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風雲!関ヶ原の戦い!③影の薄い男

◇◇

慶長5年(1600年)9月13日 昼過ぎ――


俺がまだ東山道を東に向かってひた走っているその頃、静かに歴史の歯車は狂い始めていた。

既にその日の正午に、美濃赤坂付近に徳川家康の本隊が到着したとの一報が、石田三成のいる大垣城にも届いていたのである。しかしそれは史実通りであれば「9月14日正午」となるはずのことであった。



東西の大群が控える美濃赤坂と大垣城の間を流れる川辺付近に、決戦を間近に控えるとは思えないほど緊張感に欠けた数十人の農民が、のんきにも稲刈りに精を出していた。


それを美濃赤坂側、つまり徳川方から、苦々しい顔で見ている二人の男。

一人は中村一栄(なかむらかずしげ)である。彼は「豊臣の三中老」と称された兄の一氏の名代として、この関ヶ原に一軍を率いて徳川の味方をしているのだ。

そんな彼が農民たちを見て、いらつきを抑えきれずに愚痴をこぼしていた。


「この大一番を前にして稲刈りだと…百姓どもは世間を知らないから困る」


それを隣にいたもう一人の男、有馬豊氏(ありまとようじ)は彼に同意するように


「ええ、全くです。我らはこれから生きるか死ぬかの時を迎えようとしているのに…」


と、嘆いていた。しかし農民にしてみれば稲刈りは自分の食い扶持をつなぐ為の、生きるか死ぬかの大仕事なはずであるが、戦を目の前にして高揚した将と兵たちにしてみれば、それらは(たわむ)れ程度にしか映らなかったのだろうか。


「よし!これ以上は目ざわりであるから、俺たちで百姓どもの稲刈りを止めさせてこようではないか!」


「おう!」


こうして中村一栄と有馬豊氏は、小さいながらも軍勢を率いて、農民たちのもとへと進んでいったのであった。



しかし、中村一栄と有馬豊氏が追い払おうとしている農民たちは、実は「三成に過ぎたるもの」と称された島左近清興の兵たちだったのだ。

彼らの軍勢はまんまと島左近の策略にはまり、のこのことやってきてしまったのである。


「しまった!これは罠だ!!」


そう中村一栄が気付いた頃には、もう何名かの兵士が、農民に偽装した島左近の兵たちの刀の錆となっていたのだ。油断した一栄の軍団は完全に浮足立った。


「ハハハ!今更気付いたところで、もう遅いわ!!それ!みなのもの、大将の首を狙え!」


農民に紛れていたうちの一人が大きな声を上げる。

この偉丈夫こそ島左近その人であった。

彼は田の中に隠していたのであろうか。いつの間にか手にした大きな槍を片手で振り回すと、その一振りで数人の兵たちがその刃の餌食となって命を落としていった。


「ひけい!このままでは全滅ぞ!」


先行していた一栄の背後で有馬豊氏が声を上げると、蜘蛛の子を散らすように島左近から一栄の軍勢は撤退を始めた。


…と、その時だった。


「わあ!」と鬨の声が上がったと思うと、撤退していく有馬豊氏と中村一栄の軍を分断するように、横から攻撃が加わえれた。


「な、何者だ!?」


彼の背後はすでに大混乱に陥っている。豊氏は思わずその混乱を作った者の正体を探した。

そこには胸に大きなロザリオを下げた一人の若武者が伏兵であった数十人の兵の指揮をしているのが見える。周囲の兵とは雰囲気の違うその姿に、豊氏は彼こそがこの混乱を招いた張本人であるに違いないと確信した。

薄い目をしたその若者は、小さな口を閉じたまま、声も発さずに淡々と豊氏の兵たちに攻撃を加えていたのだった。


「なぜだ!先ほどここを通った時は、あんな者など見受けなかったぞ…」


そう思ったのは豊氏だけではないはずだ。同行した一栄も、その他ここにいる全ての徳川方の兵たちは、彼と彼の軍団に気付いていなかったのだ。

つい先ほど、すぐ隣を通過したにも関わらず…


この伏兵で奇襲を加えた者の名は、明石全登(あかしぜんとう)。石田方に加わっている五大老の一人、宇喜多秀家の家老である。この時まだ齢三十四にして、大家である宇喜多家の家老の一人であったのだから、彼の優秀さはうかがいしれよう。

