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淀川一揆鎮圧戦② 散兵戦術

◇◇

 

 慶長一三年(一六〇八年)七月一三日未刻(およそ午後二時)――

 

 淀川から少し離れた街道沿いを進んでいた豊臣軍にも、前方から軍勢が迫ってくるのが確認出来た。

 

「ひぃぃぃ! なんじゃ!? 何事じゃぁぁ!?」


 駕籠の中から公卿の焦った声が聞こえてきたが、側にいた石田宗應は彼を外に出す事すら許さずに穏やかな口調で言った。

 

「天を仇名す賊の輩でございます。天子様に守られし我が軍が蹴散らしますゆえ、しばしの間御辛抱くださいませ」


 なおも「逃げよう! 早く逃げて徳川殿に助けを求めよう!」と駕籠の中で騒ぎたてる公卿。

 しかし宗應は彼の言葉には耳を貸さず、陣頭から馬を飛ばしてきた真田幸村と殿から向かってきた桂広繁の二人に視線を向けたのだった。

 

「さて源二郎。あとの事はお主に任せよう。これからどうする?」


 かつての『石田三成』なら義憤にかられ自分で軍の指揮を執ると譲らない所であろうが、彼はあっさりと幸村にそれを譲った。

 それは『軍略家』としての真田幸村という男に全幅の信頼を寄せているという事もあろうが、それ以上に、彼が全てにおいて『素直』に受け入れるようになったという変化による所が大きいであろう。

 すなわち彼は自分が采配を振るうよりも、幸村や吉治に任せた方が勝てる見込みが高い事を素直に受け入れていたのであった。

 幸村もそんな彼の期待に応えようと、表情をより一層険しいものに変えて力強く答えた。

 

「勅使様と宗應様は、桂広繁殿と共に淀川を背にする形で待機されてくだされ」

「うむ分かった。では桂殿に任せるとしよう」


 宗應は幸村の隣に並んでいた桂広繁に頭を下げると広繁も頷き返した。

 

 道を外れた淀川沿いは背の高い草に覆われており、人が隠れやすい場所でもある。

 幸村率いる第一部隊と吉治の第二部隊はそれぞれ別れると、草の中で身を伏せて迫って来る一揆の軍勢を待ったのだった。

 

◇◇

 

 豊臣軍が淀川沿いへと逃げるように移動していく様子は、本多正純にも確かに届いた。

 彼は自らの口で『鋒矢の陣』という攻撃の陣形を指示し、突撃の号令を出した。

 さらに自らの判断で共にある一〇〇〇の兵たちを自在に動かせる立場にあるのだ。

 今まで見た事がない光景に彼は興奮のるつぼにあった。

 そんな彼が、豊臣軍は「恐れをなして退き始めている」と捉えても仕方のない事なのかもしれない。

 

「はははっ! 追え! 追いかけろ!! 一人残さず殲滅するのだぁ!」


 果たして彼の隣に徳川家康がいたならば、このような声を上げただろうか。

 まるで人が違うように彼は甲高い声を張っていた。

 

 山を下りきり、真っすぐに淀川のほとりへと突き進んでいく一揆勢。

 そこには何の戦術もなく、ただ何の警戒もせずに突進する猪のようなものだった。

 

 そして背の高い草むらの中に入った瞬間の事だった。

 

 声も音もなく、一筋の矢が先頭をいく兵の横を通り過ぎたのである。

 

「なんだぁ?」


 そう彼がつぶやいた瞬間だった。

 

――バアアアアアン!!


 と、凄まじい音を立てて矢じりが弾け飛んだかと思うと、無数の鋭く尖った鉄片が兵たちを襲ったのである。

 

「ぐわっ!」

「なんだ!? どうした!?」


 思わぬ事態に一瞬だけ突撃の足が鈍ったが、後方をいく正純は大声で叱咤した。

 

「止まるな!! 寡兵の陽動など取るに足らぬ! 一気に進めぇぇ!!」


 彼の号令が鞭となって再び加速しはじめる一団。

 しかし次の瞬間、驚くべき事態に彼らは陥った。

 

――バアアン! バアアン! バアアアン!


