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駿府会見

◇◇


 慶長一七年(一六一二年)五月一一日 早朝――

 

 ついにこの時がやってきた。

 それは俺、『近藤太一』が知る限りにおいては、未来の教科書にはない出来事だ。

 恐らく『駿府会見』というような名称がつけられて、ほんの一行だけ教科書に触れられることになるのだろうな。

 もしかしたら教科書には単語くらいしか載らないかもしれない。

 

 それでもこの会見は、俺が『豊臣秀頼』である以上は、今までの人生において、最も大切な会見であるのは、火を見るより明らかだ。

 

 『豊国丸』の甲板の上でいつも通りに木刀の素振りを続けるが、心が乱れているせいか剣線は乱れているのがよく分かる。

 緊張と興奮から昨晩は一睡もできていないが、影響しているのかもしれない。

 早朝の爽やかな空気の中、心を鎮めるためにいつも以上に時間をかけた。

 そして終わってみれば、いつもより多く汗をかいているのに気付いた。

 その瞬間、ふと脳内に千姫の声がこだました。

 

――はいっ! 秀頼さま! 手拭いでございます!


 もちろんそれは幻なのは分かっている。

 しかしすぐ近くに彼女を感じ、自然と顔がほころんだ。

 

「もうすぐだからな……待っていてくれ」


 そう自分に言い聞かせるようにつぶやくと、腰にぶら下げていた手拭いをつかんで、上半身の汗をぬぐった。

 

 そして……。

 

「よしっ! いくか!!」


 と、気合いを入れると、着替えのために部屋へと戻ることにした。

 

 なお、会見は正午からと決まっているのだが、俺はこのあとすぐにでも船を出なくては遅刻してしまうとのことだ。なぜなら『豊国丸』は大きすぎて港に入れず、少し離れた沖合いに停泊しているため、ここから小舟に乗って駿府の港を目指すからだ。

 

 そこで俺は手早く朝餉を済ませると、身支度を整える。

 着なれた純白の小袖、紺色の袴を履いて、最後に袴と同じ色をした肩衣を羽織る。

 最後に小姓に髪を整えてもらえば、全て完了だ。

 

「では、行ってくる!」


 と、堀内氏善に明るく声をかけると、多くの者に見送られる中、『豊国丸』を出たのだった。

 

 

◇◇


 慶長一七年(一六一二年)五月一一日 正午――


 俺は駿府城に入った。

 そして、秀忠が待つ本丸御殿の謁見の間に入る前に、長直垂ながひたたれという正装に着替えた。

 裾がやたらと長くて、歩きにくいことこの上ない。

 しかしそんなところに文句をつけても仕方ないため、転ばぬようにゆっくりと進んでいった。

 そしてついに謁見の間にたどり着いた。

 いよいよ始まるのだ……。

 

 俺の……豊臣家の生き残りをかけた最後の戦いが――

 

 ごくりと唾を飲み込み、周囲に目を配ったが、そこにはいつも見慣れた真田幸村と石田宗應の姿はない。

 だが、彼らの見えない大きくて優しい手が、俺の背中をそっと支えてくれているような気がしてならなかった。

 

 横で襖に手をかけている小姓に、小さくうなずくと、彼は中にいる者たちに対して大きな声で告げたのだった。

 

「豊臣右大臣秀頼公、御成りでございます!!」


――スッ!


 力強く開けられた豪勢な襖。

 そして大海原のような広い部屋には、たった一人でぽつんと座っている徳川秀忠の姿があった――


 一段高くなった上座は開けられているが、俺は秀忠よりも下座にあたる場所で腰を下ろすと、小さく礼をした。

 

 

「随分と体が大きくなったな」



 それが秀忠の第一声であった。

 とても優しい声だ。

 まさに父から子へかけられるような、大きな『愛』を感じるものだった。

 

――義父ちち上はなにも変わらないな……。


 俺と秀忠が顔を合わせるのは、俺が江戸へおもむいた時以来で、実に六年ぶりのことだ。

 しかし彼の穏やかな声、そして醸し出す大らかな雰囲気は全く変わっていない。

 ここに来る前の、『戦いなんだ』と張り詰めていた緊張は一気に和らぐと、自然と頭が上がった。

 すると今度は彼が頭を深々と下げた。

 

「えっ!?」


 自然と驚きの声が漏れ出る。彼は天下人であり、そして俺の義理の父でもあるのだ。

 そんな彼が俺に頭を下げてきたのだから、驚くのは当然と言えよう。

 そして彼は真っ直ぐな気質を示すような堅い口調で謝罪の弁を述べたのだった。

 

「こたびの戦は、全てわれの不徳によるものだ! この通り、どうか許してくれ!」

「い、いや……この戦はおじじ上が始めたもので、義父上が頭を下げる理由などございません」

 すると彼は頭を上げて、真っすぐな瞳で見つめてきた。

 その瞳を見て、俺は大きな勘違いをしていたことに気付かされた。

 

――全く変わっていないなんてのは嘘だ。全くの『別人』ではないか……!


