秀頼と家康…対決の始まり④怪物たるゆえん
豊臣秀頼と徳川家康の会談は、家康の思惑とは大きく外れる始まりであった。
家康としては、戦勝報告と戦後処理一任へのお墨付き、という二つを目的とした、形式的な会談のつもりであったのだが、それはさながら機先を制する、秀頼の鋭い言動により、彼は面食らってしまったのだ。
その上、こともあろうことか「喧嘩両成敗」の言質を盾に取られ、死罪にするつもりであった石田三成に対して、罪一等減じることとなってしまったのだ。
それは秀頼からの「これからもお前の好きにはさせないぞ」という宣言のようなものであった。
しかし、転んでも、転んでも、ただで起きるような男ではないのが、徳川家康だ。
ここから秀頼の心に、深く刻まれることになるのである…家康が「怪物」たるゆえんを…
さて、次に秀頼がすべきことは、家康にこれから豊臣家を取り潰そうとする遠望があるか、という意思の確認であった。
その為には、史実通りに切り取られるはずの「土地」と「港」についての処遇と、「大名屋敷」の件、さらに「幕府を開く」という点についての見通しを聞いておかねばならない。
秀頼はその為に切り出そうとしたが、その主導権を取り返すべく、家康はそれを遮る。
「いやはや、豊臣権中納言秀頼様…次は、この内府がおたずねしたい儀がございます」
その顔は既に笑っていない。
じわりじわりと小動物を追い詰める肉食獣のような、狙われた者を震え上がらせる威圧感が感じられる。
「こたびの戦…秋に起りました…非常に悲しいことですな…」
なにが聞きたいのだろう…秀頼は反応に困ったため、素直に聞く。
「それがどうしたというのだ?」
その言葉は家康の勘忍袋の緒を切らすのに十分であった。
民のことを最も考えねばならない、天下の後継者が、「収穫の秋」の事を頭に入れていない…誰が糸を引いているのか分からないが、その点について言及がなかった事がとてもではないが家康には許せなかった。
秀頼はその異様な雰囲気に尻込みをして、口を閉ざした。
それを見た家康が続ける。
「この度の戦、みな粉骨砕身の働きをいたしました。
つきましては、権中納言様より、こたび活躍をされた大名たちに褒美を与えてはいかがでしょうか」
「ふむ…金か?それとも米か?」
「土地!…にございます」
有無を言わせない語気に、秀頼がたじろぐ。
「どれくらい必要なのだ?」
家康は鋭い視線はそのままに、口もとは緩めた。
「治部殿に味方したものたち全員の所領では足りませぬ。みなそれほど命を懸けて殿をお守りしたのですから…」
「で、では、豊臣の蔵入りを多少分けてやらんでもない」
思わず墓穴を掘るような発言をしてしまった秀頼。
しかし家康はそれ以上を求めてきた。
「こたびこそ権中納言さまの大きな懐を見せる時かと!なんなら蔵入り地全てをお分けしてしまってはいかがでしょう。それくらい行えば、亡き太閤殿下も大いに驚き、殿の器の大きさに驚きましょうや」
これは史実通りの内容である。
秀頼は無論そのことは知っていた為、思いの外冷静に対処した。
「この権中納言の目の届かぬ場所以外は全て…ということだな?」
「さすがは権中納言さま!その通りにございます!もはや天下は権中納言さまのものにございます。
であれば、所領の大きさなどにはこだわる必要もありますまい」
反論の余地がない…
秀頼は首を縦に振らざるを得なかった。
しかしそこまでは想定のうちだ。
領地が減らされるというのは確かに痛いが、所持している財産は莫大なものがある。
少なくとも家康の存命のうちであれば、対等に戦えるだけの兵を臨時で雇い入れることは不可能ではないはずだ。
ここで反論するよりは、今は甘んじてその提案を受けるべき、と秀頼は判断した。
