秀頼の九州訪問④ 想夫恋……久見崎盆踊り
◇◇
慶長一三年(一六〇八年)八月二二日――
前日に『薩大同盟』を締結した俺たち、豊臣家一行は早くも帰路につく事になった。
「おいおいおい! もう帰っちまうのですかい? もう少しのんびりしていけばいいのに」
「これっ、忠恒。秀頼公はお主と違ってお忙しい身なのだ」
「そうかい、そりゃ仕方のない……っておい! 伯父上! それではまるで……」
「では、秀頼様。道中お気をつけて」
もうすっかり見慣れた島津忠恒と義久の掛け合いも、これで見納めかと思うとなんだか寂しいものだ。
俺は義久に頭を下げた後、早速城を出る為に城門の方へと馬を進めた。
なお帰りは行きとは違う方向、すなわち九州を左回りする事になっている。
無論、加藤清正と堀内氏善のいる隈本城へ立ち寄って、今後の事を話しておきたいのもあったが、もう一つ、俺には絶対にやっておかねばならぬ事がある。
それは……
黒田如水の墓参りだ。
彼は今、福岡の崇福寺にある墓で眠っている。
俺は今までの事とこれからの事を彼の墓前で報告したいのだ。
恐らく俺が九州に足を運べるのは、これが最初で最後だから……
城門を出て西へと馬の首を向けて進む俺たち。
すると背後から大きな声が響いてきた。
「おおい! ちょっと待ってくれよぉ!」
「ややっ!? あれは忠恒殿ではないか?」
一生懸命に馬の腹を蹴って追いかけてきたのは島津忠恒。
俺たちは目を丸くして彼が追いついてくるのを待った。
そして俺たちの目の前で馬を止めた彼は、息が荒いまま言ったのだった。
「ぜえぜえ……さ、薩摩を出るまでは俺が見送る事になったんでな」
「なんと!? ご当主自らが!?」
「ま、まあ、伯父上が『どうせ暇なら見送りに行って来い』っつーもんだからよ」
実は薩摩に入ってから彼と何度か食事を共にしているうちに、俺と彼はすっかり打ち解けていた。
元より京や大坂の華やかさを好む彼にとって、俺が街での出来事を話してくれたのが、すごく嬉しかったらしい。
俺もまた少し大げさではあるが、彼の話は面白く、時間を忘れて会話に興じた。
そして終いには『とっておきの春画』を彼に手渡したのが決定打となり、俺たちはさながら水魚の交わりのような関係になったのである。
口では「義久からの指示」と言っているが、恐らくそれは照れ隠しであり、彼自身の意向が強かったのではないかと思う。
俺はにこっと笑うと、「よろしく頼む!」と明るい調子で彼に声をかけた。
すると彼も「おう! 任せておけ!」と胸を叩きながら、嬉々として俺の横に馬を並べたのだった。
◇◇
鹿児島を出た俺たち一行は、川内という場所で一泊する事となった。
この「川内」という地名は実はもう少し後になってつけられたもので、この頃は「千代」などと表記したらしい。
そしてその川内地方でも最も海沿いの港町、久見崎に俺たちは到着したのであった。
季節は秋に傾いているとは言え、残暑厳しい毎日が続いている。
俺は海が一望出来る宿に通されると、井戸から汲んだ冷えた水を一気に飲み干した。
「ぷっはぁ! 生き返るのう!!」
火照った体が冷水によって程良く冷やされるのは非常に気持ちが良いものだ。
そして大の字になって寝転がると、旅の疲れが床に吸い取られていく心地がした。
途端に体が重く感じられる。
そこで今日はこのまま夕げまで昼寝をしてしまおう、そんな風に考えていた時だった。
遠くから聞こえてくる三味線の音に俺は思わず体を起こしたのであった。
「なんだ? この三味線の音はどこから聞こえてくるのだ?」
「秀頼様、あそこでございます!」
木村重成が指を差した方向に目をやると、海岸近くの砂浜に、少年と少女の二人の姿が目に入った。
二人とも大きな木の陰におり、少年の方が三味線を弾き、少女は一生懸命に踊っているようだ。
「あの二人は何を踊っておるのだ?」
俺は背後の忠恒に問いかけると、彼はしばらく言葉につまった。
「どうしたのだ?」
俺は振り返って彼の顔を覗く。
すると普段はへらへらしている彼が珍しく深刻そうな顔をしてうつむいているではないか。
俺はただごとではないと思い「大丈夫か?」と彼の肩に手を乗せた。
そしてようやく顔を上げた彼は振り絞るような声で告げたのだった。
「あの踊りは……乱世と太閤殿下をお恨みする踊りでございます……」
と――
◇◇
