風雲!関ヶ原の戦い!⑫鋒矢の陣 ※挿絵あり
◇◇
徳川家康に「人生において最も恐怖を感じた出来事を一つだけ挙げよ」と問いかければ、彼はとある合戦を即答で挙げるであろう。
それは三方ヶ原の合戦である。
言わずと知れた、武田信玄との大一番だ。
その戦によって、彼の慎重過ぎるとも言える性格が形成されたと言っても過言ではないほどまでに、若かった彼の自信の源を根底からくじき、恐怖のどん底へと突き落としたのである。
それまでの彼はどちらかと言えば慎重さを欠き、勢いで物事を進めてしまうきらいがあった。
しかしこの戦の後は、何事も先の先まで見通し、周囲の助言に耳を傾けた上で進めていくようになったのである。
そんな彼の苦い思い出とも言える三方ヶ原の合戦において、当時の彼が敷いた陣形が、鶴翼の陣であった。
鶴翼の陣とは、まさしく鶴が大きく羽を広げたときのように兵を配置する陣形だ。
古くは諸葛孔明が用いたとされるその陣形は、中央が大きく開き、大将の本隊の前は空いている。
そこに敵が突っ込んできたところを見計らって、左右に開いた翼が敵を包囲するように包み込むという作戦を取る。
家康が三方ヶ原の戦いでこの陣を用いたのは、信玄の攻め口が一つしかないと睨み、左右の山あいに軍を潜ませて、家康の本陣に突撃してきたところを、包み込むようにして殲滅するという作戦を取った為であった。
一方の武田信玄は魚鱗の陣を敷いていた。
この陣形は、中央突破を狙う攻撃的な陣だが、小さくまとまった陣の為に、包囲されると弱い。
しかし武田の騎馬隊の攻撃力と機動力を引きだしつつも、大将を守る守備力をかねそろえたこの時には最適な陣と言えた。
無論この陣形であれば、家康の思惑通りに中央突破を狙ってくるだろう。
そう踏んでいた。
十分に引きつけたところで、左右から包囲すれば、さすがの武田の騎馬隊もその機動力を失い、混乱に陥るはずだ…と。
しかし信玄はそんな家康の思惑など、当たり前のように看破していた。
なんと中央から突破すると見せかけて、家康の右翼から攻め立てたのである。
焦った家康は攻撃されている右翼の救援に向かうために、戦場の「虎口」となっていた地点を通り抜けようとする。
そしてその動きさえも信玄は読んでいた。
家康が「虎口」に差し掛かったその時、魚鱗の陣はその牙をむいた。
戦国時代最強の騎馬隊とうたわれた、武田の騎馬隊の突撃による蹂躙は、家康の軍勢だけではなく、彼の心も完全に破壊したのであった。
やられたことをいつかやり返してやりたい…
忍耐強い彼ではあるが、そう強く思わせたのだから、いかに彼にとって忌まわしい記憶となって深く刻まれたのかは言うまでもないであろう。
しかし武田信玄は死に、因縁となっていた武田家そのものは苦労することなく、瓦解の一途をたどった。
つまり彼がやられたことをやり返す機会を完全に失ってしまったのである。
そして時は流れ、この大一番を迎えた。
家康にとってそれは、時を超えてやられたことをやり返す絶好の機会になったのだ。
相手は信玄とは戦において二枚も三枚も下とも言える石田三成ではあったが、それは仕方のないことだ。
なぜなら彼は残り短い生涯において、ここを逃しては彼の悲願を達成することは出来ないと考えていたからである。
そして家康の思惑通り三成は鶴翼の陣を敷いた。もちろんそれに対して、家康はかつての信玄が敷いたのと同じように、魚鱗の陣を敷く。
そして戦開始とともに、翼の一つを攻略し始める。
無論、小早川と大谷の軍のことだ。
まさに彼の思い描いていた通りの展開であった。
未だ霧は濃く、小高い桃配山の上からであっても、戦況を見渡す事は出来ない。
しかし彼は確信していた。
この後石田三成は動いてくるであろう。
かつての自分がそうであったように…と。
そしてそこを完膚なきまで叩きのめす。
それこそ彼が過去の恐怖体験の呪縛から解き放たれる、唯一の方法であろうと、信じてやまなかった。
しかし彼はここにきて重大な過ちをおかしていた事に気づいていなかった。
それはかつての徳川家康と今の石田三成は全く異なる人間であるということを、完全に見落としていたのである。
すなわちかつての家康のような「勢い任せ」など、三成は絶対に採用しない。
三成は何から何まで計画的に進める気性の持ち主なのだ。
この見落としも、家康の「恐れ」からくるもので、秀頼が和睦に動いた事による影響と言えるだろう。
確かに石田三成は一つの翼を攻略されたことで、動かざるを得ない状況に陥っていた。
しかし彼は軽々しくは動かず、陣形を立て直すところから始めた。
ただし、悠長には進められない。
これだけ広範囲に渡った戦場だ。
一度敷いた陣を動かすだけでも隙を見せることに直結し、相手に畳み掛けられるきっかけとなってしまうだろう。
そんな状況において、史実とは異なる、家康の「攻め急ぎ」が三成には大きく味方することになる。
それはすなわち「霧」だ。
三成はこの「霧」を利用して陣形を変えようと試みたのである。
