石田三成の救出①主従放談
◇◇
徳川家康は豊臣秀頼との会談を終えた夜、久しぶりに親子と主従の四人で酒を飲んでいた。
そこには、息子の徳川秀忠に、本多正信、正純の親子がいる。無論、全員が先の会談に参加したのだ。その為か、話は自然と会談の内容ばかりとなっていた。
「しかし…殿、随分と思いきったことを秀頼公に向けて言い放ちましたなぁ」
そう切り出したのは、本多正信である。その口調は責めるわけでも、賛同するわけでもなく、至って中立的なものを感じる。
「殿は、いまだ秀頼公の直臣の身でありながら、片桐殿がしたためている中での、あの無礼な言葉の数々はいかがなものかと…」
そう父の言葉の後を継ぐように、こちらは明らかに家康のことを責めているように話す正純。
そんな二人を前に、なぜかばつを悪そうにしていた家康は答えた。
「そんなことくらい、このわしにも重々承知である」
「では、なぜここまで慎重すぎる程に、慎重にことを進めてきた殿が、あのような『失態』をおかされたのでしょう?」
すると家康は正純に逆に問い返した。
「では問おう。お主はいつまでこそこそと隠れるようにしながら、わしは地固めをすべきと考えるか?」
「それは…殿の御心次第かと…」
「ふん、それが石田冶部との一番だった…というまでじゃ」
「しかしそれとこれとは話は別にございます。あれでは殿に反意があるとされても、致し方ありませぬ」
「反意…とな?仮にそれが明るみに出たとして、何が起こるのだ?豊臣恩顧の武将たちの反乱か?民たちの一揆か?」
少々むきになって反論している家康を見ていると、正純にも家康の心のうちの葛藤が見て取れるようで、胸が苦しくなる。
「すでに冶部を取り除いたところで、また変な虫がわき始めたのだ。それがこともあろうことか、このわしに『喧嘩』をふっかけてきおった。
無礼であることは十分に承知の上だが、次から次へと虫がわくような『腐った状態』を、たとえ反意と言われようとも、正すのがこの家康の最後の仕事と考えてはならんのか」
「果たしてそう上手くいくでしょうか…?」
こう問いかけたのは正信の方だ。
「上手くいくか、と聞かれれば、それは分からぬ。しかし、わしは己を信じておる。
たとえ後世に『日のもと一の極悪人』との烙印を押されようとも、ここで覚悟を決めねば、天下泰平は訪れぬ。
すべては民の為じゃ。民にとっては天下を治めるのが豊臣であろうが、徳川であろうが、関係のないことだ。民に一刻も早く、戦のない世を与えてやることこそ大切だと思わんか」
そう力を込める家康。しかし、正信は冷めた口調でつぶやいた。
「そのようなお考えがあったとしても、あの言い方はなりませぬ」
「ふん!許せ、佐渡。わしだって、ちとは反省しておる。しかし年少とは言え、あのような態度で物を言われたら、冷静さも失うのがわしという男だ…底が浅いと言われれば、反論の余地などないわ。しかし、ああなってしまった以上、もう後には引けぬ。
ここからが勝負どころととらえて、そちらの力をこのわしに貸してくれ。頼んだぞ」
そう言って家康は、顔をそっぽに向けてしまった。
この様子を見て正信は「ああ…殿というお方は、今も昔も変わらないのだ」と感慨深げにため息をついた。
勝負どころと見れば、なりふり構わなかった、嫡男信康の自刃とかつての正室筑山殿の件…
強引に「源氏」を名乗り、官位を得た件…
敵の誘いひどく動揺し、失態を犯した、三方ヶ原の戦い…
そして、一人の男の言葉に激昂した、直江状…
山のように動かぬ徳川家康という男をはたから見れば、「温厚」や「穏やか」と思うであろう。
生粋の「駆け引き上手」とか「根回し上手」とか思われているかもしれない。
しかし、彼は「聖人」ではない。
至って「普通」の人間なのだ。
