秀頼と家康…対決の始まり③敗者の処遇
◇◇
慶長5年9月21日ーー
豊臣秀頼と徳川家康の会談は、大坂城の謁見の間で行われた。
徳川方は、最も上座に徳川家康が座り、その横には、息子の徳川秀忠が座る。
その後ろに控えるようにして、本多正信と本多正純の親子が座っている。
一方の豊臣方は…
豊臣秀頼だけであった。
その背には、一人の青年が太刀持ちとして控えているが、彼は前に出てくることはないであろう。
なんと、彼の後見人である淀殿すらいないのだ。
立会人として、各大名との調整役でもある、片桐且元は離れてその場にいるが、秀頼の援助をするという訳ではなさそうだ。
つまりそれは、秀頼が一人で家康たちの相手をする、ということを示していた。
秀忠は驚きの表情を浮かべていたが、その他の三人は、かえって警戒心を強めているように見える。
それを示すかのように、家康の第一声は、秀頼のことを心配するものであった。
「これはこれは… 権中納言さまは、お一人ですか?お母上はどちらに?」
その問いに対して、
「母上は今、北政所さまに呼ばれて、その屋敷に行っておるゆえ、この権中納言が一人で話を聞こう」
と、秀頼は毅然とした態度で答えた。
その答え方と、迷いや戸惑いのない透き通った声に、家康の眉がぴくりと動く。
しかしそんな父親の心の機微など知りもせずに、隣の秀忠が感嘆の声をあげた。
「これはとても齢七つとは思えぬ、立派な受け答え!この秀忠、恐れ入りましてございます」
これには逆に秀頼の眉がぴくりと動いた。
この男の言っていることは『皮肉』なのか、それとも単なる『鈍感』なのか…
と、心の中ではかりかねたからである。
その様子を家康は見逃さない。
「いやはや、わが息子が失礼な事を申し上げて、申し訳ございませぬ!
これ、お主も頭を下げぬか!」
と、仰々しく頭を下げると、秀忠にも同じことを強要した。
しかし当の秀忠は、納得がいかないようで、
「父上。それがしは、権中納言さまをお褒めしたまでにございます。頭を下げねばならぬいわれは、ござらぬ!」
と、反論している。
この様子からして、どうやら『鈍感』の方であったようだ。
秀頼の顔に安堵の色が浮かんだのだが、それさえも家康は見逃さなかった。
「それはすまなかった。わしはてっきりお主が、『七つにしては、上出来過ぎる受け答え』と、皮肉を申しているのかと思ったわい。これは、したり。ははは!」
秀頼の顔は安堵から一変して、引きつった笑顔に変わっている。
それを見て家康は確信した。
「この会談…裏で糸を引いておる者がいるな…」
と…
既に彼は、加藤清正と黒田如水がこの城に入ったことを耳にしている。
恐らくはこのうちのどちらか…それとも、両名か…
いずれにせよ、若い秀頼の背後に、石田三成に代わる誰かがいることは確かだろうと思われた。
「つくづく哀れなお人だわい」
と、家康は心の中でため息が漏れるのを抑えられない。
そして…
「もうすぐその肩の荷を下ろして差し上げましょう」
と、その野心の炎に油を注いでいたのであった。
そんな風に思っている間に、秀頼の方から会談の始めを告げてきた。
「では内府殿。早速聞こうではないか。権中納言に報告の旨があると、うかがっておる」
その言葉に家康は、腹の力を一つ加えた。
ただし、彼にとって、会談と言っても何のことはない。
単なる「戦勝報告」と「戦後処理の方針」を告げるだけのことである。
仰々しく親子で参上したものの、それだけですますつもりでいた。
言わば「形式的」なものなのだ。
それを淡々と実行するだけ…
そんな風にこの時の彼は考えていた。
彼は姿勢を正すと、早速それを始める。
「では申し上げます。ご存知の通り、毛利中納言と石田治部が起こした謀反につきまして、この内府が中心となって無事に収めましたので、ここに報告いたします」
頭を下げた家康に続き、秀忠や本多親子も、それにならう。
「おもてを上げよ、内府殿。
こたびのこと、聞くところによると、お主と治部殿たちが仲違いをして起こったというのはまことであるか?」
その言葉に頭を上げた家康は、素直に答えた。
「おっしゃる通りにございます」
すると素朴な問いかけを秀頼は続ける。