しかし、彼には大きな悩みがあった。


影が薄い…ということだ。


それは彼自身の口数が少なく、静かな男であるからという性分も影響しているかもしれない。しかしそれを差し引いてでも、彼はいつも誰かに気付かれる事が少なかった。

随分長いこと目の前にいたにも関わらず、びっくりされて理不尽に怒られたこともある。

それはその姿だけに限ったことではなく、存在そのものも気付いてもらえないという、極めて特異な性質をはらんでいた。

彼だっていっぱしの男子として、「目立ちたい」という至って平凡な願いは持っているのだ。

しかしどんなに戦功や政治で功績を挙げても、彼のことを知るものは少なかったのだ。

天下に名を馳せたかぶき者である同僚の花房職秀(はなふさもとひで)が、そのいでたち、言動、戦功と全てにおいて目立ち過ぎていたのも全登にとっては不運であったのかもしれない。


しかし、主君である宇喜多秀家と死んだ太閤秀吉は違った。


彼らは全登の有能さを余すことなく見抜き、他の者と同じように評価してくれただけではなく、人間としても彼をたいそう可愛がってくれたのである。

彼にはそれが嬉しくてたまらなかった。

そして彼らの為にこの命を捧げようと、彼の信奉する聖母マリアに誓っていたのであった。


そして、島左近はその「影の薄さ」に目をつけた。


不思議なことに、全登が率いると軍団そのものの影が薄くなるという、これまた奇怪な特色は、「伏兵」として扱うには適切であると判断したからである。


数いる石田方の将たちの中で、全登の力を見抜いたのだから島左近もたいしたものである。

彼もまた、他人を平等に評価できる優れた目を持った男で、その期待に全登は見事に応えて、中村一栄と有馬豊氏の軍勢に大きな打撃を加えたのであった。



結局、一栄と豊氏はほうほうの体でなんとか退却したものの、40名もの兵士を犠牲に出した。

一方の石田方は、徳川家康の美濃赤坂に着陣以来、下がり続けていた士気が、この作戦の成功により大きく盛り返したのは言うまでもない。


久々に大垣城内が喜びに沸いている。

そんな時だった。


「豊臣秀頼殿下あらわる!」


との報が城の内外に届けられたのだから、その興奮は爆発して喝采に変わった。そしてこの時点で、多くの将兵たちが、「お味方勝利」を確信し、抱き合って涙を流す者までいたのだった。


既に秋の夕陽は山々の間にその姿を隠し、わずかに残った淡い光だけが、地表と空の境界を白くしている、そんな頃合いの出来事であった。



◇◇

俺たちが大垣城に着いたときには既に城の中は喜びで溢れていた。もちろん俺にはそれが何によるのかは分からない。ただ何か良い報せがあったことは間違いないだろう。

そして俺が城に到着したことは、瞬く間に広がったらしい。

三成の待つ謁見の間まで多くの兵たちが俺を出迎え、礼を取り、感動の表情を浮かべていた。


その中にあって一人の男に目が止まった。


その男はつやのある髪を肩あたりまで伸ばし、黒地の西洋風な直垂を羽織っている。


静かな雰囲気で、周囲が浮かれる中にあって一人表情を固くしたまま、頭を下げていた。


俺は何気なしにその男に声をかける。


「そち…名前は何と申す?」


「はっ。拙者は明石掃部頭全登にございます」


おお!この人があの宇喜多のお家騒動の後に若くして宇喜多家を取り仕切った、あの明石全登か!