挑発されれば激昂するし、「ここぞ」という場面では多少強引でも動く。
根の部分は、どこにでもいる人間くさい人間なのだ。
しかし他の人間と異なる部分を挙げるとするならば、二点ある。
それは例え、挫けても、後悔しても、泥をかぶっても、家康という男は、ゆっくりと前に進める人間なのだ。
この「強さ」が他人とは大きく異なる部分であった。
今回の事にしても同様である。
確かに彼は自分でも認める「失態」を犯した。
しかし彼は立ち止ることはないだろう。
残り少ない自分の人生の中で、成し遂げるべきことの為に、前に進むに違いない。
その強さに、三河武士一同が惚れこんでいるのであった。
そしてもう一つ。それは常に「泰平」のことを考えているということだ。
彼の中心にはいつも「民」があったように思える。それくらい徳川家康という武将は「民」を大切に想っていた。
そんな彼にとって、世の中が「収穫の秋」に戦をせねばならなかったという、悲痛な状況であったにも関わらず、その事に言及すらされず、再び「天下の人形」たる秀頼を巡って争いを予感させるような、会談の始まりは、到底許せるものではなかった。
言わば堪忍袋の緒が切れたのだ。
これは秀頼が意図せずに変えてしまった史実とは異なる部分と言えるであろう。
天下への奉公できる時間が残り少なくなっているにも関わらず、そんな状況であった事が、不覚にも
彼が今回「痺れ」を切らして、主君である秀頼に啖呵を切った原因だったのだ。
しかし、こうした「後悔」と「懺悔」を繰り返しながら、彼は徐々に登りつめてきた。
そして今回…じっくりと追いこんできたつもりが、逆に追い込まれてしまったに等しい。
もし今回の会談の内容が世に知れたら、果たしてどうなるのか…
正信をもってしても、想像すらつかない。
しかしだからこそ、主君が犯した恐らく最後になるであろう失態も、自分たちが支えていくことこそ、忠義である…
そんな風に正信は思っていたのであった。
そんな中…
「いやあ、しかし豊臣秀頼公の聡明さには驚かされましたなあ!さすがは、太閤豊臣秀吉公の血を引いているだけのことはありますな!」
そう素っ頓狂とも言える感嘆の声を上げたのは、徳川秀忠である。
彼はどこまでも純粋に、秀頼の七歳とは思えない振る舞いに感心していたのである。
そんな彼を冷ややかな目で見ているのは、父親である家康だ。
彼は「どこで育て方を間違えたのだろう」と、自責の念にとらわれつつも、一方で、「出来過ぎた」秀頼のことを思わざるを得なかった。
彼は不機嫌そうな顔で、
「やはり何かがおかしいな…弥八郎、引き続き秀頼公の監視のこと、頼むぞ」
と、傍らの本多正純に短く指示をした。
「御意にございます」
と、正純も短く返答する。
しかしこの二人の間には、言葉にならない部分の方が遥かに重要な意味を込めているのだ。
それは、ここでは「豊臣秀頼という少年の謎について探れ」ということに他ならない。
彼を背後から糸を引いている人間がいるのか…
それとも、何らかの理由で、あの少年が本当に知恵を働かせているのか…
はたまたその両方か…
今の家康にはてんで想像が出来なかったのである。
しかし「天才軍師」と称された黒田如水と、謹慎を申し付けたはずの加藤清正が、この大坂城にいることは間違いないのだ。
この二人が秀頼と何らかの繋がりを持っていてもおかしくはない。
「黒田と加藤には、先手を打っておくか…」
彼が思わずそう漏らしてしまうと、周囲は不思議そうに家康の顔を覗き込んだ。
その様子に気づいた家康は、顔を赤くして、
「ふん!わしは独り言を漏らすことも許されんのか?」
と、照れ隠しに強がる。
しかし、どこまでも『鈍感』な秀忠が、
