幸運な出会い
ふと背後の人の気配に、俺は慌てて振返った。
そこには静かに床に座り、頭を低くした一人の青年の姿。
爽やかな好青年で見る者の心をなごませるような、優しさを感じさせるその雰囲気に、俺は落ち着いて対応をした。
「おぬしはなにものだ?なをなのれ!」
と、少年特有の高い声でたずねたのだ。
もちろん仮に俺が知っている人であっても、「君主ごっこ」とも言えるような戯れに思わせるよう、無邪気さをはらんだ口調である。
しかし目の前の人物は、顔を上げニコリと微笑むと、静かな口調で問い返してきた。
「それはこちらの質問でございます。秀頼様。あなたは誰ですか?」
「われはとよとみのひでよりである!」
「いえ、そういう戯れは結構でございます。そのお答えによっては…」
静かな微笑みを浮かべているのに変わりはないが、ビリビリした威圧感で、俺の正体に迫ろうとしているのが分かる。
こいつ…俺の秘密を知っているのか?
しかし確信が持てない。何か「かま」をかけられないものか…
そこで、俺はいちかばちか、一つの謎かけをした。
「堺の街の二つの蔵とかけまして、師匠と弟子が打った二つの太刀とかけます。その心は…?」
その問いかけに、目の前の青年はニヤリと笑い、その威圧を解く。その様子を確認して、「どうやら通じたようだ…」と、俺は内心ホッと息をついた。
しかし物凄い気迫の持ち主だ。あやうくボロが出そうになったことに俺は膝が震える思いであった。
その青年は微笑みをたずさえたまま、独り言のようにつぶやいた。
「やはりあの黒魔術を使う女の『呪い』は本当であったか…」
俺はその言葉にハッとした。
その青年の言う「黒魔術師」とは、俺をこの世界に送った「怪しいフードをかぶった女」であり、やはりもののけの類であったに違いない。
若くて可愛い声だったので、少しだけ胸を高鳴らせた俺の気持ちを返せ!と叫びたくなる気持ちを抑えて、俺は青年に問いかけた。
「あの怪しげな女にお主も会ったのか?」
青年は驚いたように目を丸くすると、確信したようにコクリと頷いた。
どうやら俺とこの青年には「共通認識」があるようだ。
しかし彼が一体何者で、俺のことをどこまで知っているのかを把握しない限りは、こちらの素性をベラベラとしゃべるのは危険すぎる。
恐らくそれは青年としても同じ気持ちであろう。
彼が信用に足る人間であるかを見極める為に、俺は言葉を必死に頭の中で選択していた。
だが、忘れてはならないのは、俺が弱冠7歳の少年であることであり、あまりに大人びた物言いや問いかけをしたら、それはそれで怪しまれるだろう。
俺は言葉選びに苦戦を強いられて、胸の内で苦悶していた。
その点において、目の前の青年は有利であることを示すように、彼は「演技」などすることもなく、先ほどから見せている穏やかな表情そのままに、優しい口調で、俺に質問を浴びせてきた。
「お主、何を知っている?」
非常に端的ではあるが、答えに窮する質問だ。
このような抽象的な質問は、相手の真意を図るのに最善な方法である。
なぜなら変に隠したり、濁そうとするならば、敵対するような立場である事は明確だし、正直に答えたならば、立場的に対等ないしはそれ以下である事を暗示するからだ。
この男…かなりの切れ者だな。俺はそう直感していた。
ひとかどの者であることは明白だ。
俺は質問に答えるまでのわずかな時間で、この男が何者であるかの推理を働かせた。
まずは天守閣にいとも簡単に、しかもお供もなくして入ることが出来るほどに、城中に信頼されている者。
すると秀吉か秀頼の馬廻り、ないしは城内に常駐していた家老。
しかし片桐且元や織田信包のような立場のある人間であれば、例え家老であっても東西に分かれている今、ここまで俺に近寄ることは叶わないはずだ。
すると、立場としては大名ではない者ということになる。
では、七手組(秀吉が創設した旗本衆。身の回りの世話をした人たち)のうちの一人と考えたらどうか…
しかし七手組は大坂城の警備という厳命がある。
そんな彼らのうちの一人が持ち場を離れて、俺を問い詰めるようなことをするであろうか?
そして、着衣が微妙に乱れているのが気になるところで、まるでどこか遠くからはせ参じたように思える。
俺はその答えに一つの賭けをした。
大名や七手組ではなく、秀吉にも秀頼にも近く、今は少し離れた場所にいる…
「俺は知っておるぞ」
「では知っていることを話していただきましょう」
「信州の夏は盆地であるから、思いのほか暑い。だから、ここに来たのであろう?ここは風通しがよくて涼しいからのう」
青年の顔から先ほどまでの余裕が消えた。
やはり俺の推理通りだ。この男は…
「違ったか?真田左衛門佐信繁殿」
「これは参りました。その通りにございます。この真田左衛門佐、ちと熱を冷ます間、秀頼様と世間話を興じにやってまいりました」
この青年――その名も、真田左衛門佐信繁。俺の最も憧れる戦国武将、真田幸村その人だ。
この人物なら信頼に足りる!と俺は実に身勝手な考えによって、そう確信したのだ。
俺は思わず彼の手を取ると、まっすぐに信繁の目を見つめた。
透き通った綺麗な目だ。だが、つけいる隙のないほどの、意志の強さを感じる。
その瞳が大きく見開かれた。
この出会いこそが、後の豊臣秀頼と真田信繁の、長くて厳しい彼らの運命の歯車が回り始めたその瞬間だったのである。
俺は降ってわいたような幸運に感謝し、
「話そう!なんでも話す!その代わりに、俺の力になってくれ!」
と、これまでにないほどの力を込めた声色で、信繁に懇願したのだった。
◇◇
なぞかけは「見た目は同じでも『中味/中身』が異なる」でした。
なぞかけに対するツッコミは心が痛むので、ご容赦いただきたいです。