 なんと四方八方から次々と爆発音が鳴り響いてきたのだ。

 耳をつんざく音に、見事に足元を狙う鉄片の雨。

 確かに飛んでくる矢の数は多くはないが、それでもあらゆる方向から来る攻撃に彼らは浮足立ってしまった。

 

 正純は歯ぎしりをしながら兵たちがうろたえる様子を見つめる。

 死傷者は少ない。いやむしろほぼ全員が戦える状況にはある。

 それなのに彼らの推進力は鈍り、軍団全体が草むらにすっぽりと覆われると、前後不覚の混乱が生じ始めていた。

 

「前だ! とにかく前進せよ!!」


 正純は大声を上げるが、なかなか進んでいかない一団。

 そこに今度は

――ドドドドドドッ!

 と鉄砲が浴びせられてきたのだった。

 

 これも数は少ない。しかし訓練された事が分かるように綺麗に装備の穴である膝や太もものあたりをかすめてくる。

 突撃に特化した陣形は、先頭をいく兵たちの出足が鈍ったところで完全に機能を止め、彼らは目に見えぬ敵にうろたえるばかりだった。

 

 そして……

 

「制圧完了! 第一部隊は今より突撃に入る! いけぇぇぇ!!」


 と、草むらの中から天を揺るがす大号令がこだました。

――ワアァァァ!

 という喊声が一揆勢の周囲から上がり始めると、突如として軽装の兵が彼らの前に現れたのである。

 その手には銃。しかし銃口には槍の穂先のような鋭い刃物が取り付けられていた。

 

――ドスッ!! ドスッ!


 鈍い音と共に面食らった一揆兵たちの腹を一突きしていく豊臣軍。

 その数はわずか数十名だが、浮足立った一揆勢はなすすべなく草むらにうつ伏せになって血だまりを作っていった。

 

「何をしておるのだ!! 敵は少ない! 包囲して潰してしまえ!!」


 そう正純は大声を上げるが、包囲するにも豊臣軍はばらばらの方向から攻め立ててくるのだ。 一揆勢たちはどの方向へ攻撃先を向けるべきか戸惑った。


「とにかく目の前の敵を数人で取り囲め! 各個撃破だ!」


 正純の号令が響き渡ると、ようやく彼らが手にした槍で向かってくる敵に反撃を加え始める。

 しかしその頃には豊臣軍の兵たちは蜘蛛の子を散らすように草むらの中へと姿を消していった。

 

 まるで柳の枝を押しているかのように反撃の手応えがない。

 歯ぎしりした正純は、次の指令を飛ばす。

 

「ぐぬぬっ! 逃げ足の早い奴らめ! もうよい!! 陣形を立て直して……」


 しかし彼がそう言いきらないうちだった。

 

――バアアン! バアアン! バアアン!


 と、再び炸裂音が響き渡ってきたのだ。

 さらにそれが終われば鉄砲音が響く。

 陣形を立て直す余裕もなく、縮こまるしかない一揆勢に対して再び大声が聞こえてきた。

 

「制圧完了! 第二部隊、突撃開始!! いけっ!」


 再び目の前に現れる豊臣軍。

 的確に腹を一突きし、またすぐに立ち去っていく。

 追いかけようにも三人一組の小隊で攻め立てて脱兎のごとく逃げる豊臣軍に対し、集団で追いかけようとする一揆勢は出足が鈍いのだ。

 

 そうこうしているうちに再び襲いかかる炸裂弾と鉄砲射撃。

 それらの命中率は低いが、大きな音と凶弾がかすめる恐怖に、出足は完全に止まる。

 その隙にまた別の部隊が一斉に突撃してくる……

 

 これは『散兵戦術』と呼ばれる戦い方だった。

 後世日本においては、幕末の長州征伐において長州軍が採用した戦術でも知られており、隊列を組んで戦う旧来の戦術からは想像もつかないものであったに違いない。

 

