風雲!関ヶ原の戦い!②大谷吉継の想い
◇◇
慶長5年9月13日――
史実の上では、関ヶ原の合戦の二日前…
前の日に近江八幡にて一夜を過ごした俺、豊臣秀頼は、石田三成が待機しているはずの大垣城へと向かっていた。
既に日は西に傾きかけていて、すっかり秋めいた西日は、心地よさを感じるものであった。
そんな秋空の下、俺は才蔵の後ろにつかまって、馬上で揺られているわけだが、日差しとは対照的にその乗り心地はよくない。しかし柔らかな日差しに、思わずまぶたが閉じそうになってしまうのを抑えられないのであった。
「秀頼様、誰かが道を塞いでおります」
突然の才蔵の言葉にまどろんだ意識が一気に現実に戻ってきた。そして彼の背中から少し横に顔を出して進行方向を見ると、確かに二人の甲冑姿の武者たちが、俺たちの行方を阻もうと槍を交差させている。
「ここは大人しく従って、身分と目的を明かすぞ」
と、俺は才蔵にささやくように指示をすると、彼は黙ってそれに頷いた。
「止まれ!」
道を塞ぐ二人のうちの一人が大きな声で俺たちに向かって命じた。
才蔵は彼らの少し手前で馬を止めると、自分だけ馬から下りてその手綱を取る。
その才蔵の様子に敵意がなさそうだと判断したのか、先ほど声を上げた武者が
「われらは大谷刑部殿の者である。知っての通り、今は戦の最中だ。
そなたらが何者か名乗られよ。でないと通すわけにはいかん」
と、自ら名乗りでるともに、俺たちについて聞いてきた。
さすがはこの大戦で一躍後世に名を残した大谷吉継の手の者といったところか、見るからに怪しい子供と旅人の風貌の男に対しても、一定の礼節を怠っていない。
そんな彼らに対して、才蔵も立ったままではあるが、頭を低くして答えた。
「こちらは、豊臣権中納言秀頼殿下その人である。拙者はそのお供の霧島五郎太と申す。
石田治部殿に書状を届けに参ったのだ」
「霧島五郎太」というのは才蔵の偽名であろう。
なぜ偽名を使ったのかはよく分からないが、もしかしたらこの旅人の風貌をしている時には、この名前を使うと決めているかもしれない。
しかし一介の旅人にしては堂々としすぎている気がしないでもないが…
さて、一方の俺たちを通せんぼしている武者たちはというと、その言葉に顔色を青くして見つめ合って、あまりの事に言葉が出ないようだ。
その様子を見て才蔵は、
「申し訳ないが、こちらは急ぎの身でございます。
お通しいただけますかな?」
と、丁寧にお願いした。しかし馬上からでもその視線が鋭いことがよく分かる。
そして有無を言わせないその視線に、彼らはようやく我にかえり、慌てて才蔵に頭を下げる。
「やや!これは失礼した。しかし少し待たれよ。報告を先にせねばなるまい」
と、先ほど名乗り出た方が告げると、そのまま俺たちが来た道を折り返すように駆けていってしまった。
その背中を見て俺は、
まあ、そりゃそうだよな。
報告もなしに怪しい者を通したとなれば、後から叱られるだろうしな…
などと俗っぽい事を考えていた。
しかしこの状況では、しばらく待つ事になりそうだ。
そう直感した俺は、今後の事を考えることにした。
現在の太陽の位置は、既に西に大きく傾き、影が長くなってきた頃合いだ。
「まるで豊臣家の現状みたいだな…」
と、余計な事で思わず感傷に浸りそうになってしまったのだが、そんな事はさておき、今知りたいのは時刻だ。
恐らく日の傾きからして午後三時から午後四時くらいと考えるのが妥当だろう。もちろん気象についての知識は全くないので、あてずっぽうではある。
そして今この場所だが…東山道(現在の中山道)にいるのは間違いない。
既に左手に淡海(いわゆる琵琶湖)が見えない。
つまり湖畔は抜けたと考えた方がよさそうだ。
すると湖と大垣城の間となる。さらに右手は山の斜面になっていることから何らかの山の近くのはずだ。
淡海と大垣城の間で、右手に山…
まさかここは…不破の関付近か…
もしそうであれば大谷吉継の手の者が付近を警戒にあたっているのも頷ける。
なぜなら彼はそのあたりに布陣しているはずだからだ。
もしその予測通りであれば、ここから大垣城までは約二時間ほどであろうか…
石田三成と顔を合わせる頃には、すっかり日が暮れる頃になるかもしれない。
…となると、今日中に徳川家康のもとへも書状を届けるのは難しいだろうな。
