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もう一つの関ヶ原③決意

俺と一緒に倒れこんだ権兵衛の背中から、大量に流れる血は、緑一色だった薬草の畑に、朱色を加えていく。

何者かが権兵衛の背中を一突きしたに違いなく、その異変を素早く察知した才蔵は既に俺たちの前に飛び出していった。


多くの血を失って、朦朧とした意識であろう権兵衛だが、目の前のあざみに対して、絞り出すように命じた。


「は…はやく…にげ…ろ…」


「ごんにい…いやじゃ…死んじゃいやじゃ!!!」


そう絶叫したあざみは、倒れた権兵衛の側に駆け寄って、その体を彼女なりの精一杯の力で揺らしていた。

そんな彼女に心配させまいと、懸命に笑顔を浮かべようとする権兵衛だが、その口元はひきつり、もはやその命は消えかける寸前といえよう。

俺が渾身の力を込めて、痩せた権兵衛の体を抱き起こすと、彼は俺を弱々しい声で呼んだ。


「と…とうきち…」


もう目も見えないのだろうか…虚空をつかむように手を伸ばしている。


俺は思わずその手をつかむ。


そこからは、彼の心根をうつしているような暖かさが伝わってきて、その体温が俺の涙腺を刺激すると、二つの筋となって流れ出た。


「死ぬな!権兵衛!お主はあざみを一人にする気か!?」


必死な俺の問いかけに、権兵衛は目を細めると、もう片方の手も重ねて、俺に震える唇で懇願したのだ。


「と…とうきち…あざみのこと…頼む…もう…お前にしか頼めねえ…」


まだ幼く、どの馬の骨とも分からない俺に、自分の妹の行く末を託そうとする権兵衛。

そんな彼の藁をもすがるような痛切な想いに、俺の心は大きく揺れた。そして、対処が困難な状況を前に、いつものように無様(ぶざま)な混乱に陥る…かと、自分でも思っていた。


しかし…


「権兵衛、任せておけ。これは男と男の約束だ」


と、何も考える前に、口をついて約束の言葉が出てきたのだ。


自然と出た発言に、自分でも驚いた。


しかし俺が冷静になるいとまなど与えず、権兵衛はその命が燃え尽きる前に、俺の決意をうかがうように、その優しい瞳を向けてくる。


もう目は見えないはずだ…


しかしそこには確かな光があった。


最後の最後まで、自分のことではなく愛する家族のことだけを考える強い男が、見えない「たすき」を、小さい俺の肩にかけてくるように思えた。


そして、その尊い姿が、俺の中で何かを大きく変えた。

いや、「殻を壊した」という表現の方がふさわしいだろうか。


それを一言で表せば「決意が芽生えた瞬間」であった。


情けないことに、この1カ月の間、俺は自分の事だけを考えて行動を起こしてきた。


「いかに自分が生き延びるか」

「いかに自分が家康にこびを売るか」

「いかに自分の立場をよくするか」


全ての行動原理が「自分」であったのだ。

しかし権兵衛が…この「強い男」が死にゆく際に見せた「男の生きざま」は、今までの俺の姿を「醜い」とののしり、心に鞭をうった。


俺は痛みを感じるよりも、その叱咤によって、全身に燃えるような熱を感じたのだ。


俺も、こんな男のように生きたい。


いきつくところ、所詮は「我欲」に過ぎないかもしれない。

しかしその「欲」が向く方向は、今までとは大きく異なる。


俺は自分が守るべきものの為に生きたい…。


その為には、どんなに泥をかぶったとしても、いとわない。

例えどこの馬の骨とも分からない子供であったとしても、利用してやる。

そんな執着心と信念を、俺に求めてきた…

しかし迷いなど毛頭なかった。

権兵衛から受けた「たすき」は、俺に迷う隙など与えなかったのだ。


「応えてみせる…」


俺の守るべきもの…少しだけ目をつむってそれを浮かべる。


母の淀殿の顔… 千姫の顔… 信繁の顔… 才蔵の顔… あざみの顔…

そしてもう一つ…

大坂城の天守閣から見たあの景色…

太閤秀吉が見た夢の風景…


次から次へと浮かんできた、この世界において、俺が守りたいものたち。


俺が全部守ってやる。


例え、史実なんてぶっ壊してでも…


そんな強い決意が俺の中で芽吹いた。


「血」が怖い、「死」を避けたい…そんな風におびえていた俺はもうそこには存在しなかった。着物は権兵衛の血で真っ赤に染まり、今までの俺ならそれだけで卒倒しそうな場面であったが、今は全身の毛を怒りで逆立たせ、二つの足を大地にめりこませるように力強くふんばっている。