「父上、意味ありげな独り言を漏らされては、みな不思議がっても仕方ありますまい。その『先手』とは、何をさしましょうや?」
と、素直にその意図を問いただしたのだ。
その問いかけにますます不機嫌さを増した家康だが、
「ふん!黒田如水と加藤清正には、大坂城から出ていってもらう為の手を打つということだ」
と、息子の問いに、律儀に対応した。
それを聞いて秀忠は、
「なるほど!黒田殿と加藤殿を秀頼公から遠ざけてしまおうということですな。その為の先手というわけですか…それであれば、やはり九州に戻らせる口実が必要かと思われますが、いかがでしょう?」
秀忠は、素直に思ったことを相手に問いかけ、その答えから自分なりの考えを述べることが出来る人間であった。
決して早とちりや推測はせず、相手の言葉に耳を傾けながらも、自分の主張はしっかりと伝える…
人の上に立つにあたって、必要な能力と言えるのかもしれない。
家康は、そんな風に息子を買いかぶってもいるのであった。
さて、その秀忠の指摘を「正」とすべく、家康は、今度は本多正信に指示を出すことにする。
「佐賀の鍋島直茂殿に使いを出せ。
『徳川内府が、ご子息の柳川での活躍に期待をしておる』と、申しておったと伝えよ」
「かしこまりました」
と、正信はその意図を理解しているのか、いないのかはっきりとしない態度で、短く返事をした。
それは彼が、その意図をくまなくとも、そのままを相手に伝えればよいという事を、長年の家康との付き合いから、知っているのだ。
しかし秀忠は、ここでも父にその意図の解説を求めた。
「父上、どうして黒田殿と加藤殿を九州へと動かしたいのに、鍋島殿に使いを出すのですか?
今、彼らが大坂城にいるなら、明日にでも呼びつけて、帰城するようにと直接申し上げればよいのではありませぬか?」
家康は少し疲れた様子で、ちらりと正純の方を見る。
すると正純は「仕方ありませんね」とでも言うように、肩を落とすと、秀忠の問いかけに家康の代弁をして答えた。
「黒田殿と加藤殿は『表向き』は、殿に従っております」
「ふむ、そのことは存じておる」
「しかし佐賀の鍋島直茂殿は心では殿のお味方をしているのだが、その嫡男である勝茂殿が石田治部にお味方したのだ。
それに対して、殿は情けをかけたのでございます」
「つまり、石田治部を味方した立花宗虎(後の立花宗茂)殿が守る柳川城を、鍋島勝茂殿が攻めるとなれば、九州にいる石田方の大名たちによる反乱の鎮圧を命じられている、黒田殿と加藤殿も参戦せざるを得ない…そういうことか?」
「ご明察の通りにございます」
「しかしそれには回りくどすぎないか?」
「それは、殿は試されているのです。黒田殿と加藤殿が、本当に殿にお味方する気があるか…ということを」
その正純の出した答えに、ちらりと彼の方を向く家康。
そんな家康を正純も視線で返した。
その視線だけで、主従は何かを疎通させたようだ。
今度は家康が肩を落として答えた。
「ふん。すなわち九州に戻らない、ないしは柳河攻めに遅参するようであれば、容赦なく二人を処分する。
大人しくその攻めに参加したなら、敵意なしと見なしてもよいので、加増して恩を売っておこうということだ」
その答えに秀忠は納得したように頷いている。
なぜ最後の部分を家康自ら答えたのか、と聞かれれば、それは主君が決めるべき、賞罰への言及を含んでいたからである。
そういったわきまえも正純という男は、そつなくこなせる小憎たらしい人間だったのだ。
無論、家康はその部分をも、寵愛しているのだが…
次に話題は、関ケ原の戦いの件に移っていく。
「しかしこたびの大戦に間に合うことが出来なかったのは、この秀忠、一生の不覚でございます」
実直な秀忠は、悲痛な面持ちで、そう頭を下げている。家康はそんな様子を苦々しく横目で見ていた。