であれば、今日は石田三成の元で一夜を過ごし、明日の朝一番で徳川家康のもとへ急ごう。
そんな風に計画を立てていた。
この時の判断がもし「今日中に徳川家康の元へも強行しよう」となっていたら…
後悔は先に立たず…である。
さてそんな逡巡をしているうちに、一人の青年とも少年ともつかない若者が、甲冑姿のまま馬を飛ばしてこちらに近づいてくるのが、はっきりと見えてきた。
その姿はみるみると近づいてくると、付近で馬を止め、下りてきた後にすぐさま片膝を地面につけた。
「大谷刑部少輔吉継が息子、大学助吉治にございます。
父からの伝言を持ち、はせ参じました」
そう告げると下げていた頭を上げた。
大谷吉治と名乗った青年はよく響く声の持ち主であった。
その顔は日に焼け、少しつり上がった大きな瞳はぎらぎらとした燃える野望を映している。
引きしまった体に周囲の武者とは一味違ったきらびやかな甲冑が良く似合う。
腰には一振りの大きな刀。
まるで釣鐘すら真二つにしてしまいそうなほどの長さで、その刀が相当な業物であろことは、素人目から見ても想像にかたくない。
恐らく年齢は二十歳そこそこといったところだろうか。元の世界の俺とそれほど変わらないように見えるが、その仕草はひどく大人びて映った。
俺は馬の上から、なるべく背筋を伸ばして眼下の吉治に聞いた。
「大谷刑部からの伝言を言うてみよ」
「はっ!恐れながら申し上げます。父が殿下にお目どおり願いたいとのことでございます。しかしご存じの通り、父は足も目も不自由の身。つきましては殿下にこの吉治を迎えとして、父の陣までご足労いただきたくお願い申し上げます!」
やはりそうきたか…すでにこの時は盲目である大谷吉継であるが、せめて俺の声を聞き、身分の真偽を図るつもりであろう。
しかしその大谷吉継は俺の声を聞いただけで見分けがつくほど、幼少期の俺の肉声を聞いたことがあったのだろうか。
それにこの大谷吉治という若者。気持ち悪いぐらいに礼儀正しい。
何か裏があるのではないかと勘ぐってしまうほどだ。
「そなたはわれが豊臣秀頼であると信じて、そのように礼を尽くすのか?」
俺は当然とも言える疑問を投げかけた。才蔵の言葉だけで相手を信用してしまうとはどうにも思えないからだ。
すると青年がニコリと笑って告げた。
「いえ!それは分かりませぬ!しかし、父上がお迎えしようという客人に対して、失礼があってはなりませぬゆえ!」
爽やかな吉治の弁明に、俺の心まで清涼感に包まれた。
きっとこの若者はいい人だ、
と再び武家社会には似合わない俗な考えが浮かんでしまう。
そんな彼に対して俺は元気な声で、
「うむ、そうか!では、案内を頼む。時間が惜しいゆえ、馬での移動を願おう!」
と、7歳にしてはひどく大人びた発言で命じたのだった。
◇◇
来た道を引き返すように進み、東山道から松尾
山と向き合う側の山道へとそれる。
高い木々に光は遮られており、才蔵や吉治がいないと心細くなりそうな林道だ。
しかし怖がるような暇もなく、不破の関を出てから5分ほどで目的の場所に到着した。
そこには物々しい武者たちが思い思いの場所で座っているのだが、どうやら来るべき一戦に向けて休んでいるようで、くつろいだ姿にも関わらず、その目は研ぎ澄まされている。
俺はそんな武者たちから目をそらして、少し離れた所に視線を移した。
すると大きな鳥居があり、ここはどうやら大きな神社の敷地内のように思われることが分かった。神社の名までは全く分からないが、多くの兵を休めるにはうってつけの場所かもいれない。
ふと、大谷吉継は関ヶ原の合戦の当日の朝に、小早川秀秋の動向を疑って、本陣を藤川台の方へと移動したと何かで読んだことを思い返していた。
「ささ、あちらにございます」
馬を下りた吉治は徒歩で先導し始めた為、俺と才蔵も馬から下りて、人をかきわけるようにして吉治の背中を追いかける。
屈強な兵たちが、殺伐とした戦場の中に違和感をもたらす俺の姿を見て目を丸くしているのだが、それが妙に居心地悪く感じたので、俺は伏せ目がちに吉治の歩く足を見ながらついていったのだった。
息苦しかった兵たちのたまり場を抜けると、同じ陣の中とは思えない程の静寂に包まれた場所に出る。
そしてそれは小高い丘のような場所に、異様な雰囲気すら感じさせるように設置されていた。
