大坂夏の陣⑫ 戦の終わり
◇◇
慶長一七年(一六一二年)五月七日 正午――
ついに俺、豊臣秀頼は堺の港に到着した。
そこに待ち構えていたのは、相変わらず熊のようながたいをした堀内氏善であった。
「がははっ! 親父殿ぉぉぉ!!」
「おお! 氏善か! よくやった!!」
俺は彼の顔を見るなり、目を輝かせて大声をあげた。
そして目の前にある巨大な船を指差して問いかけたのだった。
「あれが『豊国丸』であるか!?」
「がははは!! その通りでございます! あの『城』こそ、『豊国丸』でございます!」
それはまさに『城』と形容するに相応しい威容だ。
西洋のガレオン船の形状で、帆柱は五本。広げれば天守をかたどったような形になる。
真っ黒な船体に大砲を五〇門搭載しており、乗組員は一〇〇〇人も乗っている。
さらに西洋の船にはない『天守』が甲板に堂々と取りつけられているのが特徴だ。
これを見た堺の町民たちはさぞかし度肝を抜かれたことだろう。
俺は早速『豊国丸』に乗り込むと、高らかと命じたのだった。
「目指すは駿府!! 全速前進じゃぁぁぁ!!」
◇◇
一方、同じ頃。
徳川家康は険しい道を汗を垂らしながら進んでいた。
あまりに厳しい道のりだったため、馬はすぐに使い物にならなくなってしまい、今は自分の足で歩き続けている。
初夏の蒸し暑さと強い陽射しは、彼の体力を根こそぎ奪い、朦朧とした意識の中、懸命に手足を動かし続けていたのだった。
彼はあまりに辛い道のりに、隣で走る本多正信に対して、恨み節をぶつけた。
「ぜえぜえ……ま、まだつかぬのか?」
「はあはあ……何をおっしゃいますか! まだ河内も出ておりませぬ!」
「ぐぬっ……本当にこの道しかなかったのか?」
「殿が自分でお選びになったのですぞ!」
「ふんっ! わしは何も言った覚えはない! お主が勝手にこの道を選んだのであろう!」
「な、なにをおっしゃるかと思えば、かような嘘を!」
「ふんっ! 嘘などでは……」
そう家康が言いかけた時だった。
――バサッ! バサッ!
と、近くの草むらから人が飛びかかってきたのだ。
「のわあああああっ!」
思わず目をひんむいて驚く家康。正信は家康の大きな尻に押し出されてその場でひっくり返ってしまった。
「と、殿ぉぉぉ!」
「な、なにごとじゃ!?」
全く状況が飲み込めないでいる家康。しかしあちこちから喊声があがると、ようやく敵襲であると気付いた。
そして聞き覚えのあるだみ声が、家康を不快にさせた。
「かかかかっ!! 待っておったぞ! くそ狸!」
「そ、その声は安房守か!?」
「はんっ! いかに老いぼれても、『二度も』敗れた男の声は忘れられないと思える! 二度あることは三度あるというからのう! もう一度負けてもらおうか!」
それは真田昌幸だった。
さらに彼の率いる二〇〇の兵が一斉に家康の軍勢に襲いかかったのである。
ただでさえ足元が悪い道のりを急いできた家康らは疲労困憊であり、それまで待ち続けて体力を温存していた昌幸の兵たちの勢いを殺すことはかなわなかった。
元の道を戻りだす者や崖下へと落ちていく者など、数千の家康の兵たちは、散々蹴散らされた。
そして家康もまた命からがらその場から逃げ去っていくのがやっとだった。
「お、おのれぇぇ! 安房守めぇぇ!!」
「かかかっ! さすがは負け慣れているだけある! 逃げ足だけは速いのう!!」
家康が歯ぎしりをする中、背後から昌幸の高笑いする声が彼の耳にこびりついてきた。
そして昌幸は続けたのだった。
「これから先の道のりにも兵を伏せてある! 彼らのもてなしを受けながら帰るがよい! かかかっ!」
実際には一兵たりとも待ち伏せしてなどいない。
しかし昌幸の言葉を信じ切った家康は、心身ともに衰弱させながら、伊賀路を急いだのだった――
◇◇
秀頼と家康が大坂から離れ始めた頃――
大坂城内はまさしく修羅場と言えるほどの忙しさに包まれていた。
既に三の丸に幕府軍の兵が突入し、今は二の丸の門を守るために桂広繁らが必死になって戦っている。
そして戦場で負傷した兵たちは、本丸の敷地内にある仮設の医療所で、京の学府から派遣された医者たちによって手当を受けていた。
