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大坂冬の陣⑦ 三成の突撃

◇◇

 

 慶長一六年(一六一一年)一二月一七月 夕刻――

 

 石田三成を総大将とした一〇〇〇〇の豊臣軍の突撃が始まった。

 ようやく雲が抜けた大坂の空は、燃えるような彼の心を映したかのように橙色に染まっている。

 そんな中、先鋒を任された大野治房の強烈な声が、たちはだかる幕府軍を切り裂いていた。

 

「ぐおぉぉぉぉぉ!! ぶっ潰してやる!!」


 鬼神のごとく槍を振り回す治房と彼が率いる兵たちは、大坂城の平野口を固めていた酒井軍を圧倒した。

 関ヶ原の際に先陣を切った『鬼島津』島津義弘の剛毅かつ繊細な突破に比べれば、荒々しく大ざっぱなものだが、気迫だけは彼も負けてない。

 それは今まで溜まりに溜まったうっぷんを晴らすかのようであった。

 

「くっ! 陣を立て直しつつ、佐竹殿に救援を求めるのだ!」


 酒井軍の大将、酒井家次さかいいえつぐは、悔しさを噛みしめながら必死に指示出したが、治房の鬼気迫る威圧によってかき消された。そして、酒井軍は一方的に兵を減らしていったのである。

 

 さらに酒井軍にとって都合が悪かったのは、恃みとしていた佐竹軍が全く動かなかったのだ。

 彼は太閤秀吉を通じて、石田三成とは固い絆で結ばれている。そのため、城を出てきた三成の旗を目がけて突撃するのをためらってしまったのだった。

 

 そうなると東を固める将の中で、頼りになるのは残る一隊だ。

 それは真田隊だった。

 しかし、真田信之の名代として総大将の任についている真田信吉はわずか二六歳で、弟の信政も二四歳の若者だ。彼らにとって初陣となり、周囲の家老たちに支えられながら着陣していたのである。

 初めて見る戦場、初めてみる兵たちの激しいぶつかり合い、そして初めてみる敵将の気迫……。

 これら全てに彼ら兄弟は圧倒されてしまい、ろくに指示を出せないでいた。

 そんな中、彼らの指示を待たずして、一部の兵たちが三成の背後をつかんと飛び出していったが、もはや修羅と化した豊臣軍に対しては、焼け石に水をかけるようなものだった。

 すなわち兵たちはまたたくまに命を散らしていってしまったのである。

 その報せを聞いた信吉と信政の兄弟はすっかり震えあがり、ついに手も足もでないまま、豊臣軍を遠い先まで行かせてしまったのだった。

 

 こうして大坂城の東側の包囲網をあっさりと突き破った豊臣軍は、ますます勢いづいて突き進んでいく。

 

「もはや家康の前に敵なし!! このまま一気に駆け抜けろぉぉぉぉ!!」


――オオオオオオッ!!


 三成と兵たちは一心同体となって、まさに槍のように一直線に岡山を貫こうとしていた。

 しかし、それは真田丸の先にある篠山のふもとまでたどり着いた時だった……。

 

「させるかぁぁぁぁ!!」


 と、右手から軍勢が勢い良く突っ込んできたのだ。

 それは、真田丸を激しく攻めていた藤堂軍だった。その兵数はおよそ五〇〇〇だ。

 機を見るに長けた高虎は、豊臣軍の勢いが増していくと見るや、それを阻止せんと素早く兵をまとめて駆けつけてきたのである。

 なお同じく真田丸を攻めていた前田軍と井伊軍は、今は家康の指示によって長居砦の攻略にあたっている。

 つまり真田丸への攻撃隊がそのまま襲いかかってきた格好だ。

 

――このままでは縦に伸びた陣形の横腹を突かれる形となる。

 

 直感的にそう悟った豊臣軍の足が自然と鈍る。

 以前の三成であれば、ここで焦っていただろうが、今の彼は違った。

 彼は素早く馬を進めると、前を行く後藤又兵衛の馬の横につけた。

 

「又兵衛殿! 前進の指揮をお願いいたす!」

「おうっ! 任せとけ! しかしお主はどうするのだ? まさか……」


 又兵衛がニヤリと口角を上げながら言葉の先を促すと、三成は小さく頷いて答えた。

 

「友の仇を討ってまいります」


 三成が心に浮かべた『友』……それは、大谷吉継だった――

 

 松尾山で、息子吉治の盾となって散っていった吉継。

 その首をとったのは藤堂軍であったのを、三成は片時も忘れなかった。

 

――いつかは『友』の無念を晴らしてみせる!


