風雲!関ヶ原の戦い!⑭島津の退き口(前編)
◇◇
関ヶ原の戦いが勃発したその年――
山田有栄、二十二歳。
島津豊久、三十〇歳。
その十年以上も前のことである。
身分や年齢の違いはあれ、この二人は幼い頃、常に一緒に野山を駆け巡っていた。
その様子は「親友同士」と一言で片づけてしまうにはあまりにも軽すぎ、さながら兄弟のようで、血こそ繋がっていないが、そこに共通する「絆」は血よりも濃いと、若い二人は自負していた。
しかしそんな彼らを容赦なく引き裂く戦国の世は、まさに無情そのものだ。
それは、豊臣秀吉の九州征伐が成し遂げられた時、有栄は豊臣秀長のもとへ人質として出され、島津家を出ることとなったのである。
そして有栄が城を離れる前夜のこと。
こっそりと城を抜け出した二人は、城から少し離れた小高い丘の上で、最後の語らいにふけっていた。
語らいといっても何のことはない。
あの鹿の角は大きかっただとか、いたずらして義弘に雷を落とされた時のこととか…
いわば他愛もない世間話であった。
しかし彼らにとってみれば、それはまるで高価な茶器のような輝いた時間だった。
美少年と周囲がもてはやすほどに美しい豊久の顔は、月に照らされると神秘的にも感じられる。
そんな彼が小悪魔のような笑顔を浮かべると、酒をヒョイと取り出した。
「お、おい!?それをどこから持ってきた!?」
驚く有栄をしりめに、豊久は引き続き二枚の盃を目の前に出す。
「まあ、最後の夜くらい堅いことを申すな」
そう笑い飛ばすと、豊久は少しだけ盃に酒を注いで、有栄に渡した。
そしてその場で立ち上がると、
「これは義兄弟がかわす盃だ。
俺たちは離れていても心は一つ!
島津のお家の為に!」
と、高らかと宣言した。
「お…俺が、豊久様と義兄弟…?」
突然のことに事態を呑み込めないでいる有栄に対して、
「俺と義兄弟の契りをかわすのは嫌か?」
と、口を尖らせて聞いてくる豊久。
もちろん嫌な訳がない。
しかし主家の血筋である豊久と義兄弟の盃をかわすなど、有栄には恐れ多くて、躊躇してしまったのだ。
そんな有栄に笑顔向ける豊久は、
「俺はお前と義兄弟の盃をかわしたい。それが出来るのも、今宵が最後の機会だ。
さあ、お前が嫌でないのなら、その盃を手に取っておくれ」
と、半ば強引に有栄の片手に盃を押し込んだ。
その夜、有栄の頬を赤く染めたのは、生まれて初めてあおった酒のせいだったのか、豊久と義兄弟の盃をかわしたことによる喜びからなのか、本人にも知るところではなかった。
それから十年以上の時がたった。
あれから顔を合わせる機会すら失っていた二人であったが、その絆は失うことはなく、この関ヶ原の合戦を前にしてようやく二人で、今度は堂々と酒をかわす機会が訪れたのである。
二人で長々と語り合ったのは言うまでもあるまい。
もう三十路を迎えた豊久であったが、美少年だった面影そのままに、美しい顔立ちをしている。
その豊久が最後に語ったのは、彼の「夢」の話であった。
それはこの大戦後に天下泰平が叶えられたその暁には、彼は子を作り、有栄とともに島津家を支えたいという、平凡とも言えるようなものだった。
しかしそこには、愛する家族と、心から信頼する友に囲まれながら幸せに暮らしたいという、平和への祈りがこもっていたのである。
「豊久様なら絶対に大丈夫です。その夢を必ず叶えましょう」
特に何も考えずに豊久に同調した有栄。その表情に暗いものはなく、心の底から相手の幸せを願う透き通った笑顔だ。
そんな彼に豊久も笑顔で返した。
「そうだな!お前も近くにいることだし、夢が叶うのも、そう遠くはあるまい」
しかしこんな当たり前とも言える平凡な「夢」すら、残酷な戦国の世は叶える事を許さないのであろうか…
彼らの前に戦況は容赦なく最悪とも言える試練を与えてきたのである。
◇◇
徳川の軍団の中でも一二を争うほどの強さを誇る井伊の赤備え。
その強さは島津義弘の想像をはるかに超えるものであった。笹尾山で見せた破竹の勢いは完全に殺され、足を止めて乱戦となる時間も増えてきた。
しかし義弘の気迫はますます充実し、その声は疲れをしらない。
「鬼島津と呼ばれしゆえん!ここに見せつけてやるわ!みなども!足を止めるな!!」
豊久の正面と有栄の右は長槍で敵を牽制し、左備えは兵を入れ替えながら、鉄砲玉を浴びせ続ける。
そんな風にしながら敵を寄せ付けないように島津の軍団は奮戦し、少しずつ南下していく。
桃配山が徐々に大きくなってきた。
あの麓には徳川家康の本隊が構えているはずだ。
自然と義弘の口元が緩む。
「野郎ども!!負けるんじゃねえぞ!大将まではあと少しだ!!」
「殿にこれ以上近づけさせぬ!赤備えの誇りにかけて島津の田舎侍を止めよ!!」
井伊軍も負けていない。
長槍や鉄砲を恐れることなく突撃を繰り返し、島津軍を怯ませる。
しかしやはり戦のこととなると、義弘は唯一無二と言ってもよい存在。
超攻撃的な陣形にも関わらず、巧みに直政の突撃をいなすと、締めるところは締めて、一歩二歩と前に進んでくる。井伊直政はそれに合わせて後退を余儀なくされた。
義弘の目に、桃配山の木々が少しずつ少しずつ明らかになっていく。
