風雲!関ヶ原の戦い!⑱突撃の果てに
◇◇
石田三成は「秋」という季節を、毎年愛でていた。
彼の好きな「鷹狩り」を本格的に楽しむ事が出来る季節であるし、何よりも亡き太閤秀吉に召し抱えられたのも残暑残る秋の季節に、彼のいた観音寺に、秀吉が立ち寄ったことがきっかけだったからである。
人々が実りに感謝する姿、暑さやわらぐ穏やかな気候、夜長の読書…
彼の心を躍らせるものばかりが、秋には存在していた。
しかし、この季節ほど、短く儚いものはない。
木々がその葉を落とし、色を失い始めると、厳しい冬の足音に、彼はいつも憂鬱になるのだった。
それでも無情に季節は移り変わる。
人々が望もうが、そうでなかろうが、関係ない。
それが摂理というものなのだ。
その秋のやわらかな日差しの中、全身の穴という穴から汗と湯気が吹き出し、目は真っ赤に染まり、その気迫は彼の好きな穏やかな季節とは正反対の様相。
石田三成は、彼の愛するものを守る為、一心不乱に足を前へと動かしていた。
そう、彼は重ねていたのだ。
彼が愛してやまない季節の「秋」を、彼の心のよりどころであった「豊臣の世」と…
そして、移り変わる厳しい次の季節である「冬」を、「次の者の世」と…
彼の決死の突撃は、さながら秋をこよなく愛する者が、冬の訪れを残酷に告げにくる者へ抵抗しているかのようで、所詮は四季のことわりに対する、人間の無力さを露呈するような行為にすぎないだろう。
しかし、それでも彼は、信じたかったのだ。
誰にも負けない強い信念が、季節や時代の移り変わりでさえも動かせるということを…
だが、その事を否定するかのように、石田三成が掲げた正義の大木に色づいた葉は、次々とその役目を終え、戦場の華となって散っていった。
もはやその木に残っているのは、彼が最後の一葉。
そしてその彼でさえも、間もなく散りゆく運命である事は、必定なのだ。
一陣の風が吹けば、散りゆくこの身。
なれど、木にとどまっているうちは、燃えさかる炎のごとく真っ赤に染まり、命を輝かせてみせよう。
そんな彼の悲壮な決意は、彼に従う全ての兵たちの、槍を持つ手の力となり、前に進む足の疲れを忘れさせた。
狙いは一つ。
次の季節の支配者たる者。
三成の軍勢の突撃が眩しいほどに輝いて見えるのは、兵たちの汗が日差しに反射しているからだろうか、それとも命の散りぎわゆえの美しさからだろうか…
とにかく彼らはさながら光の弾となって、関ケ原の平原を、家康の待つ桃配山へと突き進んでいった。
しかしそんな彼らの横から、音もなく近づく、一つの軍勢。
石餅の旗印…
黒田長政の掲げる白餅の旗印とよく似たその模様の旗を、背の高い草にまぎれて隠すようにしながら、その軍勢はひたひたと、三成に接近していく。
土地勘があるからこそなし得るその行軍を可能としたのは、かの天才軍師と名高い竹中半兵衛の嫡男の、竹中重門率いる軍勢であった。
彼は親友である黒田長政と事前に示し合わせていた。
それは、共に攻めると見せかけて、途中で二手に分かれて奇襲をかけるという作戦であった。
本来ならば、長政が三成の軍勢に横槍を入れて足止めをした後に、攻撃をしかけるつもりではあったが、今長政は島左近と壮絶な戦いを繰り広げている。
そこで彼は単独で三成の軍勢に奇襲をしかけることにしたのである。
関ケ原付近は彼の領地であり、村々を常に見回っていた良い領主であった重門にとって、この戦場は庭のようであった。
