風雲!関ヶ原の戦い!⑦変幻自在の軍
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少し話の時間を巻き戻し、大谷隊と小早川隊が松尾山で激しい攻防が開始された頃、その山から少し離れたところで福島正則の軍もまた一隊の軍と対峙していた。
しかしその松尾山の戦いのような、壮絶ともいえるような両軍のぶつかりあいはそこにはなかった。あまりにも静かな戦況に、猛将福島正則はその怒りをあらわにしていたのである。
「こそこそしていないでそこから出てきて堂々と戦いやがれ!この福島左衛門大夫がそんなに怖いのか!この腰ぬけどもが!」
と、目の前の森となっている丘陵に向かって大声を張り上げるが、静寂に包まれたその森は不気味なほど静かなままだ。
まだ戦が始まって間もなくで、辺りは深い霧に包まれて視界も限られている。
福島正則は自身が戦うべき相手が全く戦う姿勢を見せずに、深い森の中にひっそりと身を潜めて様子をうかがっていることに腹を立てているのである。
ちなみに正則軍が対峙しているのは、偵察をしていた井伊直正の小隊を奇襲した明石全登の軍勢だ。その明石軍は、井伊隊を救援に訪れた福島隊の姿を見ると、戦わずして静かにその場を退散して森の中へと姿を消してしまったのだ。
しばらくすれば森を出て戦ってくるだろうとふんでいた正則のあては見事に外れ、全登の軍勢は全く動く気配がない。すでに15分ほど経過しても戦う気を見せない敵に、正則はとうとうしびれを切らした。
「みなのもの!狙うは備前宰相(宇喜多秀家のこと)の首ただ一つである!
ここから真っすぐ進んだところに、その軍は我らを待ちかまえておるはずだ!
臆病者の軍など見向きもせず、ただ真っすぐに突撃せよ!!いけえ!!」
霧が立ち込める中、正則の軍は鋭い矢じりのように森の一点に集中して軍を進めていく。
しかし勢いそのままに森を抜けるには、その道が険しすぎた。なぜなら、その丘陵は思いのほか斜面が急であり、あたりの高い木々と立ち込めた霧が視界を完全に塞いでいたからである。
そしてもう一つ、森の中で激突するはずの敵兵が全く見当たらない。
思わず進む速度は緩み、不気味に思った兵たちは辺りを見回し、各隊を率いる隊長たちも馬上で兵たちとともに足が止まってしまっている。
ひんやりとした空気が余計に何か悪いことを予感させるようで、その場にいた全員の肝を冷やしていた。
…とその時である。
大きな爆裂音が森の中に響いた。
そのあまりに突然のことに驚いた鳥たちが一斉に木々からはばたいていく。
そして次の瞬間から、今度は福島軍の兵たちが森の中で倒れていく音が、奥にいた正則の耳にも入ってきた。
「敵襲だ!!」
誰かがそう叫ぶ。その声が合図とばかりに、今度は木々の間から大きな十字架の旗印を掲げた明石軍の兵が突如として現れ、福島軍に対して、左右からはさみこむようにして襲いかかった。
「なにが起っているのだ!?ぐわっ!!」
前後不覚…もはや自分たちに何が起こっているかすら分からない。
大混乱に陥った福島軍はなすすべなく、襲ってきた軍勢の攻撃にさらされ、その兵を虚しく減らしていったのである。
「ええい!退け!森を出て一旦態勢を立て直すのだ!」
と、猪突猛進で知られた正則もさすがに事態を重く受け止めたようで、退却を命ずるよりほかなかったのだ。
一斉に森から出ようと来た道を駆けていく兵たち。
そんな兵を全登は追うことを許さず、次なる作戦に向けて兵を引いた。
再び森に面した正則は苦々しい顔でそれを眺め、ため息を漏らす。
「むう…俺たちはやつらの仕掛けた『虎口』に突撃してしまったのか…」
この正則が口にした「虎口」という言葉、まさに言い得て妙であった。
虎口とは一般的には城門の前にあるたまり場のような場所で、城門に攻撃をしかけんと押し寄せた敵兵に対して左右から弓や鉄砲をあびせて殲滅することを目的に作られる。
全登はまさにこの戦において、森の中に虎口を作ったのだ。
もちろんその為には正則がどの地点より攻め入ってくるのかを正確に予測する必要がある。その為に彼は森の中でじっと身を潜め、彼から浴びせられた挑発の数々を聞いて、その方向を正確に把握したのである。
そして特に序盤においては、何の策もなく一団となって攻め込んでくることと読み、福島軍が突撃してくるであろう場所の左右に兵を潜ませ、頃合いを見計らって急襲した。
