真・プロローグ
◇◇
――太一! 太一!
遠くから俺の名前を連呼する声が聞こえてくる……。
すると一点の白い光がゆっくりとに近付いてきた。
そして徐々に眩しく広がっていくと……。
――パチッ!
俺は目を開いた。
目の前には母さんと父さんの心配そうな顔。
俺は彼らに向かって口を開いた。
「ただいま……」
◇◇
元の時代に戻ってきた俺。
どうやら長い間睡眠状態にあったらしいのだが、不思議なことに寝たきりだったのに全く筋力が衰えていない。つまり起きてからすぐに何の障害もなく歩いたり飛び跳ねたり出来たのだ。
だがすぐに自由に動き回るという訳にはいかなかった。
何せ全くの原因不明な状態で、なんと一二日間も目を覚まさなかったのだから……。
俺が寝かされていたのは家の近くにある大きな病院だ。
そこでみっちりと二時間も様々な検査を終えたところで、どこも異常なしと判断された後、ようやく解放されて退院できたのだった。
俺と両親、そして一緒に目を覚ました幼馴染の八木麻里子と彼女の両親と共にバスに揺られる。
季節は夏。クーラーの効いているバスの中はとても快適だ。
どうやら今日が終業式だったらしく、明日からは夏休みとのことだ。
わずか一〇分の間だが、俺は簡単に状況を整理することにした。
俺が謎のフードの少女、つまり未来の千姫と玄関先で出会ってから、今に至るまで『こっちの時代』では一二日間だった。
そして俺が『戦国時代』にいたのは一六〇〇年から一六一一年の一二年間だ。
つまり『戦国時代』の一年が、『こっちの時代』の一日だった、ということになる。
にわかに信じがたい事実ではあるが、そもそも時代を超えて行き来したのだ。
もはやそれくらいのことを受け入れるのは、造作もないことだった。
こうして目を覚ましてからおよそ三時間後に、自宅の玄関先に戻ってきた。
そして例のごとく、
「たっちゃん! 今日は無理しないで早く寝るのよ!」
と、麻里子の小言。
俺は今まで通り「へいへい」と気のない返事をしながら彼女に背を向けた。
ところが……
「ねえ、たっちゃん」
と、いつもとは少し調子の違う彼女のかけ声がかけられたのだ。
俺はいぶかしく思いながら、ちらりと彼女の方へ振り返る。
「どうした?」
「え……うん……ええっとね……」
「なんだよ? 言いたいことあるならはっきり言えよ」
俺はもったいぶる彼女をなじる。
すると彼女は思い切ったように力強い口調で言ったのだった。
「明日!」
「明日?」
「明日、一緒にお買物に行こうか!」
「はあ!? なんでだよ?」
訳が分からず眉をひそめると、彼女は頬を膨らませた。
「いいじゃない、理由なんて何だって! 行くの!? 行かないの!? どっち!?」
俺は彼女の気迫に押されるように「あ、ああ。分かったよ」と答えた。
彼女はニコリと笑うと、見たこともない程に上機嫌で、
「じゃあ、明日! 約束よ!」
と、軽い足取りで家の中へと消えていったのだった。
「なんだ? あいつ」
相変わらず俺には女心……いや麻里子の考えていることがよく分からない。
ただ彼女には豊臣秀頼だった頃に世話になったし、買い物くらいなら付き合ってもいいか。
そんな風に考えながら、俺も自分の家へと入ったのだった。
◇◇
自分の部屋に戻ってきた。
パソコンにベッド、本棚に机……。
当たり前だが、何も変わらない。
しかしあまりの懐かしさに、思わず涙腺が刺激されそうになるのを抑えながら、俺は椅子に腰かけた。
「さてと……じゃあ、見てみるか」
俺は早速、家に帰ったら絶対にやると心に決めていたことに着手し始める。
それは『豊臣家のその後を知る』ということだった。
「日本史の教科書は……あった!」
何度も読み返してボロボロになっている中学の日本史の教科書を手に取る。
「えーっと……安土桃山時代の次だから……」
おっ! あった、あった!
『関ヶ原の戦い』だ!