俺はドキッと心が躍るのを抑えられず、


「おお!そなたが明石掃部(あかしかもん)か!噂は聴いておる。今後もよしなに頼む!いやあ、嬉しいのう」


と、彼の手を取って無邪気に喜んでしまった。

もちろん彼とは初対面の可能性が高い。その為なのか、何が起こったのか分からないような複雑な表情の全登は、


「は、はあ…ありがたき幸せ…拙者もこの命を賭して殿下におつかえいたします」


と、とまどいながらもなぜか心なしか嬉しそうに頭を下げた。



こうして俺は城内の雰囲気に呑まれながら、足取り軽く三成の元へと進んでいったのだった。



◇◇

城内が興奮に冷めやらぬ中、謁見の間だけはまるで葬式のような雰囲気に包まれていた。


「なぜだ…なぜこれが今なのだ…毛利輝元め、血迷ったか!?」


石田三成は、俺が持ってきた書状を見ながら、その目を真っ赤に充血させており、額に浮かびあがった青筋が彼の憤りを如実に物語っているようだ。


ここまで来ての和睦勧告…これは三成であっても想定していなかったに違いない。

しかし総大将である毛利輝元と、天下人である豊臣秀頼の連名を持ってして、それにあがなって戦い続けることは、彼が最も忌み嫌う「忠義に反する」行為だ。


頭ではそう理解していても、「徳川憎し」の感情の部分は何とも抑えきれない。

いかんともしがたい彼の胸中は、目からは涙となり、かみしめた唇からは血となって流れるよりほかなかった。


俺は努めて冷静に、子供ぽく事実を述べる。


「どうやら加藤主計頭(かとうかずえのかみ)と黒田如水の軍勢が、広島城に向かっているようで、毛利中納言はすぐに帰りたいとのことなのだ」


その言葉に三成は顔を上げ、涙をためて燃えるような瞳で俺を覗き込んだ。

彼の傍らで目をつむって静かに座っていた、島左近がその片目を開いて、同じく俺の顔を見る。俺はそんな二人の強い視線にたじろいだところで、才蔵が助け舟を出してくれた。


「殿下の言うことは誠にございます」


その才蔵の一言に、鋭い視線を寄せた三成は、低く震える声でたずねた。


「お前は何者だ?」


「拙者は真田左衛門佐信繁様が家臣、霧隠才蔵にございます。信繁様より石田冶部殿にはこの身と知っていることを明かしてよいと言われているゆえ、明かしたまでにございます。

