【幕間】千姫のくりすますけーき
人気投票で堂々の1位を獲得した千姫のSSになります。
どうぞ肩の力を抜いてご覧ください。
◇◇
少し時を戻す。
慶長一二年(一六〇七年)一二月二五日――
千姫は今日もぷくりと小さな頬を膨らませていた。
それを見つけた彼女の侍女の蘭は、目を丸くして問いかけた。
「あらあら、また千様はご機嫌斜めなのでしょうか?」
「伊茶がまた何かを企んでいるようなのじゃ!」
「あらあら、伊茶が……今度は何を企んでいるのでしょう?」
「むむぅ! 今日は『くりすます』なる日らしく、『けーき』なるものを作ると張り切っておったのじゃ!」
もちろんこの頃の日本には『クリスマスを祝う事』や『ケーキを食べる事』といった習慣はない。そもそもクリスマスにケーキを食す文化は一九世紀にフランスで『ブッシュドノエル』から始まり、日本では大正時代末期に製菓会社が広めたものなのだ。
千姫が知るはずもない。
しかし伊茶はこの日の朝からどこか浮足立っており、食材を求めて京へ青柳と共に出掛けたのだ。
――絶対に秀頼さまに対して何かするに違いない!
と彼女が疑うのも無理はないだろう。
蘭は顎に手を当てて上を見上げていたが、何かを思いついて「ポンッ!」と手を叩いた。
そして明るい声で千姫に向かって提案したのだった。
「聞き慣れない言葉の事でしたら明石様に聞いてみましょう!」
◇◇
同日――
千姫と蘭、それに千姫の目付け役を担っている片桐且元の三人は京の学府までやって来た。
もちろんそこで働いている明石全登に『くりすます』と『けーき』について聞きにきたのだ。 すると明石全登は胸の前で手を合わせて答えた。
「クリスマスとは神の子イエス・キリスト様の御生誕を御祝いする日の事でございます」
蘭と千姫は眉をひそめて顔を見合わせた。
そして千姫は不思議そうに蘭に問いかけた。
「伊茶はキリシタンなのか?」
「いえ、そんなはずはございません。神社にもお寺にもお参りに行きますゆえ……」
「ではなんでキリシタンのめでたい事を祝うのじゃ?」
「さあ……あの子は時折意味不明な行動をなさいますゆえ……」
「むむぅ……ますます解せぬのじゃ」
腕を組んで悩みだす千姫をよそに、蘭は全登に『けーき』について聞いてみた。
すると全登は少し考え込んだ後に首を横に振ったのだった。
「食べ物である事は存じ上げておるのですが……」
残念そうに言う全登に対し、蘭は「そりゃあ全登様にも分からない事があって当然ですわ」と、彼の肩に手を置きながら慰めた。
そして全登は彼女たちに一つ助言をしたのだった。
「オルガンティノ神父様なら何か御存じかもしれません」
再び顔を見合わせる千姫と蘭。二人ともニコリと笑みを浮かべると、同時に頷いた。
「ありがとうございます、明石様!」
頭を下げた二人はオルガンティノが暮らしている学府内の教会の方へと駆け出した。
それを「ちょっと、お待ちなされ! そろそろ戻らねば淀殿が……」と片桐且元が顔を青くしながら追いかけていったのだった。
◇◇
「オオ! それはイギリスの言葉の『cake』デスね!」
「けいく? 『けーき』と千は聞いたぞ! 『けいく』じゃないのじゃ!」
「HAHAHA! 千サマ! 『けーき』ではござらぬ、『cake』でございマース!」
イタリア人特有の陽気な調子でオルガンティノは、難しい顔をしている千姫に一生懸命に発音を教えている。
蘭は二人のやり取りを遮るようにして尋ねた。
