風雲!関ヶ原の戦い!⑯不器用な男が見せる最期の男気
島津義弘が撤退を始めたことは、石田三成にとっては意外でもあったが、同時に幸運も与えた。
それは、井伊直政、松平忠吉、本多忠勝といった、徳川家康が誇る譜代の武将たちの軍勢が、義弘の追撃につられたことである。
これにより徳川家康が自信を持って配置した魚麟の陣の核と頼んでいた、中段部分がごっそりと抜けおちた。
つまり、細川忠興、加藤嘉明、田中吉政の前線を突破した石田方の軍勢の前には、ぽかりと空間が空き、桃配山の家康の本陣まで遮る軍は一つもなくなったのだ。
まさに絶好の機会が訪れた。
島津の軍が離脱したとはいえ、島左近、小西行長、宇喜多秀家を前面に三成の本隊がそれに追随する形の軍勢は、その勢いが衰えることなどなく、家康の本陣へと一直線に突き進んでいったのだった。
◇◇
「老いて戦の勘が鈍るというのは、怖いものじゃのう。弥八郎」
桃配山の本陣の中、のんびりした口調で、家康は傍らの本多正純に語りかけていた。
霧が晴れ、小高い場所に構えたその場所からは、戦闘の様子がはっきりと見える。
ただし常人であれば、激しく戦っているのは分かっても、どちらが優勢かすら判別出来ないであろう。
しかし徳川家康は、その優れた空間察知力と観察眼によって、その旗印の動く方向を見ただけで、どの軍がどの方向へ動いているのか、といった詳細でさえも把握することが出来た。
そんな家康なので、物見からの報告なくして、島津軍が伊勢街道の方へ流れ、それを井伊直政と松平忠吉の軍が追っていく様子をつぶさに把握できていた。
そして、目にした光景によって、漏らしたのが先ほどの「戦の勘が鈍るのは怖い」という一言であったのだ。
「はて?それはどういう意味でございますかな?」
戦のこととなると、とことん疎い正純には、目の前に繰り広げられている戦況と同様、家康の言っている意味を図りかねていた。
この無知で若い正純と問答したい気分が、家康の心をくすぐる。それは、時間的な余裕がない事を危うく忘れさせるところであった。
家康は不機嫌な表情浮かべて、
「ふん、これだから戦を知らぬ若造は困る。
まあ、よい。
もうすぐ治部がここにくるぞ」
と、問いかけともそうともつかないとも言えるような言葉で、正純を困らせる。
「殿に言わせれば、老いも若きも困り者ばかりでしょう。
…で、いかがなされるのですか?」
他人に聞く前に自分の考えを述べてみろ、と言いたくなる衝動を、ぐっとこらえる家康。
仕方なく彼は正純に対して、顎を突き出すようにして、一つ指示を出した。
「南宮山へ使いを出せ」
「御意にございます」
この短い指示だけで、意図をくみとり、的確な行動を取ることが出来るのが、正純の特長であり、家康が最も寵愛している部分でもある。
正純の即答に溜飲を下げた家康は、少しだけ表情を和らげて、再び戦場に目を凝らす。
「治部のやつめ。ようやく面白い男に化けおったか」
そう漏らした口元は、確かに喜びをたたえていたのだった。
◇◇
さて、桃配山から目をその山麓に広がる平原に戻すことにしよう。
石田三成の軍勢には、「三成には過ぎたるもの」と亡き秀吉が賞賛した将星が、その一翼を担っている。
その将星の名は、島左近清興。
亡き太閤にそこまで言わせた彼であったが、三成のもとで働くことになる前に、その功績があまり知られることはなかった。
しかし元の当主である筒井家を出た後の彼のもとへは、多くの大名が彼を召抱えようと、あの手この手を使って、彼を口説こうと必死だったという。
さしたる実績もない彼に大名たちが執着したその理由。
それはひとえに彼の戦における鬼気迫る姿に、大名たちが惚れたからであった。
ではなぜそんな彼から功績が生まれなかったのだろうか。
その理由は彼の突きぬけるほどの「不器用さ」にあったといっても過言ではないだろう。
すなわち彼は戦以外の多くのことが苦手であり、その言動は常に彼の考えや感情を真っすぐに伝えるものであった。その上、下剋上や成りあがりが上等の戦国の世にあって、どうしようもなく他人との駆け引きが出来なかったのである。
つまり彼のそれまでの人生は、他人に都合よく利用されるだけ利用され、肝心かなめの功績でさえも彼の利用者にかすめ取られていたのだ。
