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風雲!関ヶ原の戦い!⑰託された想いを進む力に

◇◇

南宮山の方へ使いを送った正純は、家康のもとに戻ってくるなり、彼に問いかけた。


「ところで本多平八郎殿の旗が見当たりませぬが、いかがしたのでしょう。

まさか治部が全軍をまとめて突撃してきていることも分からず、どこかで道草でもしてらっしゃるのでしょうか?」


その口調は迫り来る石田三成の旗印が見えているはずなのに、穏やかそのものだ。


戦のことになると、てんで駄目な割には、この状況で慌てる素振りを見せないのだから、全くもって可愛げがない。


しかしそれは家康の落ち着きを写しているにすぎないことに、家康自身気づいている。


正純は安心しきっているのだ。


目の前の主君が全く動じていない様子を見て…

だから家康は、そんな正純を憎めないでいた。

むしろ落ち着き過ぎている自分を呪った。

演技の一つでも出来れば、目の前の若造の顔を青くすることが出来たのかもしれない、そんな風に意地悪く思っていた。


「ふん、大方想像出来ておろう」


「殿が伊勢街道の奥にて島津義弘を迎え撃つように、平八郎殿に早馬を送ったことでございますかな?」


「ふん、それだけではないわ」


「ええ、そうでございましたね。

井伊殿と忠吉殿に、島津義弘だけを狙い、もし殲滅したとなれば、松尾山に向かえと、ご指示されておりました」


「ええい、お主はいつもそんな調子だから可愛くないのだ。ちっとは、この老人を喜ばせようと…」


そう愚痴をこぼそうとした家康を遮るように、正純は疑問をぶつける。


「しかし殿、これでは殿ご自慢の、信玄公を模した陣形が台無しではございませんか?」


「ふん!いちいちお主は一言が余計なのだ。

『信玄公を模した』という表現はいらんわい」


「これは失礼いたしました。…で、なぜなのでしょう?」


グイと身を乗り出して聞いてくる正純を、手で抑えるようにして家康は渋々答えた。


「わが家臣可愛いさゆえよ…」


「…と申しますと?」


「兵を減らすのは豊臣恩顧のものたちだけで十分。

わしの可愛い家臣の兵を減らしたくないからのう。

逃げる島津を追いかけるくらいなら、その兵をあまり減らすことはない。それに…」


「それに?」


自分で言っておいて、しまったと後悔してしまう家康であったが、逃がしてはくれなさそうな正純の視線に、観念したようにつぶやいた。


「古過ぎて使えなくなったものは、舞台から外すしかあるまい…」


正純に驚きが浮かぶ。


「そ、それは…どういう…」


せっかく彼の青い顔を拝めたにも関わらず、あまり嬉しくないのは、言いたくなかった本音を言葉にしたことへの罪悪感があったからかもしれない。


家康は話題とともにその気分を変えようと、


「そろそろわしらも動くぞ」


と、立ち上がって大きく伸びをした。


「そうでございますね、それがしにも治部の軍勢が接近していることくらいは分かります。

早く下がりましょう」


と、正純はそれでも慌てる様子など見せずに、先ほどまで青かった顔を元のすまし顔に戻し、家康に対して陣を後ろに下げることを促した。

しかしその言葉を聞いて、がくりと家康の肩の力が抜ける。

「ああ、やはり戦のことは正純には任せられぬ」という残念な気持ちが、そうさせたのは言うまでもない。

ただ一方で、ここは正純のこ憎たらしいすまし顔を、驚きで青くする絶好の機会かも知れぬと、思わず口元の緩みを抑えられずに、


「ははは、何を言っておるか。前に出るに決まっておろう」


と、笑い声とともに、なんと「前進」を宣言した。


これにはさすがの正純でも言葉を失い、顔を青くしている。


「ははは!良いぞ!その顔は実に面白い!」


その馬鹿にしたような笑い方に、正純は少しムッとしながら、


「お戯れはいい加減になさいませ。この若造をたぶらかせて、笑いの種にするなど、趣味が悪すぎでございます」


と、家康の冗談をなじる。

しかし家康は不機嫌そうに、


「ふん、戯れとは失敬な。わしは本気で前に出るぞ」


と、冗談ではないと反論したのだ。


「そ、そんな…治部と本気でぶつかる気でございますか?」


再び顔を青くした正純を見て、満足気な家康は、まるで少年のような無邪気な笑顔を浮かべる。


「治部が死ぬ気で突っ込んでくるのだ。きっと面白い顔が拝めるぞ。間近で見たいとは思わんか」


「し、しかし…それでは治部の突撃を受けるおつもりと…」


今度は家康が、驚きおののく正純の言葉を遮った。


「全てわしの手のうちで進んでおる。案ずるでないわ。ははは!」


高笑いをしながら、山を下り始める家康の背中を見つめる正純は、