「じゃあ、オルガンティノさん! その『cake』とやらがどんな食べ物なのか教えてちょうだい!」
蘭の問いにオルガンティノは首をかしげて考え出した。
なおケーキは国や地域によって様々な形状や作り方がある。
オルガンティノの出身であるイタリアだけでもパネットーネ、パンドーロなど数種類あるのだから彼がどう答えていいか迷うのも無理はないだろう。
そこで彼は、ドライフルーツなどを混ぜ込んで焼き上げた『大きなパン』という意味を持つ、『パネットーネ』を教えようと試みたのだった。
「そうデスネ。まず、とっても『大きい』デス!」
「ふむふむ」
千姫は一言ももらすまいと、食い入るようにオルガンティノの顔を覗いている。
しかし来日して数十年が経過しており、彼としても遠い昔の記憶を探りながら答えざるを得ないのだ。
ぽつりぽつりと思い起こした順に答えていったのだった。
「それから『茶色』デス」
「ふむ」
「さらに『丸い』デス。あとは……」
「あとは……?」
かつては切れ者だった彼も今や七五の老人。
どんなに頭を絞っても思い起こすのは断片ばかりだ。
そして彼は最後に遠い幼い頃の思い出を言葉にしたのだった。
「あとは『とっても美味しい』デス!」
「おお! 美味しいのじゃな!」
『大きい』『茶色』『丸い』『とっても美味しい』……
しかしこの情報だけでは全くどんなものなのか想像もつかない。
すると且元がぼそりと呟いたのだった。
「丸くて茶色い食べ物と言ったら、味噌をつけたにぎり飯みたいじゃのう」
この言葉の瞬間に、千姫と蘭は顔を見合わせた。
そして二人してみるみるうちに満面の笑みとなると、「ありがとうございました! オルガンティノ!」と声を合わせて言った後、一目散に駆け出した。
「ちょっと、お待ちくだされぇぇぇ!」
彼女たちの背中を全力疾走で追いかけていく且元。
その様子を笑顔で見送っていたオルガンティノであったが……
「OH…… 肝心な事を言うのを忘れていました……『甘いお菓子』と……」
と、ペチンと大きな額を叩きながら大げさな仕草で嘆いたのだった。
◇◇
同日 八つ時――
――ドタッ! ドタッ! ドタッ!
千姫は風のように大坂城の廊下を走っていた。
彼女の後ろには蘭、そして『焼き味噌を塗った巨大なにぎり飯』を載せた盆を持っている片桐且元が続いている。
そのうち且元が苦しそうに言った。
「お、奥方様! ろ、廊下を走ってはいけませぬ!」
「もう伊茶は『けーき』を持って秀頼さまのお部屋へ入ったというではないか! 且元、今は火急の時じゃ!」
「そうよ! 且元殿は男の癖して細かい事にうるさいわ!」
「そ、そんなぁ……もしこの事が淀殿に見つかればそれがしは……」
「その時は武士らしく華々しく散りなさい!」
そんなやり取りをしているうちに、秀頼のいる部屋の前までやってきた。
すると中から楽しげな会話が聞こえてきたのである。
――あははっ! これはうっまいな! さすがは伊茶だ!
――ふふ、秀頼様。御口にケーキがついております
――い、伊茶! 恥ずかしいからあまり近寄るでない!
それを聞いてわなわなと震えだす千姫。
「むぅー! 秀頼さまのばかぁ……」
「と、とにかく早く入りましょう! そうでないとこの後……」
「この後、なんじゃ?」
顔を真っ赤にしている蘭に対して、眉をへの字にして問いかける。
しかし蘭は「千様にはまだ早いお話でございます!」と早口で言うと、彼女の前に出て襖に手をかけた。
そして……
――スッパン!!