ただ、「不器用」ではあっても、暗愚ではない彼は、そのことに気付いていたのだが、自身が生きる為に、すなわち最低限の碌をはむ為には、例え利用され続ける人生であっても、仕方のないことだ、と半ば諦めていたのであった。
しかしそんな鬱屈とした日々はやがて破たんをきたし、若い彼であったが、とうとう隠居するに至る。
彼は、これ以上利用されるだけの毎日に嫌気がさし、殻に閉じこもる貝のように、屋敷の外に出ることすら少なくなっていったのである。
そんな彼に、みな様々な甘言をもって近づいてきたのだが、その中で一人だけ、真正面きって士官するように、要求してきたのが石田三成であった。
彼の出した条件と要求は、至極単純なもので「自分の知行を半分くれてやるから、片腕となって働いてくれ」というもの。
そしてその要求の仕方も、玄関の前にたち、左近が出てこないと分かれば、部屋のすみずみまで聞こえるほどの大声で彼の要望だけを伝え、すぐに帰っていくという、単純すぎるものであった。
しかし左近にとって、この三成の要請が彼の心に通ずるものがあったのは、彼と三成に共通する何かを見出していたからだったのかもしれない。
それこそ…
突きぬけた不器用さ、であった。
そして左近が感じ取った主人の「不器用さ」は、いざ三成のそばに仕えてみると、彼の想像をはるかにしのぐものであった。
石田三成という男は、どこまでも不器用に、豊臣秀吉の為に尽くし、自分の信じる正義と忠義の為に生きていた。
そしてそのことによって秀吉から利用されることも苦にせず、他人とぶつかることもいとわなかったのだ。
その気持ちいいくらいな「不器用さ」に、左近が心酔するのにそう時間はかからなかった。
そして彼に自覚はなかったが、三成と同じくらいに「不器用」な彼は、三成の為に生き、三成の為に死のうと、周囲をかえりみずに、必死に働き続けたのである。
そんな左近の働きを、三成に利用する「器用さ」などない。
すなわち左近の働きはそのまま彼の功績となって、ついには「三成に過ぎたるもの」と称されるくらいに天下にその名が知られるまでになったのだ。
だから島左近は幸せであった。
もっともそれは、彼の実力が世の中に正しく認められたからではない。
それは「この人の為に死のう」と思える人に出会うことができた喜び、そしてその人の為に寝食を忘れるほどに働けること…そこからくる幸福感だったのである。
そんな三成が、この関ヶ原の地において、初めて左近を利用しようとしている。
「憎き内府との大喧嘩に勝つ為に、俺に命を預けてくれ」
どんなに成長を遂げたとしても、人間、根っこの部分は全く変わらないことを示すかのように、どこまでも不器用な言葉で、左近を利用しようとしていたのである。
無論、左近は迷うことはなかった。
彼は喜び勇んで、三成に利用されようと、その指示に従ったのである。
不器用な男が最後に見せる、感謝の気持ち。
不器用だからゆえに、「今までお世話になりました」と口に出してなど言えるわけがない。
三成の為に働く…その姿でしか、彼にはその気持ちを表現する術を知らなかった。
そしてそれが、この後に神がかった奮戦となって表れるのである。
三成の軍勢が笹尾山の山麓を通過しようとしたその時、彼の左手に見える軍勢が、猛烈な勢いで突撃してくるのが目に入った。
白餅の旗印…
それは、黒田長政の軍勢であることを表していた。
「やはりそうきたか…」
おそらく長政は、三成が平原に入ってきたところに、その横腹に突撃するつもりであろう。
そして三成の勢いが完全に止まったところで、態勢を立て直した、細川忠興らの軍勢が、背後から襲いかかってくることを見越していると思われる。
無論、三成が陣形を蜂矢に変えた後に、長政と忠興らが打ち合わせたわけではない。
しかし長政は、父親ゆずりの柔軟な思考と先を見通す慧眼をもって、三成の軍勢の殲滅方法を「器用」にはじき出していたのである。
ただ、そこには一皮むけた石田三成の思考までを考慮してはいない作戦であった。
というのも、従来の三成であれば、この「想定外」とも思える長政の動きに対して、歯ぎしりをするばかりで、不器用に突撃を止めずに、そのまま長政の思惑通りに事は進んでいたであろう。
