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大坂冬の陣⑥ 三成再び

◇◇


 慶長一六年(一六一一年)一二月一七日 昼過ぎ――


――西国無双、立花宗茂が長居砦へ向けて侵攻!

――真田丸から長居砦に幕府軍の攻撃が集中!


 との急報が、大坂城に届けられると、城内の兵たちの顔は一斉に曇りだした。

 しかしその一方で、暗い雰囲気の城内とは裏腹に、さながら一足早く春がきたかのように、喜びを爆発させた者が、ただ一人だけいたのだ。

 

「よおおおおし!! ようやく動きおったわ!! かかか!!」


 それは真田昌幸だった。

 彼は老いた身とは思えぬほどに軽い足取りで、通された客室から評定の間へと急いでいた。

 そして湧きあがる興奮を抑えきれぬ様子で口を動かし続けたのだった。

 

「でっかい餌にようやくかかりおったわ! 家康め! 再び真田に屈する時がやって来たようじゃな! かかか!!」


 そして、彼が評定の間に入った直後に、石田宗應らに告げられた。

 それは豊臣軍が仕掛ける『第二の策』にして、最大の大博打。

 

――徳川家康本陣への突撃。


 であった――

 

◇◇

 

 一方、同じ頃――

 堺で町民たちの様子を見ていた津田宗凡と安田道頓の二人は、目の前に広がる光景に絶句していた。

 なんと大量の大砲が船着き場にずらりと並べられていたのである。

 

「こ……これは、ただごとじゃねえぞ」


 と、額を冷や汗で濡らしながら道頓がつぶやいた。

 宗凡は激しい眩暈がするのをどうにかして抑えながら、大砲の方へと目をこらした。

 

「葵の紋……徳川の大砲ですか……」

「なぜだ!? なぜ『海』に向かって撃とうとしてやがるんだ!?」


 すると二人の背後に、音もなく影が伸びてきた。

 人の気配に気付いた道頓が、急いで振り返ると、そこには精悍な顔立ちをした甲冑姿の若武者が立っていた。

 

「あなた方は商人でございましょうか?」

「ああ、あんたがこんな物騒なもんを港に並べたんかね?」


 透き通った声の青年に対して、道頓はドスの効いた声で返す。

 しかし青年は何ら臆することなく答えた。

 

「ええ、殿の御命令によってここに並べたのでございます。ささ、危ないので、どうかお下がりくだされ」

「危ないだぁ!? なんで危ないんだよ!」


 道頓は眉間に皺を寄せて青年に詰め寄る。

 すると青年は、表情を引き締めて答えたのだった。

 

「殿に無断で港を利用としている船を、これから沈めるためでございます」


 その言葉に宗凡と道頓の二人は、驚愕に固まってしまった。

 そして青年に促されるままに港から少し離れた高台へと移されたのである。

 そこで宗凡はふと海の方に目をやると、確かに大型の船が三隻、沖に浮かんでいるのが見える。

 ただし、明らかに商船だし、帆に書かれた紋からして、どこの商家のものかも分かっている。


――まさか本気で沈めるつもりはあるまい。


 と、彼は腹の中では疑っていたのだ。

 しかし、次の瞬間だった。

 

「うてぇぇぇぇい!!」


 という雷を落としたような大号令がこだました。

 

――ドォォォン! ドォォォン! ドォォォン……!


 なんと驚くべきことに、ずらりと並べられた大砲が、一斉に火を吹いたのだ。

 そしてあっという間に三隻の船は、海の藻屑へと姿を変えてしまったのだった。

 

「馬鹿な! 商いの船なんだぞ!」


 道頓が身を乗り出して、青年に詰め寄った。

 青年はぐいっと胸を張って、堂々と答えた。

 

「ここらは我らが伊達軍が守っております! 我らの達しは、『船を港に入れるな』というもの。たとえ商いの船とは言え、掟を守れぬものは相応の罰を与えねば、示しがつきますまい!」

「しかしだからと言って、沈めることはねえだろ! あの船がいくらすると思ってるんだ!」


 実に商人らしい道頓の言いがかりに、青年は毅然とした態度で続けた。

 

「いくらなのかは存じあげませんが、どうか御理解くだされ。もしあの船に敵が乗っていたなら、堺は火の海にされてしまうのかもしれないのですぞ。我らがここで固く守っているからこそ、堺は平穏を保っていられるのです」