その数がどんどん増えていくと、城内で手があいている者たちもかり出されて、さながら戦場のような様相であったのだ。
「あっちの兵はこの薬を飲ませろぉぉ! お前さん! それは飲み薬じゃねえ! 塗り薬だ!」
秀頼の側室であるあざみの的確な指示によって、人々が懸命に手を動かしている。
そこには明石レジーナの姿もあった。
そして彼女の前に運びこまれてきたのは、彼女がよく知る顔だったのである。
それは幼馴染の大野治徳であった。
「……治徳……」
思わず彼女の手が止まった。常に冷静沈着な彼女であったが、幼馴染の見るも無残な姿を目の当たりにして、ひどく狼狽してしまったのである。
そんな彼女の様子を目ざとく見つけたあざみは、彼女へ鋭い一言を浴びせた。
「レジーナ! 手が止まってるぞ! 早く処置をして、次の者の治療にあたれ!」
「で、でも……」
細い瞳に涙をいっぱいにためた彼女は、小さく首を横に振って、なおも戸惑っていた。
するとあざみは大股で彼女の目の前までくると目を覚まさぬ治徳に最低限の処置を施して、違う場所へ運ばせたのだった。
そしてあらためてレジーナに向き合って、彼女の肩に手を乗せた。
「いいか、レジーナ。ここは戦場だぁ。わたしらの手が止まれば、誰かが死ぬかもしれねえんだぞ。目の前で治療を必要とする者がたとえ親だろうが子だろうが、わたしらは手を止めちゃなんねえ。彼らが敵と戦ったように、わたしらは怪我や病と戦ってるんだからな!」
「怪我や病と戦う……」
「そうだ! さあ、もう余計なおしゃべりをしている暇はねえ! 早く次の人に気持ちを切り替えろ!」
「は、はい……」
あざみの一喝で目を覚ましたレジーナだったが、彼女の言葉だけはいつまでも頭に残ったままだった。
――怪我や病と戦う。
戦の悲惨さや残酷さを痛感するとともに、湧きあがってくる使命感に彼女は言い得ぬ興奮を覚えていた。
そして一つの決意が芽生えてきた。
――医術を学ぼう。そして私もいつか立派な『さむらい』になりたい……。
傷ついた幼馴染を見て、無力な自分を変えたい。
自分のことを叱咤してくれた同い年のあざみにいつか追いついて、そして追い越したい。
そんな人には口に出来ぬ想いを胸の奥にしまいながら、今自分にできることを必死にこなし続けたのだった。
そして……。
――ドンドンドンドンドンッ!!
という戦鼓がけたたましく鳴り響いてきたかと思うと、幕府軍側から伝令たちの大声が響き渡った。
――終わりじゃぁぁぁ!! 戦をやめよぉぉぉ!! 上様の御達しじゃぁぁぁ!!
幕府軍が大挙として押し寄せている三の丸で発せられた声だろうが、本丸にいるレジーナたちの耳にも確かに届くと、誰ともなく一斉に歓声があがった。
――わああああああっ!!
――やったぁぁ!! やったぞぉぉぉ!!
――奇跡じゃ! 奇跡がおこったんじゃぁぁ!!
口ぐちに喜びを露わにする彼らの中にあって、レジーナは自分の感情をどう表現したらよいものか、戸惑っていた。
すると彼女の右肩にぽんと、あざみの柔らかな手が乗せられた。
「手を止めるなぁ、レジーナ! でも、嬉しい時は嬉しい顔した方が、秀頼さまもお喜びになるぞ!」
屈託のない笑顔を向けるあざみに対して、レジーナは目を大きく見開いた。
純朴さを映した可愛らしくて、眩しい笑顔……。
――そうか……秀頼様はこの笑顔をお慕いしておられるのだ……。
彼女は心の中にぽっと小さな火がついたことに気付かぬふりをして、精一杯の笑顔となったのだった。
「うん! すっごく嬉しい!」
彼女の顔を見て、小さなため息をついたあざみは、再び傷ついた兵たちに向き合った。
そして大きな声で人々に号令をかけたのだった。
「わたしらの戦いはまだ終わっちゃいねえ! みんなぁ! 気張っていくぞぉ!!」
――はいっ!
城内の人々はあらためて気合いを入れ直した。
その表情は一様に明るく、彼らの待つ未来を示しているかのようだった――
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