「ふむ。なるほど……俺の知らないところで石田宗應は鋒矢の陣で突撃していったのか」
そして豊臣秀頼の功績も紹介されている。
――この頃では革新的とも言える学府を作り、異国との貿易で莫大な利益を挙げるなど、幼くして豊臣秀吉を彷彿とさせる政治手腕を発揮した。
「ははっ! これならゲームの能力値もすごく高いんだろうな!」
そんな風にテンションが上がった直後のことだった。
「ん? これは……?」
――豊臣秀頼(一五九三年~一六一一年)
「おい……どういうことだよ……!?」
俺は思わず教科書を覗き込んだ。
しかし何度見てもそこにははっきりと書かれているのだ。
豊臣秀頼の亡くなった年が『一六一一年』と――
「そんな馬鹿な!!」
俺は思わず大声で叫んだ。
「太一! うるさい!!」
部屋の外から父さんの叱る声が聞こえてきたが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
「豊臣秀頼が死んだ年が、俺がこっちの時代に戻ってきた年だと!? なぜだ!?」
俺は急いで教科書をめくった。
するとそこには驚愕の『歴史』が書かれていたのだった――
一六一一年一一月。
豊後の大友義統が反乱を起こし、加藤清正の熊本城を攻める。(大友の乱)
同年一一月。
徳川家康の指示により、豊臣秀頼が総大将となって豊臣軍が大友征伐へ向かう。
同年一二月。
徳川軍の援軍が豊前に向かうことになっていたが、功を焦った豊臣秀頼は、単独で進軍を開始する。
「大友の乱……しかも秀頼が『総大将』だと……」
俺は『歴史改変』に、頭が真っ白になっていた。
そして次のページをめくった。
一六一一年一二月。
豊後街道を西へと進む豊臣軍は隊列が伸びてしまう。豊臣秀頼はわずか数十名のお供とともに笹倉(現在の熊本県阿蘇市)で休んでいたところを、大友義統の家臣、泰巌が率いる数百名の軍勢に奇襲されてしまう。(笹倉奇襲戦)
これにより豊臣秀頼は命を落とした。享年一七歳。
また同行していた甲斐姫は腹を切って自害したとされている。
そして副将の真田幸村が、混乱する豊臣軍をまとめて九州を脱した。
なお笹倉奇襲戦は、桶狭間の戦いで織田信長が用いた作戦に酷似していることから、泰巌と織田信長が同一人物であるという学説まで存在している。
一六一二年三月。
ついに熊本城が陥落。理由は『徳川家に忠誠を誓わなかったため』とされているが、未だになぜ大友氏が攻めたのかは不明のままである。
また落城とともに、城主の加藤清正、家臣の堀内氏善らが命を落とした。(熊本城の戦い)
「そ……そんな馬鹿な……」
あまりの衝撃に、ぐらり視界が歪む。
俺はどうにか気持ちを立て直すと、次のページをめくる。
だが……
そこに書かれた内容はさらに衝撃的なものだった。
一六一一年一一月。
徳川家康は、豊臣軍が大阪を発った直後に、豊臣家が作った方広寺の鐘の銘文の『国家安康』の部分を見て激怒する。そして全国から大軍を集めて、大坂城へと攻め込む。(大阪冬の陣)
一六一一年一二月。
豊臣秀頼の訃報が大坂城にもたらせれると、豊臣家はすぐさま和睦を決断した。
その結果、長居に建てられた倉庫の撤去、大坂城の南側の堀を埋めることを条件に、徳川軍と和睦した。
「と……徳川が大坂城を攻めただと……ありえない……」
脳裏に俺たちを駿府城で出迎えてくれた徳川家康の笑顔が浮かぶ。
しかしそれからわずか二ヶ月後には大坂城を大軍で囲ったというのだ。
「予め準備していたとしか思えない!!」
ふと思い起こされたのは、二条城の会見の際に家康の隣にいた伊達政宗と本多正信の姿だ。
よくよく考えてみれば、本多正純亡き後に、徳川家康の側近に指名されたにも関わらず、駿府城で一度も顔を合わせることがなかった。
「あいつらが裏で手を回していた、ということか……!」
俺は怒りに震えだす。
そして爆発しそうな感情を抑えながら、次のページをめくった。
一六一二年五月。
豊臣秀頼の葬儀がひと段落したところで、徳川家康は再び大坂城を攻めることを決意する。
こうして再び全国から集められた。(大阪夏の陣)
同年六月。
堀が埋められたため籠城で戦うことが出来ない豊臣軍は野戦にうって出る。
真田幸村、大谷吉治、明石全登といった豊臣家の家臣たちは良く戦ったが、全員討ち死にした。
そして大坂城では桂広繁や、隠棲していた石田宗應が城に入り、最後まで抵抗したが、徳川の大軍にはかなわずに陥落した。
城内にいた豊臣秀頼の母、淀や数名の侍女、大野治長らは城の中で自害した。
こうして豊臣家は滅亡した。
ここまで読み進めると、もはや座っていることすら辛いほどに体の震えと涙が止まらなかった。
しかし、もう一つ。だけ絶対に確認しておかねばならないことがある。
それは千姫のことだ。
「彼女は! 彼女は一体どうなったのだ!」
俺はさらにページを進めた。
解説。
徳川家康による大坂城攻めは、予め家康自身が巧みに仕掛けた作戦だった。
なぜなら、人質とも言える豊臣秀頼の妻、千姫を駿府城に呼び寄せた後、強大になりつつあった豊臣軍の主力を九州へと追いやってから行動を起こしたからと言われている。
その解説の下に掲載されているのが千姫の絵だった。
そして彼女のことが少しだけ書かれていた。
千姫(一五九七年~一六六六年)。
豊臣秀頼の妻。後に本多忠刻に嫁ぐ。
しかしその後に書かれた文章にはこう書かれていた。
「彼女は特に『朱色』の小袖を好んだ。駿府城へ豊臣秀頼と入った時も、『朱色』の小袖を羽織っていたと言われている……」
嘘だ……。
彼女が好んだのは『朱色』ではない……。
「黄色だ!!」
ならばなぜ『朱色』と伝わっているのか。
その答えは唯一つしか考えることが出来なかった。
ここに書かれている千姫は、『本当の』千姫ではない……!