しかし今の彼は違った。
「相変わらず手際が良いことだ、吉兵衛」
そう余裕とも思えるようにつぶやくと、自軍の左手の方に視線を移した。
それに呼応するかのように、一団となっていた左翼の軍勢が、切り離されて大きく左にその舵をきったのだ。
いわんや、島左近の軍勢である。
そして、三成が笹尾山からの突撃の寸前に使いを出したのは、左近宛てだったのだ。
「白餅の軍に突撃の気配があれば、それを食い止めよ」
その単純な命に従って、島左近は丸山を下って勢いを増す長政の軍勢と正面でぶつかるべく、軍の突撃の足を緩めてその向かう方向を大きく変えた。
どこまでも不器用な島左近は、その兵力が圧倒的に不利であったとしても、変幻自在な策など持ち合わせていない。
ちなみに杭瀬川での奇襲は、不器用なりに彼が考えた作戦を、明石全登が現実的なものに落とし込んだがゆえに成功したものだったのだ。
よって、彼だけで奇襲作戦を取ることなど毛頭考えていない。
正面からぶつかる。
ただそれだけであった。
しかし、山を一直線にくだってきた大軍と、突撃の方向を急に変え足を止めた寡兵…
普通に考えれば足止めなど出来る訳がない。
ただし、それは凡庸な将が率いていたのであれば…の話だ。
巨大な槍を手にして、軍勢の先頭に躍り出る左近。
そして、この将は「非凡」かつ「不器用」。
彼は近づく黒田軍の足音を聞きながら、その足を止めて深呼吸をする。
左近の兵たちも、そんな大将に合わせるように、走り通しだった足を休めて、呼吸を整えた。
そして黒田の兵たちの息遣いまでもが、聞こえてきそうなそんな距離まで近づいた時だった。
グッと正面を睨んだ左近は、大きく吸った息を、ぎりぎりまで腹にためる。
そして両足を地面にめりこませる程に踏みしめ、腹にありったけの力をこめた。
迎撃する為の鉄砲もなければ弓もない。
あるのは己の体と槍のみ。
彼はその大きな胸板を目いっぱい前に張り出し、歯を食いしばった。
目に見えない熱い気迫が彼の全身の毛を逆立たせ、顔を紅潮させる。
そして…
全ての「力」と「想い」を込めて、腹に溜めこんだ熱い空気を気管へと流し込ませた。
放たれた空気は、彼の太い気管を通る間に、燃え盛る炎のような魂をまとい、巨大なな塊となって、喉を震わせる。
そしてついに、食いしばった歯を突き破るように、彼の体外へと解き放たれた。
「かかれぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
その声を表現するなら、雷鳴とするのが最も適しているだろうか。
否、それでも生ぬるいと思われる程の、大音量と、空気を震撼させる衝撃波だ。
そこには音の次元を超越した、凄まじい衝撃となって前方の黒田の兵たちの、鼓膜と心臓を震わせた。
あまりの恐怖に最前線の兵たちはその足が鈍り、中には尻もちをつく者まで出てくる。
それほどまでに、左近の乾坤一擲の号令は、絶大な威力を発揮し、黒田の突撃を完封した。
さらにその号令を彼の背中でから聞いていた、左近の兵たちにとっては、黒田の兵たちとは全く逆の意味で心を震わせた。
すなわち爆発的な突撃力となったのである。
左近の突きぬけた不器用さは、相手を完膚無きまで恐怖に落とし、味方の突撃に大きな翼を与えた。
一気に押し込まれる黒田の軍勢。
その最前線で槍を振り回す鬼神のごとき左近の背中からは、三成への「感謝」の気持ちが浮かび上がっていた。
これが不器用な男が最期に見せた、不器用な感謝の礼。
その礼は、矢を受け、銃弾を浴びても、倒れることなく続けられた。
ついに彼の体からその命の灯が消えた時、黒田の軍勢は、はるか丸山の山麓まで戻され、この後、関ヶ原の戦場に戻ることを許さなかった。
島左近清興――
不器用な男が見せた、最期の男気は、その後黒田の兵たちの心に深い傷を負わせ、その生涯に渡って、恐怖の耳鳴りとなって残ったという…
そしてその散り際に残したのは、不器用な感謝の言葉…
「冶部殿と出会えたこと…この身にはもったいなき、ありがたき事かな…」
史実とは異なる左近が残した「素直な心情」は、主君三成への憧れから生まれたもの。
そう、彼もまた三成とともに成長していたのであった。