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大坂夏の陣③ 恐怖を勇気に変えて

◇◇


 慶長一七年(一六一二年)五月七日 六ツ半時(午前七時ころ)――

 

 俺、豊臣秀頼は緊張からか、がちがちと震えていた。

 周囲は真っ白な陣幕。世紀の一戦を前にして、一人で広い本陣の中の椅子に座っているのだ。

 緊張するなという方が酷というものだろう。

 

 するとそこに鮮やかな刺繍があしらわれた甲冑に身を包んだ甲斐姫が、俺をたずねてきた。

 彼女は俺の顔を見るなり口角を上げると、すぐ隣に椅子を持ってきて、どかりと腰を下ろした。

 

「まさか怖いのか?」


 人をおちょくったような物言いに、一瞬だけムッとしたが、俺は素直に気持ちを吐き出した。

 

「怖くなかったら人ではない!」

「ふふふ! そりゃそうだ」


 彼女は無邪気な笑顔を見せると、俺の肩にぽんと手を置いた。

 

「心配するでない。絶対にわらわが秀頼殿を守ってみせよう」


 ちらりと彼女の顔を見ると、彼女は真剣な瞳で俺を見つめていた。

 俺は思わず視線をそらすと、口を尖らせた。

 

「し、信じてるからな……」


 彼女はふっと表情を和らげると、静かに俺から離れて本陣をあとにしようとした。

 そして去り際に一つたずねてきた。

 

「なぜ、源二郎を側におかなかった? いつもお主らは二人でおったであろう」


 俺は意外な質問に目を丸くしたが、すぐに元の表情に戻すと、口元に笑みを浮かべながら答えたのだった。

 

「真田幸村は、未来の人々にとっての『英雄』だからな」


 そう……。

 真田幸村の人生における最大の見せどころと言えば、『大坂夏の陣』で見せた徳川家康の本陣への突撃である。

 彼の猛攻を受けた家康は、敗北を覚悟して自刃しようとまでしたらしい。

 結果的には大軍によって押し返されてしまい、彼は戦場の華となって散ってしまったのだが、その活躍は後世に語り継がれて、彼を『英雄』へと押し上げたのである。

 

 もし彼が俺の隣にいたままでは、そんな彼の人生最大の見せ場を奪ってしまうことになる。

 

 仮に彼の命が危険にさらされようとも、彼が『英雄』でなくしてしまう要因を作りたくなかったのだ。

 

 大活躍し、そして生き残って欲しい。

 

 わがままな俺はそのように願っていた。

 そしてその願いを自分の手で絶対に叶えると決意していたのだった。

 

 甲斐姫が目を細めて俺の顔を見ている。

 俺は急に恥ずかしくなって、彼女を追い払おうと手を振った。

 

「もういいだろ! 早く持ち場に戻ってくれ!」

「ああ、分かっておる。では、またな」


 そう言って彼女は俺に背を向けた。

 

 その時だった――

 

――ダダダッ!


 と、慌ただしい駆け足の音が響いてきたかと思うと、一人の小姓が大声を上げた。

 

「申し上げます!!」


 ただならぬ雰囲気に、甲斐姫も思わず俺の側に駆け寄る。

 俺は椅子から立ち上がって、小姓に負けぬ声で答えた。

 

「うむ! 申してみよ!!」


 すると小姓は、声を枯らしながら告げたのだった。

 

「敵方、松平隊が茶臼山の真田幸村様の陣に向けて発砲を開始しました! 真田様も応戦中とのこと!!」


 俺ははっと目を開いて甲斐姫の顔を見た。

 甲斐姫も険しい顔つきとなって俺と顔を合わせる。

 

――松平忠直をたきつけ、抜け駆けさせてくれ。


 俺が伊達政宗に頼んでおいた『策』だ。

 さすがは『独眼竜』政宗。

 見事にその『策』をやり遂げてくれたわけだ。

 

「ついに始まったか!」


 俺は思わず声を漏らした。

 『大坂夏の陣』の中でも、最終決戦と銘打っても過言ではない、最大の戦い……。

 『天王寺の戦い』の火蓋が切って落とされた瞬間であった――

 

