笹倉奇襲戦①
◇◇
笹倉奇襲戦――
泰巌が豊臣秀頼を奇襲し、命を奪った戦いだ。
俺は、経緯だけでなく布陣図さえも頭の中にしっかりと叩きこんである。
そして今、俺がいる場所は『笹倉』だ。
周囲には数十人のお供しかいないことを考えると、間もなく泰巌が奇襲を仕掛けてくるに違いない。
ただ大友の乱では『真田幸村が豊臣軍をまとめて引き上げた』とあった。
つまり幸村がこの場から立ち去った後に、大友軍が襲ってくるのだろう。
そこで俺は幸村にたずねた。
「幸村よ。お主はこの後、いかがするつもりか」
既に俺が『近藤太一』であることに気付いている幸村は、何の疑いもなく答えた。
「はっ! これよりすぐに前方を行く大谷吉治の軍へ作戦を伝えに行く予定でございます!」
「なるほど……ちなみに殿の明石全登の軍までは馬でどれくらいかかる?」
「四半刻(三〇分)もかからないかと」
「真田十勇士はここにいるのか? 霧隠才蔵や猿飛佐助たちのことだ」
「はい、全員揃っております」
俺はそれを聞いて、にんまりと笑った。
そしてすぐさま指示を出した。
「望月六郎を明石隊へ、三好伊三を大谷隊へと急がせよ。そして『笹倉』に向かって全速で進軍せよと伝えるのだ」
「御意!」
「それと残りの八人はここに残り『奇襲に備えよ』と伝えてくれ」
俺の言葉に幸村の口角が微かに上がった。
「つまり……そういうことですね」
「言わせるでない。……というよりも、何も口に出来ぬ」
「ははっ! さようでございました! して、秀頼様はいかがなされますか?」
俺は甲斐姫と幸村の二人の顔を交互に見ながら力強く言った。
「隠れる!!」
俺があまりにも真顔で「隠れる」と宣言したのが可笑しかったのだろうか。
二人とも一斉に「ははははっ!」と大笑いを始めた。
「な、何がおかしいのだ! 身の危険があれば隠れるのは当たり前であろう!」
俺が顔を赤くして二人の爆笑に抗議すると、甲斐姫が腹を抱えながら言った。
「ははは! すまぬ、すまぬ! やはり秀頼殿の中身は『お主』に限るな! ははは!」
「むぅ! もうよい! 早くここから立ち去る準備をするぞ! ただし気付かれぬように、こっそりとこの場から散るのだ。そして『まだ笹倉に豊臣秀頼がいる』と見せかけるのだぞ!」
俺の指示に、甲斐姫が目を細めて言った。
「奇襲を仕掛けてくる相手の裏をかくってことだな。いいねえ! 久々に腕が鳴る!」
俺はぐっと腹に力を入れると、
「では、ぬかりなく頼んだぞ!」
と、締めくくったのだった――
◇◇
慶長一六年(一六一一年)一二月八日 夕刻――
冬の夕暮れは早い。あっという間に空が橙色に染まってきた頃。
豊臣秀頼が休憩のために陣を構えている笹倉は静まりかえっていた。
ここら一帯は、山間の中を通る豊後街道にあって、わずかに平地となっている。
そしてわずか十人にも満たない豊臣軍の兵たちが各々にくつろいでいたのだった。
そんな中、すぐ近くの崖上に大友軍の『魔王』と呼ばれている泰巌がゆらりと姿を現した。
「くくく……最後まで愚かであったな。ハゲネズミの息子と聞いて、もう少しは楽しませてくれると思っていたのだが……残念だ」
まるで鴉のような漆黒のマントに身を包んだ彼は、眼下を見下ろしてそう呟いた。
すると少し離れた場所から物見の大きな声が響いてきた。
「申し上げます! 豊臣秀頼公は本陣の中で待機しているのを確かめました!」
聞き慣れない声であったが、さすがの泰巌と言えども、物見全員の顔や声を覚えている訳ではない。
彼は「うむ、では準備に取り掛かれ」と低い声で指示をした。
「はっ!!」
物見の男がその場から去っていくと、泰巌はゆったりとした動作で辺りに潜ませている彼の兵たちの元へと歩いていく。
「せいぜい最後くらいは余を楽しませよ。さすればお主の髑髏を盃として葡萄酒を飲んでやろう」
そう呟いた彼は兵たちの先頭に立つと、すらりと腰の刀を抜いた。
そしてくわっと目を見開くと、凄まじい声を笹倉に轟かせたのだった。
「突撃ぃぃぃ!! 余に続けぇぇぇ!!」
この時既に七〇歳を超えた老人とは思えぬほどの脚力で、一気に崖を滑り落ちていく泰巌。
彼の兵は大将に遅れまいと、必死になって彼の背中を追いかけた。
――ドドドドドッ!!