「…つくづく恐ろしいお方だ…」


と、まるで勝負に負けたかのように、肩を落としてつぶやき、軽い足取りの主君を追っていくのであった。


◇◇

「おい!弥九郎!俺のにぎりめしはまだか!?」

「弥九郎!水をよこせ!なんでお前はそんなにとろいのだ!?」


弥九郎と呼ばれた青年に対して、次から次へと文句と要求が浴びせられる。


「ほーい。今持っていくから、ちょっと堪忍しておくれよ」


そんな周囲の苛つきなどお構いなしに、おっとりとした口調で、弥九郎青年は答え、せっせと人々に物を運んでいた。


関ケ原の戦いよりも十年以上前のこと。

豊臣秀吉率いる軍勢は、次の戦場へと向かっている途中で、小休止していた。


罵倒の的の弥九郎青年…小西行長は、いつも軍勢の最後尾から、物資を運ぶ荷駄隊として従軍していた。

しかし、荷駄隊だからといって、単に兵站を運ぶだけが役割ではない。

行長の場合は、食料や水を配る役割も担っていたのである。

元来よりおっとりした性格も災いしてか、周囲から「配るのが遅い」といつもうるさく言われていた。

しかし決して彼が怠けているわけでも、その手が遅すぎるわけでもない。

言わば、文句を浴びせている加藤清正や福島正則といった青年たちは、行軍の疲れや緊張からくる鬱憤をぶつけているだけだったのである。


「おい!弥九郎!遅すぎる!!お前は何をやらせても駄目だから、荷駄隊しか任せられないのだ!」


しびれを切らした福島正則が大声で行長をなじる。

それでも穏やかな笑顔を浮かべ、汗をかきながら、順番を待つ人々に、こつこつと水と食料を配っていく行長。

その様子に、自分のことを無視されたと早とちりした正則は、顔を真っ赤にして、行長につめよろうと、ずかずかと、大股で行長に近づいていった。


「貴様!俺を無視するとは、いい度胸しているではないか!」


そんな行長と正則の間に割って入る、一人の切れ長の目の青年。その鋭い視線を正則に向けて、


「市松!文句を言っている暇があれば、お前も手伝えばよかろう」


と、冷水を浴びせるように、正則を制した。


「なんだと!?佐吉!この俺に荷駄の仕事をしろと言うのか!?」


激昂する正則に対して、佐吉青年…すなわち石田三成は、ため息をついて正則に頭を下げた。


「すまぬ、市松。俺が悪かった」


意外な三成の言動に、正則はきょとんとした顔で戸惑っている。


「お、おう…分かればいいんだ。では、早くにぎりめしをくれ」


しかし顔を上げた三成の視線は、軽蔑を色濃くたたえていた。


「運んでいる物の残りを全て頭の中に入れ、これからの戦の日数と、兵たちの人数から、今配るべき物の量をはじき出す。

そんなことが、いくさの馬鹿なお前に出来るわけがなかった。

すまん、それを忘れてた」


「な、な、なんだとぉぉ!!」


怒りで我を忘れて、拳を三成に向けて振り上げる正則。一方で、そんな正則を恐れることなく、じっと睨みつける三成は、


「貴様に全ての兵を飢えさせることなく、食料を管理することが出来るというのか!!?」


と、大声で一喝した。

その剣幕に正則の手が止まる。

その様子に三成は追い討ちをかけるように、続けた。


「物を管理することの大切さと難しさを知らぬお主に、荷駄を馬鹿にする資格などない!下がれ!下がって、大人しく順番を待つのだ!」


三成の正論に正則はぐうの音も出ずに、振り上げた拳を下げて、震えながら後ろに引き下がろうとした。

その時、


「まあまあ、喧嘩はやめておくれよ。

ほれ、市松。にぎりめしを少し大きくしておいたから、ここは一つ堪忍しておくれよ」


と、行長は、にこやかな笑顔で、他と比べると一回り大きなにぎりめしを正則に差し出したのだ。


「ぐぬ…まあ、今回のことは、このにぎりめしに免じて許してやる。

ただ、弥九郎、これこらはもう少し手際よくやれよ。

それから、佐吉!いつかとっちめてやるからな!覚えておけ!」


と、捨て台詞をはいて、正則は引き下がった。


そんな正則など無視するように、三成は行長を手伝いながら、


「弥九郎は甘いのだ。あのような事をするから、市松や虎之助がつけ上がる。気をつけよ」


と、注文をつけた。

そんな三成に行長は、手を動かしながら、笑顔で返した。


「ははは。佐吉はいつも優しいなぁ。ありがとう」


一瞬だけ驚きに細い目を見開いたと思うと、赤くした顔をそらした三成は、


「ふん!別にお前の肩を持ったつもりなどない。俺は軍の士気や統制のことを考えてだな…」


「分かっているよ。いつも佐吉は正しいから。でも、ありがとう」


そう、屈託のない少年のような笑顔を行長は向けるのだった…



その時と全く同じ笑顔を浮かべている小西行長。