 彼が『宗應』と名乗り、京の学府設立に尽力していた時も、秀頼が幕府と『共存』を決めた時も、胸のうちに秘めた想いは彼の生きる力となって燃え続けていたのだった。

 

 ようやく巡ってきた絶好機。

 彼が自らの手で成し遂げたいという強い決意は、口に出さずとも又兵衛にしっかりと伝わっていた。

 又兵衛は「大馬鹿者め」と、小さくつぶやくと、強く馬の腹を蹴って、前線へと躍り出ていった。


「おらぁぁぁ!! てめえら!! こんなところで立ち止まっている場合じゃねえだろ!! 俺に続けぇぇぇ!!」


 又兵衛のかけ声が鞭となって豊臣軍の兵たちの心に響くと、彼らは力強く前進を再開した。

 そして残された三成率いる兵数三〇〇〇の一隊だけが藤堂軍と正面からぶつかっていったのである。

 

 

 それは後世に『篠山麓の戦い』と呼ばれる戦いの幕開けだった――

 

 

 さて、又兵衛と別れた三成は素早く気持ちを切りかえた。

 そして彼の取った采配は、『迎撃』ではなく『突撃』だった。

 

「進め!!」

 

 最前線の兵たちが、藤堂軍へ突っ込んでいくと同時に、三成は後方の兵たちにも号令をかけた。

 

「うてい!!」


――ドドドドッ!!


 突撃をしていく兵たちを支援するように後方から一斉射撃が行われると、藤堂軍の前進がわずかに鈍る。

 しかし藤堂軍の大将、藤堂高虎も名の知れた名将である。

 彼は、思いもよらない相手の攻勢に慌てずに、すかさず態勢を立て直すと、大声で指示をした。

 

「相手は猪よ! 突っ込んでくるところを待ちかまえよ! 長槍!! 前へ!!」


――バババッ!


 高虎の号令の瞬間によって、一斉に槍が三成隊の前に向けられる。

 しかし豊臣軍は怯むことなく前進を続けた。

 そして十分に近付いたところで、三成の声が響き渡った。

 

「クロスボウをかまえ!!」


 藤堂軍の槍の穂先のすぐ手前まで前進してきた兵たちはぴたりと足を止めると、背中にしょった小さなクロスボウを構える。

 何度も訓練された流れるような動作と見たこともない兵器に、藤堂軍はとっさに反応できなかった。

 そして……。

 

「うてっ!!」


 という強烈なかけ声とともに、無数の矢が藤堂軍の頭上目がけて放たれた。

 もちろん矢じりにくくりつけられていたのは榴弾である。

 

――ドパパパパパッ!!


 至近距離で炸裂する爆弾。そこから弾け飛ばされた鉄片が容赦なく藤堂軍の兵たちに浴びせられた。

 

「ぐわあぁぁぁぁぁぁ!!」


 絶叫とともに、握られた槍の力が鈍る。

 三成はその隙を見逃さなかった。

 

「殲滅せよ!!」


――ウワァァァァァァッ!!


 銃に刃を括りつけ、弾丸のように藤堂軍へと突進を再開した豊臣軍の勢いはすさまじかった。

 それはまるで三成が抱えていた積年の『友』への思いが乗り移ったかのようだ。

 

 三成は突き崩されていく藤堂軍を目にしながら、自身の胸のうちに神経を傾けていた。


 唯一の彼の理解者であり、親友であった吉継を亡くしてしまった自分の無念を晴らしたい一心だった。

 本来ならばここは後藤又兵衛に任せて、彼は本隊の突撃を指揮すべき立場だろう。

 そんなことは、聡明な彼であれば誰に指摘されずとも分かっている。

 しかし、彼はあの時以来、自分の心に『素直』になると決めたのだ。

 

 今ここで、友と自分の無念を晴らさずば、あの世に行った時に、友にどんな顔ができようか。

 一度は散らしたも同じ命なのだ。

 ならば一片の悔いも残さずに、その命を燃やし尽くしたい。

 

――明日はどうなるか分からぬ身ならば、今を精いっぱい生き抜く! それが武士の生き様だ!


「俺は藤堂高虎と徳川家康、二人とも首に変えてみせる!! 欲張りな男だ!!」


 そう叫んだ瞬間に、ふと亡き太閤秀吉の言葉が浮かんできた。

 

――お前はお前が欲しいもの、全部手に入れろ。その為には努力を惜しむな。そうやって生きている奴に、お天道様は微笑んでくれるものぞ!


