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奇跡の光は忠義

◇◇

 

 慶長一七年(一六一二年)二月一九日 大坂城――


 徳川家康が駿府城に入った頃合いを見計らって、俺は幕僚たちを大坂城に集めた。

 もはやこうなった以上は、京の学府で隠れるように会議を行う必要はない。

 むしろ京に集まっているところを襲撃でもされたら、その時点で全てが水の泡となってしまうのだ。

 裏を返せば、それほどに畿内は殺伐とした状況にあると言えよう。

 そしてもし『大坂夏の陣』が史実の通りに勃発するならば今年の五月だ。

 今さら焦って仕方ないが、もう時間がない。

 これが本当に最後の幕僚会議となるであろう。

 俺は強い覚悟をもって、評定の間へと入ったのだった。

 すると目の前に広がる光景に俺は思わず息を飲んだ。


 真田幸村、甲斐姫、石田宗應、加藤清正、堀内氏善、大谷吉治、明石全登、桂広繁、大崎玄蕃。


 なんと全員が集まってくれているではないか。

 特に九州から命からがら脱してきた吉治、それに九州から清正と氏善の二人が目に入った時は、思わず嬉し涙が出てきそうになってしまいそうで困惑した。


 上座に腰をおろした俺は、ずらりと並んだ面々を見回した。

 そして一つ深呼吸をした後、 腹の底から声を出したのだった。


「これから最後の幕僚会議を始める!」


 俺は『最後の』という部分を強調した。

 なぜなら幕僚は、『対徳川の対策』のために設けられたものだ。

 これから起こる戦いは、『最終決戦』となろう。

 つまり『大阪夏の陣』が終われば、幕僚たちは解散とするつもりだ。

 この会議が全ての集大成となる。俺はそうふんでいた。


 そして話し合うべきことはただ一つ。


――徳川家康に勝つために……!


 というものだったのであった――


◇◇


 早朝から始まった会議だが、終わった頃にはすっかり日が傾いていた。

 まだ一九歳の身とはいえ、中身の濃い会議に俺はぐったりとしてしまったが、他の面々も同じようだ。

 しかし誰一人として席を立とうとしなかった。

 

 なぜなら彼らは気付いているのだ。


 こうして俺を含めて十人が顔を揃えるのは、これが最後になると――


「酒をもってこさせましょう」


 誰もがはばかって口に出せなかったことを、口にしたのは、なんと石田宗應だった。

 彼はあまり酒の席を好む方ではないと聞いていた。

 そんな彼の口から酒宴を促すような言葉が聞かれたのだから、みなが目を丸くしたのも仕方ない。

 宗應は俺たちの視線が気持ち悪かったのか、すっと立ち上がった。


「では、私が自分で持ってまいります」


 と、逃げるように部屋を出ていってしまったのだった。


「待て! 俺も手伝おう!」

「わしも行くぞ!」


 と、清正と氏善の二人も慌てて宗應の背中を追う。

 そして俺の方をちらりと見た幸村に、俺は小さくうなずくと、彼もまた吉治を伴って出ていった。


「ではそれがしはつまみでも持ってまいりましょうかのう」

「うむ、ではわしが手伝おう」

「私もいってまいります」


 今度は大崎玄蕃、桂広繁、明石全登の三人が部屋を出ていった。

 そうしてついに俺は甲斐姫と二人で部屋に残されたのだった。


「秀頼殿は行かなくていいのか?」


 甲斐姫が俺に視線を向けて、穏やかな口調で問いかけた。

 俺は肩の力を抜くと、正直な気持ちを吐露した。


「いや、今は少し休みたくてな」

「ふふ、一番若いくせに、何を言っておるのだ」

「はは、そう言ってくれるな。それに今は皆に全てを任せたいのだ。われがしゃしゃり出ては、きっと皆萎縮してしまうだろうからな」

「ふふ、都合のいいところだけ当主面をするのは、太閤殿下そっくりだ」


 そう言って肩をすくめる甲斐姫に対して、俺は口元に笑みを浮かべたまま「そうか」とうなずいたのだった。


 広い部屋に二人きりの時間が続く。

 しばらくの間、少し気まずい沈黙が続いた。


 するとそれを破ったのは甲斐姫の方だった。


「なぜ戻ってきた?」


 端的でぶっきらぼうな質問だ。だが、そこには確かに感謝の気持ちがこめられているのが分かった。

 俺はここも素直に答えた。


「みなを『笑顔』にするために決まっておるだろう」

「そうか……では、お主の知っている『未来』は、皆が泣くことになる、ってことだな」

「何も口にできないのを知っておられるでしょう?」

「ふふ、そうだったな。いや、お主が知っている『未来』がどうであれ、今お主が大坂城を守ろうとしている、その事実だけで感謝せねばなるまい。ありがとう」


 甲斐姫はいつになく神妙な面持ちで俺に頭を下げた。

 俺は慌てて手を振った。


「やめてくれ! 甲斐殿らしくもない!」

「ふふ、しかしお主も馬鹿な男だな。もはや風前の灯火の大坂城に戻ってくるなんて、飛んで火に入る虫も同然ではないか。下手をすれば……いや、十中八九『死ぬ』ことになるのだぞ」

