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大坂夏の陣⑪ 玄蕃の恩返し

◇◇


 徳川家康が戦場から撤退を決める少し前。

 俺、豊臣秀頼もまた戦場から離れ始めていた。

 目標は『堺』だ。

 そしてその目的は……。

 『動く城』に乗り込むためだった――

 

 

 大坂城を離れた俺たちは、伊達軍のすぐ近くを突き進んでいった。

 そして難なく彼らの横を通り過ぎると、進路を西寄りに変えて、海岸線沿いの街道へと入っていった。

 このまま真っ直ぐに街道を進んでいけば、堺にたどり着く。

 とにかく敵に阻まれぬのを祈りながら、馬の腹をめいっぱい蹴っていた。

 

 しかし、ちょうど茶臼山の西を通り過ぎようとした時だった。

 

――敵だぁぁぁぁ!!


 という物見の大声が聞こえると同時に、左手から土煙とともに接近してくる軍勢が目に入ってきたのである。

 

「水野の旗印か」


 甲斐姫がそうつぶやくと、背後にいた大崎玄蕃がしゃがれた声で言った。

 

倫魁不羈(りんかいふき)じゃな……こいつは厄介じゃ」


 倫魁不羈(りんかいふき)……そうあだ名された水野勝成という名の猛将か。


「彼を相手に後藤又兵衛と大野治房が戦っていたはずだが……」

「恐らく二人とも今頃は……」


 俺の問いに甲斐姫は言葉を濁した。

 又兵衛と治房は豊臣家の中でも一二を争う猛者だ。

 その二人を相手にするだけでなく、二人とも亡き者としてしまったというのか……。

 

――ゴクリ……。


 俺は思わず唾を飲み込むと、馬を進めながらどうしたものかと思案した。

 なお俺たち一行は二〇〇〇だ。

 もし『史実』の通りであれば水野勝成は三〇〇〇程度を率いているはずである。

 兵数の上でも向こうに分がある上に、伝説的な武力を誇る勝成がいる……。

 

――どうあがいても敵わない……!


 俺は思わず目をつむった。

 せっかくここまで綱渡りできたのに、やはり歴史の歯車に抗うことは許されないのか……。

 

 そう観念した時だった――

 

 

「わらわが行こう」



 甲斐姫の凛とした声が脳内に響き渡った。

 俺は急いで彼女の顔を見ると、とても冗談を言っているとは思えない、決意に満ちた表情をしている。

 そして玄蕃もまた彼女に続いた。

 

「わしも行こう。おなごだけを行かせては、あの世でお蝶に笑われるのでな」

「お主ら……」


 俺が口を半開きにして驚いている間に、玄蕃は「では兵は借り受けますぞ! みなのもの! 秀頼公を御守りするのだ!」と言い残して、水野隊へと突っ込んでいった。

 彼を先頭に、二〇〇〇の兵が続々と『死地』へと突っ込んでいく。

 そんな中最後まで残ったのは『七手組』と呼んでいる俺の警護をする七人と、甲斐姫だけとなった。

 

 馬を止めている俺に、彼女もまた馬で近付いてくる。

 

 そして……。

 

 彼女は荒々しく俺と唇を重ねた――

 

 しばらくして俺から離れる甲斐姫。

 彼女は透き通った瞳のまま、俺に微笑みかけた。

 

「手付け金というやつだ。残りはこの戦が終わった後にありがたくいただくとしよう」


 茫然としたまま固まっている俺に背を向けた彼女は、すらりと刀を抜いて天に掲げた。

 

「この『浪切』とともに誓ったのだ! 絶対に秀頼殿を……愛する者を守ると! いざ、戦わん!!」


 そう高らかと宣言するなり、彼女もまた『死地』へと突撃していった。

 その背中をただ涙を流しながら俺は見つめていた。

 

――生きて帰ってきてくれ!


