二条城会見② 攻防
◇◇
「そろそろ天下を豊臣に返してくだされ!」
俺の痛烈な言葉は、それまで和やかだった部屋の空気を一瞬にして凍りつかせた。
無論、徳川の面々は老獪な士ばかりであり、彼らがあからさまに驚愕を顔に出している訳ではない。
しかし家康をはじめ、全員が言葉を発さないところを見れば、彼らの度肝を抜いたことは疑いようがなかった。
奇襲にも近い先制攻撃は見事に成功したと言えよう。
しかしここで攻撃の手を緩めたなら、前回の会見の時のように一気に反撃に出て来られる可能性が高い。
――ここは攻め続ける!
俺は口元に笑みを浮かべながら続けた。
「父、太閤秀吉公の御遺言によれば、われが成人するまでの間、五大老と五奉行によって天下を治めていくようにとのこと。すなわち成人した後はわれ自らが天下を治めよ、との御意向であろう」
家康は口元を引き締めたまま俺のことをじっと見つめている。
彼の瞳からは『憤り』も感じなければ『焦り』も感じない為、一体何を考えているのか見当もつかなかった。
――まずは自由に攻めさせておいて出方をうかがう、ということか。ならば攻め続けるのみ!
「しかし今の天下泰平の礎を築いたのは徳川殿であることは、われも十分に理解しておる。それにいきなり天下を当家に戻されても、民を混乱させるだけであろう」
本多正信がちらりと家康へ視線を動かした。
伊達政宗と天海の二人は俺を睨みつけるようにしている。
家康は全く変わらぬ表情のまま、沈黙を貫いていた。
そして俺は先制攻撃の締めくくりをしたのであった。
「そこで二つの相談がございます! 一つ目は次の将軍をわれに指名すること。そして豊臣家が統治を『委任していた』港、金山、銀山および全国各地の領地を、今後は豊臣家が自ら統治することとしていただきたい。さすればわれもゆくゆくは天下を治める者としての資質が育っていくであろう」
俺の先制攻撃は、『豊臣家が関ヶ原の戦いで失ったものを取り返すこと』だったのだ。
しかし俺の要望をあっさりと打破したのは伊達政宗の一言だった。
「世間知らずの甘ちゃんの戯言にいちいち付き合ってられん」
明らかに相手の感情を逆なでするような軽い物言い。しかし口調は低くて凄味があり、聞いているものの肝を潰すようだ。
しかし俺も、そして宗應と幸村も全く表情を変えずに政宗を見つめていた。
俺たちの様子に政宗はニヤリと口角を上げると、荒々しい口調で続けた。
「今やほとんどの大名が徳川家に忠誠を誓っておる。そんな中で豊臣家の出る幕などなかろう。既にお主らは『過去の人』なのだ。未だに天下人面していると、世間の笑い者になるだけのこと」
そこまで政宗の言葉が出た時点で、俺はちらりと幸村を見る。
幸村はかすかに頷くと、涼やかな声を発した。
「ええ、そのことは当家も十分に存じ上げております。ご丁寧に大御所殿より書状も頂きましたゆえ」
「ならばぐだぐだ言ってねえで大人しく従っておればよいのだ。もっとも仮に今膝を曲げても、大坂からは出て行くことになるだろうがな」
家康は政宗を見て「それ以上はよせ」と無言で制すると、次に正信を見た。
彼の視線を受けた正信は、熱くなってきた場には似合わぬゆったりとした口調で言った。
「大御所様も上様も秀頼公とはこれからも仲良くしていきたいと願っておられます。しかし大坂は京に近く、秀頼公を惑わす者たちが多い。ついては江戸のすぐ近く、武蔵国に領地を用意いたしますので、そちらに移っていただきたく存じます」
俺は今度は宗應を見た。
宗應は微笑を浮かべながら透き通った口調で言った。
「豊後稲葉、美濃稲葉、山城津田、伊賀筒井、丹波前田、越後堀……挙げればきりがございませんが、いずれも釈然とせぬ理由で所領を幕府に召し上げられたとうかがっております」
正信は宗應の言葉に目を丸くしながら、どこかとぼけたような口調で返した。
「ほう、では石田殿は上様が難癖をつけて豊家をお取り潰しになるのではないか、と疑ってらっしゃるのでしょうか?」
「本多殿。では逆におうかがいいたしましょう。豊臣家が理不尽な理由によって潰されぬ保証はどこにおありか?」
「ほほ、先ほどから聞いておれば、秀頼公は随分と大御所様のことを怖がってらっしゃるようじゃのう」
正信と宗應の間に口を挟んだのは天海だった。
一斉に彼の方へ視線が集まると、彼は軽やかに続けた。