この作戦は見事に的中し、福島軍に少なからず損害をもたらしたのだが、正則も歴戦の将である。戦況が不利と見込んだ瞬間に退却を指図した為、その被害は最小限にとどめられたのだった。
「おのれ…ではこれならどうだ!」
と、彼は次に兵たちを横に広く並べ、森を包みこむようにして進軍を命じた。
しかしこれもあえなく失敗した。
伸びた戦線で手薄になった正則本隊に一点集中で攻撃が加えられたのだ。
この為、森の中で分散していた兵は正則の救援に向かうことができずに、結局全軍で森から後退することしか出来なかった。
それ以降も手を変え品を変え、様々な攻撃を仕掛けた福島軍であったが、全登の変幻自在の用兵により、ことごとく退けられてしまう。
そしてその度に元いた森の手前の地点まで戻ってきては、無念にうなる事しか出来ない正則なのであった。
「しかしなぜ森から出てこないのだ…これではいつまで経っても決着がつかんだろうに…」
この正則のうめき声に全登の思惑が見て取れた。
つまり彼は「徳川方の主力部隊の一つである福島軍を無能化する」事が狙いだったのである。
しかし当代随一の猛将である福島正則が率いる軍勢に対して、まともに当たって撃破することは非情に難しい。返り討ちにされてしまうのは必定であろうと考えた全登は、「無能化」するという定義において、「撃破」ではなく「足止め」を選択したのだ。
そしてその作戦は見事に成功した。それほど全登のかく乱は見事なものであった。
一方の正則は徳川方の先鋒という大役を務めあげたものの、なかなか戦功を挙げられないことにいら立ちは頂点に達していた。
目をこらせば遠くの方で、細川らの旗が躍動しているように思える。
このまま地味な突撃と撤退を繰り返しているうちに、戦が終わってしまうのではないかと不安も募ってきた。
既に霧は晴れ、日は高くなり始めている。
しかし攻める手立てに乏しく、むやみな攻撃は命取りになる。
残念なことに、ここにきて完全に進退極まってきたのだ。
「かくなる上は討ち死に覚悟で突撃をするしかあるまい…」
そう徳川方でありながら、悲壮な決意を固めた時、ふと背後から戦場の中とは思えないほどに、快活な声が響いてきた。
「お困りのようですな、福島殿!助太刀いたそう!」
正則はその声の方へ振り返ると、その声の持ち主のいでたちに、思わず開いた口がふさがらないほど呆気にとられてしまった。
長く伸ばした髪を後ろで束ね、顔の化粧は白地に紅で頬に線を引き、眉は黒く書かれている。さらに甲冑は全身朱色、直垂は虎の毛皮。さらに女性の着物をその上から羽織り、手にした獲物は、柄が真っ赤な大きな槍。
まさに「かぶき者」といういでたちそのものであった。
「なんだ?お主は…?」
その質問に「待ってました」と言わんばかりに両足を大きく広げ、胸を張ったその男は、先ほどと同様に突きぬけるような明るい声で
「我が名は花房職秀、周囲は俺のことを助兵衛と呼んでいる。福島殿も助兵衛と呼んでくだせえ!」
と、名乗った。そしてなおも戸惑っている正則に対して、彼はまくしたてるように続ける。
「俺とその森でこそこそしてやがる明石掃部(明石全登のこと)とは、ちょっとした因縁があってのう。かたを付けなきゃならねえ相手なのよ」
そう自分の都合を勝手に話しながら、職秀は正則ではなく、その先の森を睨んでいる。
その姿を見て、正則は彼が何者であるかを思い出していた。
かの太閤秀吉を「腰ぬけ」呼ばわりした大うつけ者…
しかしその武勇は大口を叩くだけあり、名が知れた武将だ。
その一方で、宇喜多家のお家騒動で失脚し、その騒ぎで一躍筆頭家老までのし上がった明石全登を恨んでいると、風の噂で聞いたことがある。
宇喜多軍の手の内を知り尽くしているはずの彼を味方に引き入れれば、この森を抜けて、秀家の本陣までたどり着けるかもしれない。
そして彼にはもう打つ手はないのだ。半分はすがるような思いで、彼の助太刀を受け入れることにした。
職秀は正則が頭を下げたのを見ると喜び勇み、彼に早速その「大口」を叩くのだった。
「よし!ではこの俺に福島殿の兵の半分を預けてもらおう!」
「な、なんだと…!?」
明石全登と花房職秀。
言わば「陰」と「陽」の因縁の対決が、この関ヶ原を舞台に今その幕を開けた。
花房職秀が福島正則に従軍して明石全登を攻め立てたというのはフィクションになります。
花房職秀と明石全登は少なからず因縁がありそうだという推測のもと、話を作りました。
次回はその対決になります。