「つまり、お主たちは『喧嘩』をした、ということなのか?」
「分かりやすく言えば、そういうことですな!さすがは権中納言さま!物分かりがよろしいわ!」
家康に褒められたにも関わらず、秀頼は全くの無表情のままだ。
そしてそのまま、彼は続けた。
「うむ、ではその喧嘩に、お主が勝って、治部殿が負けた、というわけじゃな?」
「その通りにございます!この内府、売られた喧嘩に見事勝利したのでございます!」
「うむ!それは天晴れなことだ」
今度は秀頼が家康を褒める。
しかしその家康も全くの無表情だ。
さながら決められた台詞を言い合っただけのようなやり取りに、隣の秀忠は違和感を感じているのか、不思議そうに顔をしかめていた。
それまでのやり取りについては、すべからく片桐且元が紙にしたためているようで、彼は必死に筆を走らせていた。
「ありがたきお言葉、この内府、心にしみてございます。
つきましては、この後のことでございますが…」
家康の目が鋭く光る。
まるで殺気をともなったその視線は、これから口にする言葉の有無を言わせぬような威圧感があった。
「この内府に『全て』お任せいただけないでしょうか?」
家康はこの時、思っていた。
「うむ、あいわかった。お主に全てを任せよう」
という秀頼の一言をもって、この会談は終わるということを…
しかし…
「目の前の」秀頼は違った。
そしてそれは、史実が変わる時が来たことを表していた。
秀頼は問いかけたのである。
極めて純朴に…
「うむ…どうしてお主に任せる必要があるのだ?」
この問いには、家康の目が少しだけ大きくしたが、すぐに気を取り直して答えた。
「こたびのことは、この内府の不徳によって引き起こされた、治部との喧嘩にございます。その責任をとって、後始末するのは、当然のこと。
まして権中納言さまや、その他の者たちの手を煩わせるようなことがあっては、亡き太閤殿下に申し訳が立ちませぬ!」
「太閤」という言葉を使ってまで力を入れた家康の答えであったが、秀頼の追及の手は止まらない。
「責任…とな?後始末を行うことが、責任を取ることなのか?」
しかしそれは、「追いつめる」というような鋭いものではなく、どちらかと言えば年少がゆえに、分からぬことを明白にして欲しい、という純朴なものを携えている。
その為、家康はこの場をやり過ごすのに、まだ余裕を持っていた。
「ははは!これは厳しいところを突いてきますな!さすがは太閤秀吉公の血をお引きなだけある!」
そう…彼はこの場でどうしても欲しいものがあったのである。
それは、「秀頼からのお墨付き」であった。
無論「戦後処理は家康に一任する」ことに対してのものだ。
それだけを貰いに来た、といっても過言ではない。
それほどに、このお墨付きは重要な意味を持っていた。
なぜなら、「戦後処理一任」は、すなわち「論功行賞」を家康自らの手で行うことを意味し、それは家康が賞罰の行える立場であることを明白にするのだ。
賞罰の行える立場…それは天下を治めるに最も近い者と言えよう。
彼はその立場を求めていたのだ。
なぜなら、天下取りに大きく近づくからであった。
つまり彼は心に決めていたのだ。
「豊臣に代わり、徳川が天下を取る」
と…
しかし、秀頼はそのことについて、なかなか首を縦に振らない。
「権中納言さま。よろしいですか。自分で散らかしてしまったものは、自分で片付けるのが、責任の取り方というものにございます。権中納言さまも、お母上にそう言われているのではありませんか?」
と、家康は努めて冷静に、秀頼を逆に追いつめる。
その言葉の表向きは分かりやすく、穏やかなものであったが、口調は低く、いっそう威圧をこめたものであった。
そしてその圧力に観念したのか、
「では内府殿に責任を取ってもらおう」
と、彼の言葉を容認するような一言を発したのである。
これに家康は再び頭を下げた。
「ははーっ!この内府、この身には重きことなれど、権中納言さまのご期待にそえるよう、全身全霊をかけて、後始末をいたしまする」
家康は内心高笑いをしていた。
それは後ろに控える本多親子も同様だったに違いない。
これで、徳川に天下は大きく傾いた…
