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風雲!関ヶ原の戦い!⑮島津の退き口(後編)

撤退を決めた義弘の行動は素早かった。


「五本鑓共!少しの間だけ、左を抑えやがれ!!」


「おう!任せておけ!!」


義弘の号令とともに、小返しの五本鑓の五人が、島津軍の左から攻め立てる松平忠吉の軍に斬り込んでいくと、瞬間的ではあるが、島津軍に態勢を立て直す余裕が生まれた。

その余裕を義弘は最大限生かす。


「一同!!横に並べ!!」


突撃の陣形から横一戦に並ぶ島津軍。

その前方では島津豊久が、


「これ以上近寄らせてたまるか!」


と、数名のお供とともに、島津軍に迫ろうとしている井伊直政の軍を抑えている。


既に半分以下になってしまっている島津軍であったが、その規律は保たれており、素早く陣形を横に並べると、義弘は続けて号令をかけた。


「弾をこめろ!!!」


手際良く火薬と鉛の弾を銃口からつめる島津の兵たち。

その表情は絶望の淵にあっても、精悍さを感じさせる引き締まったものばかりだ。


そして…弾がつめ終わる頃合いくらいであれば、義弘にとことん鍛えられた豊久にしてみれば、背を向けていても測れるようだ。

彼とお供は素早く井伊隊から離れると、横に並んだ島津軍の背後に回り込み、義弘の横に立った。

それを確認して小さく頷く義弘。その次の瞬間…


「うてぇぇぇい!!!」


一斉に放たれる銃弾。もろにそれを受けた井伊隊の最前列の兵たちがバタバタと崩れ落ちていく。

しかし島津軍はそれに終わらなかった。


「続けて二段目!!うてい!!」


最初に弾を撃ち終えた兵が、まだ撃っていない兵と前後の位置を入れ替えたかと思うと、すぐにまた発砲音が響いた。たまらず井伊隊の前線部隊は半歩あとずさる。

もう一段撃ってきたら、今度は自分が犠牲になるかもしれないという心理が、本能的に足をすくませてしまったのである。

しかしそれこそが義弘の狙いであった。


「よし!今だ!!一同!!陣を立て直し、一気に進め!!五本鑓!お前らも急ぎ陣に入り、前線に立て!!」


再度陣を突撃の形に変えようとする義弘。


「させるかぁぁぁ!!!」


そこに井伊直政が、それを阻止せんと彼の直属の精鋭を引きつれて、足のすくんだ前線の兵を馬で押しのけて、島津軍に雷のごとく突撃してきた。

しかし騎馬での突進は、機動力と引き換えに鉄砲の格好の的になる為、もはやご法度に近く、この時代になると馬を下りて突撃するのが主流になっていたのだ。

ただ、そんな懸念に構っている余裕など、直政にはなかった。

とにかく義弘を逃がさない、その一心だったのである。


ドン!!!


