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大坂冬の陣④ 戦場で年越しを迎えたくない者たち

◇◇


 慶長一六年(一六一一年)一二月一七日 真田丸――


――ウオォォォォォォッ!


 それはまだ夜が明ける前のこと。

 一人の老人が姿を現すと、出城の中は大歓声で湧き上がった。

 

 『豊臣七星』の一人にして『籠城の鬼』桂広繁――


 凍てつく寒空のもと、全身に湯気を漂わせながら、いざ降臨。


 では、なぜ彼がおよそ二里(約八キロメートル)も離れた場所から、敵に見つかることなくここにやってくることが出来たのか。

 それは至極簡単な理屈だった。


 地下道である。


 既に長居砦と真田丸、そして大坂城本丸は、大崎玄蕃率いる金掘衆の手によって、地下道が作られていた。なお史実における、大坂冬の陣では、幕府軍が坑道を掘って大坂城内へ突入を試みたという伝承もある。それを豊臣軍は数年の歳月をかけて完成させていたのだった。


 深夜にも関わらず、多くの兵が一斉に整列して彼を迎えた。

 広繁はゆっくりとその間を進んでいくと、ついに守備大将のいる場所までやってきた。


「あんたが桂広繁殿かい? いいねぇ。やっぱり雰囲気が他とは全く違うじゃねえか!」


 そう言って広繁を迎え入れたのは、こえまで真田丸を守り抜いてきた後藤又兵衛だった。

 広繁は彼の手前までやってくると、小さく頭を下げた。


「これまでの働き、ご苦労であった」

「いや、ただ必死こいていただけだ」

「ふふ、ご謙遜とは……意外じゃ」

「へんっ! さすがのおいらだって得手、不得手があるってもんだ。どうも守るのは苦手でなんねえ」

「さようでございますか」

「んじゃ、あとは頼んだぜ!」


 右手をひらひらさせながら又兵衛は地下道から大坂城本丸の方へと消えていった。

 一方の広繁は、なおも姿勢を正して彼を見つめている兵たちに対して、ゆっくりと向き合った。

 そして彼は低い声で告げたのだった。


「最後の最後まで希望を捨ててはならん。それは、わしの恩人の言葉である。皆も希望は絶対に捨てるでないぞ!」


――オオッ!


「敵がいかに強くとも。どんなに不利であろうとも! わしらは負けん!」


――オオッ!


 広繁の掛け声に、天まで届くかのような勇ましい声で返事をする豊臣兵たち。

 そして広繁は鬼のような形相に変えて、大坂の空に号令を轟かせたのだった。


「なにがなんでも守るぞぉぉぉぉぉ!!」


――オオオオオッ!!


 広繁の気迫が兵たち全員に伝播すると、真田丸は一丸となった。

 その後、広繁は的確に兵の配置をし始めた。

 実にきめ細やかな兵の配置だ。

 一寸の隙も与えない、とはまさにこのことだろう。

 

 そうして夜が明ける前には、全ての兵士の配置が完了した。

 そして攻め疲れた幕府軍がまだ寝静まっている中、雷を落としたような広繁の大号令が響き渡ったのだった。


「うてぇぇぇぇい!!」


――ドォォォォン!!


 度肝を抜くような大声と爆発音に幕府軍の兵たちは一斉に目を覚ましたが、それでも慌てることはなかった。

 なぜなら彼らは鉄砲避けに「竹束」を配備していたし、多くの者が塹壕を掘って身を隠していたからだ。

 こうすれば例え苛烈な鉄砲攻撃が加えられても、命中することはない。

 そう高をくくっていたのだった。


 しかし……。


――ヒュウゥゥゥゥン……。


 という高い音が空中でしたかと思うと、


――ドッカァァァァン!!


 と、頭上で爆発したのである。


「ぎゃあああああ!!」

「いてぇぇぇ!!」


 幕府軍の兵たちの叫び声があちこちから上がりだす。

 彼らを襲ったのは、「花火」だった。

 いや、正確に言えば巨大な榴弾と言うべきだろうか。


 直線的で射程が短い鉄砲攻撃は、対策次第で効果が半減する。

 そこで頭上で爆発させるようにすることで、放物線を描いた弾道が可能となり、射程を大きく伸ばすことが可能となったわけだ。

 それは豊臣秀頼が元の時代に戻る前に開発を指示した武器の一つだった。


 遠く離れた場所から一方的に攻撃されて兵たちが戦闘不能に陥っていく……。

 その状況に危惧した 幕府軍の足軽大将たちは、前進を指示するより他なかった。


「くそっ! ここにいたままではやられる一方だ! かくなる上は突撃!」


 一斉に前に出ていく幕府軍。

 しかし、そこに待ち受けていたのは容赦ない一斉射撃であった。


「鉄砲隊前へぇぇぇ!! うてぇぇぇい!!」


――ドドドドドッ!!


