風雲!関ヶ原の戦い!⑥てっぺんから見える景色
松尾山の山中、藤堂高虎の小隊に奇襲を受けて後退した大谷吉治は、父大谷吉継の姿を確認したために、急いで父の元へと駆け寄った。
「父上!ご無事ですか!」
「なんのこれしき。それよりも早く戻らんか。わしのことなどどうでもよい。今は金吾中納言の首を取ることだけを考えよ」
そう叱りつける声は弱々しい。みれば矢傷であろうか、直垂の内の白い布地が赤く染まっている。
しかし吉治にはその叱責で父の思いを汲み取り、すぐに前線の方へと振り向き直した。
そして吉継の近くに寄り添うようにして待機している側近の湯浅五助に対して、
「父のことを頼む」
と、短く後を託すとそのまま敵兵が押し寄せてくる前線へと駆けていったのだった。
その後の戦闘は苛烈を極めた。
吉継を守る直属の親衛隊は湯浅五助を中心にわずかな人数ながらも、山の麓から上がってくる藤堂、京極の連合軍と互角以上の戦いを演じ、すでに多くの傷を負った吉継にこれ以上は指一本も触れさせぬという気迫で押し返している。
一方の最前線では吉治の手勢と小早川と藤堂の軍勢が激しく火花を散らしていた。
かくして松尾山の中腹は修羅の巷と化したのだった。
一進一退の攻防が続いている。
しかしその兵力差は歴然で、周囲を囲まれた大谷軍は目に見えてその数を減らしていった。
吉治の体にも無数の矢傷や刀傷が刻まれている。
少々血を流し過ぎたようで、頭がもうろうとし、気を抜くと意識が飛びそうだ。
しかしその度に、
「てっぺんに行けば景色が変わる」
と自分に言い聞かせて、上へ上へと進む気合いを絞り出していったのだ。
それでも体の方はとうに限界を迎えている。
ふり続けている刀が重い。
足も鉛をつけたように重く、たった一歩前に出すだけで息があがる。
空気が薄い。心臓は破裂するのではないかと思う程に激しく鼓動している…
それでも
「てっぺんに行けば景色が変わる…」
と呪文のように唱えれば、背後にいる父が見えない手で背中を押してくれるように吉治には思えた。
吉継は吉治が幼い頃から病に侵されながらも豊臣政権を支える忙しい毎日を過ごしていた。その為、親子が会話を交わした量は、普通の家よりも少なかったかもしれない。
それでも吉治は寂しい思いなどしたことはなかった。それどころか、そんな父を誇りに思っていたのだ。
今思い返せば、幼い頃に一緒に山に登った事は、そんな父との唯一の思い出だったかもしれない。しかしその思い出が今、彼の力となっている。
一歩、また一歩。
足を踏み出すたびに、父吉継が背中から「負けるな!」と声をかけてくれている気がする。
交わした会話は少ないけれど、父が残した教えは彼の翼となって心を前へとはばたかせる。
「てっぺんに行けば景色が変わる…」
いよいよ目がかすれてきた。
わき腹が燃えるように熱い。おそらく深い傷を負っているのだろう。そこから流れる血が、彼の多くを奪っていくようだ。
しかしそれでも父は彼に諦める事を許さない。
「相変わらず意気地なしだのう!」と笑い飛ばしてくる。
その度に幼い勝気が彼の心を奮い立たせる。
もう幾度そんな事を繰り返しただろうか…
「てっぺんに行けば景色が変わる…」
もはやそう口にする時には意識がなかった。
それは間違いなく吉治に死の影が音もなく近寄ってきている事を示しているのだが、彼は気付いていない。
しかし彼はここにきて満足していた。
なぜなら父と多くの会話をした気がしていたからだ。
こんなに多くの時間を共に過ごしていたからだ。
もうここで終いにしよう…
彼が「死」に身を委ねようとしたその瞬間…