そこに一発の銃声が鳴り響くと、馬上の直政がドウと落馬した。

こんなこともあろうかと、義弘は最後の数名のみ「三段目」を用意させておいた。

そして格好の「的」めがけて発砲させると、見事にそれは、直政の肩口に命中したのだ。

馬を狙うのが上策とされる世にあって、人間を狙って命中させるあたりに島津の鉄砲の巧みさがうかがいしれよう。


ともあれ、絶対的な大将である直政の負傷は、井伊軍を混乱におとしめるには十分であった。

彼の周囲に兵は集まり、島津軍への攻撃は完全に止まってしまっている。


「…ぐっ…追え…俺に構わず追うんだ…なんとしても義弘を討ち取れ…これは殿からの命である…」


負傷した肩を抑え、苦痛に表情を歪めながらも直政は懸命に指示を出す。

「負傷した直政様をそのままにしてはおけませぬ」と、最初は戸惑っていた兵たちであったが、直政の鬼気迫る命令に、渋々島津軍へ進撃を再開したのだった。


そこに五本鑓に足止めされていた松平忠吉の軍も追いつく。


「お父上!!大丈夫ですか!!?」


律儀な忠吉は、即座に直政のもとへと駆け寄ると、心配そうにその顔をのぞきこんだ。


「俺のことに構うな…義弘を…やつを亡きものにせよ…」


「おのれ!島津め!この忠吉の手によって、殲滅してくれようぞ!」


この気持ちは忠吉ならずとも、直政の軍においては全員同じだったようで、撤退を始めた島津義弘の軍を執拗に追い始めた。


伊勢街道に入り、逃げ足をさらに早める島津軍。しかし松平、井伊の軍も負けじと追いかけてくる。


笹尾山の逆落としからすでに半刻以上たっている。

その上、ただでさえ重い甲冑を着て、さらに鉄砲を背負い、全力疾走で逃げているのだ。

しかしこの鉄砲はいざという時に、主人を守り、敵を威嚇することが可能だ。

多少行軍速度が落ちてしまっても、みな絶対に手放すことはなかった。


それはまるで、島津の魂かのように…


しかし皆、もはや肉体の限界をはるかに超えていた。


その上、追われる立場というのは精神的な負担も大きい。


そしてついに、五人ほど落伍者が現れた。

彼らは、その場で鉄砲を下ろすと、座り込んでしまったのだ。


そんな彼らに対して、


「諦めるな!!島津の意地をここでみせずして、いつ見せるんだ!!」


と、義弘は大声で励ます。

しかし彼らは座り込んだまま動けずに、


「必ず追いつきます…ですから先に…」


と、笑顔を浮かべて、義弘に答えた。


さも少し休んだらすぐに走り出すことを約束するかのように…


しかし井伊と松平の軍はすぐ後ろに迫っており、休んでいる暇などないだろう。

ただ、笑顔を浮かべたその瞳に、諦めの色は見られない。


これが意味すること…すなわち玉砕…


それを悟った義弘は、涙をこらえて彼らを追い越していく。


そのすれ違いの瞬間、


「お世話になりもうした」


と、座り込んだ兵は義弘に頭を下げたのだった。



こうして最後尾の義弘が通り過ぎると、ほんの一瞬だけ、座っている兵たちは静寂に包まれる。


それは、彼らに与えられた最期の自由な時。


みな一様に胸のうちに、遠い故郷においていった家族を浮かべていた。


しかしその瞳に涙は浮かべない。


それは守るべきものを守り抜く決意が、感傷に浸ることを許さないからだ。


つかの間の静寂の後は、絶望を告げる無数の足音が迫ってくる。

既に気持ちを切り替えた彼らの中から、誰ともなく、聞きなれた号令をかけた。


「うてい!!」


島津の魂が、鉛の弾に乗り移り、井伊と松平の兵を押しとどめる。


そう、彼らは休むために座り込んだわけではなかった。

敵を狙い撃つために、射撃の態勢をとったのである。

そして次の瞬間には、腰に差した刀を抜き、敵陣へと斬り込んでいった。


全ては島津義弘を逃すために、彼らはその命をもって、足止めに残ったのだった。


これぞ、後世に語り継がれる「坐禅陣」…別名「すてがまり」。

島津しか出来ないと言われた究極の撤退法であった。


この後も自らの意志で、「座り込む」兵たちが続出していく。


その度に、少しずつ島津軍と井伊、松平軍の距離は離れていくのだった。



これなら逃げ切れる。

そう誰もが思っていた。

すでに残りの兵は200ほどしかいないだろう。

多くの犠牲を出しながらも、大将である義弘が無傷であることを、この場にいる全員が誇りに感じていたが、それと同時に玉砕していった仲間たちのことを思うと、胸が締め付けられるように苦しくもあった。