既に瞳からは光が消え、その手のぬくもりがなくなっている権兵衛を、そっと寝かせると、俺は前方に目を向けた。その瞳も、今までに感じたことがないような熱をおびているのが、自分でも分かる。


そして、そこには三人の雑兵の姿があり、そのうちの一人の若い男が、醜い笑い声をあげていたのだ。


「ククク!やっと死におった!これで林家も終わりだなあ!ククク!」


その手にしている槍の先端は、今ついた血で真っ赤に濡れている。

この男が権兵衛を背中から襲った男に違いない。


「貴様は何者だ…?」


俺は低い声でその男にたずねた。

小さな少年の睨んだ姿など、血生臭い戦に身をおいていた兵にとってみれば、何でもないものなのだろう。

彼は俺を見下すような視線で、言い放った。


「なんだ?この小僧は?俺様を、名主の跡取り平野茂吉とも知らないなんて、どこぞの小僧かは知らんが、無礼な野郎だ」


「貴様が平野…か」


俺のつぶやきなど、耳にも入っていないのか、茂吉は続けた。


「安心しろ。今は貴様のような小僧を相手している場合ではない。

そこにいる林の娘とここの蓄えをよこせば、ここにいる全員の命を許してやろう!

寛大な俺様に感謝するんだな!ククク!」


この男の家が、あざみの一家を悲劇のどん底に突き落とし、今も彼女の目の前で、唯一残された彼女の兄を殺した…

そして今、あざみを連れ去ろうとしている。

その目的は…何も言わずとも想像がつく。


「この下衆め…」


俺は考えるより先に行動に移していた。

腰に差した短刀を抜き、茂吉の前に構えたのだ。


「なんだあ?小僧!俺に刀を向けるとは、いい度胸しているではないか!?ああ!?」


その一喝が、俺の頬をびりびりと震わせた。

しかし俺はここを一歩も引くわけにはいかない。

俺の背中にくっついて震えているあざみを守るために…


「約束したのだ!!ここで命を散らした男と!俺はあざみを守る!」


俺の一喝に茂吉が少しだけ後ろに下がった。

その顔からは先ほどまでの余裕の笑みが消え、少年に気圧された屈辱による怒りが浮かんできた。


「きさまぁ!大人しくしておれば、その命が許されたものを!後悔するなよ!」


そうどなり散らすと、槍を低く構えた。


「後悔だと…?ここでお前に刀を向けねば、それこそ後悔するわ!」


俺も負けじと言い返す。

年齢、腕っ節、背丈…それら全てが俺にとって不利なことなど、頭では分かっている。

しかし、俺は権兵衛との「義」を果たすため、守りたいものを守るため、立ち向かわねばならないのだ。


ふと、気付けば他の二人も俺たちを囲むように構えている。

才蔵は俺の横に立ち、俺をかばうような仕草を見せた。


その才蔵を俺は目で制すると


「才蔵…背後を頼む。あざみを守ってやってくれ」


と、小声で命じた。

才蔵の顔に驚きが浮かぶ。しかし俺の強い瞳を見て、なぜか微笑むと、すぐに俺の背後に回った。

そして、どうやら俺の前に立ちはだかっていた才蔵を脅威に感じていたのだろう。その才蔵が彼の前からはいなくなったので、茂吉の顔に余裕が戻ってきた。


「ククク!どうした?早くかかってこいよ?威勢がいいのは、その口だけか!?」


そんな茂吉の挑発に、俺は今すぐにでも叩き斬ってやりたい衝動にかられる。

しかし命の危険を察知した「本能」がそれを許さなかった。

どこからどう見ても俺に「勝ち目なし」なのは、激昂している俺でも十分に理解できていた。


じりじりと茂吉が差をつめてくる。

俺の強がる手は震え、刀を小刻みに揺らしていた。


「おい、おい、おい。震えているじゃねえか?ククク!今謝れば許してやっても構わねえぞ!その代わり、その小さな額を地面にすりつけて謝ればな!ククク!」


それは土下座の強要であった…あまりの侮辱に、俺の理性は完全に飛んだ。


「うわああああああ!!!!」


刀を大きく振りかぶる。

もうどうにでもなれ…例えこの身が茂吉の槍に貫かれようとも、絶対に一太刀浴びせてやる。

そんな風に玉砕覚悟で一気に飛び出したのだ。


「どうせ怖がって飛び出してなどこないだろう」とたかをくくっていたに違いない。