拙者が放った間者によると加藤殿と黒田殿の軍勢は、確かに山陽道を東に向かって進んでおりまする」


と、才蔵は身分を明かすとともに、問いかけられそうなことをすらすらと明かした。


「なぜだ?なぜ九州を出た?そもそも虎之助は内府に謹慎を言い渡されていたはずだ」


「さあ?」


肝心な部分については、才蔵は首をかしげてごまかした。すると今まで黙っていた島左近がかすれた声で口を挟む。


「それは、加藤殿の一存にございましょうな。ついでに、如水殿もご自身の意志で動かれているかと…」


三成の視線が今度は傍らの島左近に移った。俺は「ここは静観すべし」という心の声に従って、すまし顔をきめている。さも「われはなにもしりませぬ」と言わんばかりに…


「左近…なぜ虎之助と如水殿は動いたのだ?」


「さあ…?そこまでは何とも…ただ…」


「ただ…なんだ?」


その時、島左近は両目を薄く開き鋭い眼光を俺に向けて、


「ただ…秀頼公の御為とあれば動くでしょうな…しかもそれが、秀頼公が直接下知をくだされたのであれば…」


と、まるで俺に向けての言葉のように三成に答える。

その口調は虎が獲物を追い詰めるような威圧と鋭さがこもっており、俺の内心を恐怖に震わせ、背中から大汗を吹き出させた。


「殿下はそろそろお休みの時間にございます。石田様、殿下のお部屋はどちらに?」


このままでは俺にぼろが出ると直感したのだろうか、才蔵がすかさず俺の退席を促す。

「ふむ」とうなずいた三成はその言葉に従い、俺を案内する使いのものを呼びだしたのだった。


「助かった」と俺は才蔵の絶妙な手だしに、内心胸をなでおろすとともに、明日に向けて気持ちを切り替える。


そう、明日はいよいよ徳川家康との初対面だ。


そしてこの書状を渡せば、この後の俺の立場は歴史とは大きく異なっていくに違いない。

もちろんそれは俺にとって有利になるとは思っているが、逆になる可能性も大いにありうる。

しかし指をくわえて歴史を傍観していては、俺は大坂城の落城とともに死ぬ運命なのだ。

「動き続けるしかない」と心をあらたにして、この場をあとにしようとした。


「明日は朝一番で内府のいる岐阜城を目指す。みなのもの、これからも頼むぞ」


と、いかにも殿下らしい言葉を三成と左近にかけた。

しかし…


「殿下、すでに内府は岐阜を出て、美濃赤坂に陣を構えております。向かわれるなら、そちらになるかと…」


と、三成がさらりと述べた驚愕の事実は俺の度肝を抜いた。


そんな…ばかな…


史実によれば徳川家康が岐阜城を出たのは9月14日の朝だったはずなのに、なぜ9月13日の今日、彼がすでに関ヶ原に着陣しているのだ…


何かがおかしい…その時、俺は城の中の様子を思い起こしていた。


まるで緒戦にて勝ったかのような、あの騒ぎよう…

俺はふとわいた疑問を確かめるべく、左近に一つたずねた。


「左近よ。今日城内に活気があったが、あれは何かいいことがあったのか?」


左近は怪訝そうにしながらも、俺に頭を下げて答えた。


「杭瀬川の川辺にて、徳川方の中村一栄と有馬豊氏の軍勢を散々打ちのめしたからでございます」


「なんと…」


それは…杭瀬川の戦いだ!


しかし史実では9月14日の昼過ぎに起ったはず。


1日ずれている…そんなばかな…


驚きの表情で固まる俺に、左近が不思議そうに問い返してきた。


「それがどうなされましたかな?小さな戦いで勝ったところで、浮かれるではない!とおしかりでありましょうか?」


俺ははっと我に返り、


「い、いや、そんなことはない。勝つのはめでたいことじゃ。で、ではわれはそろそろ失礼する」


と、これ以上何かを気取られる訳にはいかないと思いなおした俺は逃げるようにしてそそくさと部屋を出た。


部屋に案内されている間も俺の混乱は続く。そしてそれを強引ともいえる解釈で落ち着かせようと考えたのだ。


きっと後世の歴史書が間違っていたに違いない。

関ヶ原の戦いは「史実通り」に明後日起るはずだ…


そんな風に言い聞かせるようにして、俺は少し早めに床についたのであった。


◇◇

石田三成は島左近の二人だけとなり、明確にしたい疑問を左近にぶつける。


「誰が虎之助と如水を動かしたのだ…」


左近はため息をついてそれに答えた。それは「もうお気づきなのでは」と言わんばかりに…


「豊臣秀頼公…その人でしょう」


その答えを三成は想定していたのだろう。次に彼は書状について言及する。


「この書状の内容は俺が作ったものだ。しかしそれはこの戦での決着がついた後に出すはずのものであった。それまでは毛利殿が動かないと思っていた」


「しかし、その毛利殿をあの弱冠7歳の殿下が動かした…加藤と黒田を走らせ、毛利の重い腰を浮かせた…何者なんです?殿下は…」


左近は肩をすくめるようにして、そんなことを知るよしもない三成に、半ば投げやりに問いかけた。


「口が過ぎるぞ、左近。殿下は殿下である。」


なおも食い下がろうとした左近を振り払うかのように、三成は明日以降の作戦を立てる為に、謁見の間をあとにしたのだった。


◇◇

そのわずか半刻後のことである。

「小早川秀秋が松尾山に布陣!」の一報が三成のもとへと届けられた。



石田三成は再び唇をかむ。今度は無念ではなく、相手への怒りをあらわにして…


「おのれ…秀秋め…やはり内府に内通しておったのか!?」



慶長5年(1600年)9月13日 (いぬ)の刻(午後八時頃のこと)――


石田三成の本隊を始め、大垣城に待機していた全軍が、関ヶ原に向けて進軍を開始した。

小早川秀秋に「謀反の動きあり」と踏んだ三成は、やむを得ずその動きをけん制する為に城を出ざるを得なかったのである。


そして深い眠りについていた俺も、大垣城内でもしものことがあってはならないとのことで三成に伴って、彼の布陣する笹尾山まで移動することになったのだった。




なお大垣城の守備隊は石田三成本隊(6,000)よりも多い、7,500をあてたようです。


ちなみに全登はバスケが上手いあの高校生とは一切関係ございません。


過去に東京都知事選に出馬し、国連事務次長だった方の祖先に当たるとか当たらないとか…


なお「全登」の呼び方については諸説あるようですが、単に呼びやすいので「ぜんとう」といたしました。

深い意味はございません。

呼ばれていた時期等で矛盾があるかもしれませんが、ご容赦願います。

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