 理路整然とした青年の物言いに、さしもの道頓でも口をつぐんでしまった。

 しかし、隣で茫然と立ちつくしているままの宗凡は、既に違う懸念に気を取られていたのであった。

 

「港に入ってくる船は、いかなる船であろうとも沈める……」


 彼がそう呟いた瞬間だった……。

 

「まずいっ!! 道頓殿! 急いで城に戻りますぞ!」


 と、彼は何かに脅えたような顔をして、一目散にその場を去っていったのだ。

 道頓は「なんじゃ!?」と、慌てて追いかけようとする。

 そして去り際、青年の方を振り返ってたずねたのだった。

 

「お主! 名前は!? わしは安田道頓じゃ!」


 青年は引き締まった顔つきのまま、最後まで芯の通った声で告げたのだった。

 

片倉小十郎重長かたくらこじゅうろうしげながでございます!」

「そうか!」


 道頓は短い言葉で締めくくると、宗凡の背中を追いかけていった。

 そしてその道中で彼は青年を思い返して、笑みを浮かべたのだった。

 

――いかなる時も物怖じしない好青年であった。


 片倉重長。この時、弱冠二六歳の青年は、常に伊達政宗の傍らにいた名軍師、片倉景綱の子だ。

 後に『鬼の小十郎』と呼ばれるほどの知勇兼備の将で、史実の通りであれば大坂の陣で、比類なき大活躍を見せる。

 そして、真田幸村の娘を妻に迎えることとなる。

 

 もちろんそんなことなど知る由もない道頓であったが、重長が優れた人物であると見抜いていたのだ。そして同時にこう思っていたのだった。

 

「伊達に人あり……これはますます厳しくなりそうじゃ」


 と。

 

 一方の宗凡は、重長のことなど頭の隅にも入っていなかった。

 今、彼の頭を埋め尽くしていたのは……。

 

――もし秀頼様が生きて帰ってこられるとしたら……このままでは秀頼公のお命が危うい!!


 という、燃えるような焦りだった――

 

◇◇


 その頃、長居砦では早くも立花軍が激しく攻め立てていた。

 陣頭で指揮をする宗茂が大声を張り上げると、天下に並ぶものなしの軍団である立花軍は、一丸となって進んでいく。

 

「立花の名にかけて、絶対に負けぬ! 俺に続けぇぇ!! えいとう!!」


――えいとぉぉぉぉぉ!!


 なお、二重の深い水堀、さらには地下道があるために、全ての橋は切り落とされている長居砦は、まさに絶海の孤島と表現するに相応しい、難攻不落の堅城と化していた。

 しかし、立花軍は抜群の統率力を誇る宗茂の指揮のもと、あっさりと一つ目の堀を突破したのだ。

 その様子を砦の中でじっと見つめていたのは、桂広繁の弟子とも言える、薦野こもの甚兵衛と弥兵衛の兄弟であった。

 

「さすがは宗茂様ですね……」

「うん……兄上。これは参りました」

「弥兵衛や。では、真田様の言いつけ通りにやろうか」

「はい! 兄上」


 弥兵衛は兄の甚兵衛の指示を素早く実行する。

 それは『狼煙』だった。


――第一の堀が破られたら狼煙を上げよ。


 というのが、昌幸の伝言を預かった者が、彼らに与えた言いつけだったのだ。

 彼らはそれにどんな意味があるのかは分からない。

 しかし昌幸の言うとおりに動けば、必ず勝てると信じて疑わなかったのだった。


 一筋の白い煙が、この日も灰色の大坂の空に高く上っていく。

 遠くからでも見える狼煙だ。

 豊臣軍のこもっている大坂城からも、家康の本陣がある岡山からも。


 そして……。

 長居砦の南東にある道明寺でも同じであった。

 そこは尼寺。

 まさかこんな場所に伏兵が潜んでいようとは、徳川家康とて見抜けなかった。

 そして、未だ衰えぬ『幻の無双』が静かに牙を研いでいようとは……。


「狼煙ですね、父上」

「ああ、次郎三郎も衰えたものよ。再び、わしが活を入れてやらねば、己の愚かさすら気づかぬようじゃ」



 それは、佐和山城の戦いで、十一人の子どもたちを守りながら、わずか二人で徳川の大軍を突破した、生きる伝説の親子……。


 津田清幽と津田重氏。

 佐和山で託された想いを胸に、見参――


 彼らの率いるおよそ五〇〇の兵は、静かに寺を出ると、疾風のごとく大和川を渡った。

 そこまで来ると、重氏が父にたずねた。


「父上。北西は長居砦。北東は家康本陣でございます。どちらに向かいましょうか?」


 息子の問いに、清幽は「聞くまでもないじゃろ」と言わんばかりに、口元に笑みを浮かべた。

 それを見た重氏もまた、父に対して「父上はどこまでも馬鹿なお方だ」と口に出さずに目で訴える。

 そして重氏は躍る心を抑えきれずに、兵たちに大きな声で号令をかけたのだった。

 

