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大阪夏の陣⑭ 大将の器

◇◇


 少しだけ時を戻す。

 慶長一七年(一六一二年)五月七日 未刻(午後二時)――

 ちょうど徳川家康が伊賀路で真田昌幸に襲撃され、豊臣秀頼が『豊国丸』で紀州の西を悠々と進んでいた頃のことだ。

 家康が戦場から離れたことで実質的には幕府軍の総大将となった徳川秀忠から「戦を中止せよ」との命令が下された。

 どこまでも重々しく動いてきた将軍秀忠にとって、この戦における最初で最後の命令だった。

 彼の周囲にいた兵たちは伝令役にまじって、未だ各所で続いている戦場へと駆けていったのだが、最も多くの兵たちが集まっていた大坂城三の丸へは、伝令だけで五〇人を越す兵たちが入っていった。

 彼らは戦の終わりを告げるために戦鼓を打ちならし、白旗を振って大声を上げた。

 

――終わりじゃぁぁ! 戦を中止せよ! これは上様からの御達しである!!


 この報せに、戦功を競いながら我先へと城門に殺到していた兵たちからは、不満の声が噴出したのは仕方がないことだ。

 しかし、将軍からの命令は絶対であり、従わねば罰せられてしまうのは目に見えている。

 彼らは渋々武器をしまい、大将たちの元へと戻っていった。

 そして自軍の兵がまとまったのを確認した大将たちは、兵たちと同様に無念さを顔全体に滲ませながらすごすごと城から外へと出て行と、秀忠の本陣がある天王寺へと引き上げていったのだった。

 

 一方、雌雄を決するべく激しく戦っていた『豊臣の無双』真田幸村と『幕府の無双』立花宗茂。彼らのもとにも同様の報せが届いた。

 潔く槍を下ろした宗茂が乱れた息を整えながら、真田隊から少し離れていくと、真田隊は追い討ちをかけることなく、立花隊が離れていくのを槍を構えながら見守っていた。

 そして両者が十分に距離ができたところで、宗茂が陣頭に姿を現した。

 彼の行動に呼応するように幸村もまた陣頭へと馬を進める。

 そして二人が顔を合わせたところで、宗茂の方から声をかけた。

 

「西国無双と言われた俺だが、お主と槍を合わせたことで、まだまだ未熟であると気付かされた。あらためて礼を言おう」


 勝負がつかなかったにも関わらず、晴れやかな表情の宗茂に対して、幸村もまた爽やかな笑顔で言った。

 

「次会う時は味方同士でありたいと願っております」

 

 宗茂は幸村に微笑み返すと、くるりと振り返って背中を向けた。

 そして去り際に言葉を残したのだった。

 

「その願い、必ずや上様がかなえてくれましょう」


 幸村は遠のいていく立花隊の背中が見えなくなるのを確認したところで大きな声で兵たちに告げた。

 

「城へ戻るぞ! ついてまいれ!!」


――オオッ!!


 『赤備え』の真田隊が一斉に駆け始める。

 史実と変わらぬ大活躍を見せた彼らは、初夏の太陽を浴びて眩しく輝いていたのだった――

 

◇◇


 慶長一七年(一六一二年)五月七日 申刻(午後四時)――

 

 天王寺にある秀忠の本陣に各軍の大将たちが一同に顔を揃えた。

 彼らだけでもゆうに五〇人はいるのだから、幕府軍がいかに大規模な軍勢だったかうかがい知れよう。

 もちろん末端の兵たちは天王寺の敷地に入りきらずに、南は大和川、東は平野川沿いまで広がっていたのだった。

 

 天王寺の敷地内の広場にて、整然と並んでいる諸将の顔には、未だに納得がいかぬものが浮かんでいる。みな戦後の恩賞をあてにして兵を動かしたからだ。

 いくら家康が戦場から姿を消したからといって、城の陥落目前にして退却するというのは、とうてい許されるものではなかった。

 

 秀忠は彼らの前にゆっくりとした動作で現れると、みなの顔を見回した。

 

――恐らく上様は労いの言葉をかけるだけで、この場をやり過ごそうとするに違いない。

――国もとから軍勢を率いてここまでくるだけでも大ごとなのに……。

――傷ついたり、死んでしまった兵たちの家族へどんな顔をすればよいのやら……。


 そんな声にならぬ不満や不安は、誰もが少なからず持っている。

 

 もちろん秀忠にも彼らの無念な想いは痛いほどに伝わっている。

 彼は大きく息を吸い込むと、ぎゅっと表情を引き締めた。

 

 そして……。

 

――バッ!!