「ぐわぁぁぁぁっ!!」


 今、真田丸を守っているのは雑兵や牢人たちではない。

 れっきとした豊臣軍の精鋭たちなのだ。

 彼らの精度の高い射撃は、間近に迫った相手であれば、竹束をかいくぐって命中させることなど造作もないことだった。


――ドドドドドッ!!

――ドドドドドッ!!


 間断なく続く射撃音。

 さらにその間にも巨大な榴弾による遠隔攻撃は続く。

 しかも広繁の指示によって、それらが無駄なく、無理なく行われていた。


「ひ、ひけええええ!! 一旦、態勢を立て直すのだ!!」


 手前の堀までやって来た前田軍や井伊軍は、大将たちの号令でやむを得ず後退していった。


「背中を撃つ必要はない。我らは守ることが勝つことだ」


 と、広繁は命令をすると、兵たちをその場で休ませる。


 こうして体力を温存しながら、敵が少しでも前に出てこようものなら、息もつかせぬ猛攻をしかける。

 このめりはりによって、豊臣軍は息切れすることなく、真田丸を固く守り続けられたのだ。


「さすがは桂広繁だ……まったく付け入る隙がない……」


 幕府軍の大将たちはこう言いながら、歯ぎしりするより他なかったのだった。

 

◇◇


 同じ頃、大坂城本丸――


 評定衆に代わって、評定の間に入った幕僚衆の二人と淀殿は、これからの作戦について協議することにした。なおその場には代官である大野治長も許されたが、彼の役目は右筆(書記)だった。


「さて、宗應。これからいかがするのです?」


 淀殿がそう切り出すと、石田宗應は驚くべきことを告げた。


「さあ、いかがいたしましょうか? 戦のことになると、拙僧はからっきしで困ります」

「な……なんですと!?」


 思わず部屋の隅にいる治長が手を止めて口をぽかんと開けた。

 これからのことは全てお任せあれと大見得を切って、大蔵卿や織田有楽斎をこの部屋から追い出したのだ。それなのに、全くこの先の策を考えていないような物言いなのだから、治長が驚くのも無理はないというものだ。


 しかし淀殿もまた宗應と同じように太い肝っ玉を持っているようだ。

 彼女は変わらぬ穏やかな表情のまま、今度は大崎玄蕃に問いかけたのだった。


「では大崎殿に何かお考えがある、ということでしょうか?」


 だが大崎玄蕃もまた宗應と同じように首を横に降った。

 そしてしゃがれた声で言った。


「わしら共に徳川に『敗れた男』でのう。そんなわしらの策など、今の強大な幕府にかなうはずもなかろうて」

「そ、それでは降伏するより道はないではありませんか!?」


 思わず治長の口から嘆き節が漏れる。

 するとそんな彼のことを、目を細めながら見た宗應が易しい口調で説いた。


「策を決めるのはわれらであって、われらが策をひねり出すとは、誰も申しておりません」

「な、な、なにぃぃぃぃ!? では一体誰が策を授けるのですか!?」


 治長は、もはや右筆の仕事を放り出して、つつと膝を進めて身を乗り出す。

 すると宗應が彼を見つめたまま、部屋の外で待機している小姓に向けて言った。


「お連れしろ!」

「御意!!」


 弾けるように小姓が廊下を駆けていく音が部屋の中にも響き渡る。

 そしてしばらくして今度はゆったりとした足音が聞こえてきたのだった。

 その足音を聞いて、宗應がゾクリと背筋が凍るような冷たい口調で言ったのだった。


「われらは絶対に徳川家康に負けぬ。よって『徳川への勝ち方を知っている者』に献策してもらおうではないか」

「徳川への勝ち方を知っている者……まさか……」


 治長は『徳川に勝ったことのある者』は誰かと問われれば、武田信玄を除き一人しか知らなかった。

 言わずもがな、信玄はこの世にいない。

 ……と、なると残るは一人だけだった。

 