「てっぺんに行けば景色が変わる…諦めるな。吉治」
その声は彼が自らの意志で倒れる事を許さなかった。
その「本当」の父の声で、彼は目を覚ます。
すぐ背後には父の荒い息使いが聞こえる。もはやそれが最後の力のかけ声だったようだ。
ぐったりと輿の上に座る吉継は、もはや頭を上げることすらかなわなかった。
ああ…俺はなんと親不孝者なのだ…
彼は父の教えを守れずに、自分から諦めそうになった事を悔いた。
ふと上を仰ぐ。
そこには一羽の大きな鳥…
高らかと声を上げて、悠々と大空を仰いでいる。
あの鳥はその景色を見ているのだろうか…
ああ…見てみたい。
父が見せたかったその景色を。
父の見た夢を…
彼の瞳がゆらりと燃える。
そしてその両手で持つ刀も燃えた。
「てっぺんに行けば景色が変わる!いくぞ!!」
もう足は重くない。背中に翼が生えたように体が軽い。
彼はその時何かを乗り越えた。
そしてそれは…
歴史が大きく歪んだ事を意味した。
吉治は止まらない。
槍も刀も何もかも彼を止める事はかなわなかった。
まずは援軍として現れた藤堂の小隊がその勢いにのみ込まれるようにして、散り散りになって退散した。それを見て小早川の軍は大いに恐怖し、我先にと山頂へと駆けこんでいく。
それに押し出されるようにして山頂に待機していた多くの兵が、大谷軍が登ってきた方角とは反対側の方へと山を下っていった。
その小早川軍の先頭に立って必死の形相で山を下りていくのは、総大将の小早川秀秋であった。
そしてついに…
大谷吉治は山頂にたどり着いた。
すでに日は高く、朝の霧は嘘のように晴れている。そんな頃合いだった。
「大谷吉継が家臣、大谷大学助吉治!!敵本陣を乗っ取ったり!!」
その勇ましいかけ声とともに、生き残った大谷吉治の手勢から歓喜の雄たけびが上げられる。みな顔は泥だらけで、体中に出来た傷で衣服を赤く染めている。
しかしその表情は何かをやり遂げた充実感に満たされていた。
遅れて大谷吉継が湯浅五助を伴って、小早川秀秋の本陣に入ってくる。
山麓から上がってくる藤堂と京極の本隊は、まだ上がってこない上に、後退した小早川の軍勢も様子をうかがうように山頂に登ってくる気配はないようだ。
大谷親子にわずかな時間であったが、静寂と平穏が許された瞬間であった。
「父上…」
吉治の方から吉継へ声をかける。しかしそれに続く言葉が見当たらない。
すると吉継の方から彼に向けて一つ頼み事をしてきた。
「吉治よ…わが目となってはくれまいか?」
それは山頂から見える景色を言葉で伝えてほしいという願いであった。
吉治はその父の願いを聞き入れると、五助とともに輿を担ぎ、関ヶ原の平原がよく見える場所へと足を運ぶ。
その会話、淡々とここにつづる。
「吉治、何が見える…?」
「人と人が殺し合う景色が見えます」
「その景色どう思う?」
「あまりよい景色とは思えませぬ」
「その景色…豊臣秀頼公とともに変えよ」
「徳川内府ではなく、豊臣秀頼公と…でありましょうか?」
「これは父の『人としての』わがままである」
「と申しますと…?」
「父のこの姿を見て、慈悲に溢れた涙を流したのは、亡き太閤と先にお目にかかった豊臣秀頼公しかおらぬ。徳川内府殿は…そうではなかったのだ。
もっとも石田治部と為広に至っては、父の病のことなど、気にも留めなかったがな。
理由はそれだけだ。父の身勝手な願い…聞いてくれるか?」
「分かりました。この大谷吉治。大谷吉継の息子の名に恥じぬよう、豊臣秀頼公とともに、父が夢見た景色を作ってみせます」
「ありがたい…父は吉治という息子を持って本当に幸せであった」