「秀頼公はいつ大御所様から牙を剥かれるか怖がっておられる。それゆえ、大御所様に無理難題を押しつけてらっしゃる。違いますかな?」
俺は微笑を浮かべたまま、首を少しだけかしげた。
天海は皺だらけの顔に笑顔を浮かべながら続けた。
「それは大御所様も同じこと。大御所様も秀頼公も互いのことが怖いのじゃ。それは共に過ごされる時間があまりに乏しいゆえではなかろうか」
「仮にそうだとしていかがせよというのだ?」
政宗が先を促す。
すると天海はさらりと答えたのだった。
「定府。豊臣家は定府とし、永代に渡り副将軍に任ずる。ではいかがかな?」
定府とは自分の領地に戻らず江戸城に常駐して将軍の政務を援けることだ。
有名所では水戸徳川藩で、周囲から『副将軍』と呼ばれるようになる。
この頃はまだ水戸藩はそのような立場ではないし、江戸幕府が正式に『副将軍』の職を置いたことはない。
「つまり天海殿は新たに『副将軍』という形だけの役職を作って、体よく豊臣家を江戸に封じ込めてしまおう。そうお考えなのですね」
まるで俺の頭の中の声をそのまま口に出したかのような宗應の言葉に、家康の眉間に皺が寄った。
恐らくこのくだりも、天海の発案ではなく、家康からのものだったのだろう。
しかし宗應はあっさりと看破し、ばっさりと斬り捨てたのだ。
家康が面白くないものを顔に浮かべるのも仕方ない。
一方の宗應は全く表情を変えずに続けた。
「互いに顔を合わせる機会が少ないゆえ、と申されるのであれば、江戸将軍家が大坂将軍家を訪ねられればよろしいのでは?」
「大坂将軍家だと……?」
「ええ、三年後には正式に『将軍』に任じられることになっているのは御存じでございましょう?」
身を乗り出して宗應の言葉に食いついてきた政宗に対して、彼は流れるようにかわす。
宗應は口調こそ春の海のように穏やかだが、明らかに家康の感情を揺さぶろうと仕掛けている。
もちろんそんなことを家康が気付かないはずもない。
それでも家康の表情は、会見当初に比べればかなり険しいものとなっていた。
自然と家康の体全体から、びりびりとした威圧感が発せられる。
――これだ……この威圧に以前は屈服したのだ。
俺は背中に冷たいものを感じながらも、なんとか平静を保っていた。
それも両隣に石田宗應と真田幸村という大きな翼が存在しているからだ。
――俺は一人じゃないんだ!
頼もしい彼らの存在は、俺の心の炎をたぎらせる。
そして行き詰った場の空気を切り裂く言葉となって発せられた。
「もうよい! もし徳川殿が天下を譲らないならば、豊臣家は大坂に新たな幕府を立てる!」
あまりの衝撃に徳川側の人々の口が一様に半開きとなる。
――よしっ! これならいけるっ!
俺は強い手応えをつかむと、一気に話を前に進ませようとした。
……が、しかし……
「これ以上のわがままは許さん」
初めて口を開いた徳川家康の言葉は、さながら巨大な岩石が頭上から落ちてきたような重いものだった。
そして彼は有無を言わさぬ口調で続けたのだった。
「武蔵転封と江戸定府。これが飲めねば話し合いは無用」
誰も何も言葉を出すことが出来ない程に強烈な発言だった。
すると家康はしんみりとした口調に変えて続けた。
「わしはただお主とお千が仲睦まじく穏やかに暮らしてくれればよい、と願っておるのだ。そこに天下のことなど無用の長物に過ぎぬ」
「天下のことが無用の長物……」
「いかにも。天下を治めるとは、己の命と時を全て捧げねばならぬ。その御役目を太閤殿下はお一人で背負われてきた。わしらにこれ以上の血を流させない為にのう」
家康の言葉は重い。
それは彼が今まで天下の為に人生を捧げてきたからに違いない。
「わしは太閤殿下の御恩に報いたい。それは秀頼殿。お主が『幸せ』に暮らせるようにすることなのではないかと信じておるのだ」
「われが『幸せ』に暮らす」
「多くの大名を従えて、天下を我が手に収めることが『幸せ』であろうか? 戦いに明け暮れて、ただ勝利を目指すことが『幸せ』であろうか? わしはそうは思わん」
豊臣秀頼と千姫にとっての『幸せ』とは何か。
全く考えたこともなかった。
ただ大坂城と豊臣家を守り、万民を笑顔にすること。
それだけが俺の生きる道だと信じて疑わなかったからである。
俺は完全に言葉を失ってしまった。
そして家康は、
「秀頼殿とお千の『幸せ』は大坂にはない。江戸にある」
と、言葉を締めくくったのだった。




