黒田如水の墓② 報告
黒田如水と豊臣秀頼に愛をこめてつづりました。
◇◇
福岡滞在二日目――
今日も天気は良好。残暑厳しい刺すような陽射し中、福岡城から黒田如水の墓がある崇福寺までのわずかな道のりを馬でゆっくりと向かった。
その間俺は、如水とのやり取りがまるで昨日の事のように鮮明に思い出していた。
思えばたった一通の書状が彼との対面のきっかけだったんだよな。
――お主は何者だ?
ほぼ出会頭にそんな質問を突きつけられた時は、本当に心臓が口から飛び出てしまうかと思う程にビビったものだ。
それほどに彼の眼光は鋭く、口調に凄味があった。
しかし正体を打ち明け、そして俺の決意を口にした時の、あの少年のような無邪気な笑顔もまた黒田如水なのだ。
――カカカ! 気に入った! その考えにわしは乗るぞ!
相手が巨大である程燃える性格。
――相手はあの徳川! 相手にとって不足なし! これほど胸が震えることはない!
逆境である程楽しむ性格。
――カカカ! これは面白い! これほどの難題をつきつけられたのは、久々じゃ!
時には気心知れたおじさんのようだった。
――カカカ! また背が伸びたのではございませんか!?
そんな彼が最後に俺に託した『夢』……
――この景色…… 秀頼様にお子が出来たら、そして孫が出来たら、見せてあげてくだされ。
大坂城からの景色を俺の子や孫に見せて欲しい、というもの。
つまり豊臣家が代々栄えていく事を、彼は俺に託していったのだ。
もし史実の通りに全てが進んでいったなら、彼の望みは叶わない。
先見の明に優れた彼の事だ。
あの時既に徳川の世が来る事と、豊臣家の滅亡が見えていたに違いない。
そして彼が命を賭して抗おうとも、変わらぬ未来を……
それでも彼は俺に『夢』を託した。
だが俺は彼の期待に応えられるだろうか。
そんな事を考えているうちに、いつの間にか寺の門をくぐっていた。
そして寺の住職に促されるままに、黒田如水の墓の方へと足を運んだのである。
そこには一人の出家した女性が静かに手を合わせていた。
彼女は俺たちが近付くと、こちらを穏やかな瞳で見つめ、軽く頭を下げた。
「あなた様が豊臣秀頼公でございましょうか?」
優しさの中にも一本芯が通ったような強さを感じる口調だ。
俺は彼女に対して頭を下げながら答えた。
「はい。われは豊臣右大臣秀頼と申す。失礼だがお主の名を聞かせてはもらえないだろうか」
「私は光と申します」
「光殿……となるとまさか……」
「ええ、ここに眠っておられる黒田如水の妻でございます」
彼女はちらりと墓の方へ視線を移した。
俺もつられるようにして視線を移すと、じっと如水の墓を見つめた。
普通、墓と言えば大きくても俺と同じ背丈か少し高いくらいだ。
しかし如水のそれは見上げる程の高さで、幅も奥行きも長い。
言ってみれば小さな塔のようで、壮大なものだった。
光は目を丸くする俺に向かって、微かに笑みを浮かべながら言った。
「ふふ、夢も城も大きい方が良かろうと常々口にしていたあの人に相応しい御墓でございましょう?」
「ああ。素晴らしい墓だ」
光は再び墓の前で手を合わせると、墓に向かって口を開いた。
「おまえさん。ありがたい事に秀頼公がわざわざお越しくださいましたよ」
俺も彼女にならって、墓の前で手を合わせて頭を下げた。
だがこんな時に何て声をかけたらよいものなのか、てんで思いつかない。
俺は無心のまま、目を瞑るより他なかった。
しばらく静かな時間が流れる。
遠く離れた場所から聞こえる蝉の鳴き声は、鎮魂歌のようで切なくてならなかった。
そして頃合いを見計らった光は、自然な手つきで俺の手を取った。
「もう少し近くに寄ってくださいませ」
俺は彼女に言われるがままに墓のすぐ側まで足を運ぶ。
すると墓にはびっしりと字が彫られているのが、目に入ってきたのである。
「これは一体何が書かれているのでしょうか?」
「ふふ、あの人の生涯が記されているのですよ」
「黒田如水の生涯……」
光は墓に細い手を当てると、愛おしそうに字をなぞり始める。
それはさながら彼の一生を思い起こしているかのようだ。
「あの人は滅多に人を褒めなかったのですよ。その代わり、けなす事もありませんでした」
「そうだったのか」
「それでも太閤殿下の話となると、まるで少年の頃に戻ったかのように興奮しておられましてね。ふふ、今でもあの時の声が頭に響いてくるようです」
ゆっくりと墓の周囲を墓の文字をなぞりながら歩く光。
俺には何が書いてあるのかさっぱり分からないが、彼女にしてみればそらんじる事も出来るくらいに何度も読んだのだろう。
なぜならここに書かれた彼の生涯は、愛する妻と共に歩んだ軌跡なのだから。
そしてもう少しで一周するという所で彼女は足を止めた。