 それは関ヶ原の戦いの最中に、九州にいた黒田如水が大坂城へと進軍するのを心に決めた時に浮かんできたものと全く同じものだ。

 つまりこの瞬間、『欲張りの系譜』は、秀吉から如水、そして今、三成へとつながったのだった。

 

 秀吉、如水そして竹中半兵衛の三人が、笑顔で彼を見つめているような気がしてならない。

 自然と彼の口元がほころんだ。

 

「殿下……佐吉は面白い男となったでしょう?」


 彼はそうつぶやくと、馬を前に進める

 そして自らクロスボウを手にとると、一点に照準を合わせた。

 

 それは敵の大将、藤堂高虎だった。

 

「刑部殿。馬鹿な俺を許せ」


 もし矢が命中して、当たり所が悪ければ、高虎は命を落としてしまうだろう。

 そうなれば、幕府にとっては大きな損失となる。

 もしかしたら天下泰平の世を作る地盤が揺らぐほどの打撃となるかもしれない。

 三成が自分を「馬鹿」と言ったのは、彼がそれを認識していたからに他ならない。

 

 恐らく大谷吉継であれば、矢を構えた彼にこう言ったに違いない。

 

――私怨にとらわれるな。世のために、こらえるべきことはこらえよ。


 しかし、彼は迷うことなく引き金を引いた。

 

――ドシュッ!


 一本の矢が一直線に高虎のもとへと進んでいく。

 風を切り裂き飛んでいく矢の行き先を、遮るものは何一つなかった。

 

 そして……。

 

――ドガンッ!!


 と、矢じりの榴弾が高虎の目の前で爆発した。

 そして矢も、彼の肩に深々と突き刺さったのである。

 

「ぐはっ!!」


 短い悲鳴が上がった途端に、高虎の巨体が崩れ落ちていった。

 

「殿! 殿ぉぉぉぉぉ!!」


 大将の叫び声を聞いた名のある武将たちが、慌てて彼の周囲を固め始める。

 その瞬間こそ、三成が待ち望んでいた時とも知らずに……。

 彼はニヤリと口角を上げると、天まで轟く声で号令をかけたのだった。

 

「あそこに大将はいる! 射撃を始めよ!!」


 素早く後ろから弾を込めて、撃鉄を引いた豊臣軍の兵たちは、ひと固まりになっている武将たちに向けて一斉に鉄砲を放った。

 

――ドドドドドッ!!


 なんとかしてまだ息のある高虎を守らねばならぬと、彼の忠臣たちはまさに『盾』となって高虎をかばう。

 

「ぐわあああああっ!!」

「と、殿を守れぇぇぇ!!」

 

 一族の藤堂高刑とうどうたかのりをはじめ、多くの将たちが間断なく続く鉄砲攻撃の餌食となり、折り重なるようにして倒れていく。

 三成は険しい表情のまま、その様子を見つめ続けていた。

 

「絶対に油断は許されぬ! 攻めろ! 攻め続けるのだ!」


――ドドドドドッ!


 三成の言葉に呼応するように、耳をつんざく鉄砲の炸裂音がこだます。

 もはやこうなってしまっては、指揮を執る大将たちをなくし士気を喪失した藤堂軍の兵たちには、散り散りになって逃げていくより道は残されていなかった。

 

――ひぃぃぃぃ!! お助けを!!

――逃げろ! 逃げろぉぉぉ!!


 みるみるうちに藤堂の旗が戦場から消えていき、高虎の周囲には蜂の巣となった大将たちの亡骸が山となって積み上がっていった。

 

 そうして三成と藤堂軍が激突してから、わずか四半刻後(三〇分後)のこと……。

 

 

 豊臣軍は、藤堂軍を完膚無きまで『壊滅』させたのだった――

 

 

 頃合いと見た三成は、兵たちの攻撃を止めると、

 

「そこまでだ! あとは首をとって決着をつけよ!!」


 と、指示を飛ばす。

 兵たちにとっては軍功を挙げる絶好の機会であり、疲れも忘れて、兜をかぶった武者たちに一斉に飛びかかっていった。

 

 しかし、その時だった。

 

「石田殿! これ以上はやめよ!!」


 と、彼の前にとある軍勢が近づいてきたのだ。

 三成は目を凝らしてその軍勢を率いる将を見つめると、見覚えのある姿に、目を大きく見開いたのだった。

 

「山城か……」

 

 その将とは、『愛』の一字をかたどった前立ての兜かぶった人物。

 上杉景勝の軍師であり、三成の『友』でもある、直江山城守兼続なおえやましろのかみなおつぐであった。

 

 しかしかつて『友』でも、今は敵と味方に分かれている。

 