 なんと彼は諸将に対して深々と頭を下げたのである。

 突然のことに全員が目を丸くしてしまった。

 江戸幕府の将軍という地位は、今となっては大名たちにとっては『絶対的』な存在なのだ。

 そんな将軍が自分たちに頭を下げたのだから、彼らが言葉を失うほどに驚いてしまったのも無理はないだろう。

 

 そして秀忠はざわつく諸将に対して、透き通った大きな声で告げたのだった。

 

「こたびの件は、幕府と豊臣の間の行き違いが原因で起きたものである! すでに大坂城の堀を埋めた時点で、豊臣への仕置きは終わっておる! これ以上の攻撃は、武士の道に反するものと言えよう! だからみなも不満はあろうが、この通りだ! どうか堪えてくれ!」


 必死に頭を下げる秀忠に対して、多くの者が戸惑う中、大きな声で問いかけたのは伊達政宗だった。

 

「上様! ひとつ聞きてえことがある! 上様のおっしゃる『武士の道』とはなんぞや!」


 秀忠は顔を上げた。

 そしてなんの迷いもない口調で即答したのだった。

 

「義を重んじ、家族を愛することである!!」


 政宗はニヤリと笑みを浮かべると、さらに追求した。

 

「堀のない大坂城を攻め落とすことは、義に反し、家族を裏切ることになるのかい!?」


 秀忠は鋭い眼光で政宗を睨みつけると、彼を一喝するような苛烈な声で答えた。

 

「当たり前だ!! 豊臣だけではない!! 等しく天下にある者たちはみな将軍家にとっては家族と心得ておる! さらに言えば、いわれのない罪で城を壊して町を焼き、そして人を殺してよいという道理がどこにあろうか! それを義に反すると言わずして、なんと言おうか! 答えよ! 政宗!!」


 諸将らは、秀忠の剣幕にそれまで溜まっていた不満をどこぞに吹き飛ばしていた。

 そして『空気の読めない』とも言える秀忠の言葉であったが、彼らの心に響き渡ったのだった。

 

 だが政宗だけは、なおも食らいついた。

 

「ならば俺たちはどうなるのだ!? 台所事情が苦しい中、無理を通して兵を出し、そして多くの死傷者を抱えてもなお、綺麗事だけですまされたんじゃ、たまったものじゃねえ!」


 明らかに将軍家に対して、何らかの補償を求める政宗の強気な姿勢に、みな息を飲んだ。

 だが秀忠は当たり前かのように、さらりと答えたのだった。

 

「ここにいるみなには、向こう三年の諸役の免除を申しつける! 今進行中の天下普請については、全てわれが負担しよう! それがせめてもの償いだ!」


 その答えに政宗は満面の笑みになると、諸将の方を向いて大声をあげた。

 

「うわっはははは!! 聞いたか、みなのもの!! これで文句を言う奴がいたら、伊達が相手をしてくれよう!!」


 そして政宗は秀忠に対してひざまずくと、頭を深々と下げて言ったのだった。

 

「伊達陸奥守政宗!! 上様の寛大な御心に感動いたしました!! これからも上様のために骨身を削って働きましょう!!」


――ザザッ!!


 政宗の宣言の直後に、その場の全員が彼にならってひざまずいて頭を下げた。

 秀忠の決して曲げない強い意志が、彼らの心を鷲掴みにした瞬間だった。

 

 秀忠は何度も大きくうなずくと、現れた時と同じようにゆっくりとした動作で、陣幕の内へと戻っていった。

 

 その横顔はまるで若き日の徳川家康を彷彿とさせるような、若々しい情熱に溢れたものだった――

 


 それからわずか四半刻後のこと……。

 早くも本陣を引き払った秀忠は、馬上の人となっていた。

 彼の次の目標は、言うまでもなく駿府城。

 後世では『駿府会見』と呼ばれる、豊臣秀頼との世紀の会見を行うべく、彼は背筋を伸ばしたまま東へと進んでいったのであった――




まだまだ続く『太閤を継ぐ者祭り』

どうぞ最後までお付き合いをお願いいたします。


本日発売の書籍版『太閤を継ぐ者』(宝島社)ですが、一部書店では入荷数が少ないとのことです。

もし店頭になかった場合は、書店員の方にお問合せいただくか、ネットショップでの御求めをお願いいたします。

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