このまま勢いで押し切れる。
そう義弘が確信した、その時であった。
なんと、突如として左手から鉄砲による爆音がこだましたのだ。
同時に左備えの兵たちが倒れ込んでいく。
陣形は崩れ、その隙をついた井伊直政軍が息を吹き返したかのように押し込んできた。
近づいてきた桃配山が遠のく。
「なんだ!?何事だ!!?」
これにはさすがの義弘も面を食らったようだ。
即座に左手に視線を移すと、井伊隊とは異なる軍勢が土煙を巻き上げながら突撃してくるのがはっきりと目に入り、先頭切っているきらびやかな兜をかぶった青年と目が合った。
その青年の眼光は鋭く、振舞い鮮やかで、誰が見ても一目でひとかどの者と分かる。
そして彼は高らかと名乗りをあげたのだ。
「われは松平下野守忠吉である!!義父の加勢に参上した!島津維新!!覚悟!!」
松平忠吉――徳川家康の四男にして、井伊直政の娘婿で器量抜群の美男子として知られたその人であった。
「ぐぬぬ…」
義弘が左右に目を配るのを怠るほどに、井伊直政軍との争いは熾烈を極まっていたのだろう。
この状況に「鬼島津」と称された義弘だが、うめき声しかでなかった。
そうしている間にも前から井伊、左から忠吉の軍勢の猛攻を受け、一人また一人と自軍の兵は姿を消していく。
「かくなる上は…ここで討ち死にしかあるまい…せめてあの親子は道連れにしてくれるよう」
そう悲壮な決意を固め、全軍にその意志を伝えようとしたその時であった。
なんと、桃配山に向かっていた島津軍の進軍方向が、義弘の指示なしに、右手の方へそれ出したのだ。
それは左手からの松平忠吉の軍に押されているような、ジリジリとしたものではなく、完全に「意図」を持って舵がきられている。
素早く異変を感じた義弘は、
「誰だ!!?大将である俺を差し置いて、勝手に軍を指揮しているやつは!!?」
と、大声で怒声を張り上げている。
その声に答えるように、最前線から声が響いた。
「殿は島津家にとってなくてはならぬ存在!!殿を死なせてはならぬ!!撤退開始だ!」
さらにそれに呼応する別の声。
「皆の者!!ここを切りぬけるぞ!!なんとしても殿を守り抜くのだ!!それが島津家当主、島津義久様…いや!島津忠恒様のご意志である!!」
義弘の耳にも響く若い二人の声。
それが誰なのか、その姿など見えなくても容易に心に浮かぶ。
先に声をあげたのが、島津豊久。後に声をあげたのは、山田有栄…
若い二人が、老骨の自分を守ろうと必死に軍を動かそうとしている、その健気さに鬼と呼ばれた義弘の目にも、涙が自然と浮かんできた。
しかしここで二人に対する情にほどされて、敵前逃亡したのでは、自分の沽券にかかわる問題である。
すぐさま義弘は、
「ええい!若造が何をぬかすか!!ここで退いては島津の名折れ!」
と、さながら喧嘩しているかのような挑発的な声で自分の意志を通そうとする。
しかし相手が「鬼」であっても、若い二人は全く退かない。
「たとえこの場で名が折れようとも、生きて帰れば必ず挽回の機会はございます!」
「若い忠恒様には父である義弘様の助けが必要!島津家の為!強いては九州の民の為!たとえ汚名を着せられることとなろうとも、ここは撤退すべきです!」
「今」ではなく、「未来」を考えよと一喝され、自分のことではなく家や領民の事を考えよと諭された義弘。彼の心にその声は鋭い槍のように突き刺さった。
幼い頃からやんちゃ坊主だった二人を叱りつけていた頃が思い出され、立派に育ったその声に、戦場の中ではあるが、胸に期するものがこみ上げてくる。
義弘は既に嗚咽を抑えられないでいた。
無念…
敗北…
逃亡…
屈辱…
様々な「負」の単語が黒い雲となって彼の頭を覆い尽くしていたが、絶望的な状況にあっても光を見出すことしか考えない若い二人の言葉が、そんな雲を払いのけていく。
未来…
挽回…
希望…
平和…
若い二人の真摯な説得は、義弘の心の中に光を差し込ませたのだ。
こうして史実を歪めた三成の「真心」は、二人の青年の「真心」によって、再び史実へと揺り戻していく。
島津義弘に迷いはなくなった。しかし頭では理解できても、彼の武人としての誇りはなかなか思い通りにいかないものである。彼は屈辱に震える声で全軍に告げた。
「全軍…我が軍は撤退を開始する…みな…絶対に生きよ!!」
しかしここで明確にしておかねばならないのは、義弘がその誇りを犠牲にしてまでも、撤退を決意したのは、自分が死にたくないという生存欲求からではない。
「頑固な人間」と自他ともに認めるこの島津義弘の心を大きく動かした若い力を、自分とともに戦場の華とするには惜しすぎる、そう考えたのだ。
しかし、そのうちの一人には、彼のそんな痛切な想いを、例え口に出されたとしても伝わらなかっただろう…
撤退を義弘が決意したと同時に、その男はとある覚悟を決めていたのである。
それは…
義弘を逃がす為に命を捨てる…
そんな悲しくも、強い覚悟であった。
この有名な「島津の退き口」も言わば三成の突撃の一環としてとらえていただければ…と都合よく思っております。
次回はこの続きになります。
これからもよろしくお願いいたします。