それを驚きの表情で見つめる、石田三成…


なにせ突撃の真っ最中なのだ。


目の前には、最大の目標である徳川家康の本陣が見えてきている。

そんな中で、足を止めて向き合っているその理由を探す方が難しい。


見れば行長だけではなく、彼の軍の兵は皆、綺麗に左右に分かれて、三成の軍の勢いを邪魔しないようにして、足を止めていた。



行長と三成の目が合う。


武将とは思えない、いつもの優しい瞳の行長。

その瞳を三成が見た時、三成と行長の間に流れる時が止まった。


二人の間に、言葉にはならない会話が交わされる。


「佐吉。これから先は、お主一人で行くといい」


「何を申しておるのだ?全軍で当たらねば、家康を倒せぬ!」


「ははは。俺にはやらねばならぬ事がある。それに、一番後ろというのが、俺には合っているから…」


「やらねばならぬ事だと?それこそ家康に…」


「お主も気づいているはずだと思ったのだが、違うかい?」


「…それは…」


ちらりと三成の奥に視線を移す行長。


その先には、三成の軍を背後から強襲せんと、細川忠興と加藤嘉明の軍勢が必死に追いかけてきている。


その足音はまだ遠いが、万が一、三成の軍が、この後足止めでも食らおうものなら、すぐに追い付かれてしまうだろう。


行長は、険しい表情の三成に対して、変わらぬ笑顔で続けた。


「いつも佐吉は俺を助けてくれた。今度は俺が佐吉を助ける番だ」


三成の瞳の奥に熱いものが込み上げてくる。しかし涙を見せるわけにはいくまいと、必死にこらえると、言葉が出てこない。


そんな三成の様子を見て、行長は続ける。


「佐吉はいつも正しい。

しかし残念なことに、いつの時代も正しい者が勝つとは限らない」


「それは…」


反論しようとする三成を制するように、行長が再び言葉を紡いだ。


「でも正しくないと思う信念に味方して勝っても、後悔するだけだ。

だから俺は、いつでも佐吉の味方でありたい」


「弥九郎…」


「ああ、もう時間だ。

俺は佐吉を守る壁となろう。

だから佐吉は、佐吉の正義を槍に変えて、家康の巨大な腹を貫いておくれ」


「ま、待て、弥九郎。お主一人で細川や加藤を抑えることなど無理だ。かくなる上は全軍で…」


「ははは。佐吉は優しいなあ。でも堪忍しておくれ。

佐吉が佐吉の正義を貫くように、俺にも俺の正義を貫かせておくれ」


「弥九郎の正義…」


「いつも一番後ろからみんなを助けるのが、俺の正義…だから堪忍しておくれ」



そこまでで止まっていた時が突然動き出した。


気づけば行長は目の前にはいない。

行長だけではなく、彼の軍勢を通りすぎていた。


しかし、三成は振り返らない。


彼は彼の正義を貫くために、足を止める訳にはいかないのだ。


気づけば、宇喜多秀家の軍勢も、その行く手を大きくそらし、横槍を入れんと虎視眈々と狙っていた、藤堂高虎と京極高知の軍勢めがけて、突撃していったのである。

なお、藤堂と京極の軍勢は、その一部を大谷吉継に向けて差し出していたが、大部分は松尾山の麓で待機しており、宇喜多や小西の軍勢の出方をうかがっていたのだった。



島左近、小西行長、宇喜多秀家はそれぞれ異なる方向の敵に向かって突撃し、家康に向かっているのは、既に三成の本隊だけとなっていた。


しかし抜けていった軍勢を率いる彼らの想いは、三成の背中を押し、家康へと向かっていく翼となって、彼を助けていたのである。



いよいよだ。


いよいよ、石田三成の正義の槍が、徳川家康に届く…


誰が見ても、そんな風に思われる状況だ。



その時…



家康の軍が動いた。



しかも…こともあろうことか、前進してきたのだ。


それは「貴様の突撃など、恐れるに足りぬ」と言わんばかりに、のんびりとした速度で…



その様子に、三成の中で何かが壊れた。



「どこまでも人をこけにしおって!!許さんぞ!!

皆のもの!敵はすぐ目の前だ!!足を止めるな!一気に蹴散らせ!!」



しかし、それは家康による、三成への挑発だった。


家康は家康で、賭けに出ていたのだ。


三成が挑発に乗ってくるかどうか、ということを…


そしてその賭けは、見事に的中した。


我を忘れ、前だけを真っ直ぐに見ている三成。


その視界には、もはや家康しか写っていない。


その為…



すぐ横に、石餅の旗がはためいていることなど、見えるはずもなく…




「関ヶ原ロス」に陥りそうな筆者でございます。


次回でとうとう三成の決死の突撃は結末を迎えます。


そしていよいよ…秀頼の再登場…


どうぞこれからもよろしくお願いいたします。


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