と、勢い良くそれを開けたのだった。
「のわっ! お、お千!?」
急に開けられた襖の音にびっくりした秀頼の裏返った声が千姫の耳にも届く。
彼女は怒りに震えたまま、蘭の背中からゆっくりと部屋の方へと足を向けた。
すると、彼女の視界に飛び込んできたのは……
「おかか様……それに皆の衆……これは一体どういう事?」
なんと淀殿と伊茶をはじめ、大蔵卿、甲斐姫、青柳、さらには木村重成、大野治徳、堀内氏久、明石レジーナといった面々が楽しそうに食卓を囲っていたのだ。
てっきり伊茶と秀頼が二人きりで過ごしているものと思い込んでいた千姫が思わず面食らったのも仕方ないだろう。
そして目が点となっている千姫に対して、淀殿が穏やかな口調で声をかけた。
「お千ではありませんか。皆で探していたのですよ」
端に座っていた青柳が立ち上がり、千姫の元まで駆け寄ると「ささ、あちらに御席をご用意しております」と千姫の手を取って、秀頼の左隣に誘導する。
なおもきょとんとしている千姫は、訳も分からないまま席に腰を下ろした。
そんな彼女に対し、秀頼がにこりと笑いかけながら、明るい調子で言ったのだった。
「今日は『クリスマスパーティー』じゃ! お千も一緒に楽しもうぞ!」
「くりすますぱーてぃー? 何ですか? それは」
「まあ、簡単に言えば南蛮の祝い事じゃ! ケーキなどを食べながら、皆で楽しく過ごすのじゃ!」
「けーき……」
そう呟いた彼女の前に、伊茶の手から小さな盆が差し出される。
そこには現代でいうパンケーキにイチゴやミカンが飾られた可愛らしい菓子が載せられていた。
「これが『けーき』?」
「はい! 千様、どうぞ召し上がってみてください!」
千姫は生まれて初めて見るケーキに目を丸くしながら、恐る恐る口に運んだ。
――パクッ……
そして次の瞬間……
彼女の顔がとろけた――
「うんめえ! 甘くて、うんめえなぁ!」
――パクッ! パクッ! パクッ!
周囲が驚くほどに大きな口で一気に平らげた彼女は、幸せそうな表情でケーキの余韻に浸った。
「こんな美味しいもの、千は初めて食べました」
「はははっ! 喜んでもらってよかったな! 伊茶」
「はいっ! まさか小麦粉、卵、牛乳、砂糖が全部揃うなんて思いもよらなかったので、よかったわ!」
秀頼と伊茶の二人が笑うと、場の空気が再びなごみ、全員がケーキに舌づつみを打ち出す。
いつの間にか蘭も加わって、嬉しそうに頬張っていた。
そして場がひと段落した所で、秀頼が何気なく千姫に問いかけた。
「そう言えばお千はどこへ行っていたのだ? 城内を皆で探したのだが、どこにもいなかったので心配していたのだぞ」
その問いかけに、はっと我に返った千姫は顔を青くして蘭の方を見た。
蘭もまたギクリと顔をひきつらせている。
「ん? どうしたのだ?」
秀頼が不思議そうに千姫の顔を覗き込んでくると、彼女はばつが悪そうにうつむきながら、ぼそりと答えた。
「け、けーき……」
「ケーキ? もっとケーキが食べたいのか?」
秀頼の優しい問いかけに、ぶるぶると首を横に振る千姫。
いつの間にか少しきまずい空気が場を支配し始めた。
そしてついに耐えきれなくなった蘭が彼女に代わって答えたのだった。
「千姫様は秀頼様の為に、くりすますけーきをお作りになられていたのです!」
「ら、蘭! やめよ!」
千姫は蘭の言葉を遮ろうと必死になった。
なぜなら彼女の作った『くりすますけーき』は、つい先ほど彼女が口にした『ケーキ』とは比べ物にならないものなのだから……
彼女は知らなかったとは言え、恥ずかしさに顔が上げられなくなってしまった。
自然と涙が大きな瞳に集まり出す。
しかし蘭は部屋中に響き渡る声で続けたのだった。
「千様は『くりすますけーき』なるものが一体何なのか、全く御存じでない中、わざわざ京まで行って、自ら聞き回り、一生懸命お作りになったのです! これも全て秀頼様の為に!」
――オオッ!