久見崎は薩摩にとっては重要な軍事拠点の一つだそうだ。
なぜならその地域にある港は、軍船の発着点だからだ。
それは慶長二年(一五九七年)の事。
太閤秀吉の命令によって、多くの兵と船がここ久見崎より出航した。
彼らの目的地は朝鮮半島……
そう、いわゆる『慶長の役』と呼ばれる戦に、多くの島津兵たちがここから送り出されたのであった。
兵たちの妻たちは夫や子を見送った。
そして彼らの帰りを久見崎で健気に待ち続けた。
しかし……
無念のうちに戦場の華となって散った兵は数知れず。彼らは二度と日本の地を踏む事がかなわなかった。
それでも彼女たちは待ち続けた。
帰って来ないと分かっていながらも。
もう逢えぬと分かっていながらも。
それは一人の妻が踊り始めたのがきっかけだった。
――切って供えた みどりの髪は 今日の逢瀬を 待てばこそ……
人目を忍んで黒い頭巾をかぶって踊る人の姿は、一人また一人と増えていく。
数年たてば、もはや待ち人は帰らぬ人である事は、さすがの彼女らも分かっていた。
しかし諦めぬ、諦めきれぬ想いは、歌となり、踊りとなって表れたのだ。
彼女たちの様子を目の当たりにした島津忠恒は、毎年旧暦の七月一六日、つまり盆の日に、散っていった兵たちの鎮魂の為に、この踊りを久見崎で捧げるように指示したと言う。
これが久見崎の想夫恋盆踊りの始まりだった。
俺は話を聞くなやいなや、少年と少女の元へと駆け出していた。
先程まで「痛い」とまで感じていた陽射しの強さなど微塵も感じられなかった。
俺の心の中にあったのはただ一つ。
――なぜあの子たちはそんな哀しい踊りを、一生懸命踊っているのだろうか?
それだけだった。
「な、なあ。聞かせてくれないか?」
肩で息をしながら問いかけた俺をじっと見つめる二人。
すると少年の方から答えた。
「妹のさえが来年ここで踊るから」
どうやら二人は兄妹のようだ。
妹の方はまだ一〇歳満たないだろう。兄の影に隠れて、こちらをうかがっている。
俺は努めて優しく問いかけた。
「来年って、まだ先の事だけどそんなに前から練習しているのかい?」
「さえは踊った事ないから」
「なんで来年から踊ろうと?」
俺の質問にうつむく少年。
俺はじっと彼の言葉を待った。
そして彼はぽつりと言ったのだった。
「母さんがもう踊れないから……」
「それはどういう意味だい……?」
「母さん……病でもう起き上がれないから……」
ポロリポロリと涙をこぼし出す少年。後ろの少女も涙を流しながら、しかし嗚咽はもらさずに俺と背後にいる忠恒の事を睨み付けていた。
「踊りを辞めたら、父さん帰ってこないって、母さん言ってた。だから母さんは……」
――バッ!
少年が最後まで言い終えぬうちの事だった。
忠恒が彼の事を強く抱きしめたのである。
「もうよい! もうよいから、俺にお主らの母に会わせてみせよ!」
◇◇
彼らの母はまさに骨と皮だけのひどい有様だった。
単に病という一言では片付ける事は出来ない貧困さは、一目見れば明らかだったのである。
しかし彼女は懸命に体を起こして、忠恒に対して深々と頭を下げていた。
どうやら彼女にも領主の島津忠恒である事が分かっているらしい。
「お殿様にこんなお見苦しいところお見せして、なんとお詫び申し上げたらよいか……」
女手一つで兄妹を一生懸命育てあげた事が分かるように農具と作物を売りに出す為の籠が置かれている。
男手である夫が兵役に出てから、彼女が大黒柱として、文字通りに命を懸けて一家を守ってきたのは、世間に疎い俺の目から見ても明らかだった。
しかし彼女は分かっていたのだ。
徐々に動けなくなっていく自分の体の事を……
そして幼い兄妹もそれは勘付いていた。
だから彼女は優しい嘘をついていたに違いない。
――盆の日に踊れば、おっとうは帰ってくる。
と。
ふと少女が想夫恋の一節を口ずさむ。
――盆の十四日に 踊らぬ人は 目連尊者の 掟にそむく。
――殿のためなら 涙は出でぬ 御霊祭りに 盆踊り。
そして彼女は誰に請われる事なく踊り始めた。
母に心配をかけまいと。
記憶の彼方にある父を忘れまいと。
近い未来で過酷な運命が待っていようとも、誰も恨むまいと。
自然と俺の頬を伝う涙。
どんな時代でも強者がもたらした悲劇は、こうして弱者に容赦なく襲いかかるものなのだ。
母が嗚咽する。
少年は気丈にも三味線を奏でる。
……と、その時だった。
――バッ!