白い布地で周囲を仕切り、その周辺には大谷家を表す「鷹の羽2枚」の家紋があしらわれた旗がいくつも立てられている。
大谷吉継の本陣だ。
俺は思わず身震いしてしまった。
初めて見る「本陣」に思わず足がすくんでしまったというのもあるが、どちらかと言えば中から感じる大きな威圧感に圧倒されてしまったのである。
「どうぞ中へ」
そんな俺の背中を押すように、吉治は声をかけてきた。そしてその響く声に押されるように、俺は才蔵とともに、布地をかき分けて中へと足を踏み入れたのであった。
そして…俺を待っていたその人はそこにいた。
静か過ぎるとも言える本陣の中で、一番奥に備え付けられた台座に足を崩すようにして座っている。
頭からすっぽりと白い布地をかぶり、覗かせているのは光を失ったその両目だけ。
甲冑からもその布地ははみ出しているが、その全身を包みこむように黒地の直垂をはおっており、その直垂には金糸で縫われた二羽の蝶が自由を謳歌するように羽ばたいていた。
石田三成の親友にして、史実ではこの関ヶ原の合戦において伝説を残した男――
大谷吉継、その人であった。
俺たちが入ってくるとともに、少しうなだれていた首をゆっくりと持ち上げる。
もはや座っていることすら苦痛なのだろう。首を少し動かすだけでもつらそうだ。
それでも懸命に俺を迎え入れようと、すでに見えない目を俺に向けようとしていた。
その痛々しい姿に彼のことを初めて目にした俺であっても、目頭が熱くなってしまう。
俺は少し震える声で、
「われは豊臣権中納言秀頼である。大谷刑部少輔殿の求めに応じて、ここまで参ったぞ」
と、それでも威厳を保とうと必死に声を張り上げた。
するとその声に目を細めた大谷吉継は、かすれた小さな声で俺に話しかけてきた。
「おお…その声はまさしく殿下…遠い昔に一度だけお目にかかった拙者を覚えてらっしゃいますかな?」
俺と大谷吉継は一度顔を合わせた事があったのか…
もちろんそんな事など覚えているはずもない。
なぜなら俺はこの時代にやってくる前の秀頼の記憶が一切ないからである。
その為、俺は答えに窮した。覚えていないことを素直に答えるべきか、それとも嘘をつくべきか…
そんな俺のとまどいを雰囲気で感じたのだろう。
吉継は笑いまじりに、
「ふふふ、それはもう殿下が小さな頃でしたから、覚えてなどおりますまい。
これは意地悪な事をいたしました。申し訳ございませぬ」
と、俺への問いかけを謝罪した。
その様子は我が子と冗談を交わすような軽いものを感じさせ、とても俺を警戒しているようには思えないのだ。
では吉継はなぜ俺を呼びつけたのだろうか…
本当に俺が「本物の」豊臣秀頼であることを確かめたかっただけなのか。
俺は吉継の真意をつかみかねていた。
しかし目が見えない代わりに、第六感がかなり研ぎ澄まされた吉継は、俺の怪訝な様子を鋭く察知したのか、震える手を持ちあげて、俺に向かって手招きしてきた。
「恐れなくともよい…わしは殿下のことを疑ってはおらぬ。ささ、この吉継の冥土の土産にお近くまでお越しいただけないだろうか」
俺はいぶかしく思いながらも一歩また一歩と吉継に近寄る。
本当は俺の事を「偽物」だと思っており、間近まで来たら手にした短刀で突かれてしまうのではないか、とあらぬ事まで考えてしまうのは悪い性分だ。
そしてそれは傍らで俺に足並みをそろえる才蔵も同じようで、彼からは警戒心がひしひしと伝わってきた。
ただし彼の場合は、性根の悪い俺の考えとは違って、俺のことを真田信繁から託されていることからくる使命感のようなものからだろうが…
しかしそんな俺たちの心配などよそに、懸命に手招きをしている吉継。
その時であった。
彼に近づくにつれて俺の中に流れてくる「何か」が、俺の琴線を徐々に、いつしか激しく震わせ始めたのだ。
大谷吉継の感情…俺にはそう思えてならない。
俺は才蔵にその場で待機するように手で制すると、才蔵の方も何か感じるところがあったようだ。
俺の制止に抵抗することなく従った。
俺は一歩ずつ踏みしめるように吉継の元へ歩みを再開する。
一歩――
そこからは「慈しみ」が感じられた。
一歩――
そこからは「懐かしさ」が感じられた。
一歩――
そして最後に感じたのは「愛情」であった。
そしてついに吉継の息遣いが聞こえるまでの距離まできた時、手招きをしていた吉継の手が、俺の頬に触れた。