◇◇


「さすがは伊達殿。いや、秀頼様をたたえるべきか……」


 茶臼山の中腹に陣を構えていた真田幸村は、迫りくる一万五千の忠直の軍勢を見つめながら、そう漏らしていた。

 彼は一度大きく息を吸い込んで、吐き出すとともに天を仰いだ。

 

「父上……兄上……安芸、蘭、大助……」


 誰よりも家族を愛した彼らしく、一人一人家族の名前を口にしていく。

 そして薄目になって、空に顔を出し始めた太陽を見つめながら最後の二人の名を口にした。

 

「秀頼様……そして、太閤殿下……」


 一度目を閉じる。

 

――ああ……怖いのう……。


 心の中で、そうもらした。

 彼は自分自身のことを、誰よりもよく知っている。

 

――それがしは、秀頼様がおっしゃるような『英雄』なんかではない。


 だから『東国無双』とたたえられた本多忠勝にならい、鹿の大きな角を二本あしらった兜をかぶり、『甲州最強』とたたえられた山県昌景やまがたまさかげにならって、赤に染めた甲冑を身につけている。それは『英雄たち』に真似ることで、『恐怖』を克服する強さを得るためだった。

 

 しかし見た目だけ強くなっても、中身はそうやすやすとは変わらないものだ。

 だから彼は震えていた。

 敵の大軍を目の前に、臆していた。

 逃げ出したくなる気持ちを必死に抑えていた。

 

 だがそんな時、彼は『恐怖』に打ち克つ言葉を知っている。

 それは、かつて太閤秀吉にかけられたものだった。

 

――源二郎! 武士っちゅうもんは、明日どうなる身なのか知れたものじゃあない! だからこそ『今』を必死に生きろ! だがのう、戦だけは別じゃ! 『今』しか見えぬ者は、『恐怖』にかられる。『恐怖』に勝つためには、『未来』を見ろ! 『夢』を見ろ! 勝ったら、うめえもんいっぱい食って、おなごと戯れる夜を思え! そうすれば『恐怖』はすっと消えておる!


「未来ですか……夢、ですか……」


 彼には『夢』がある。

 それは大坂城という『村』に寄りそう人々を『幸せ』に導くことだ。

 

「この戦、絶対に負けられぬ……!」


 堀がなくなり、戦火を目の前にさらされた大坂の街と、そこに暮らす人々。

 彼らを幸せに導く未来を作るためには、自分がここで負けてはならない。

 

 その想いが、彼の心を強くしていく。

 徐々に目が開いていくのと同時に、心の中に巣食っていた『恐怖』は霧散していった。

 そして、その代わりに生まれてきたのは、とめどない『勇気』だ。

 

 ついに目を大きく見開いた幸村。

 

 その瞬間、彼は『日の本一のつわもの』真田幸村となった――

 

 彼は馬にまたがると、「はっ!」というかけ声とともに馬の腹を蹴った。

 

――ドドッ! ドドッ! ドドッ!


 馬が力強い足音を立てて山を降りていく。

 そして彼が率いる『赤備え』の軍団が目の前まで迫ったその時、彼は雷鳴のような声をとどろかせたのだった。

 

「六文銭の旗を掲げよ!!」


――ババッ!


 彼の号令で一斉に旗が風になびき始める。

 あの世への駄賃を意味する『六文銭』。この旗は、『たとえ命を散らそうとも、絶対に引かぬ』という不退転の覚悟を示す、真田家の誇りだ。

 

 そして彼は疾風となりながら、切り裂くような名乗りをあげたのだった。

 

「われこそは、真田幸村ぁぁぁぁ!! みなのもの! われに続けぇぇぇぇ!!」


――オオオオオオッ!!


 豊臣家にあって最強の軍団、真田隊。その数、三五〇〇。

 その中には、霧隠才蔵や猿飛佐助をはじめとした真田十勇士たちの姿も、もちろんある。

 しかし今は先頭をいく幸村も含めて、まるで一体の龍が翔るように戦場を突き進んでいった。

 そして……。

 

「うてぇぇぇぇぇい!!」


 と、幸村が命じると、なんと彼らは走りながらボウガンで榴弾を放ったのである。

 

――ドガガガガガッ!


 次々と爆発していく榴弾に忠直隊が怯む。

 その隙をついて、幸村は単騎で彼らの中央へと突入していった。

 

「うおぉぉぉぉぉぉ!!」


――ズンッ!


