大坂夏の陣⑨ 後藤又兵衛
◇◇
――桂広繁様が入城されました!!
藤堂高虎が三の丸に突入したのを機に、桂広繁は手勢の指揮を大谷吉治に任せて、大坂城内に入っていった。
『籠城の鬼』の登場に、絶望の色が濃かった城内が湧きたつ。
だが広繁本人は、危機感を募らせた険しい表情を浮かべながら大股で廊下を歩いていくと、泥のついた甲冑姿のまま、謁見の間へと入っていった。
そこには、淀殿、大蔵卿そして三の丸から戻った大野治長の姿があった。
なお、評定衆の織田有楽斎は、『大坂冬の陣』の和睦が成立した後、『豊臣家からの人質』として京へ身柄を移されている。つまり彼はまんまと大坂城を脱出していたのであった。
さて、広繁は彼の弟子である薦野甚兵衛と弥兵衛の二人を引き連れて、淀殿の前に腰を下ろした。
そして丁寧に一礼すると、はっきりとした口調で告げたのだった。
「まだ希望を捨ててはなりませぬ。きっと秀頼様が戦を止めてくれましょう」
広繁の迷いのない言葉に、淀殿はニコリと微笑む。
そして穏やかな声で言った。
「わらわは始めから希望も絶望も持ち合わせておりませんよ」
広繁はぴくりと眉を動かしただけで、何も口にしない。
すると淀殿はゆっくりと続けた。
「ただこの城と運命をともにするだけです。なぜならこの城はわらわであり、わらわはこの城なのですから」
広繁は小さく頭を下げると、すぐにその場を立ち去っていった。
廊下に出たところで甚兵衛が不思議そうに問いかけた。
「今の淀殿のお言葉はどのような意味でございましょう?」
その問いかけに広繁は甚兵衛の方を見ずに、前だけを見つめて答えたのだった。
「例え城が燃えようともここを動かぬ……そう決意されておられるのだ」
「そんな……では……」
「うむ。この籠城は絶対に負けられぬ、ということじゃ!」
広繁は自分に言い聞かせるように力強く言うと、敵が迫り来る二の丸へと急いだのだった。
◇◇
一方その頃、戦場の中央にあたる茶臼山の麓では、後藤又兵衛と大野治房の二人が奮戦していた。彼らの兵は合わせて六五〇〇。対する彼らを囲む幕府軍は一五〇〇〇の大軍だ。
それでも彼ら二人は諦めるつもりなど毛頭なく、前を突き進んでいく真田隊の背中を守り続けていたのだった。
「おりゃあああ!! 虎も畏れる又兵衛の前に立つとは、大した度胸じゃねえか!」
と、又兵衛は叫びながら勇躍し、自ら敵兵をばたばたと斬り伏せていく。
一方の治房もまた獅子のごとき咆哮をあげながら、槍を猛烈な勢いで振り回し続けていた。
二人の猛将たちによる果敢な戦いは、周囲の者たちを勇気づけ、敵兵を退ける力となっていたのだった。
しかし、戦況の大きな変化は、彼らの心境に大きな変化をもたらしていった。
特に三の丸に藤堂、前田、井伊、そして酒井の軍勢が大挙として押し入ったと耳にした直後は、さしもの二人も意気消沈としてしまったのである。
城が危機的な状況にも関わらず、こんなところで敵に囲まれたままでよいものか……。
そんな単純な疑念が彼らの心にまとわりつき始めた。
そしてもう一つ、心をかき乱す報せがもたらされた。
――大野治徳が敵の銃弾に倒れる! 城内に運ばれたものの、生死不明!!
治徳の叔父である大野治房は大いに乱れた。
治徳は治房をよく慕っており、治房は治徳のことをまるで我が子のようにかわいがってきたからだ。
「うおぉぉぉ!!」
涙を流しながら槍を振るい続ける治房。
可愛い甥を傷つけた相手の首筋に槍を突き立ててやりたいという強い復讐心が、彼の理性を飛ばしてしまったのである。
暴走気味に敵陣に突っ込んでいく治房。
その隙を見逃すほど、『倫魁不羈』こと水野勝成は甘くなかった。
倫魁不羈とは『あまりにも凄すぎて誰も手におえない』という意味だ。
かつてはたった一人で三万の大軍に立ち向かい、三百もの敵兵を討ち取って大軍を追い払ったという伝説的な逸話まで持つ。
後藤又兵衛と大野治房という猛将二人を一人で相手し続けながらも息一つ乱れていない。
そんな彼が治房の様子を見て、にやっと口角を上げた。
「とうとう狂ったな! 猪武者め!!」
彼は愛刀の『日向正宗』をすらりと抜くと、治房目掛けて一直線に進んでいった。
一方の治房は怒りのあまりに視野が狭くなっており、横から鉄砲玉のように飛んでくる勝成の気配にすら気づかなかったのだ。
そしてそれは本当に一瞬の出来事だった。
――スパッ!
という乾いた音がしたかと思うと、治房の雄叫びがピタッとやんだのである。
そして……。
――ブシュッ!
という音とともに、鮮血が彼の喉元から勢い良く吹き出した。
「治房!! やいっ! どきやがれ!!」
少し離れたところにいた又兵衛は、瞳を真っ赤にして敵兵をかき分けて彼の元まで駆け寄った。
「しっかりしろ! 治房!! こんなところで死んじゃだめだ!!」
しかしもう手遅れであることは、治房の瞳から急速に光が消えていくことからもあきらかだった。
彼の瞳から大粒の涙が流れ出す。
すると彼は最後の力を振り絞るように言った。
「あ……に……う……え……を……」
彼が言う『兄上』とは言うまでもなく、『大野治長』のことを言っているのだろう。
又兵衛は何度もうなずきながら、涙を流し続けた。
そして治房は、強い力で又兵衛の手をつかみながら言ったのだった。
「た……の……む……」
この言葉を最後に、彼の瞳から完全に光がなくなった。
ゆっくりと開きっぱなしの治房の瞼を閉じる又兵衛。
そして涙をぐっと拭くと、ゆらりと立ち上がった。
「わりぃな、治房。そいつはおいらの役目じゃねえよ。おいらの役目は……」
ぐわっと目を見開いて鬼のような形相となる又兵衛。
彼が睨む先には水野勝成の姿があった。
「一人でも道連れにして死ぬことだ!!」
気づけば六五〇〇いた兵も、残りわずか一〇〇ほどとなっている。
そして真田隊に敗れた松平忠直隊も態勢を立て直すと、又兵衛の軍勢を取り囲っていた。
二五〇〇〇以上の大軍に、およそ一〇〇で対する又兵衛。
しかし彼は逃げも隠れもしなかった。
そして彼の脳裏には、師匠であり、父であり、そして尊敬する当主でもあった黒田如水の顔が浮かんでいた。
「官兵衛様! あの世に行ったら、おいらを叱らないでおくれよ!」
――ダッ!
又兵衛は地面を蹴った。
大海原のような敵陣に向けて……。
「おいらは『夢』を守るために死んだだからよ!!」
後藤又兵衛、討死――
最後の最後まで敵に背を向けなかった見事な生き様だった。
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