「クロスボウ、かまえ!!」


 三成は高虎の首を狙っていた兵たちに対して、とっさに指示を飛ばした。

 素早く列を整えた豊臣軍は、迫ってくる上杉軍に対してクロスボウをかまえた。

 しかし兼続は物おじすることなく三成の手前まで軍勢を進めてくると、「止まれ!」と自軍の兵たちに命じた。

 

 ゆっくりと三成の近くまで馬を進めてくる兼続。

 一方の三成も馬をゆっくりと進めた。

 

 本来ならば懐かしむべき再会であろう。

 なぜなら彼らは強い絆で結ばれた友人同士なのだから。

 

 しかしこの場では、もしどちらかが「攻めよ」と命じれば、瞬く間にこの場は血で血を洗う惨状となろう。

 

 二人ともそれは十分に理解できている。

 だからこそ、兼続の口から出た言葉は、敵に向けたものとは到底思えないものだった。

 

「今、我が上杉軍は大御所殿より『真田丸』攻略を命じられている。ついては、ここを御通し願いたい」


 三成の口元がわずかに緩んだのは、兼続の言葉に敵意が全く感じられなかったからだ。

 そして彼は兼続の言葉の真意を解説した。

 

「すなわち我が軍が藤堂高虎にとどめをさすのを許さん。その代わりに、上杉は我が軍を見逃そう、そう言いたいのでしょう?」


「さすがは石田殿。話が早くて結構。もはや藤堂は死に態。石田殿の勝ちは誰の目にも明らかならば、これ以上の追い討ちは、かえって石田殿の悪評となりましょう。それに迷っている暇はありませんぞ。大御所殿の本陣を守るように、早くも前田や井伊の軍勢が展開しはじめている。奴らが完全に陣形を整えれば、さすがの石田殿でも突き破るのは難しかろう」


「相変わらず口数の多い男よ……まあ、よいだろう。お主が申したことはもっともだ。高虎の首は惜しいが、そのせいでお主と戦うのは本望ではない」


 すでに又兵衛率いる豊臣軍の本隊は、遥か前方を突き進んでいる。

 もっとも徳川家康がそうやすやすと突撃を許すはずもないだろうと、三成はふんでいた。

 そして彼の考えが正しかったのは、兼続の助言からして明らかとなったのだ。

 ここで下手に道草を食っていては、彼が率いる軍勢が合流したとしても、取り返しのつかない事態と陥ってしまうかもしれない。

 

 三成は「クロスボウをおろせ! 全軍、進め!」と兵たちに指示を出した。

 彼の命令に従って、一斉に動き出す兵たち。

 そんな兵たちにまじって、彼もまた兼続を残してその場を立ち去ろうとした。

 だが、少しだけ馬を進めた時に、彼の背中に向けて兼続の言葉がかけられたのだった。

 

「これで大谷殿の無念を果たせたとお思いか?」


 突き刺さるような鋭い口調だったが、三成は馬の足を止めようとも、彼の問いに答えようともしなかった。

 そこで兼続は三成の背中の方へ振り返ると、離れていく彼に向けて大きな声で彼の本音を告げたのだった。

 

「また共に酒をくみかわせる日が来るのが、それがしの『夢』である! 絶対に死ぬでないぞ!」


 その言葉を聞き終えると、三成は馬の足を早めたのだった。

 

 

 篠山麓から離れるに従って、二人の『友』の温もりが心の中から消え失せていく。

 そして入れ替わるようにして心を覆ったのは、宿敵徳川家康に対する灼熱の憎悪だ。

 家康は、『父』である太閤秀吉が築いてきた全てを我が物とし、彼の愛する家族や家臣をむごたらしく惨殺した張本人である。

 これまで十一年もの歳月に渡って臥薪嘗胆の日々を送ってきたのも、全てこの一瞬を『夢』見てきたからに他ならない。

 

「こんどこそ絶対に止まらぬ!」


 あと数歩先までに迫った関ヶ原の突撃。

 あの時に家康が見せた笑みが今でも頭にこびりついて離れないでいる。

 そして彼の口の動きも……。

 

「ありがとう…… そうだな。俺も感謝せねばならぬ」


 そう……彼は今、天に感謝していた。

 再びこうして徳川家康の首元に正義の槍を突き立てる機会が訪れた幸運に――

 

 

 

 

 しかし……。

 

 歴史の歯車は、どこまでも彼に対して残酷だった……。

 

 それは彼が後藤又兵衛と合流し、津田清幽と重氏の親子の奇襲によって大混乱となっていた家康本隊へと突撃する寸前のことだった。

 

 

「たいきゃぁぁぁぁぁぁく!! 退却せよぉぉぉぉぉ!!」



 なんと金の『千成瓢箪せんなりひょうたん』の馬印を背にした大野治長が、戦場に割って入ってきたのである。

 