「わたしも父が父で誇り高い思いでございます」
「では…行け。必ず生きるのだ、生きて奉公するのだ。吉治」
最後の一言に込められた想いで、傍らに控えている五助も吉継の決意を悟ったようだ。
うつむきながら涙を流して、嗚咽している。
吉治ももちろん父の覚悟に勘付いているが、涙は見せない。
悲しむ以上に、父から託された使命が彼の心を強くしているのだ。
そして吉治はその場を一人で後にした。
「生きる…俺は生きるぞ」
◇◇
その後歴史が変わった後世において、「大学助の逆落とし」という言葉が出来ることになる。
それは、かの有名な「島津の退き口」と同じように、関ヶ原の合戦において、伝説的な敵陣突破となった。
そう、山頂を後にした大谷吉治とその手勢500は、山麓に陣を張り直した約10,000の小早川秀秋の軍勢に向けて破竹の勢いで突撃をしていったのである。
その軍勢は秀秋本陣をかすめ、吉治の鬼神の如き声と姿は、秀秋の精神を完全に破壊した。
小早川秀秋は関ヶ原の戦いの後、吉治の幻影に恐怖し、大酒をあおるようになったという。
そして現代で言えば、急性アルコール中毒によって、わずか21年の生涯を閉じることになる。
それは関ヶ原の戦いが終わってから、わずか2年後のことであった。
一方の吉治はその兵を最終的にはわずか50人まで減らしながらも、松尾山を下りきり、大坂の方へと逃げることに成功した。
ここに「豊臣の七星」と呼ばれることになる勇者が一人誕生した。
しかし忘れてはならない事が一つある。
その吉治の背中を藤堂や京極の軍勢が追ってこなかった理由を。
「五助…みなのものすまぬ。大谷吉継というわがままな男に付き合わせてしまって」
松尾山の山頂。そこに残ったのはわずか30人の兵。
みな思いは一つだった。
吉継のかすれる声に全員が涙一つ見せずに、頷く。
「ではこの刑部が夢を託した男を守る為に、最後に奉公しようではないか。そんな最期も悪くはあるまい」
大谷吉継は顔を覆っていた布地を自らの手で脱いだ。
そこにあったのは、人が何かをやり遂げた後に見せる最高の笑顔。
この山頂で彼は見たのだ。
最高の夢を…息子の目を通して。
「てっぺんから見た景色…絶景かな」
そして次の瞬間、突撃を指示する。
山頂までたどり着かんとする藤堂と京極の軍勢に向かって…
「契りあれば…六のちまたに待てしばし…遅れ先立つことはありども…」
彼は突撃の最中そう漏らすと、心に二人の友を浮かべるのだった。
大谷吉継…湯浅五助の介錯によってその命を落とす。そして、五助もまた藤堂の兵を何名か斬り伏せて壮絶な死を遂げた。
その頃には、吉治は既に反対側の山麓へと抜けており、藤堂軍と京極軍はなくなく松尾山の来た道を戻り関ヶ原の戦場へと戻っていったのであった。
ここに石田三成が「右の翼」と頼りにしていた一翼が崩壊した。しかしそこでは、とある親子の「奉公のたすき」が確かに渡されたのだ。
そしてこの時、その松尾山の近くで、もう一人の「豊臣の七星」の一人が奮戦をしていたのである。
次はそこに目を移すとしよう。
実は大谷吉治が山頂を目指している描写は、とある作品のオマージュでございます。
心に残った作品でしたので、敬意を込めて作らさせていただきました。
次回は松尾山の麓での戦いになります。
こちらもお楽しみいただければ幸いでございます。
また、暖かい励ましのコメントをご感想でお送りいただいた皆様、本当にありがとうございます。
これからも自分なりに精いっぱい心を込めて作品を書いていきたいと思っておりますので、どうぞよろしくお願いいたします。