つまり徳川方に気づかれないように、交戦中の前線だけはそのままにして、その他の本隊は三成が陣を敷く、笹尾山へと移動するように、各将に指示した。
そしてその彼の思惑通りに、続々と笹尾山に兵が集まりつつあった。
到着した諸将は、そのまま笹尾山の上にある三成の本陣に招かれ、三成との最後の軍議を持つことになったのだった。
そして最後の一人を残して、全員が三成の本陣に到着した。
それは霧が完全に晴れる、わずか15分前のことである。
無論、彼らは三成に指示された場所へ既に自分の軍勢を配置してからこの陣所に訪れている。
「遅い!これ以上はもう待てぬ!」
そういきりたっているのは宇喜多秀家であった。
そんな彼の横で、おっとりとした声で、
「確かにこれ以上時間がかかっては、士気にも影響するかもしれんなぁ」
と、小西行長が同調するように意見を述べた。
そんな彼らに対して、傍らに座した島左近は、
「まあまあ、方々。ここは一つ、わが主君の治部殿を信じなさってくれまいか。
霧が晴れるまでもう少しかかるだろうし」
と、穏やかな口調でたしなめる。
しかしそこには有無を言わせない、威圧感があったため、秀家も行長も振り上げた拳を下ろさざるを得なかった。
そんな諸将の様子などお構いなしに、目をつむり、じっと瞑想するように微動だにしない三成。
彼もまた内心では逸る気持ちはあったのだが、それを抑えるのに必死であったのだった。
少しずつではあるが、秋の日射しに押されるようにして、霧がその姿を消そうとしている。
それに心なしか、徳川方の兵たちの声が近づいてきているようにも思えた。
仮にそれが空耳であったとしても、既にわずかに残した前線は破られ、押し込まれつつあるのは確かであろう。
それでも三成は、最後にここへ来るであろう「人」を我慢強く待った。
なぜなら、彼の軍がいるのといないのとでは、今回彼が敷こうとしている陣の強さが天地ほどに全く異なるからだ。
しかしそれでも限界はある。
もうこれ以上は待てない…
そんな風に諦めようかと思っていたその時に、「その人」が颯爽と本陣の中へと姿を現したのである。
「皆の衆!お待たせいたした!島津維新、石田治部殿の要請によってここに参上いたした!」
島津維新…すなわち島津義弘。
彼の参上に今まで苛立っていた諸将も安堵の表情を浮かべ、三成に至っては涙を溜めて喜んだ。
その様子を見た島津義弘も「やはりここに来てよかった」とあらためて自分の選択に対して、嬉々としたのだ。
しかし喜び合っている時間などない。
早速三成は立ち上がって、その場にいる全員に向けて力強く宣言した。
「ここからはこの石田治部と、憎き徳川内府との大喧嘩の始まりである!
もう策など弄しはしない!
ただ突撃あるのみ!
皆のもの!この通りだ!その命、この治部に預けてくれ!!」
そう深々と頭を下げる三成に、顔を上気させて気合いを入れる者、その覚悟に涙を流す者…みなそれぞれに感じ入るものがあったようだ。しかし「熱気」だけはみな共通のもので、秋の爽やかな朝の空気とは程遠い、暑い夏の嵐の前のような、蒸し暑さに石田三成の本陣は包まれていた。
その後すぐに各将に端的な作戦が伝えられたのだが、作戦と言ってもそれは至って単純なもので、笹尾山に敵を十分におびき寄せたところで、逆落としで突撃を開始し、その勢いのままに家康の本陣に向けて突っ込むというものだ。
もはや策とは言えない、玉砕覚悟の攻撃であった。
その陣形は鋒矢の陣。
様々な陣形の中でも攻撃する事だけに特化していると言ってもよいその陣は、敵からの左右への攻撃に弱いだけではなく、その突撃が止められた場合、横への機動に劣るために、ほぼ無力となり、殲滅を待つだけとなる可能性が高い。
つまり前に進むだけしか出来ない不器用な陣形なのだ。
それは石田三成という男の生き方を表しているようで、彼が自身の最後に頼むものとしては、うってつけだったのかもしれない。
さてその陣における各将軍の配置は、先鋒に島津義弘、その左右に島左近と宇喜多秀家。中央に小西行長、そして最後方に石田三成。
既に霧が薄くなった笹尾山において、各軍の配置は速やかに完了した。
山頂に近い場所からでもようやく眼下の様子が見えてきた。
無論その視界に入ってくるのは、徳川方の武将たちの旗印ばかり。
迫ってくる敵を前に、恐怖よりも胸の高鳴りを覚えてくるから不思議なものだ。
「さあ、いくぞ!我々の忠義の強さで敵を打ち崩す!!」
今までにない晴れやかな笑顔は、亡き秀吉が乗り移ったようであった。
さあ、石田三成の一世一代の大博打。
いよいよここに開幕を迎えた。
前置きが長すぎる!と嘆かれたら、すみません…
三方ヶ原の戦いが家康のトラウマとなっており、それを払しょくする為に、三成をかつての自分に見立てて撃破しようと考えていた…これは完全に私の創作ではございますが、そう考えてもおかしくないほどに陣形とその攻め口が似ていたので、そのような設定にいたしました。
さて、次回はいよいよ突撃開始になります。
今後もよろしくお願い申し上げます。