一方で、その秀忠の軍にお目付けとして随行した正信は、さながら他人事のように、そっぽを向いている。
その事も家康を不機嫌にさせている。
彼は素知らぬ顔をしている正信に命じた。
「おい、佐渡。教えてやれ」
この短い言葉で、正信はなんの事を指しているのか、理解した。しかし、あえて問いかける。
「はて?それがしは何をお教えすればよろしいのでしょうか?」
家康はちらりと正純を見る。
正純はその視線を感じとると、家康の代わりとして父である正信に向けて答えた。
「父上、殿は秀忠様に対して、この度の秀忠様の軍の役目について、教えてしんぜよ、とお命じになっております」
正信は、その正純を横目で見た。
その視線に、正純はハッとした。
なぜなら正純は父の発言の意味をその瞬間に理解したのである。
それは…
「自分で答えるにしのびないから、殿にお任せしたつもりであったのに、お前は台無しにしおって…」
というものであった。
それに気づき申し訳なさそうに頭を下げた後、ちらりと家康の様子を覗くと、満足そうに顔をほころばせている。
「誰でもよい。この秀忠に言いたいことがあるなら、早く申してみよ」
すると正信は、覚悟を決めたのか、腹に力を入れて秀忠の顔を見ずに答えた。
「殿は秀忠様が、関ケ原に遅参したことについて、全く咎めてはおりませぬ」
その内容に秀忠が「さぞかし驚くであろう」と、家康は思っていた。
なぜなら彼は諸将の前で秀忠の遅参に対して激昂し、秀忠を激しく叱りつけたからである。
それなのに「咎めていない」と打ち明けられたのだ、極めて『普通』な感覚を持ち合わせている秀忠なら、ひどく驚くであろうことは、目をつむっていても分かることだ。
しかし秀忠は違った。
彼はどこまでも『白い』のだ。
分からないことは分からないと言う。
そこに駆け引きや、裏を考えるなんてことはしない。
この場にいる他の三人が、いかに短い言葉だけで会話をかわせるようになるかという、腹の探りあいを『生きがい』としているのだから、一つの言葉に対する秀忠の感じ方を理解するのは難しいのだろう。
彼は怒る訳でもなく、悔しがる訳でもなく、不思議そうにしながら、正信に問いかけた。
「どうして父上は咎めていないのだ?それがしは、厳しい叱責を受けたのは、お主も知っておろう」
そんな真っ直ぐな質問を受けた正信は、額に汗を浮かべる。
そして彼は天井を見て音を上げた。
「もし本気で殿がお咎めになっていたら、秀忠様がこの場にいることはありますまい。
それだけにございます。
それ以上の事は、この正信にはてんで分かりませぬ」
その正信の様子に秀忠は、
「それは残念である。父上、この秀忠に教えてはくれませぬか?」
と、その矛先を父親である家康に変える。正信を睨みつけて舌打ちをした家康は、その重い口を開いた。
「わしはそなたの遅参を織り込み済みだった、ということだ」
その言いように秀忠は、まだ腑に落ちない様子で、顔を傾けている。
そこに、口もとを緩めた正純が、家康を咎めた。
「殿。それは間違いにございましょう」
「間違い?弥八郎、それはどういう意味だ?」
秀忠が正純に詰め寄る。
それに今度は正純が「しまった」という表情を浮かべると、横の家康は、にやっと笑う。
それは秀忠の追及を自分からそらす為の、巧妙な罠であったのだが、その罠に、正純はまんまと引っかかってしまった訳だ。
正純は父の方をちらりと見る。
その正信は「諦めて、答えなさい」とでもいうように、うなずいていた。
正純はため息をつくと、覚悟を決めて話し始める。
「むしろ遅参したことに対して、殿はお喜びになられております、ということですよね?殿」
正純は強引に話の矛先を家康に向けるが、秀忠の追及は正純に向けられたままだ。