突然の俺の突撃と、そのあまりの気迫に茂吉の顔が驚きに変わり、彼の槍の反応が少し遅れた。


「くらええええ!!!」


俺は刀の届く距離まで一気につめると、そのままそれを力任せに振り下ろした。


俺の好きな小説や漫画なら、相手はこれで真っ二つ…



しかし…



現実はそうはならなかった。


「ガツ」という鈍い音とともに、茂吉の胸あてに食い込んだ俺の刀は、それ以上進むことはなかった。


「くっ…斬れぬ!」


刃物なんてはさみとカッターナイフくらいしか使ったことのない俺にとって、刀で人を斬るなんて大それたことは、どだい不可能であった。


それでも茂吉の「皮」を傷つけることはかなったようで、胸あての下の服が赤く染まったのが見えた。


「ぐわああああ!いてぇぇ!!貴様!殺してやる!今すぐ殺してやる!!」


茂吉は怒り狂って、俺の腹を荒々しく蹴り飛ばす。


「ぐふっ…!」


情けない声を出して俺は、その鋭い痛みに転げ回った。

服も顔も泥だらけになり、よだれ、汗、涙やらで、その顔はぐちゃぐちゃだ。

それでも腹を抑えながら、俺はゆらりと立ち上がり、茂吉を睨みつけた。


茂吉はその視線に顔を青くしながらも、俺が落とした短刀を手にして、


「ククク!刀の使い方を教えてくれよう。その身をもって学ぶといい」


と、片手で大きく振りかぶった。


死を目前にしながらも、不思議と恐怖を感じない。


それよりも「絶対に引けない」という強い気持ちが、俺の足の震えを止め、瞳に強い光を宿していた。

その様子を忌々しいものでも見るような視線を向けた茂吉は、


「死ね!!!」


と、短い言葉をかけると、その刀を振り下ろしてきた。



もう、ここで死ぬのか…


権兵衛…すまぬ…約束が守れなくて…


母上…申し訳ございません…勝手に飛び出し、勝手に死んでしまって…


千姫…幸せになっておくれ…


信繁…どうか天寿をまっとうしてくれ…


せつなに様々なことを思いながら、俺は最後の最後まで目を見開いたまま、相手を真っすぐ睨み続けた。



その時だった…



「そこまでだ!!やめい!!」



雷のような一喝が落ちたと思うと、振り上げた茂吉の腕が大きな手でしっかりと握られ、その動きを止めた。


「誰だ!?俺の邪魔をするのは…げっ!!!」


茂吉は文句をつけようと、腕をつかんだ相手の顔を睨みつけたのだが、その相手を確認した瞬間に口をつぐみ、顔色を赤から青に突如として変えた。


そしてその男が手を離した瞬間、茂吉はすぐに膝をつき、敬礼の姿勢をとるのだった。

先ほどまでの尊大な態度はどこへやら…彼の卑屈な態度に俺は目を丸くした。


「これは…御大将自ら、かような場所まで…ご苦労様にございます!」


大将と呼ばれた男が、茂吉をじろりと睨むと、低い声で吐き捨てる。


「俺がどこにいようと、貴様ごときには関係のないことだ」


その威圧感からして、ただ者ではないことは確かだ。

そして茂吉が「御大将」と称していた…

俺の脳裏に、一人の武将の名前が浮かぶ。


まさか、この男は…


「ははっ!これは出すぎた真似を!」


頭を下げて恐縮する茂吉。そんな彼に向けて男は言った。

そしてその言葉は、俺の予想が的中していたことを確信させるのだった。


「ところで、この福島左衛門大夫の軍にあって、貴様は子供を手討ちにしようとしていたのか?」


やはりそうだ…この男は、福島正則その人だ。


豊かな髭を蓄えたその顔は無表情でありながらも、他を圧倒するような雰囲気をかもしだしている。

流石に世にその名をとどろかせた名将の一人だ。

存在感そのものが常人とは全く異なる。


そんな正則に静かに見つめられた茂吉は、震えて答えた。


「し、しかし、この者がそれがしに無礼を働いたもので…」


その言葉に正則は顔を赤くして一喝した。


「たわけが!!!恥を知れ!恥を!!」


「ひ、ひぃ!!申し訳ございませぬ!」


額を地面にすりつけながら謝罪をする茂吉。

そんな彼に軽蔑の視線を浴びせていた正則は、俺の方へ向き直った。


「小僧…俺の兵が怖い思いをさせて、すまなかった。大将である俺の責任だ。この通り、許してくれ」