「ここ、秀頼公の御手で触ってあげてくだされ」
彼女は再び俺の手を取り、墓の文字に当てる。
ひんやりとした石の感触と、力強く彫られた文字の凸凹が伝わってくると、自然と表情が引き締まる。
彼女は俺の様子に目を細めると、柔らかな口調で続けた。
「われ太閤殿下の御遺志を継がれる御方に出会う。こんなにも素晴らしき日はない」
「え……」
「太閤殿下の夢に始まり、夢に終わるはずのわが人生に、天は今一度夢を与えたもう事、心より感謝いたす」
まるで今ここに彼がいて、語りかけてくれているような光の言葉に、自ずと涙が頬を伝う。
いつも不敵な笑みを浮かべて、心の奥深くまで見通すような鋭い視線。
それでも全体から感じる大きな愛と優しさ。
目の前で字を読む光はまさに黒田如水そのものだった。
「水の如き流れに身を任せた人生であったが、大河の行きつく先は大海。無限に広がる若者らの夢の一滴となれた事を誇りに思う。願わくば、長政そして秀頼公に大いなる福音があらん事を」
彼女の言葉が終わる。
それは墓に書かれた文章の終わりを意味していた。
嗚咽が……
止まらない――
光は優しくて暖かな手で俺の背中をそっとなでてきた。
「秀頼公。天下の名軍師、黒田如水の人生の行き着いた先にあなた様がおられたのです。どうかそれを誇りに、これからも胸を張って生きていかれる事を、私よりお願いさせてはもらえませんでしょうか」
「ううっ……うん、うん……」
言葉にならずただ頷く事しか出来ない自分が情けない。
だが光はますます表情を柔らかくした。
「ああ……これで天にいるあの人も喜んでおられる事でしょう」
そう漏らすように言った光の目からも光るものが浮かんでいた。
再び沈黙となる。
耳から入ってくる音は、相変わらず鎮魂歌を奏でる蝉の声のみ。
俺はその声に身を委ねながら、如水の墓に記された言葉を心に刻んでいたのだった。
◇◇
いよいよ墓から離れる時を迎えた。
ようやく泣きやみ、昂った気持ちも落ち着いた俺は、あらためて彼の墓前で手を合わせた。
そして彼に報告すべき事を口にし始めたのだった。
「もう間もなく最後の勝負がやって来る」
言わずもがな『二条城での徳川家康との会談』、そして史実の通りならば流れ込むようにして勃発する『大坂の陣』の事だ。
「そこで俺は必ずや勝利して、お主に託された『夢』を叶えてみせる! だから……」
俺はそこで言葉を切る。
そしてニヤリと口元に笑みを浮かべた。
かつて彼がそうしたように。
どんな逆境の中にあっても決して挫けなかった彼のように。
「だから天にいる父上と共に、じっくりと見ていてくれ! お主らが『夢』を託した者の未来を!! はははっ!!」
自然と込みあげる大きな笑い声。
今日は泣いたり、笑ったり、自分でも可笑しくなるくらいに感情が動く。
それもまた黒田如水の張った策の風呂に、どっぷりと浸かっているからなのかもしれない。
きっと彼の事だ。
自分が死んでからもこうして俺が墓参りに来る事を知っていたに違いない。
そして彼は試しているのだ。
俺がどんな顔をして現れて、どんな顔をして去っていくか。
さあ、どうだ! 黒田如水!
豊臣秀頼はお主の為に涙を流し、お主の為に大きな声で笑いながらここを去っていくぞ!
ふと彼の言葉が思い出される。
それは大坂城で彼と交わした最後の言葉。
――良いお別れでございました。
あの時は全く意味が分からなかった。
しかし今はよく分かる。
俺は笑い終えると、にわかに表情を引き締めた。
そして微かな笑みを浮かべながら力強い足取りでその場を後にしたのだった――
◇◇
そして二年の月日が流れた。
慶長一五年(一六一〇年)三月二八日――
「豊臣秀頼様、今ご到着になられました!!」
紋付羽織袴を身に纏った俺、豊臣秀頼は今、京にある二条城の廊下を歩いている。
視線の先には豪華絢爛な襖。
その襖の先にいるのは大御所、徳川家康だ。
すなわち豊臣家と徳川家の将来を決める、いや天下の行方を決めると言っても過言ではない世紀の会見、『二条城会見』がまもなく開幕を迎えようとしていたのだった――
福岡の崇福寺にある黒田如水の墓。
一際目立つ赤黒いその石は建てられた頃から変わらない事を示しているそうです。
また石碑には彼の生涯について書かれた漢文が彫られているそうです。
どうぞ福岡に寄られた時は、如水の墓にも訪れてみられてはいかがでしょうか。
今年も大変多くの方の御世話になりました。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
ついに物語は佳境を迎えます。
豊臣家と徳川家の対決の行方は!?
未来の千姫の涙に秀頼は応える事が出来るのか!?
伊茶と現代へ帰るのか!?
大友と泰巌の動きは!?
いよいよ『終章』に突入いたします!




