れの真田信繁と意思疎通が出来た喜び、そして偉丈夫の真田信繁がはにかんだ姿が面白かったという事もある。
しかし何より、これからの事について相談出来る相手が出来た事が、たまらなく嬉しかった。
そんな俺の喜ぶ様子を見て、信繁も嬉しそうに頬をほのかに紅潮させて、目を細めていた。
◇◇
しばらく笑いが続いた後、興奮冷めやらぬ俺に対して、信繁は冷静にこれからの事の話を始めた。
「さて…秀頼様。私もお話が出来る事はうれしゅうございます。
しかし、先ほどの『内府殿有利』のお答えは、治部殿のお味方をする私にとっては、あまり喜べませんな」
口調は少し拗ねるようだが、表情は穏やかだ。すなわち彼も今の状況が、三成方にとっては良くない事を熟知しての発言であろう。
俺はそんな彼に追い打ちをかけるように、所見を述べる。先ほどの無邪気な笑顔から、一変して厳しい表情でだ。
「仕方ないだろ。治部殿に胸襟を開いているお味方の大名は、刑部殿(大谷吉継のこと)くらいしかないからな」
俺のあっさりとした指摘に、先ほどまでほとんど表情を変えなかった信繁に明らかな驚愕の色が浮かんでいる。そしてそれは言葉になって表れた。
「これは驚き申した。
まさかそんな事までご存知とは…」
「ふん!そんなの俺にしてみれば、常識だ。戦国マニアをなめるなよ!」
「まにあ…とはなんでしょう?」
しまった…カタカナの単語は伝わらないよな…
言葉選びに注意せねば。
「すまん、『おたく』の事だよ」
「はて?『おたく』とは?」
「ま、まぁ何でもよいではないか!とにかく俺は事情に詳しい方だ。
それよりも今後の事だろ?大事なのは」
そう大事なのは、これからの事だ。
そしてこの時俺は既に今後の方針を決めていた。
その俺の決心に、目の前の信繁が出来る事は限られているだろう。しかし俺の方針を明確にしておくことが、今後の俺と彼の関係を考えると大切だと思えたのである。
その方針とは…
俺は徳川家康に味方をする。
というものであった。
そしてそれを口にしようとしたその時、運命のいたずらか、信繁の口の方が一瞬だけ早く開いたのだ。彼は俺に口を挟ませないようなしっかりとした口調で、頭を下げて懇願してきた。
「秀頼様、どうか治部殿にお味方すると、宣言いただけないでしょうか!この信繁、一生のお願いにございます!」
静かに顔を上げた彼は、有無を言わせない強い瞳で真っ直ぐ見つめてくる。
俺は彼の愛用の武器である十文字槍を胸に突き立てられたように驚き、言葉を失ってしまった。
豊臣家の復権を、目の前に差し迫った関ヶ原の戦いで行う事がいかに難しいのか、という点については、次回に私なりの所見を述べます。
関ヶ原の戦いで秀頼が西軍に加担して幸村とチートな能力で戦場を駆け巡る、という痛快なストーリーを期待していた方がいらっしゃいましたら、申し訳ありません。
いかに主人公たちが豊臣家を復権させるために動いていくのかという点については、もう少し先の話になりますので、これからもお付き合いいただければと思います。