すなわち背の高い草が生えている場所を利用して、三成の軍勢に近づくことは、さほど難しいことではなかったのである。
さらに三成にとって悪いことに、家康の挑発に乗ってその視野を極端に狭くしていた為、重門の伏兵のごとき動きに、全く気づいていなかったのだ。
あと少し…あと少し…
同じ思いだが、向ける相手の異なる二つの軍の距離はみるみるうちに縮まっていく。
「進めえ!!狙うは内府の首ただ一つ!!このまま突き進むのだ!!」
最後の号令をかける三成。
兵たちが呼応する声は、地響きとなって関ケ原を揺らす。もちろんすぐ目の前の家康にも届いているはずだ。
しかし憎たらしいほどに、家康の軍は落ち着きを払っており、隊列一つ乱れない。
その様子を冷静な三成であれば「何かおかしい」と勘ぐってもよいところであったが、今の彼にはそれはかなわなかった。
その時であった…
「わあっ!」と威勢のよい鬨の声が三成の左手で起こったと思うと、草から石餅の旗印の軍勢が勢いよく三成の軍勢にぶつかった。
「な、何事だ!?」
家康の陣に突撃する風景しか浮かべていなかった三成の頭に、冷水をばしゃりと浴びせるような突然の出来事に、三成のみならず、兵たちはみな混乱した。
隊列は乱れ、もう手の届くような位置まできた家康の軍との距離は全く縮まらなくなってしまった。
「その旗印は…竹中の軍か!」
「石田治部殿!お覚悟!!」
元来の生真面目さを示すような重門の号令に、三成はとっさに指示を出す。
「くっ!左手の敵に気を取られるな!奴らは寡兵だ!このまま引きずりながらでも、家康の方へ突っ込め!!」
しかし思いのほか三成の軍勢に深く切り込んだ重門の軍は、さながら足にからみつく蔦のように、三成たちを前に進ませることを許さなかった。
「ええい!何をしているのだ!進め!もう目の前にいるのだ!突撃せよ!」
そう周囲を叱咤し、三成は自ら後方から前線へと移動していく。
いかに三成が人間として、一皮むけたとしても、臨機応変に軍を指揮する能力は、一朝一夕でどうにかなるものではない。
ましてや奇襲による混乱の中で、隊列を整えることなど、今の彼には無理難題であった。
先ほどまで三成の軍勢から発せられていた、まばゆい輝きは急速にその色を失いかけている。
「こんなところで挫かれてたまるか!!」
三成は人をかき分けて、前へ前へと進んでいく。
前線の方までくると、あちこちで竹中軍の旗を掲げた兵と、三成の兵が戦っていた。
これでは前線の部隊が隊列を直すのは不可能だ。
この状況では、本来であれば、一旦後ろに下がり、距離をとって隊列を整えたところで、再度突撃をするのが適切といえよう。
しかしほんの数歩先には、憎き家康の本隊が三成の突撃を待ち構えているのだ。
ここで引くわけにはいかない。
三成の決意は石のように固かった。
「押し込めぇぇぇ!!」
必死に采配をふるって、檄を飛ばす三成。
自らも槍を片手に竹中軍を追い払いながら、前線の兵たちの背中を押すように一歩前に足を進める。
するとそんな三成の燃えたぎる意志に応えるように、軍勢は少しだけ動き始めた。
一歩…
また一歩…
笹尾山を逆落としして突き進んできたとは思えないほどにゆっくりとした前進だ。
「あと少し…!あと少しなんだ!!秀吉様の夢までもう少しなのだ!!」
届け!届け!届け!届け!