かに思えた。
しかし…秀頼は待っていた。
この「母上」という言葉を…
そしてそれが、この場に淀殿を同席させなかった理由であったのだ。
極めて、ごく自然にこう言ったのだ。
「母上はこうも教えてくれた。
『喧嘩は両成敗』
であると」
家康の「しまった」という心の声は、舌打ちとなって出てきた。
もちろん「喧嘩両成敗」などという言葉を、秀頼は淀殿から聞いた覚えなどない。
もし彼女がここに同席にて、この事を突っ込んできたら、それはそれで面倒であった。
だから彼女の同席をさせないように、手を回したのである。
その為に、如水と清正は北政所のもとへと足を運び、「今後の秀頼への接し方について相談したい」として淀殿を強引に呼び寄せた。
秀頼のことということであれば、ということで、家康との会談は、単なる戦勝報告だとふんでいた彼女は、北政所のもとへと出向いていったのだ。
巧妙に仕組まれた彼らの思惑とは知らずに…
「はて?顔色が優れぬようだが、いかがした?内府殿」
「ははは…これは一本取られましたな。恐れ入りました。ではその件について、後日ゆるりと考えることといたしまして、本日のところは…」
「待て。一つだけ教えてくれまいか?」
秀頼はちらりと且元の方を確認した。
且元は必死に筆を走らせているため、そんな秀頼の視線など気付かない。
しかし家康はその視線の意味を重々承知していた。
それは、
「この会談の内容は全てしたためてあるぞ」
という、一種の脅迫のようなものである…ということを…
家康は顔を上げると、冷静を装いながら、
「ふむ、内府ごときの浅知恵でよろしければ、権中納言さまのご質問にお答えいたしましょう」
と、質問を許した。
「石田治部殿はどうなさるおつもりか?」
と、秀頼は再び、純朴な表情で問いかけてきた。
それに家康は目を細めて答える。
「ふむ、ここで申し上げるつもりはございませぬが…
やはりそれ相応の罰を与えねばなりますまい」
やはり彼は即答を避けて、はぐらかせた。
「喧嘩両成敗」をあげられて、石田三成の罪の仔細を話しては、「それと同等の罰をお主も受けるおつもりか」と問われかねない。
しかし秀頼の言葉は、そんな家康の腹の内を見透かしているように、鋭く切り込んできた。
「そうか…てっきり、三条河原にて処刑…と言い出すのかと思ったわい。
もしそんなことになれば…」
これにはさすがの家康も度肝を抜かれた。
顔には今までの余裕などなく、額の汗を止めることは出来なかった。
「もしそんなことになれば…?」
と、「鈍感」な秀忠が問い返す。
秀頼はニヤリと笑ってその問いに答えた。
「お主にも同じ罰を、権中納言は与えねばならぬからのう」
ここで言う「お主」とは、無論「徳川家康」のことだ。
「ははは…この内府、そんな冷酷な男ではござらぬ。それがし相手に喧嘩を売った勇気ある男を粗末に扱うなど、心にも思っておらぬ」
「では、死罪はないのだな?」
「断じでございませぬ」
もはや「睨む」という表現があてはまる、家康に対して、それを見下ろすように冷たい視線を送る秀頼。
その睨み合いのまま、秀頼は且元に命じた。
「聞いたか?片桐殿!三成の処遇の件、確かにしたためておけよ!」
「はっ!」
この時、家康は心に決めた。
「この男を生かしておくのは危険すぎる」
と…
すなわちここに、徳川家康と豊臣秀頼の「全面対決」が、静かに幕を上げたのであった。
そして…
同時に、この時、史実は今まで以上に大きく変化した。
なぜなら、一人の男の罪が減らされたからである…
石田治部少輔三成…
その消えかけた忠義の炎は、秀頼の手によって、辛うじて守られた。
しかし、その火を完全に吹き消そうとする徳川の手が、容赦なくこの後も三成を追い込むことを、この時の秀頼は知る由もなかったのである。
あえて第三者目線で会談の様子を描きました。
それは、秀頼と家康の互いの心境を、色メガネなしに表現したかったためです。
どうぞご容赦ください。
逆襲に燃える石田三成無双が書きたい…
しかし、史実の通りに命を落とす彼の姿も美しい。
さて…どうしたものやら…
次回は、会談における、家康の反撃になります。
これからもよろしくお願いします。