 四方に散った兵たちは鉄砲やボウガンによって敵を足止め、すなわち『制圧』する。

 そして間合いを詰めたところで、一気に突撃し、すぐに退散。

 再び『制圧』に戻り、さらに『突撃』を加える。

 間断なく続けられる四方からの攻撃によって敵の士気をそぎ、隊列を崩す戦い方。

 しかし号令なく攻撃を繰り返すには血の滲むような訓練が必要な上に、相応の火器がなくてはならないのだ。

 豊臣軍は、浅野軍との合同演習を中心としてこの戦術を徹底的に叩きこんだ。

 さらにボウガンの開発と銃の改良によって火器を整備した。

 こうして新たな戦術が確立出来る下地をこつこつと整えていたのである。

 そして彼らが徳川軍よりも軽装だったのは、こうした突撃と逃亡を繰り返すのに最適な装備だった為であった。

 

 つまり訓練などしていない雑兵の群れが、新たな戦術、徹底的に鍛えられた兵、さらに改良を重ねられた火器を相手に勝てるはずもなかったのだ。

 

 しかし現状を即座に理解するには、本多正純にはあまりに実戦経験が少なすぎた。

 残念な事に彼は『数』だけを恃みにして、まだ巻き返しが可能と判断してしまった。


「前へ! とにかく前へ進むのだ!!」


 それはかつて石田三成が関ヶ原の戦いで見せた突撃とあまりにも似通った状況だ。

 完全に足止めされ、多大なる犠牲を払いながらも泥くさく前に進もうとする三成の様子を、彼は徳川家康の隣でせせら笑っていた事を思い起こしていた。

 しかし今は立場が完全に入れ替わっている。

 彼は目に見えぬ石田宗應が、彼の必死な様子をどこかで大笑いしているように思えてならなかった。

 

「くっそ! くそぉぉぉぉ!」


 思わず涙がぶわっと溢れ出てくるが、彼の爆発した感情など戦況には何の影響もしない。

 士気が下がりきった一揆勢の中には次々と逃亡する者たちも現れ始めている。

 

 死傷者はほとんどないし、戦力差は未だ歴然。

 それでも完全に一揆勢は敗北へと突き進んでいくより他に選択の余地がなかった。

 

 みるみるうちに周囲から人の気配が消えていく。

 それでも正純は前へと進み続けた。

 

「せめて……せめて石田宗應に一太刀を浴びせるまでは!」


 その一心だけだった。

 

 そして……

 

 ようやく彼の目の前に草むらの終わりが見えてきたのである。

 一層背が高くなった草で視界は完全に塞がれており、すぐ近くにいるであろう石田宗應の様子は目に入らない。

 それでも草木の間から射す光は、彼の最後の『夢』が迫っている事を示していた。

 

「宗應っ!! 死ねぇぇ!!」

 

――バッ!!


 正純の周囲にはまだ一〇〇はいる。相手はもっと少ないはずだ。

 そう踏んだ彼は意気揚々と草むらを飛び出した。

 

 しかし……

 

 そこで待っていたのはなんと『要塞』であった――

 

 



なお『散兵戦術』については本来であればライフル銃などの命中率の高い火器の登場によってなせる戦術ではありますが、榴弾の開発によってある程度ブレても制圧が可能と判断し採用いたしました。

※さらに言えば、散兵戦術が発展したのはナポレオン以降とされており、本来ならば『訓練されていない兵でも可能な戦い方』として採用されました。拙作内のような『訓練のたまもの』ではなかったというのが史実となります


このくだりは専門家の方にしてみれば、あまり納得のいかない部分かもしれませんが、どうぞご容赦いただけると幸いです。


大事なのは戦術、兵の質、そして武器によって寡兵でも強力な戦力となりえたという部分でございます。


では、次回は本多正純がみた『要塞』とは。そしてその後の彼についてになります。


さて、先日来行っていた人気キャラ投票ですが、結果が出ました!


1位 千姫!

以下、混戦!

でございました。


もう1位が圧倒的過ぎて2位以下は霞んでしまっている状況です。

ちなみに秀頼くん、家康公ともに得票なしという悲しい結果。。。

やはり主人公をもっと魅力的に書かねばならない、とあらためて引き締まる思いがいたしました。


では12月25日に『千姫のくりすますけーき』というタイトルのSSを幕間として公開いたします!


これからもよろしくお願いいたします。


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