「あはは……仕方ないだろ。俺は惚れてしまってるんだから。豊臣家の人々に」

「その中にはわらわも含まれているのか?」

「えっ……?」


 甲斐姫がじっとを俺を見つめる。

 今年で三九歳になる彼女だが、張りのある肌に透き通るような艶やかな髪と、美しさは出会った頃と何ら変わらない。いや、むしろどんどん洗練されているように思える。

 そんな美女に上目遣いで見つめられて、平常心でいられたら、それこそ男ではないと断言できる。

 俺は言葉を失って、彼女の瞳に吸い込まれるように見つめ続けていた。

 すると彼女の方から再び口を開いた。


「もし、この戦いが終わって一息ついたら、わらわにも褒美をくれないだろうか」

「あ、ああ……それはもちろん。なにが望みなのだ?」

「ふふ、言わずとも分かっておろう」

「いや、それはつまり……」

「秀頼殿の側室に……」


 ……と、そこまで会話が進んだ時だった。


――ピシャリ!


 と、勢い良く襖が開けられたのだ。


「のわっ!」


 思わずのけぞってしまうと、酒を運んできた清正らが目を丸くした。


「ど、どうされたのです? 秀頼様!」

「い、いや何でもないのだ! さ、さあ、酒を並べておくれ!」


 俺は動転した気持ちをどうにか抑えながら指示をした。

 一方の清正らは一様に怪訝そうな顔で酒宴の支度を始めたのだった。


◇◇


 俺は酒宴を心の底から楽しんだ。

 誰もが戦のことなど忘れ、歌い、そして踊った。

 彼らが放つ光はすごく眩しく、俺は何度も手元に目をやった。

 そのたびに、彼らのうちの誰かが声をかけてきたのだ。


――秀頼様! ご覧くだされ! これがそれがし自慢の……。


 と。


 それは、「目をそらさないでくだされ!」と叱咤されているように思えてならなかった。

 同時に「われらは絶対に諦めませんぞ!」と、誓いを立てているようにも思えたのだ。


――『忠義』とはいったいなんでしょう?


 あの時の吉岡杏の問いかけが、あらためて胸のうちに響き渡った。

 俺はその答えが目の前の光景にあると確信した。

 それは……。


――絶対に当主を諦めないという誓い……。


 そしてその誓いの強さこそ、『奇跡』を起こす鍵となるのではないか。

 

 ああ……眩しい。

 眩しくて思わず涙が出そうになる。

 でも、俺は誓ったんだ。

 彼らが目をそらさない限り、俺も絶対に目をそらさないということを――


◇◇


 同じ頃――


 駿府城では徳川家康が一人で部屋にこもっていた。

 この頃の彼は、本多正信や立花宗茂といった側近たちですら、めったに部屋に入れないようにしていた。

 つまり孤独を好むようになっていたのである。

 それを決定的にしたのは、彼の息子、秀忠の言葉だった。


――父上は間違っている。誤りを認めぬのは弱さだ。われは弱い父上など見たくない!


 みながいる前で放たれたその言葉。

 もちろん彼は自身の弱さを認めたわけではない。

 しかし、少なくとも息子にはそう映っているという事実に、彼は少なからず心を痛めていた。

 そして、秀忠の意見は、恐らく秀忠だけの胸にあるものではないだろうことは、あの時周囲にいた人々の目を見れば明らかだった。


 すなわち彼はあの時から孤独となるべくしてなったのだ。

 それでも彼は自分という人間を諦めてはいない。

 自分こそが『正道』を進んでいるのだと、信じて疑っていないのである。


 そんな彼の心に大きな引っ掛かりとなっていたのは、石田宗應の存在であった。

 先の一戦で彼が見せた突撃は、あきらかに関ヶ原で見せたものと質が異なっていた。

 もしもう一度、彼に同じ攻撃をされたら、次こそは自分の喉元に槍を突き立てるに至るのではないか、そう思えてならなかったのである。


「やはりあの時に『処分』しておくべきじゃった」


 彼が『あの時』と嘆いたのは、関ヶ原の戦いの戦後処理を指しているのは言うまでもないだろう。

 思えばそれを『邪魔』したのは、弱冠七歳の豊臣秀頼だった。


「結局、あやつは何者だったのかのう……」


 思い起こせば、ここまで彼が様々なものをかなぐり捨ててまで苦悩しているのも、全て秀頼の行動が起因しているようにしか思えない。

 黒田如水を死に追いやった後は、なし崩し的に自壊していくだろうと思われた豊臣家だったが、ふたを開けてみれば、むしろ追い詰められていったのは家康の方だった。

 どんなに逆境におちいっても、這い上がってくる秀頼の精神力は果たしてどこからくるのか。

 彼には不思議でならなかった。

 