「はんっ! 大坂城は広くてかなわんのう! もっとも、九度山のボロ屋敷がわしには狭すぎただけかもしれんがな! かっかか!」


 徳川に勝った男であり、『表裏比興の者』と称された神算鬼謀の士、真田昌幸。


 威風堂々と登場――


 史実の通りであればこの年の六月に命を落としているはずの彼であったが、幸村の九度山脱出が彼の気持ちを楽にさせ、寿命を延ばす良薬となったようだ。

 血色のよい顔に、強い野心の炎を灯した彼は、あと十年は長生きしそうな雰囲気だ。

 彼は宗應らの隣に腰を下ろすと、淀殿に向けて深々と頭を下げた。


「真田安房守昌幸でございます!」

「まあ、そなたのことは源二郎からよく聞いておりますよ。しかし九度山に幽閉の身だったとか……」


 淀殿の言葉に顔を上げた昌幸はニヤリと口角を上げると、背後に控えている彼のお供、高梨内記をちらりと見た。

 すると内記は腰を低くしたまま淀殿の前までやって来ると、一通の書状を差し出した。


「これは?」

「目を通していただければ分かります」


 淀殿は流れるような動作で書状を広げると、一目見ただけで目を大きく見開いた。


「秀頼ちゃん……」


 それは秀頼が『元の時代に戻る前』に昌幸に宛てた書状であった。

 そしてその中身は、


――もし徳川が豊臣に弓を引くことあれば、即刻お主を赦免する。その後は、大坂城にて母上を助けて欲しい。


 というものだった。

 つまり秀頼は万が一自分が江戸に移った後に大事があった時のことを想定して、予め手を打っておいたのである。


「書状の求めに応じて、この命を淀様に使っていただきたく馳せ参じました。以後、いかようにもお使いくだされ! かかかっ!」


 昌幸の豪快な笑い声が部屋中に響き渡る。

 一方の淀殿は、秀頼の気遣いに涙を禁じ得なかった。

 宗應が上座に上がって美しい絹の布地を淀殿に手渡すと、彼女は微笑みを作りながら、それを受け取った。

 そして涙を拭うと、気持ちと共に表情を引き締めて昌幸に告げたのだった。


「では、早速おうかがいいたしましょう。昌幸殿、これから豊臣はいかがいたしましょう?」


 昌幸は背筋を伸ばすと即答した。


「無論、大坂城を守りなされ!」


 その場の全員が目を丸くして昌幸を凝視した。

 彼らの驚きに満ちた視線が気持ち良かったのか、昌幸は「かかか!」と大笑いをしている。

 そこで治長が恐る恐る真意を問いただしたのだった。


「それは引き続き大坂城に籠城されていればよいということでしょうか?」

「それでは下策じゃ」

「籠城が下策……」

「いたずらに戦を引き延ばすだけの下策。それでは兵も民も疲れるだけのこと」

「では、いかがするおつもりか!?」

「かかか! そんなこと決まっておろう!」


 昌幸は表情をぎゅっと引き締めると、目に力を込めて続けたのだった。


「短期決戦で守り抜く! 戦場で年を越すなぞ、まっぴらごめんじゃ!」


 と――


◇◇


 ちょうど同じ頃、堺の近くに本陣を張った伊達政宗は、とある商人を呼びつけていた。

 なお彼らの兵は堺の街を占拠はしたものの、狼藉を働くこともなく、むしろ警備に多くの時間を費やしている。

 ただし一つだけ政宗は固く禁じたことがあった。

 それは港の利用だった。

 つまり彼は船の出入りを制限したのだ。

 異国や遠方との取引の中心となっていた堺にとって、船の利用が禁じられたことは、非常に大きな痛手であったが、「戦時中につき、やむなし」という意見が大半を占め、さしたる混乱は起こらなかったのだった。


 さて、そんな中、政宗に呼びつけられた商人は、異国との交易を生業としている者だった。

 彼は言いつけの通りに政宗の本陣までやってくると、ニヤニヤと不敵な笑みを浮かべる政宗の前にひざまずいた。


「では、早速用件を言おうか」


 商人の頭上で、政宗の低くてしゃがれた声が響く。

 彼の持つ圧倒的な雰囲気に、完全に飲み込まれた商人は、あまりの恐怖に顔を上げることが出来なかった。

 すると……。


――ドサッ……。


 と、彼の顔の真横に何か重い物が落とされたのである。

 彼はその音の方へ顔を向けると、そこには大きな布の袋が置かれていた。


「これは……?」

「中をあらためれば分かる」

「へ、へい」


 商人は政宗の顔を見ないようにしながら、袋の中を見た。

 

「な、な、なんですか!? これは!?」


 なんとその中には大量の『金』が入っていたのである。

 そして政宗は驚く彼に向かって言った。


「これはかつての俺の友人……大久保長安が俺にくれた物だ。それを貴様にくれてやる」

「これを私に? しかしなぜ?」


 商人はようやくここで政宗の顔を見る。

 しかし彼は次の瞬間、それを見たことを後悔した。

 なぜなら……。


 それはこの世のものとは思えぬ怪物が、牙を剥いたような恐ろしい形相だったのだから――



「貴様の持っている船を全て俺に寄越せ」


「な、なんの為でしょう……?」


「そんなもの決まっておろう……。全て『沈める』ためだ」



 戦場で年を越したくない二人の策は、こうして着々と進められていたのだった――





 






 

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