と、なんと少年である俺に頭を下げたのだ。


無論、顔も服も泥だらけの俺を見て、一目で誰かなど、分かるはずもない。

つまり相手が何者かを知る事もなく「子供」だからという理由だけで、彼は部下の無礼を詫びたわけだ。


俺は福島正則という男の大きさに、圧倒されて言葉を失ってしまった。


正則は顔を元に戻すと、今度は奥で様子をうかがっていた、蔵主のじいさんに問いかけた。


「お主がここの長か?」


「いかにも…」


「制札はあるか?」


「ここに…」


蔵主は正則のもとまでやってくると、丁寧に手にした制札を手渡した。

それをじっくりと読む正則。


俺は「これであざみも村の人々も助かる…」と胸をなでおろしていた。

緊張から解けた瞬間に、膝が笑いだし、腰を抜かしてしまったのだから、情けない。

そんな俺にあざみは駆け寄って、背中をそっと支える。しかし、泥だらけの顔を見せるわけにもいかず、俺は顔をそむけていたのだが、あざみは自分の服の袖で、そんな俺の顔を優しく拭いてくれた。

何か心がくすぐったくなる気持ちに戸惑う俺を、彼女は穏やかな笑顔を向けている。


全てがこれで終わった…


これからのあざみの事については、まだまだ考えねばならぬことはあるが、俺は完全に安心しきっていたのだ。


しかし…


正則の次の一言で、それは一変するのだった…


「この制札は弥九郎(小西行長のこと)のものか…すまぬが、これは使い物にならぬ」


「そ、そんな…おさむらい様…」


「戦は終わったのだ。弥九郎が属していた佐吉の軍の総崩れでな」


「どうか、ご勘弁いただけないでしょうか…この通り…」


と、蔵主は懸命に頭を下げる。

しかし、正則は無表情のまま、それを冷たく突き放した。


「これも、戦の定め。勝ったものが全てを得て、負けたものが全てを失くす…」


蔵主の嗚咽が周囲にこだますが、そんな彼に構うこともなく、正則はいまだに頭を下げ続けている茂吉に非情にも命じた。


「おい、めぼしいものは奪ってよい。ただし、命を奪うことは許さぬ。それに人さらいも断じてならん」


顔を上げた茂吉に下衆な笑みがこぼれると、すくりと立ち上がった。

そして大きな声で、正則に問いかける。


「ちなみにこの畑は『隠畠』ですぜ、殿。焼き尽くしても問題ありませんかね?」


じろりと茂吉を見る正則。

しかし茂吉は先ほどのように、やましいことがないため、怯むことはなかった。


「そうだな…『隠畠』ということであれば仕方あるまい。ただし、人が巻き込まれないように注意せよ」


「へい!ククク!残念だったなぁ!全てを奪い尽くしてやるよ!ククク!」


こうして蹂躙が開始されようとしていた。

あざみは気丈にも、茂吉を睨みつけているが、その瞳には涙をためている。


やはり俺は無力だ…

結局のところ、「覚悟」とか「決意」と言った、気持ちだけではなんともならないのだ…


悔しい思いに唇をかみしめて、隣にいるあざみに


「すまぬ…すまぬ…」


と、謝ることしかできなかったのであった。



その時…


茂吉が「墓穴」を掘ることとなる。

彼は「あるもの」を手に、正則に問いかけたのだ。


「この小僧の刀も奪い取ってもよろしいですよね?」


その刀を目にしたその時…


福島正則の無表情の顔が…



驚きとおののきで、真っ青に染まった…



「ば…ばかな…」



その正則の表情を見て、俺は次なる「覚悟」を決めた。



そしてそれは、俺が、俺だからこそ出来る逆襲の幕開けを告げた瞬間であったのだった。




大坂城という鳥かごの中だけで飼いならされていたら、絶対に見る事も触れる事もなかった世界が、秀頼の意識を少しだけ変えました。


これから家康と対等に対峙するようになるまで、どんな成長を遂げていくのでしょうか。


なお、次回が「もう一つの関ヶ原」のクライマックスになります。


どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

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