「狙うは家康の首ただ一つ! 皆の者! 一気に進めぇぇぇ!!」


 と――

 

◇◇


 慶長一六年(一六一一年)一二月一七日 夕刻前――


 大坂城内の兵、一〇〇〇〇が平野口と呼ばれる、大坂城の外に通ずる東南の門に集まっていた。

 うち三〇〇〇は騎兵。しかし勝頼の率いていた騎馬隊よりも、わずかに重装備なのは、敵陣を突破するだけでなく、深く斬り込むためである。

 残る歩兵たちの装備も当時にしては画期的なものばかりだ。

 槍の先をそらすための鉄製の小さな盾、ボウガン、そして撃鉄を用いた後ろごめの銃、その銃には刃を装着し、銃剣にも変更できる。

 

 そんな彼らがこれから向かう先は……。

 

 徳川家康の本陣――

 

 そして彼らを率いる大将がゆっくりと駒を進めてきた。

 

 石田宗應であった。


――バッ!!


 側の兵が旗を掲げると、そこには「大一大万大吉」の文字。

 

「この旗は、一人が万民のために働き、万民が一人のために働けば、必ずや世は良くなる、という意味である!」


 宗應は兵たちに向けて透き通った大声で告げると、兵たちの瞳に光がともった。

 彼は続けた。

 

「われは皆のために死力を尽くそう! ついては、どうか皆に願いたい!!」


 そこで話を切ると、全員を見回した。

 

――ああ、良い目をしている者たちばかりだ。


 彼は『素直』に兵たちに命を預けようと心に誓った。

 十一年前は、兵たちを前に『正義のために共に命をかけて戦うのは当たり前だ』としか思えなかったのが恥ずかしくてならない。

 

 そして彼は兵たちを前に小さく頭を下げて、続けたのだった。

 

「どうか、秀頼公のために戦ってほしい!! この通りだ!! 頼む!!」


 宗應の言葉が終わると、兵たちは面食らってしまい、誰も何も口にできなくなってしまった。

 そのためしばらくの間、沈黙が場を包む。

 

 だが、それは彼の目の前にいた一人の武将から発せられたかけ声が発端だった。

 

 

「おおっ! やってやろうじゃねえか!!」



 後藤又兵衛であった。

 彼は振り返って兵たちを睨みつけると、大声で問いかけた。

 

「やいっ! てめえら! 大将が頭を下げてまで頼んでんだ! ここでやらなきゃ、武士とは言えねえだろ!」


 次の瞬間だった。

 

――オオオオオオオオオオオオオッ!!


 と、割れんばかりの大喊声が大坂をいや畿内全体を地響きのように揺らしたのだ。

 

 宗應は止まぬ喊声を耳にしながら、ここまで十一年もの間、胸にしまい続けてきた『正義の炎』を、心にともした。

 みるみるうちに彼の全身は燃え上がり、戦場の修羅とも言うべき姿へと彼を変えていく。

 

 

 そして彼は『石田宗應』から『石田三成』へと戻った。

 豊臣を守るための『正義の番人』に――

 

 

 彼は、十分に気迫が全身を巡ったところで、大号令を発したのだった。

 

「敵は岡山にあり!! 我に続けぇぇぇぇ!!」


――ゴオオオオ!


 門が轟音を立てて開くと、橋の先に見える幕府軍に向かって、火の玉のように三成は突っ込んでいった。

 

「うおぉぉぉぉぉぉ!!」


 解き放たれた矢のように、一直線となる三成の軍。

 それは関ヶ原の時に見せた、彼の乾坤一擲の突撃とまさに同じであった。

 

「あの時の続きを!! 家康の首に正義の一撃をくだしてくれよう!!」


 こうして三成の大博打は、十一年の時を経て、再び開幕したのだった――

 






なお本作の主人公は秀頼くんです。

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