「つまり彼女は……自害したのだ……豊臣秀頼の死と豊臣家滅亡とともに……」
俺は愕然として動けなくなってしまった。
俺は最善を尽くしてきたつもりだった。
それなのに、まさか『本当の史実』よりも三年も早く大坂の陣が勃発してしまうなんて……。
さらに、あろうことか千姫の命も散らしてしまったのだ。
涙がとめどなく流れ落ちる。
自分の見通しの甘さと愚かさが、痛いほど身に沁みていた。
そしてしばらくした後にふつふつと湧いてきたのは、怒りの念だった。
「何が『巧みに仕掛けた作戦』だ……『姑息に仕掛けた罠』の間違いだろ……」
絶望に冷え切った体が、嚇怒の業火によって徐々に熱くなっていく。
ふと鏡に映った自分を見れば、目は血走り、顔は真っ赤に染まっていた。
まさに鬼の形相だった――
完全に我を失った俺は、いてもたってもいられなかった。
――バンッ!!
と、荒々しく扉を開けると、俺は教科書片手にリビングへ急いだ。
そしてゆっくりとお茶を飲んでいる両親に向かって大声で叫んだ。
「母さん! 父さん! ごめん!! 二ヶ月間、また寝るから!!」
二人の目が点となる。
しかし俺はすぐにリビングを後にすると、勢い良く家を飛び出したのだった。
「おのれぇぇぇぇぇ!! 徳川家康めぇぇぇぇぇ!! 俺を本気で怒らせたな!!」
と、玄関先で絶叫すると、心の中で強く祈る。
――頼むっ! もう一度だけ俺を『豊臣秀頼』に戻してくれ!!
……と、次の瞬間。
背後から人影が伸びてきたではないか。
俺は急いで振り返った。
そこには一人の怪しい人……。
大きなフードを目深にかぶり、こちらをじっと見つめている。
以前の俺であれば驚きに言葉を失っていただろうが、俺は戸惑うことすらなく口を開いた。
「お願いだ! 俺にみんなを助けさせてくれ!」
するとその人はフードを外しながら言ったのだった。
「いい目をしてるじゃねえか。男なら根性見せな!」
それは甲斐姫だった。
俺はニヤリと口角を上げると、あらためて彼女に頭を下げた。
「俺がこっちに戻ってきてから四時間。向こうの一年がこっちの一日なら、四時間だと二ヶ月になるな。『俺』は生きているのか?」
「当たり前だ。でなけば、わらわがわざわざこんな所に来るはずもなかろう」
「なら良い。さあ、早速始めてくれ!」
俺の言葉とともに、甲斐姫が何やら呪術を唱え始める。
俺はその間、再び教科書を開いた。
笹倉奇襲戦、熊本城の戦い、そして大坂夏の陣。
これらの布陣図を頭に叩き込むためだ。
「待ってろよ、家康!! 俺が貴様をぶっ潰してやる!!」
徐々に光が強くなってきた。
意識も朦朧とし始める。
もう少しで再び俺は『豊臣秀頼』に転生する――
……と、その時だった。
「たっちゃん!! 何をやってるの!!」
と、麻里子の甲高い声が響いてきたのだ。
俺はちらりと彼女を見た。
そして頭を下げると、
「すまん! 約束は守れそうにない!! 戻ってきたら買い物でも遊園地でも付き合ってやるから!!」
と、大声で叫んだ。
彼女は急いで俺の家の方へ駆け寄りながら、
「行っちゃいや!! 待って!!」
と、泣き叫んでいた。
しかし俺の『こっちの時代』での記憶はそこまでだった。
◇◇
ふと目を開くと、俺の良く知った顔が二つ。
それは真田幸村と甲斐姫だった。
「大丈夫ですか? 秀頼様」
わずか四時間ぶりだが、随分となつかしく聞こえる幸村の声に、胸が熱くなる。
しかし彼との再会を喜んでいる場合ではなかった。
俺は寝そべったまま、彼にたずねた。
「時と場所を教えてくれ」
「はぁ……それがいかがしたのです?」
「いいから早く!」
俺の気迫に押されるように、幸村がぼそりと答えた。
「慶長一六年(一六一一年)師走(一二月)八日。場所は肥前国、阿蘇山近くの『笹倉』と呼ばれる場所にございます」
その言葉を聞いた瞬間――
「わははははははっ!!」
と、俺は腹を抱えて大笑いした。
そして目を丸くしている幸村に対して、右手を差し出した。
『握手』をする為に……。
するとみるみるうちに幸村の頬が赤く染まっていく。
俺は口元に笑みを浮かべると、
「さあ! 始めようか! 豊臣の底力を見せてしんぜよう!」
と、高らかと宣言した。
こうして俺の、逆境からはじまる豊臣秀頼への転生戦記が幕を上げたのだった――
主人公がようやく主人公になります。
時代考証なんて関係ありません。
これからこそ私が本当に書きたかった『豊臣秀頼への転生ライフ』なんです。
最終回まで一気に走ります!
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