まるで地響きのような駆け足の音が笹倉一帯にこだました途端に、笹倉の陣は泰巌の兵たちで瞬時に飲み込まれていった。
しかし……
「おらぬ!! どこにも人がおらぬではないか!!」
と、陣の幕の内から兵たちの声が響いてきた。
気付けば数名いた豊臣兵たちの姿すらない。
既に紫色に染まり出した空の元、狭まっていく視界に兵たちはにわかに混乱し始めた。
だが泰巌は全くうろたえることはなかった。
「くくく……面白い。読まれていたか」
と、呟くと即座に周囲の兵に檄を飛ばした。
「探せ!! 遠くへ行っていないはず!! 人を見つけたら農民だろうと何だろうと構わん! 即座に首を切り落とせ!!」
彼の恐ろしい声に兵たちは弾かれるように散り始める。
そして、かがり火すら焚かれていない場所では目だけを頼りにする訳にもいかず、彼らは物音に集中し始めていた。
……だが、それこそ真田十勇士たちの『狙い』であった――
――ドパパパパパッ!!
耳をつんざくような爆裂音が、静寂を切り裂いた。
それは忍術の『金遁の術』だった。
「ぐわああああ!」
「な、なんだ!?」
兵たちが一斉に騒ぎ始めると、いかに泰巌と言えども完全に統制を失った。
そして次の瞬間には、無数の火薬玉が周辺に投げられた。
――ドンッ! ドンッ! ドンッ!
こちらも爆音を上げながら弾け飛んでいく。
しかしそれだけではなかった。
モクモクと煙が立ち込めると、泰巌の兵たちを包みこみ始めたのだ。
これも忍術の一つ。『火遁の術』だ。
「ぐわっ! この煙、目に沁みるぞ!!」
「て、敵か!?敵がいるのか!?」
「と、とにかく煙から外に出るのだ!」
数百人の兵たちが一斉に、風上を目指して動きだす。
泰巌はそれを許さなかった。
「散れ!! とにかく散るのだ!! ひとかたまりになるな!! 余の命令に逆らえば命はないと思え!!」
ところが彼の思惑通りに兵は動かない。
人は命の危険を察知すれば、いかに絶対的な上官の命令であっても従えないものなのかもしれない。
兵の動きは彼の命令と反して、ひとかたまりとなって加速していった。
そして彼らが煙の外に出た瞬間だった。
「うてぇぇぇぇい!!」
という大号令がこだましたかと思えば、
――ドドドドドッ!
なんと鉄砲の一斉射撃が彼らを襲ったのである。
「ぐわぁぁぁぁ!!」
ますます混乱に陥る泰巌の兵たち。
そんな彼らに一輪の華が颯爽と斬り込んでいった。
甲斐姫だった――
「我が名は甲斐!! 『浪切』の錆になりたい者からかかってくるがよい!! うらぁぁぁ!!」
――ズバッ!!
彼女は、しなやかな剣さばきで泰巌の兵を一刀のもと斬り伏せていく。
そして兵たちが彼女の動きに気を取られている直後のことだった。
「ぎゃああああ!!」
「て、敵襲だぁぁぁ!!」
なんと兵たちのすぐ背後に八人の豊臣兵が現れたのだ。
「霧隠才蔵! 参る!!」
「われこそは猿飛佐助!! 野郎どもやっちまえ!!」
「お、俺は『野郎』ではない!! 由利鎌之介! いきます!!」
「かかかっ! 細けえこと気にしてんじゃねえ! おらおら! 根津甚八の参上だ!!」
「八人対数百人! いいねえ! 大博打ってやつじゃねえか! 穴山小助! いくぜ!」
「まったくお主らは……黙って戦えぬものか……海野六郎、前に出ます」
「ははは! 騒がしい方がおいらたちらしくていいでねえか! 三好清海だぞぉ!」
「……筧十蔵だ。死ね」
それぞれに名乗りを挙げて兵たちの背中を容赦なく切り刻んでいくと、ますます泰巌の軍勢は混乱していった。
だが泰巌も凡将ではない。
「……混乱か。ならばさらに迷え! 迷い、狂いながら足掻けばよい!! 鉄砲隊! うてぇぇぇい!!」
――ドドドドッ!!
なんと目の前の味方ごと撃ち抜かんと、鉄砲を放ったのである。
鉄砲玉が横をかすめていった小助が、顔を青くして唾を飛ばした。
「うわぁっ! しょ、正気か!? あいつ!?」
「うだうだしゃべってると腹に穴が空くぞ! 一旦奴らの前から離れるんだ!!」
と、冷静に佐助が指示を出す。
すると八人は蜘蛛の子を散らすようにばらばらとなって、その場を離れた。
「今だ! 態勢を立て直せ!!」
容赦なく射撃を浴びせてきた泰巌に恐れをなした兵たちは、ようやく気付いた。
彼の言葉に従わねば、命がないことに……。
そして即座に泰巌の周囲を固めると、冷静に槍を四方に構えたのだった。
泰巌は兵たちが落ち着いたのを見て、ニタリと口角を上げた。
そして笹倉の平地のちょうど真ん中に立って、大声で告げた。
「豊臣秀頼よ!! なかなか楽しませてくれるではないか! しかし貴様にはもう逃げ道はない! 震えて身を隠しているといい!! 必ず見つけ出して八つ裂きにしてくれるわ! はははっ!」
こうして笹倉奇襲戦の火蓋は切って落とされたのだった――
やっぱり『真田十勇士』は大好きです!
書いていてワクワクします!
しかも今回は甲斐姫と幸村(と秀頼)とのコラボ……
作者的には最高なのですが、皆さまはいかがでしょうか!?
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