高らかな蘭の言葉に思わず感嘆の声を漏らす一同。
秀頼も目を丸くして千姫を見ているが、彼女はますます小さくなってしまった。
――もういやじゃ……あんなものを『くりすますけーき』と言ったら、絶対に秀頼さまに笑われてしまう……
彼女は口には決して出せない言葉を胸で繰り返しながら、今にも泣き出しそうになるのを必死にこらえていた。
そして……
「且元殿! 秀頼様の前に『くりすますけーき』を!!」
と無情にも蘭は廊下で控えている片桐且元に向けて声をかけた。
ついに千姫は目をぎゅっと瞑り肩を震わせる。
人々は唖然としているのか、声を一切あげる事なく、且元がこちらに近寄ってくる音だけが聞こえてきた。
――ゴトンッ
大きな盆が秀頼の目の前に置かれた音は、千姫にとっては地獄の門が開いたようなものだった。
――秀頼さまに嫌われてしまう……!
彼女は絶望の淵に立たされながらも、それでも必死にこぼれそうになる涙を堪える。
皆が楽しく過ごしている場で涙を流す訳にはいかない。
そんな彼女の意地であった。
ちょっとした沈黙が、彼女には心臓をえぐられているように強烈な痛みを伴う時間。
そしてもう駄目だ……
泣いてしまおう……
そんな風に諦めかけた、その時だった……
――フワ……
と優しくて暖かい手が、彼女の頭を包みこんだのである。
彼女は思わず顔を上げて手の持ち主を見つめた。
その視線に飛び込んできたのはもちろん……
笑顔の秀頼だった。
「実に旨そうだ! お千の『くりすますけーき』を頂戴してもよいか?」
千姫は言葉に出来ず、大きく一つ頷く。
すると目を細めてニコリと笑った秀頼は、かつてないほどに巨大な味噌にぎり飯を一口食べた。
「おおおお! うまいっ! 甘いものばかりだったから、余計にうまい!!」
そう大きな声で言った。
そして「且元! お千の『くりすますけーき』を皆にも振舞うのだ!」と命じたのだった。
「まあ! これは絶妙な味付けだこと。お千はお料理が上手ですね」
と、淀殿が優しく微笑めば、
「うん! すっごく美味しい! 良い味噌使ってるわね!」
と、伊茶も喜んでいる。
彼女たちだけではない。
全員が笑顔で『くりすますけーき』を頬張り始めた。
大野治徳などはあっという間に平らげて、早くもおかわりを貰っている。
千姫はそんな皆の様子をただ驚きに満ちた顔で見つめるより他なかった。
するとお皿に彼女の作ったにぎり飯を載せて差し出した秀頼が、優しい声で彼女へ告げたのだった。
「これほどに心の籠った、美味しいケーキをわれは知らない。皆が幸せに笑顔になれるのだから、お千はたいしたものだ」
その言葉を聞いた瞬間に、千姫の中でふっと何かが切れる。
すると瞳から大粒の涙があふれ出してきた。
「ふえぇぇ……秀頼さまぁ……」
「泣くな、お千。本当に良くやってくれた」
秀頼は彼女の頭を柔らかに撫でると、彼女は幸せそうに笑顔を作った。
そして……
「秀頼さまぁ! だいっ好きじゃ!!」
と、抱きついたのだった――
◇◇
世界各国・地域の『ケーキ』は形状も作り方も、そして材料すらも異なる。
どれが一番でもなければ、どれでなければいけないという決まりもない。
しかしどれにも共通して言える事がある。
それは……
食べた人々に幸せと笑顔を運ぶ事だ。
クリスマスパーティーが無事に終わり、くたくたとなった千姫は寝床に入るなり、すぐに眠りについた。
すやすやと幸せそうな寝息を立てて眠る千姫。
……と、そこに一つの影が現れた。
その影は彼女の枕元に『クリスマスプレゼント』の小さな包みをそっと置いた。
そして彼女を起こさぬように、
「メリー・クリスマス」
と、小声で告げると、静かにその場を去っていったのだった――
御一読いただき、まことにありがとうございました。
彼女のピュアな笑顔の知らぬところで、豊臣と徳川が全面対決に向けて動き出していると思うと胸が苦しくなります。
どうしようもない事とは言え、せめてフィクションの小説内だけでも戦争を回避させてあげたいところなのですが……