あと少しで槍を伸ばせば届く。強い意志は、いつしか切ない祈りに変わっていた。
再び軍勢の足が止まる。
三成自身も敵に囲まれ、声も枯れた。
しかし、もう少しなのだ。
亡き太閤殿下の見た夢の続きを叶えるまで…
あと槍一本分…
彼が諦めきれない気持ちで、その足を踏み出そうとしたその時…
三成の五感に大きな衝撃が加わった。
またしても左側からだ。
今度は寡兵による奇襲のような、鋭い痛みではない。
もっと重くて鈍い衝撃…
それは大軍による突撃で、三成の軍勢が完全に破壊されたことによる衝撃であった。
三成は急いでその衝撃のもとになった方へ目を向ける。その目に飛び込んできたのは…
「そ、そんな…馬鹿な…」
目を疑うような、衝撃的な光景であった。
その光景とは、二つの新たな旗印。
なんと…
吉川と毛利のものだった…
その事の意味はあまりにも大きい。
なぜなら、それは三成が左右の翼と頼みにしていた、小早川、吉川、毛利の全ての軍勢が、戦の始まる前から、家康に調略されていたことを示しているからだ。
つまり彼は最初から、翼をもがれた鳥だったのだ。
勝ち目など、毛頭なかったのだ。
それを家康の目の前で見せつけられたのである。
彼は敵に囲まれながらも、必死に徳川本隊の中にいるであろう、家康の姿を探した。
既に大木から落ちゆくその葉は、水気を失い、風に吹かれるがままに、飛ばされる。
三成の軍勢も桃配山からどんどん引き離されていく。
背後からは、小西行長の軍勢を突破した田中吉政の軍勢が襲いかかってきており、右手からは明石全登を下した福島正則の軍が猪のように突撃してくるのが分かる。
前後左右全て敵。
それでも三成は家康を探す。
そして…とうとう見つけた。
なにやら隣にいる正純と談笑している。
すると、予期せぬことに、三成と目が合ったのだ。
ニヤリと笑った家康は、三成にも分かるように大きく口を動かし、何かを伝えようとしている。
それは…
「あ…り…が…と…う…だと…」
そして愕然とした三成の表情を見て、家康は腹を抱えて大笑いした。
その様子に消えかけた憎しみの炎が再び三成の瞳に宿る。
「きさまぁぁぁ!許さん!許さんぞぉぉぉ!!」
大きく槍を振り回し、周囲の敵兵がひるんだ隙に、一人で突撃しようとする三成。
そんな彼を背後から抱きしめるようにして、一人の忠臣が制した。
「殿!!もう無理にございます!!ここは一旦退きましょう!」
「嫌だ!離せ!あいつだけは…あいつだけは絶対に許さん!!ぐわぁぁぁ!」
半狂乱に陥った三成を複数人で抱えこんだ家臣たちは、背の高い草にまぎれるようにして戦場から離脱していったのであった。
こうして…
三成の決死の突撃は、家康を脅かせるどころか、彼を楽しませるだけに終わってしまうことになった。
三成が姿を消すと、残ったのは徳川方の一方的な蹂躙であった。
しかしそこにも家康の旗印はなかった。
結局は彼は一兵を失うこともなく、石田方の八万とも言われた大軍を打ち破った。
しかもそれは全て彼の手の内に収まることだったのである。
家康の無邪気な高笑いは、いつまでも関ケ原の惨状を前にして続いていた。
一方、命からがら戦場を離脱した三成。
ようやく落ち着いたのは、とある山の中まで逃げてきた頃だった。
彼の周囲には、わずかに十人程度の兵しかいない。
まるで魂が抜けたように、肩を落としていた彼は、よろめきながら、一本の大木の前までたどり着く。
そして、絞り出すように、一編の歌を口ずさんだ。
「残紅葉…散り残る紅葉は…ことにいとおしき…秋の名残はこればかりぞと…」
彼はまだ色づく前のその大木を見上げて、涙をはらはらとこぼすのであった。
散り残った残紅葉とは、彼の軍勢のことをさしていたのだろうか…
それとも大坂城に残された秀頼や淀殿をさしていたのだろうか…
秋風は敗軍の将にも優しく、彼の冷たくなった心を愛おしそうになでていた…
こうして彼の愛でた秋の季節は終わりを告げた。
…かに見えた。
しかし彼は知ることなどないのだ。
この大戦の後、彼の守りたかった秋の象徴、豊臣秀頼がその大木に色づく豊臣七星とともに、まるで醍醐の紅葉のごとく、天下にその鮮やかな輝きをとどろかせることになることなど。
「怪物」徳川家康と「希望の星」豊臣秀頼…
この関ケ原の戦いは、その長き戦いの序章に過ぎなかったのである。
石田三成の心に残る名歌をもって、彼に贈る物語を綴りました。
自己満足にはなりますが、まるで一つの交響曲を聞き終えた後のような満足感と達成感に浸っております。
ここから秀頼の物語が再開いたしますが、作品のテイストが変わってしまうことは、仕方のないことだと、ご容赦いただけると幸いでございます。
最後に、多くのご感想や励ましのお声を頂戴し、誠にありがとうございます。
執筆の原動力となっております。
今後も何卒よろしくお願い申し上げます。