「弥八郎、なぜ父は喜んでおったのか?」
「それは…」
答えにくそうに歯切れの悪い正純であったが、秀忠には全く関係ないようだ。
「それは?」
正純は覚悟を決めたように、顔を引き締めて答えた。
「愛する江戸の兵を、ほとんど減らすことなく、石田治部を倒すことが出来ましたゆえ…」
その答えを聞いた時、秀忠の表情がようやく驚愕に変わった。
「つまり…徳川譜代の兵たちの多くを、この秀忠に率いらせたのは、関ケ原での合戦に参加させたくなかったから、ということか…しかし、なぜだ?」
「豊臣恩顧の武将たちの兵を出来る限り削る…その目的ゆえにございます」
そう、徳川家康は、徳川秀忠に多くの家康譜代の家臣や兵たちを率いらせた。
もちろん名目は「秀忠のお目付け」である。
そして、関ケ原付近での野戦か、大垣城での籠城戦を想定していた家康は、「わざと足止めされよ」と正信と、徳川四天王の一人である榊原康政に言い含めておいたのだ。
つまり真田親子の離反を知った時から、家康は彼らの抵抗を予想し、それを利用しようと考えていたのである。
秀忠率いる徳川譜代の軍団が、戦場に遅参するように…
「それは、この秀忠に、父上は泥をかぶらせた訳ですね」
そう…この場の誰もがなすりつけ合いをしていた理由は、この秀忠の一言にあったのだ。
家康は秀忠を、観念したように見つめる。
家康にとって、この関ケ原の戦いは、絶対に落とせない戦いであり、彼がこの後大きな飛躍をとげる起点であった。
その為に彼は、なりふり構ってなどいられず、愛する息子に泥をかぶせ、その上で諸将の前で恥をかかせた。
結果として、豊臣恩顧の武将たちは、大きな打撃を受けた一方で、徳川譜代の軍団の傷は浅くて済んだ。
一部の重臣が、深手を負ったのだが、それは仕方ないことだ。
そして、失態をおかした息子を、厳しく叱責する父親を見せることで、溺愛しかしなかった太閤秀吉との『違い』を見せつけたのである。
それも、諸将に「徳川の世は、家康一代では終わらぬな」と感じさせるためだ。
しかしその思惑は、秀忠には打ち明けるつもりはなかった。
なぜなら、自分の天下取りの為に利用された、と知ったなら、彼との関係に傷が入りかねなかったからである。
しかし、家康は息子の器を見誤っていた。
「ははは!さすがは父上である!世の中のためであれば、息子さえも利用する、そのしたたかさを、見習わねばならぬ!ははは!」
と、秀忠は、心の底から感心し、自分が受けた恥辱など、笑い飛ばしたのである。
家康はそんな息子の様子が嬉しくてたまらなかった。
つい先ほどまでに感じていた罪悪感など、どこかに吹き飛んでしまったのかのように、目を細めて秀忠を見つめる。
その家康に対して、正信は、
「親馬鹿なところは、太閤殿下と変わりませぬな」
と、ため息を漏らすのであった。
そろそろ夜も更け、主従の静かな酒の場がお開きになろうかという時である。
「石田治部捕まる」
の一報がその場にもたらされたのは…
一気に酔いがさめた一同。
正純が恐る恐る家康にたずねた。
「殿…どうされるおつもりで…?」
家康は親指の爪を噛みながら答えた。
「そんなこと決まっておろう」
ちらりと正信を見る家康。
正信はその視線で全てを悟ったようだ。
「護送中に不慮の出来事がなければよろしいのですが…」
それに秀忠が反応する。
「そうならないように、誰かを手配せねばなりますまい」
その秀忠の言葉を受けて、家康は本多正純に命じた。
「では、そのように頼むぞ、弥八郎」
「御意にございます」
そう頭を下げた正純の顔は、不気味な喜びに満ちた笑顔であったのだった。
今回は、短い文章の中に詰め込みすぎた印象が強いのですが、ご容赦願います。
どうぞこれからもよろしくお願いします。