その手も分厚い籠手で指先まで覆われている。
しかしそうであっても彼の体温が俺の心の奥まで確かに伝わってきた。
暖かい…それは俺の心にほのかな火をともす暖かさだ。
そしてそれは吉継にとっても同じだったようで、彼はかすれた声を震わせて漏らすようにつぶやいた。
「ああ…殿下がおられる…」
すると吉継の光のない瞳から、涙が滂沱として流れて始める。
一方、その手は俺の頭、耳、口と、まるで大切な珠を愛でるように撫でていた。
「この耳と鼻のあたり、殿下ではなく淀殿に似てよかったのう。ふふふ、眉は太閤殿下にそっくりじゃ…」
彼の手から伝わってくる「愛」と「忠義」が容赦なく俺の心を震わせ、俺の瞳からも大粒の涙がこぼれ落ちてきた。
俺はここに来るまで大きな勘違いをしていた。
大谷吉継が西軍として参加した理由を…
それは「石田三成との友情」という極めて個人的な情にほだされての事であったと、勝手に思い込んでいたのだ。
しかしその考えは今彼の手に触れて、全くの間違いであったと反省した。
彼は恐らく真剣に悩んだのであろう。
自分を最後の最後まで大事にしてくれた、最愛の主君の恩に報いる為に自分がすべき事を。
そしてその想いが、石田三成という不器用なほど忠義に真っすぐな男と同じであったという事に気付いた。同時に徳川家康という男からは、そういった忠義の心が極めて表面的であることを見抜いた。
そして吉継は「主君の恩に報いる」という一心に殉じて死ぬ為に、石田三成側につくことを決意したのだと俺には思えた。
何が正しいかなんて俺には分からない。
どの歴史の認識を正とすべきか…そんな事は今この場では全く無意味であった。
なぜなら吉継の溢れる感情が全てを物語っているように俺には思えたからだ。
彼は俺という体を通じて、その最愛の主君を感じているに違いない。
もしかしたら会話を交わしているのかもしれない。
もしかしたら「佐吉もお前も馬鹿な事をしおって」と怒られているのかもしれない。
それとも主君と語った夢の話を思い起こしているのかもしれない…
「太閤殿下…夢の続きはあの世で語り合いましょう。佐吉とともに参りますゆえ…」
耳をすませば、背後で二人の男のすすり泣く声も聞こえてくる。
夕暮れにそまる秋の赤い空は男たちの心の中の震えた感情を示しているように、俺には思えた。
この後すぐに俺と才蔵は石田三成がいると思われる大垣城へと向かった。
◇◇
一方その頃、吉継と秀頼が顔を合わせた地の真向かいにある松尾山では、殺伐とした空気に包まれていた。
「盛正よ。この松尾山には、この金吾中納言の精鋭部隊が布陣するゆえ、そちの寡兵は即刻ここを離れるがよい」
熟れた茄のような特徴的な顔つきをした金吾中納言と名乗る男が、傍らで腰を低くしている盛正と呼んだ男を見下すように命じたのだ。
「しかし…ここには拙者に布陣するようにと、石田冶部殿からお達しが…」
「ええい!だまれ!!殿下の名代ともいえるわれに、そちは口ごたえする気であるか!?これは謀反ぞ!謀反だ!!この不忠者め!」
妙に高い声で罵倒するこの男こそ、後に「裏切り者」として汚名を残すことになる小早川金吾中納言秀秋その人であった。
こうなっては抵抗すると自分の立場が危うくなる、そう感じた盛正――大垣城の城主である伊藤盛正は、なくなく松尾山からおりていくのであった。
その様子を影から見ていた一人の男――奥平貞治。
小早川秀秋のお目付けとして徳川家康から派遣された男である。
「よくやりましたなぁ。流石は天下の名将、金吾中納言殿である。この貞治、感服いたしました」
見え透いたお世辞は裏を返せば嫌味である。しかしそれを嫌味と受け取らずに、素直に褒め言葉として秀秋はとらえたようだ。
「当然のことであろう。この金吾の働き、内府殿にもしっかりとお伝えするように」
と鼻を鳴らして、家康にこびるような報告を求めたのであった。
ここに西軍の敗北の運命を決定的にしたとも言える、小早川秀秋の松尾山布陣が成った。
その報を受けて、大谷吉継とその軍勢はこの日の夜に、彼らの死地である藤川台の方へと本陣を移していくことになる。
忠義に殉じて死ぬ…
そんな吉継の悲壮な想いは、この翌日に戦の華となって散りゆくのだった。
大谷吉継とその軍団での関ヶ原の合戦での壮絶な戦いは、今後書きたいと思います。