 本当はそう大声で叫びたいところだが、今の彼女や玄蕃には『生きる』よりも大切なもののために死地へと赴いていったのだ。

 だから心の中で願いをかけるしかなかった。

 

「秀頼様、そろそろ行かねば、別の敵がやってきます」


 と、七手組の一人が声をかけてくる。

 俺はぐいっと涙をふくと、再び口を結んで馬の腹を蹴った。

 

「なんとしても俺の手で戦を終わらせるんだ!!」


 固い決意をもう一度だけ口にして、堺へと疾風のように駆けていったのだった――

 

◇◇


 水野勝成の軍勢が間近に迫って来る中、甲斐姫と大崎玄蕃は小高くなっている場所に立って、彼を迎撃することにした。

 そしてわずかに残された時間で、最後になるかもしれない会話を交わしていたのだった。


「あんたも馬鹿だねぇ。老い先短い人生だ。いくらでものんびりと過ごせただろうに」

「かかか! 生きたいように生きねば、あの世でお蝶に叱られてしまうのでな」

「ふふ、さしもの武田勝頼公といえども、妻には頭があがらぬか」

「言ってくれるな。それにわしは……秀頼公に恩返しがしたいのじゃ。お蝶の髪をわしに届けてくれた恩返しをのう」

「そうか……」

「だから……お主には死んでもらうわけにはいかん」

「なに!? それはどういう……」


 甲斐姫が目を丸くした瞬間、玄蕃の手刀が彼女の首筋に飛んだ。


――ドンッ!


 その一撃で声もなく気を失ってしまった甲斐姫。

 すると玄蕃は近くの者たちに命じた。

 

「彼女を連れて身をひそめよ。何としても守るのだ。よいな」


 まだ少年の域を出ない若い兵たちは、こくりとうなずくと、甲斐姫を二人かがりで担いで戦場から離れていった。

 その様子を目を細めながら見つめていた玄蕃。

 気付けばすぐ目の前まで敵勢は迫ってきている。

 

 彼は胸元に手をやった。

 

「ああ……暖かいのう……」


 服の下には玄蕃の妻、お蝶こと北条夫人の遺髪を縫い付けてある。

 だから彼は孤独を感じなかった。

 天目山で最後に見た彼女の美しい姿を思い浮かべながら、彼は天を見上げた。

 

「次生まれ変わったら、もっと長い時間を共に過ごしたいのう……いやか? お蝶」


 もちろん答えなど返ってこない。

 だからその答えを聞きに行こう、そう彼は決意を固めたのだった。

 

 すっと目をつむると浮かんでくるのは、かつて彼女と見た甲斐国の夜桜だ。

 雲の隙間から覗いていた月が、薄い光で彼女を照らしていた。

 その神々しい姿は、まるで天女のようであった。

 その光景を懐かしみ、彼は最期の歌を詠んだのだった。

 

「おぼろなる月もほのかに雲かすみ 晴れて行くへの西の山のは」


 大きく息を吸い込み、腹に力を入れる。

 ふと隣を見れば彼を慕ってここまできた金堀衆たちの姿もある。

 彼は微笑みを浮かべた直後に、ぐわっと鬼のような形相に変えて号令をかけたのだった。

 

「みなのものぉぉぉ!! 突撃ぃぃぃぃ!!」


 

 この後、玄蕃と勝成の激しい戦いは、およそ四半刻にもおよんだ。

 いつの間にか勝成の他にも多くの幕府軍が加わり、総勢一万も相手をしながら、玄蕃は最期の時まで、槍を振り続けた。

 

 そして、秀頼が堺に到着して目的を達成した頃、それを知ったかのように、彼もまた目的を果たした充実感に浸りながら、戦場の華となって散っていったのだった。

 

 大崎玄蕃こと武田勝頼、討死――

 

 偉大な父にも負けぬ立派な男は、あの世で愛する妻と再会を果たしただろう。

 そしてわに塚の桜が咲き誇る様子を、二人でのんびりと見ているに違いない――

 



山梨県にある「わに塚の桜」。樹齢300年と言われており、この時代にはまだ存在しないと考えられております。

しかしきっと武田勝頼公と北条夫人は甲斐国で桜を愛でていたのではないか、そう信じてやまないのです。

お二人が今も仲睦まじく、時を過ごされてらっしゃるのをお祈りしております。


さて、『太閤を継ぐ者祭り』もいよいよ佳境を迎えました!

しかしまだまだ続きます!


是非、最後までおつきあいをお願いいたします!


本日(1/27)発売! 書籍版『太閤を継ぐ者』も是非よろしくお願いいたします!

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