 それは関ヶ原の戦いの後、徳川家康と初めて会見した時の、あの威圧感と通ずるものを感じる。

 いや、むしろそれ以上の力強さに俺は圧倒された。

 彼はその瞳のまま、鋭い声を発した。


「それは違うぞ、秀頼殿!」

「違う?」

「ああ、全くの勘違いである。たしかに戦のきっかけを作ったのは、父上かもしれない。しかし、われは父の行動を許しただけでなく、共に大坂へと兵を進めたではないか! それは『豊臣秀頼に二心あり』とわれがお主を疑っていたからである!」


 秀忠は、悪びれもせずにずばりと言い切ったが、なぜか全く悪い気はしなかった。

 むしろ正直な気持ちを吐露してくれた喜びすら湧いてくるのだから不思議なものだ。

 俺が目を丸くする中、彼は全く変わらぬ調子で続けた。

 

「しかしこたびの戦を通じて、われは気付いたのだ」

「なにを……でしょう?」


 秀忠は一度大きく息を吸い込むと、ぐっと腹に力を入れてより大きな声で告げた。


 

「豊臣秀頼はたしかに『太閤殿下を継ぐ者』であると!」



 太閤を継ぐ者……。

 いったいどんな意味なのだろうかと、疑問に思ったところで、彼は問いかける間も与えずに続けたのだった。

 

「かつて太閤殿下は『日輪』のような御方であった。殿下のもとで暮らす家臣、町民、そして百姓にいたるまで、全ての人々が殿下のお人柄に惚れ、笑顔であった。それは堅い気質のわれにはできぬこと。しかし秀頼殿はまさに殿下の『日輪』を継いだのだと、われは確信した」


「いったいなぜ……?」


「われは知っておるのだ。城の堀が埋められて、絶望の暗闇の中にあっても、大坂の街から一歩たりとも出ようとしていなかった町民たちの姿を!」


 まさか……。

 

 秀忠はあの激戦のさなかにあって、相手方の町民の様子にまで気を配っていたというのか……。

 しかし彼はそれだけで終わらなかった。

 

「われは知っておるのだ。絶対にかなわぬ大軍を相手に果敢に立ち向かっていった、忠臣たちの勇気ある姿を!」


 文句一つ言わずに、最後まで俺を信じてくれた仲間たちが、一人一人頭に浮かんできた。

 すると俺の瞳からはいつの間にか涙が滂沱のように流れていた。

 

「われは知っておるのだ。三の丸を破られて、陥落寸前であっても、諦めずに城内を励まし続けた人々の姿を!」


 淀殿に大蔵卿、そして大野治長……。

 逃げることすらかなわない中で、どれほど怖い思いをしていたことだろう。

 

「ううっ……!」

 

 俺はついに声を抑えきれずに嗚咽を漏らした。

 そして、秀忠は最後に今までで最も強い口調で言ったのだった。

 

 

「われは知っておるのだ。いつまでも秀頼殿を待ち続ける、幼い妻の健気な姿を!!」



 千姫――

 

 

 黄色の小袖に身を包んだ彼女の笑顔が浮かんだ瞬間……。



「うあああああああっ!!」



 と、俺は絶叫を上げて泣き出した。

 秀忠は……父は全て見てくれていたのだ。

 そして認めてくれていたのだ。

 どんなに遠く離れていても、どんなに疎遠になってしまっても、息子とその周囲にいる人々の姿を、ずっと見守っていてくれていたのだ。

 

 豊臣秀頼と徳川秀忠は、確かに『家族』だったんだ――

 

 彼は俺の側に寄ると、そっと俺の背中を撫ではじめた。

 そして優しい口調で締めくくったのだった。

 

「それも全て、秀頼殿が『日輪』を継ぐ者という証である。そんな御方が、天下を乱そうと考えるはずもなかろう。そのことにようやく気付いたのだ。どうか、馬鹿な義父を許しておくれ」


 と……。

 