既に桃配山は左手後方にあり、まもなく南宮山の麓に着く。辺りの霧は嘘のように消え、島津軍の行く先は誰の目にもはっきり見えていた。


そんな時だった…


運命は彼らに最大の試練を与える事になろうとは、誰しも頭の片隅にも入っていなかったであろう。


なんと、彼らの前方で大軍が待ち受けていたのだ。


もちろん敵である徳川方の軍…


その旗印は、立葵…


この時の徳川家康の最強の軍団を挙げよと言われれば、井伊の赤備えとこの軍を挙げる人が多いであろう。



愛槍「蜻蛉切」を片手に、馬に乗って、島津軍を待ち構えるその姿はまさに天下無双の勇士。


その名も、本多平八郎忠勝…その人であった。


「逃亡とは推参なり…維新…成敗してくれる…」


大軍を先頭で率いているその姿は、神々しさをも感じさせる。

しかし今の島津軍に、その姿に畏怖を感じて足をすくませている暇などない。


二人の若い将が忠勝向けて駆け出す。

言わずもがな、島津豊久と山田有栄の二人だ。


その様子を見て後方の義弘は、危機的な状況にも関わらず、口元を緩めてつぶやいた。


「歳は取りたくないものだのう、平八郎殿。大将自ら、先頭きって馬上で名乗りをあげるなんざ、時代遅れも甚だしい」


それはまさに義弘の嘆いた通りであった。

もはや戦力の中心の一つが、火力兵器・鉄砲であるこの時代において、忠勝の今の姿は「撃ってください」とさらしているにも等しい。

井伊直政と同じ過ちを、忠勝も犯していたのだ。


無論それを見逃すほど、若い二人は甘くはなかった。


有栄は足を止め、背中の銃を取り出すと、小さな包みを素早く銃口からつめる。

これは火薬と鉛弾が一緒に包まれたもので、別々に銃にこめる手間を省くものだ。


有栄が鉄砲を用意している間に、豊久は槍を前に出すことで、忠勝をけん制し始めた。

豊久の影となり、有栄の姿が忠勝からは確認出来ないようだ。

さらに豊久の槍は巧みに彼の馬を足止めし、忠勝の動きを封じていた。


そして…


ドン!


と、一発の銃声がこだましたかと思うと、豊久の直垂をかすめて、忠勝の乗っていた馬に命中した。


「ぐっ…こしゃくな…」


馬が激痛とその音に驚きいななくと、忠勝は馬から落ちていく。

そこにとどめを刺さんと、豊久は槍を彼に繰り出したが、さすがは天下にその名を轟かせる本多忠勝である、馬から転げ落ちながらも必死に手にした槍をふるい、豊久に攻撃の隙を与えさせない。