 そして行き着いたのは、『忠義』なのではないか、というものだ。

 つまり秀頼を支えている多くの家臣たちの力によって、秀頼はなおも前を向いてくるのではないか、そう彼には思えてきた。

 そこまで考えを巡らせると、彼の脳裏になつかしい顔が並んでくる。

 本多忠勝、酒井忠次、榊原康政、井伊直政そして本多正純……。

 星のように瞬く忠臣たちは、みな既にこの世の人ではない。

 

「わしは長く生き過ぎたのかのう……教えてはもらえんかね。太閤殿下……」


 家康はかつての好敵手であり、友でもあった豊臣秀吉を想いながらつぶやく。

 こうして今宵もまた、彼は孤独な夜を送るのだった――


◇◇

 

 それから三カ月はまさに流星のように時が流れていった。

 

 一時的に港の機能が麻痺していた堺は、すっかり元通りの活気を取り戻した。

 船の往来も盛んで、特に薩摩に向けての船の往来が増加した。

 それらは、琉球との交易を薩摩経由で行うために、様々な物資を運んでいるのだという。

 水夫たちは豊臣家が雇い入れた牢人たちが多かった。

 そして堺から薩摩へ出ていった後は、琉球や異国への貿易に駆り出されるために、再び堺の港に帰ってくることはなかったという。

 果たしてどれだけの水夫が堺から旅立っていったのか、もはや誰もその数を知る者はいなかった。

 

 一方、九州においては豊後府内城が落城した。

 当主の大友義統が、未だに生死不明の行方知らずとなっていた為、細川や黒田を中心とした幕府軍に対して、大友家は無抵抗で降伏したようだ。

 これで徳川家に『誓紙』を提出していないのは、豊臣家、加藤家そして浅野家となった。


 そしてこのうち動きがあったのは浅野家だった。

 

 なんと当主の浅野幸長と弟の浅野長晟あさのながあきらとの間で意見が真っ二つに割れてしまったのである。

 無論、幸長は「豊臣家が出さぬうちに、当家が先に出すというのは、忠義に反する」と主張し、長晟は「時勢を鑑みて、当家にお咎めがある前に、誓紙を出すべきだ」と主張したのだった。

 

 温厚な長晟に対して、苛烈な性格の幸長。

 どうにかして対話で解決を試みようとした長晟だったが、幸長は「一戦もやむなし」と、その激し過ぎる性格ゆえに、兵を城下に集め出したのである。

 

 これに目をつけたのが、徳川家康だった。

 それは慶長一七年(一六一二年)四月のこと。

 家康は、完成したばかりの名古屋城の大天守の落成式に参加するという名目で、大軍を率いて西上を開始した。

 そして名古屋城のお披露目が終わるやいなや、諸大名たちに通告したのだった。

 

――浅野家の御家騒動に、大坂方が挙兵して介入しようとしている。これは世を乱す行為であり、決して見過ごすわけにはいかない。ついては、大坂方の暴挙をいさめる為に、諸将の協力を今一度求めたい。


 こうして再び全国から二十万の大軍勢が京へと上った。

 そして徳川家康、さらには将軍徳川秀忠の率いる軍勢が到着したところで、幕府軍の全容が整ったのだった。

 

 一方の豊臣軍の兵は、冬の陣と変わらぬ三万八千。

 既に真田丸や長居砦、さらに城の堀がない彼らには、城から出て戦うより他に選択肢はない。

 つまり野戦において、兵力差が五倍以上の幕府軍二十万を迎え撃たねばならない上に、相手の総大将は野戦をめっぽう得意としている徳川家康なのだ。

 

 もはや『絶望』とも言える状況に追い込まれた豊臣軍。

 しかし『いち谷馬蘭後立付兜たにばりんうしろだてかぶと』という、朝日が昇ってきて射す光のような兜をかぶり、『千成瓢箪』の旗印を共にした大将、豊臣秀頼からは、一切の『絶望』は感じられなかった。

 彼の纏った『逆襲』『希望』『奇跡』の三つの光は、豊臣軍の将や兵たちの心を明るくした。

 

 そして白馬にまたがった秀頼は、三万八千の兵が一人残らず聞こえるような大きな声で、高らかと告げたのだった。

 

 

「義はわれらにあり!! 臆することなく、戦うのだぁぁぁ!!」


――オオオオオオッ!!

 

 兵たちの雄たけびが大坂の空を震わせる。

 

 こうして、豊臣秀頼と徳川家康の最後の決戦、『大坂夏の陣』が幕を上げたのだった――

 

 

 


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