 なお『千成瓢箪』の馬印は豊臣家の紋であり、その馬印を背にした大将の命令は絶対に破ってはならないというのが鉄の掟だ。

 

「そんな馬鹿な……なぜだ……?」


 三成は、にわかに治長の行動が信じられなかった。

 しかし、彼の気持ちとは裏腹に、『千成瓢箪』の馬印を見た豊臣軍の兵たちは、ぴたりと突撃の足を止めてしまった。そして必死の形相で馬印の旗を振る治長の命令に従って、続々と戦場から離れていったのだった。

 

「行くな! 家康の首は目の前ぞ! 我が軍の勝利はもうすぐそこなのだぞ!!」


 三成は血の涙を流しながら、懸命に兵たちに反転するように指示を飛ばす。

 しかしその声は、大軍の足音によって虚しくかき消されていくだけだった。

 

「かくなるうえは、俺だけでも!!」

「馬鹿!! やめろ!!」


 三成が単騎で家康に向かおうとするのを見つけた又兵衛が、必死に彼を引きとめた。

 

「離せ! これだけは絶対に譲れんのだ!」

「行ってはならん!! もう決まっちまったんだよ!!」

「何がだ! 勝敗ならまだ決まっておらん!!」


 そこまで彼が叫ぶと、又兵衛はついに彼の首をがっちりと掴んだ。

 

「うぐっ! な、なにをする!? は、はなせ……」

「いや、大人しくなるまで離す訳にはいかねえ!」

 

 三成の口から言葉が消え、空気をなくした顔は徐々に青くなっていく。

 しかし彼の瞳から憎悪の業火が消えるまで、又兵衛は手を緩めなかった。

 そしてついに三成の体の力が抜けかけたのを計って、彼は荒々しく手を離したのだった

 

「ぐはぁ……! ぜえ、ぜえ……」


 三成は呼吸をするのがやっとで、その場から動けないでいた。

 そんな彼に向けて、又兵衛は悔しさを噛みしめた声で告げたのだった。

 

「もう『和睦』が決まっちまったんだよ……」


 三成の細い目がこれまでになく大きく見開かれる。

 

「な……なに!? 『和睦』だと……!?」


 するとようやく冷静になった彼の頭に、治長の叫び声が入ってきたのだった。

 

「淀様が『和睦』を決められたぁぁぁ!! よって、戦は終わりだぁぁぁ!!」


 と……。

 

「淀様……なぜ……」


 茫然としてなおも動けずにいる三成。

 いつの間にか空の色は橙色から、冷酷な紫色へと変わっている。

 そして多くの兵たちが去っていくと、家康の軍勢が目に入るようになってきた。

 

 すると……。

 

 彼の目に飛び込んできたのは……。

 

 徳川家康の姿だった――

 

 偶然にも、目が合う三成と家康。

 

 家康、関ヶ原の時とは違って髪や服装は乱れており、命の危機を感じてのは確かだ。

 真っ青な顔つきからして、今までに味わったこともない恐怖にもとらわれたのだろう。

 

 しかし……。

 

 三成の姿をその目に捉えた瞬間だった……。

 

 

――ニタリ……。



 と、家康は笑みを浮かべたのだ。

 そして大きく口を動かすと、それを見た三成は、愕然とした。

 

「あ……り……が……と……う……だと……」


 それは、あの時と全く同じ言葉――

 

 みるみるうちに三成の顔がぐしゃぐしゃに歪むと、彼は天を震わすように慟哭したのだった。

 

「うわあぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 慶長一六年(一六一一年)一二月一七日。

 後世『岡山の戦い』と呼ばれ、家康が三方ヶ原の戦い以降では、もっとも危機的な状況に陥ったとされるその一戦は、こうして幕を閉じた。

 

 完全に日は沈み、漆黒の闇が支配する夜の空に、三成の泣き声はいつまでも響いていたのだった――

 





真田信繁公の御子孫、仙台真田家第一三代当主、真田徹氏と直接お会いした際に、

真田信繁や昌幸がどんな人物だったと代々伝わっているのか、と質問いたしました。


その答えが、

「明日はどうなるか分からぬ身ならば、今を精いっぱい生き抜いていた」

というものでした。


それを三成公の台詞とさせていただいた次第でございます。


次回が『大坂冬の陣』の終幕になります。



追伸

肩の力を抜いて読める「童話ファンタジー」の連載を間もなく始めようかと思っております。

そちらの作品もよろしくお願いいたします。

公開時にまたお伝えいたします。

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