 手にした穂先が十字型の刃の槍、『十文字槍』を軽々と振り回して、周囲の敵兵を切り刻んでいく。

 すると一筋の道が、一万五千の大軍で作られた円陣の中に生まれた。

 

「殿に負けるなぁぁぁぁ!!」


――うおぉぉぉぉぉ!!


 霧隠才蔵が柄になく大号令をかけると、十勇士たちが幸村の背中を守らんと敵中に斬り込んでいく。

 そこに『赤備え』の軍団も、突っ込んでいった。

 

――ドンッ! ドガンッ!


 銃剣で敵を突きながらも、隙があればすぐに弾を後ろから込めて、鉄砲を放つ。

 血の滲むような厳しい訓練を、何度も繰り返してきた真田隊。

 戦を知らぬ忠直が、止められるはずがなかった。

 

 しかし、忠直の側近たちは別である。

 

 徳川家康と共に幾多の戦場を駆け巡ってきた忠直の側近たちは、一度は面食らったものの、すぐに態勢を立て直して、忠直の代わりに号令をかけた。

 

「ここが越前兵の強さの見せどころよ! かかれ! かかれ! 越前兵!!」


――オオッ!


 越前兵もまた名将、結城秀康によって徹底的に鍛えられた猛者たちの集まりだ。

 徐々に冷静になって、士気を高めていった忠直隊は、真田隊を包囲しはじめたのである。

 なお宗茂が『第一備』とした軍団は、本隊の松平忠直隊だけではなく、『鬼日向』と畏れられた鬼神、水野勝成など、いくつかの隊が属している。

 それらの隊は今、真田隊と行動を共にしていた後藤又兵衛や大野治房といった豊臣家が誇る猛将たちと激しい戦闘を繰り広げていた。

 つまりここにはおよそ一万五千の忠直隊と三千五百の真田隊しかいないのだ。

 こうなると兵数差が四倍以上では、さすがの真田隊も厳しい……。

 

 と思われた。

 しかし幸村は怯むどころか、ますます勢いづいて敵陣を一点突破していったのである。

 

「進めぇぇぇぇ!! 横と後ろに構うな!! 武士なら前だけを見よぉぉぉぉ!!」


――オオオオオッ!


 みるみるうちに忠直の本陣に真田隊が近づいてくる。

 こうなるとさすがの本多富正も顔を真っ青にした。

 

「でんれぇぇぇぇ!! 伊達殿に援軍の伝令を送れぇぇぇ!!」


 富正は必死に叫んだ。

 しかし、忠直が彼の口を塞いだ。

 

「待て、富正!! それでは俺が忠輝に援けを求めることになるではないか!! それはならん!!」


「そんな強情を言っている場合ではないっ!! あなたには目がないのかぁぁぁぁ!!」


 まるで家臣とは思えない剣幕の富正に、忠直は瞬時に委縮してしまった。

 

「とにかく援軍が来るまでは持ちこたえましょう! ここを抜けられれば、大御所様の本陣が危うくなるのですぞ! 逆にここを守り通せば、忠直様はこの戦で一番の働きとなりましょう!!」

「一番の働き……」


 富正の言葉に、忠直はにわかに興奮し始めた。

 すると本陣を飛び出して、慌てふためく兵たちに号令をかけたのだった。

 

「ここが勝負どころぞ! かかれ! かかれぇぇぇ!!」


 こうして大将が我に返ったところで、真田隊の突撃の勢いを鈍らせることに成功した。

 

 あとは四万の忠輝と政宗の援軍を待つだけだ……。

 

 富正は戦場を見つめながら、そう胸をなでおろしていた。

 

 

 しかし……。

 

 

 援軍はいっこうに姿を現さなかったのだった――

 

 

 

 

 


『太閤を継ぐ者祭り』スタートです!

次は本日の18:00に公開です!


Twitterでも報告させていただきましたが、書籍版の真田信繁公のイラストを、仙台真田家(信繁公の直系)第十三代ご当主の真田徹氏に見ていただきました。

「なかなか男前でいいね!」

と、お墨付き(?)をいただいて、大変嬉しく思っております!


いよいよ明日(1/27)、書籍版の『太閤を継ぐ者』が発売となります!

どうぞよろしくお願いいたします!!

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