…と、その時であった。


忠勝の前に立つ有栄と豊久の横を無数の鉄砲弾が、流星の如く通り過ぎていく。

その島津の射撃術の結晶とも言える一斉射撃が、忠勝の背後で様子をうかがっていた軍勢に、次々と命中し、その出足をくじいた。


忠勝は尻もちをつき、その軍勢は足止めされている。

となると、すべきことはただ一つ…


「一同!隊列を戻せ!一気に抜けるぞ!!」


忠勝軍への射撃の為に横に並んでいた陣が、再び突撃の形を取る。

最前線には、豊久と有栄をそのまま残し、左右の備えには五本鑓の面々が担った。


有栄が夢見てきた、豊久と並んでの敵陣突撃。

まさかこのような場所で叶うことになろうとは…


有栄は刀を手に敵の前に立ち、それを援護する形で豊久が槍をふるう。


二人の息の合った攻撃と、そんな彼らを助ける島津の兵たちによって、忠勝の軍を徐々に切り込んでいく。


命のやり取りをしている最中にも関わらず、有栄は味わったことのない幸福感に包まれており、思わず表情が緩んでしまうのを抑えられないでいた。


薩摩の森を二人で駆け巡った幼い頃に、気持ちも体も戻ったような感覚になる。


背後にいる豊久はあの頃のように、眩しすぎるほどに輝いているだろうか。

自分のことを優しく見守るような目で見てくれているだろうか。


敵と斬り合っているにも関わらず、振返って確認したい衝動に駆られるが、それを制するように


「有栄!もう少しだ!頑張れ!」


と、背後から豊久が励ましてくる。有栄はその声に応えたい一心で、必死に剣をふり、足を一歩一歩前に出し続けた。



そして、ついに、抜けた。



その刹那にあがる島津の兵たちの声。

もちろん忠勝の軍を切り抜けたことを目的とした戦いではないことは、全員が理解している。その証拠に前に進むことは止めずに、みな足を動かしている。

しかし、一つの山場を越えた喜びが自然と声となって出てきてしまうのは、人間の本能のようなものなのかもしれない。


そんな声に包まれながら、有栄は、今なら後ろを振り返る事が許されているような気がしてならなかった。


そして彼は振返った。


しかしその彼の目にうつった光景に、彼は目を疑った…

時が止まったかのように、周囲の光景が全て止まって見える。

喜びに満ちた彼の心は、まるで彼の知らない北国の吹雪にさらされたように、凍りついた。


その光景とは…



島津豊久が、その場で静かに座っていた。



その瞳は、有栄を優しく見守り、有栄には眩しすぎるほどに美しい微笑みを携えている。

楽しかったあの頃と何も変わらない。



なのに…涙がこれ以上、豊久を見るな、とでも言うかのように、有栄の視界を塞ぐ。


有栄の足が止まった。

わずか三歩だけ先にいる豊久であったが、有栄にはその距離は、遥か彼方ほどに遠く感じる。


そんな有栄の様子を見て、どこまでも穏やかに豊久が話しかける。


「有栄…足を止めるでない。早く進むのだ」


「どうして…どうしてそんなところで座っておるのだ…?」


有栄の問いかけに、豊久は言葉で答えない。

そんな豊久に対する有栄の口調が徐々に激しくなる。


「夢は…夢はどうするのだ…?子を作り、俺と一緒に島津を支える、その夢はどうなさるのだ!?」


「すまぬ」


「俺たちは義兄弟なんだろ…?死ぬ時は一緒なのではないのか!?」


「すまぬ」


「すまぬ、すまぬでは何も分からぬ!!答えてくれ!」


有栄が一歩つめよろうとしたその時だった。

太い腕が彼の首を巻きつけ、そのまま引きずるように彼と豊久の間を引き裂いた。


「有栄!!進め!前に進むのだ!!」


「何者だ!?離せ!!やめろ!!俺も、俺も…!!がああああ!!」


狂ったようにその腕の中でもがく有栄。

しかしその腕の持ち主の鉄の意志を示すかのように、有栄の動きを完全に封じていた。

その為、彼も足を前へと動かさずにはいられない。


一歩、二歩と有栄と豊久の距離が離れていく。

目に見えない有栄の手が豊久の心を懸命に掴んでいるが、それももはや離れそうだ。


指が一本一本はがれるように、彼らの心の距離が空いていく。


そしてそれが完全に離れたとき…

有栄は心の底から叫んだ。


一度は呼んでみたかった、その呼び名で…



「あにき!!!!!」



その声に、一瞬豊久の顔が驚きに歪んだ。

しかしそれも束の間、すぐに元の穏やかな表情に戻した豊久は、背中の鉄砲を取りだし、女性を思わせる細い指で、器用に火薬と弾をつめると、その銃口を迫りくる徳川の大軍に向けた。


「おとうとよ…不肖の兄を許せ…」



◇◇

島津の退き口――


この壮絶な撤退戦は、島津義弘と生き残ったわずか数十人の薩摩隼人たちの伝説となり、後世に語り継がれることになったのは、史実と同様である。

そして、そこには確かに犠牲になった多くの島津兵たちがあり、彼らの忠義に殉じた玉砕攻撃があったからこそ成立したと言えよう。


そんな彼らにも夢があり、故郷に残してきた家族があったはずだ。


それらの想いを、遠い薩摩の地まで運んでいっていくことを請け負うかのように、関ヶ原の地には穏やかな秋風が、倒れた彼らを優しくなでていたのであった。




この島津の退き口と、山田有栄の涙は、この後の「主人公である秀頼」と、豊臣七星の一人である加藤清正に大きな影響を与えることにつながります…


しかしここではそのことよりも、この撤退戦において倒れた島津隼人たちに贈る物語といたしました。


また、この物語の中心人物の一人でございます、山田有栄は、とある読者様からのリクエストによって登場し、拙作の中で躍動いただいた人物にございます。

あらためて、リクエストいただいたことに感謝するとともに、今後も読者様からのリクエストをお待ち申し上げております。


なお、主人公不在で物語が進んでいる点について、あらためて謝罪差し上げるとともに、今しばらく関ヶ原の合戦模様が続くことをお許しください。


最後に、多くの励ましのご感想を頂戴し、誠にありがとうございます。

執筆の力となっております。


今後も何卒よろしくお願い申し上げます。



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