 彼の言葉を全て聞き終えた時点で、俺は一つの答えにたどり着いていた。


 相手を武力によって制圧し、勝った者が負けた者の全てを奪い尽くす……。

 それが当たり前の乱世にあって、徳川秀忠という男は、絶対に自分を曲げない、『空気の読めない人』だ。

 そんな彼だからこそ、たとえ戦の相手であっても、『敵』と決めつけずに、正しい目で見ていたのだ。

 

 敵も味方も等しく評価し、たばねることが出来る人物を『天下人』と言わずして、誰を『天下人』と言えようか。

 

 すなわち徳川秀忠こそ、『天下人』を継ぐにふさわしい者だ――

 

◇◇


 後世に言う『駿府会見』――

 

 そこで俺、豊臣秀頼は、三通の書状を差し出した。

 それらは全て『誓紙』、すなわち豊臣家、加藤家、浅野家が幕府に恭順することを示す誓紙だった。

 これにより、豊臣家は正式に徳川家の下に位置することが決定的になった。

 

 一方の徳川秀忠は、豊臣家に対して、将軍として正式に謝罪した。

 これは後世になって『たとえ将軍といえども、信賞必罰をあきらかにする手本』として、大いにたたえられることになる。

 

 そして彼は単に謝罪するだけでなく、幕府が豊臣家を信用する証として、以下の沙汰を下した。

 まずは豊臣秀頼の江戸定府の取り消しだ。これで俺は家族とともに再び大坂城で暮らせることになった。

 次に、彼は豊臣家の六五万石の所領を、倍の一三〇万石に加増した。

 これで一二〇万石の加賀前田家よりも大きな所領となり、諸大名の中では最も大きな石高となった。

 それにあきたらず、堺の統治および港も正式に豊臣家の管轄下とした。

 さらに驚くべきことに、埋められた三の丸と二の丸の堀を、もとに戻すことまで許された。

 そして最後に、格付けは『譜代』として扱われることも正式に決めたのである。

 

 それらは、これ以上ないほどの優遇であり、江戸将軍家は豊臣家と共にあることを内外に示す形となったのだった。

 

 そして、もう一つ。

 忘れてはならないことがあった。

 それは、大御所徳川家康の処遇だ。

 

 しかしもはやそれはさしたる問題ではなかったように思える。

 

 なぜなら俺は既に知っていたのだ。

 彼が『捕虜』となって『豊国丸』に訪れた際に見た彼の瞳には、俺の愛してやまない、『優しいおじじ上』が映っていたことを……。

 

「おじじ上には引き続き、ここ駿府城でのんびりと暮らしていただきとうございます」

「よいのか……?」


 秀忠はいぶかしそうに俺を見た。

 彼の頭の中には、遠く離れた場所に父の隠居場所を作ろうと考えていたに違いない。

 

 でもそれは嫌だ。

 そんなことになったら、気軽に会えなくなってしまうではないか。

 

 俺はめいっぱいの笑顔を浮かべると、素直な気持ちを告げたのだった。

 

 

「われはおじじ上と、もっと色んなお話がしとうございます!!」



 と――

 

 

◇◇


 こうして世紀の会見である『駿府会見』は幕を閉じた。

 

 今日決まったことを書状に写し、互いに花押をおす。

 これでようやく全ての決着がついた。

 ふと窓から外を見れば、空は綺麗な橙色に染まっていた。

 

 およそ三刻(約六時間)にもおよぶ会見を終えると、俺は丁寧に頭を下げて部屋を出た。

 

 そして……。

 

――ダダダダダダッ!!


 一目散へとある場所へと駆けていった。

 長い袴は走りづらい。

 時折前のめりに転びそうになったが、それでもはやる気持ちを抑えきれずに、前へ前へと疾風のように進んでいったのである。

 

 廊下を真っ直ぐ進んだ先に目的の場所はあるのだ。

 

「もうすぐだ! もうすぐだぁぁぁ!」


 そう何度も叫びながら、ひたすら足を前に出す。

 すれ違う人々は一様に目を丸くしたが、全く気にならなかった。

 

 そうしてついに目的のたどり着いた。

 少しだけ荒くなった息を整えて、襖を開けようとしたその瞬間だった。

 

――ピシャンッ!


 なんと部屋の内側から襖が勢い良く開けられたのだ。

 そしてそこから俺の胸に飛び込んできたのは……。

 

 

「秀頼さまぁぁぁぁぁぁ!!」



 黄色の小袖を着た千姫だった――

 

 



ついに次回が最終回となります!!

実は体調不良をおして、現在執筆中です!

少しだけお待ちください!!


書籍版も是非読んでください!

そしてレビューや御感想もお待ちしております。



そして最後に報告をいたします。


『続編』を検討中です!

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