突然、島津忠恒が両膝をついて、頭を地面にこすりつけたのだ。
それは渾身を込めた『土下座』だった――
「どうか、どうかこの通りであるっ!!」
全員の驚きに満ちた視線が忠恒に注がれる。
そして忠恒は叫んだ。
「この子らを鶴丸城にて奉公させて欲しい!!」
母親の目が見開かれる。
「しかし……何分田舎育ちなもので、礼儀の一つも出来やしません」
「礼儀など後から学べばよい! 浅はかと思われても構わない! 俺はお主らを助けたいのだ! ただそれだけなのだ! この通りだ! 頼むっ!!」
母親はかたくなだった。
「子供に苦しい思いをさせているのはうちだけではございません。うちだけがこうしてお殿様のご慈悲にありつけたのでは、他の人々に対して面目が立ちません」
だが忠恒も一歩も引かない。
「生活に困っている人が目の前にいる。それを助けずして武士の正道と言えるか! 領主であればお主らのような貧困にあえぐ者たちを作らぬように心がける事が大切なのは十分に分かっておる! しかし正道の根本は、一人を助ける事である。ただの一人を幸せに出来ずして、どうして皆を幸せに出来ようか!」
この言葉の直後に母親は再び嗚咽に言葉を失った。
そして
「どうか……どうかこの子たちをよろしくお願いいたします……」
と、振り絞るようにして言ったのだった。
◇◇
翌日――
「じゃあ、俺はここで見送るとしよう! 秀頼様、達者でな!」
「ああ、忠恒殿も元気でな!」
久見崎を出立する俺たちを忠恒がにこやかな表情で見送りにきた。
その両隣には新たな彼の奉公人である少年と少女の姿もある。
彼らの表情は相変わらず固いが、それでも昨日のような刺々しさは失せていた。
ちなみに彼らの母親も鶴丸城下に移り住み、しっかりした医者に診てもらえる事になったらしい。
俺は後世になって日本を動かす事になる、薩摩の揺るがぬ武士道を見た気がして、とても清々しい気持ちだった。
――島津は暗君なし。
と言われるが、まさにその通りなのかもしれないな。
そして俺には最後にせねばならない事が残っていた。
それを行う為に、少年の前に立った。
そして腰に差していた短刀を鞘ごと抜いて、彼の前に差し出したのだった。
「これは……?」
少年が驚きに満ちた表情で俺を見る。
俺は彼に笑顔で告げた。
「これからお主は武士じゃ。刀がなければ困るであろう」
震える手で恐る恐る刀を受け取る少年。
俺は彼に刀を手渡すと、すぐに馬にまたがった。
「最後にお主の名を聞かせてくれ」
「吉之助……吉之助にございます」
吉之助……? はて、どこかで聞いたような?
まあ、細かい事はよいとしよう。
「吉之助! 母と家族を大事にし、藩の為、そして日本の為に一生懸命奉公するのだぞ!」
俺は高らかと彼に告げると、馬の腹を蹴ってその場を離れていった。
――先を争う つわもの共が 鉄で固めた この体。
――盆の十四日の 夜明けの鐘は あの世この世の 扉が開く。
――寝ては考え 起きては想う この身終わるまで 君のため。
きっと天に届いているはずだ。
どんな苦境に立たされようとも、決して負けぬ薩摩の妻たちの不屈の魂の歌は――
この物語は島津忠恒公を登場させた頃から書きたいと願っていたものです。
ようやく願いが叶いました。
『久見崎盆踊り』については、今は8月16日に行われているようです。
日本には美しい文化があり歴史があります。
そして後世に残さねばならない伝統芸能があります。
拙作で伝えられるものは数少ないとは思いますが、多くの方の心の片隅にそれらが残ります事を切にお祈りしております。
次回は最終盤に向けた最後の物語。
プロットを決めずに心のままに書きたいと思います。
『黒田如水の墓』です。