そしてこの時点で、家康の自分に対する敵対心は、明確となったように思える。
秀頼は目的を達成したため、ここで会談を打ちきろうと考えた。むしろそうでもしないと、精神的に持ちそうにない…本音はそれであった。
「その言い分もっともである、よきにはからえ。しかし、忘れるでないぞ、こたびの褒美は豊臣家からのものである。
その旨、しかとみなに伝えるように」
「御意にございます。して…わがままついでに、もう少しだけ、申し上げたい儀がございます」
しかし家康は逃さない。
ここが彼の勝負どころであった。
彼が天下とりに向けた「秀頼のお墨付き」を得るために、徹底的に得られるものは得ておく。
でないと気がすまなかった。
なぜなら彼は怖かったのである。
目に見えない「糸を引く誰か」と対峙していること。
そして、戦乱が長引き、民が苦しむこと…
秀頼の額に汗が浮かぶ。
これ以上、この圧迫感の中に身を置いていると、気を失ってしまいそうだ。
しかし、そうなりたくはない…
一種の意地のようなもので、心を保ちながら、気丈に答えた。
「なんだ…?申してみよ」
家康に再び余裕の表情が戻ってくる。
そこには彼の曲げない意思の強さがありありと感じられた。
「こたびのことは、権中納言さまにも責任がございます」
「なに…?」
その家康の無礼とも思える言葉に、書記をしていた片桐且元、そして秀頼の後ろに控える太刀持ちの青年が、ぴくりとその耳を動かす。
しかし彼らのその反応すら、想定内であったかのように、間髪入れずに家康は、笑い飛ばした。
「ははは!それは誰が悪いということではござらぬ。権中納言さまが、まだ年少過ぎるという事でございます。
その年少さゆえ、悪い者たちがつけいる隙が大きすぎます。
つきましては、この内府が、今しばらくはお助けいたしたく、こたびのことで決意を固めたのでございます」
秀頼は、その正論にも反論ができない。
「その決意とやらを申し上げてみよ」
「では、そのことを、そこに控えておる本多佐渡守より申し上げてもよろしいでしょうか?」
「よい…話してみよ、佐渡守」
秀頼より発言を許された正信は、一つ頭を下げると、ゆったりとした口調で答える。
「かしこまりました。では、申し上げます。
一つ、堺と博多の港は、徳川内府殿の管轄といたしたく存じます。
近頃は、バテレンを始め、異国の者たちが多く出入りしておりますゆえ…若い権中納言さまが、その者たちにたぶらかされないように…との、殿のご配慮にございます」
一旦話を切る正信。
しかし秀頼は続けるように、うなずく。
「次に、大名たちの屋敷は、全て江戸に移させていただきたく存じます。
第二の石田治部殿が現れて、再び姫たちを人質にとられては、各大名たちも満足に働けぬゆえ…
次に、大阪の商人たちを、全員、江戸に送らさせていただきたく存じます。
これも、商人たちが力をつけすぎぬように、殿自ら監視する為にございます。
そして最後に…」
すらすらと述べていく正信。
そして最後に言おうとしたことを、家康が遮る。
それは彼が自らの口で言うようだ。
まるで止めをさすかのように…
「最後は徳川内府家康より申し上げます。よろしいでしょうか?」
「よい、申してみよ」
「ありがたき幸せ。では申し上げます。
それがしに、『源氏』を名乗ることを、お許し下さいませ。
特に明国とのやりとりを殿に代わって、しばらくはそれがしが行いますゆえ、どうしても『源氏』を名乗る必要があるのでございます。
さもなくば、相手は言うことを聞いてくれませぬ。
やむを得ず…この内府、『源氏』を名乗らせていただきます。よろしいですかな?」
「な…なんだと…」
秀頼の頭は既に朦朧としている。
史実の通りとはいえ、この時点でここまで追い込むことを宣言されるとは…
『源氏』を名乗る意味など、一つしかない。
それは幕府の樹立の口実である。
しかし、その言葉にいち早く反応したのは、秀頼の背後にいる太刀持ちであった。
「無礼者!!叩き斬ってくれる!!」
それを片手を上げて秀頼が制する。
「やめい!!吉治!!」
透き通った大声を上げた秀頼は、七歳の少年とは思えないような、鬼気迫る顔で、家康を睨みつけている。
しかし家康は、どこまでも余裕であった。
「おやおや、誰かと思えば、大谷刑部の息子であったか…まさか、生きておったとはのう…
父のことは、至極残念であった。
それがしについておれば、せめて天寿をまっとうできたものを…」
その顔はさも残念そうに口を曲げているが、目では彼に対して「狼藉は許さぬぞ」という、威圧感を漂わせている。
その言葉に、太刀持ちであった大谷吉治は、激昂し、再び家康に詰め寄ろうとした。
この大谷吉治は、関ヶ原の合戦にて、「大学助の逆落とし」という伝説的な敵陣突破を果たした後に、戦場で散った父の大谷吉継の遺言に従って、一昨日に大坂城に入った。
それを知った秀頼は飛び上がるほどに喜び、涙を流しながら吉治の手を取って今後のことを頼んだのだである。
そしてこの度、吉治はその武勇を買われ、秀頼を側で守る役割をこの会談では申しつけられたのだ。
そんな吉治であったが、さながら父の吉継の最期を侮辱するような、家康の物言いに、完全に我を忘れてしまったのである。
「控えよ!吉治!!騒ぎを起こすでない!!
内府殿も、言い方には気をつけよ!」
「これは大変失礼いたしました」
秀頼の必死の一喝に、その動きをなんとか止める吉治。しかし、その頬は、屈辱の涙で濡れていた。
「それと、『源氏』の事は、考えておく…権中納言の一存でどうにかなるようなものではなかろう…」
そして、そろそろ頃合いか、とみて家康は、締めに入る。
「そろそろそれがしたちは、下がらさせていただきます。よろしいですかな?」
秀頼は、やっと解放されるとの思いで、思わず安堵のため息をついた。
「ああ、ご苦労であった」
「では、豊臣権中納言さまにおかれましては、それがしの後始末をどうぞごゆるりと、高みの見物をなさってくだされ…」
そこまで言うと、家康は立ち上がり、あからさまに満足そうな表情で会談をくくった。
周りに大名もおらず、商人もいない、異国との貿易も出来ない…
大坂城という『鳥かご』だけは、なんとか残された状況だ。
まさに絶体絶命の状況に追い込まれてしまった。
そんな秀頼の様子など、見向きもせずに、家康は共にいた者たちを引き連れて、最後までゆったりとした所作で、謁見の間を出ていったのだった。
残されたのは豊臣秀頼、大谷吉治、片桐且元の三名。
三名とも、魂を抜かれたかのように、その場から動くことが出来ずにいたのだった…
秀頼にとっては、全て史実の通りであり、その内容に今更驚くことはない。
しかしあの圧倒的な威圧感、そして巨大さ…
まさに「怪物」そのものであった…
「なにが『鳴かぬなら鳴くまで待とう、ほととぎす』だよ…
あれでは鳴こうが喚こうが、餌を与えずに死にゆく様子を笑いながら見ているとしか思えん…」
そう秀頼は、呆然としながら、つぶやいたのだった。
こうして豊臣秀頼の『初陣』は幕を閉じた。
それは領土、商人、港を全て奪われることとなったという点においては、秀頼の『惨敗』と言えよう。
しかし、石田三成の死罪を許すという一点で、一矢を報いたとも言える。
ただし、石田三成が大阪に送られるまで、生きていればの話ではあるのだが…
秀頼と家康の対決がこれからヒートアップしていきます。
次は石田三成の命を救出すべく、秀頼たちが動き出します。