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【幕間】混沌と修羅場をうむもの

◇◇


 年が明けて慶長一三年(一六〇八年)――

 

 正月の慌ただしさもひと段落ついた一月下旬。

 再来月に迫った九州下向に向けて、首も回らぬ忙しい毎日を送っていた俺は、「話がある」という有無を言わさぬ甲斐姫の言葉に従って、大坂城の奥へと足を運んだ。

 

 既にこの時点で、何やら嫌な予感はしていた訳だが、物の見事にそれは的中したのであった。

 奥の部屋に入るとそこには千姫と伊茶の二人が既に座っていたのだが、明らかに二人の様子がおかしい。

 俺は恐る恐る問いかけた。

 

 

「あ、あの……われは何か悪い事でもしたのだろうか……?」



 二人して黒い霧のようなものが背中から漂わせているのだ。

 背筋が凍るような恐怖に襲われると、俺はそっと部屋を退出しようと試みた。

 

 しかし……

 

「ちょっと、秀頼様? どこに行かれるのですか?」


 と、伊茶の突き刺すような一言で、俺の体は固まってしまった。

 

「い、いや、ちとかわやでも行こうかと……」

「もう少しで淀殿と甲斐殿が参ります。それまでは我慢なさい」

「は、はい」


 言葉遣いが微妙に『麻里子』に戻っているのは気のせいだろうか。

 そして入れ替わるようにして今度は千姫が口を開いた。

 

「秀頼さま。胸に手を当ててよくお考えください」

「うむ……」


 だがいくら考えても彼女たちが何に怒っているのか、全く身に覚えがない。

 すると難しい顔をしている俺に対して、千姫が顔を真っ赤にしながら続けた。

 

「く、く、く、口吸い!」

「口吸い?」

「とぼけないの! キスをしたでしょ! しかも何度も!!」


 どもる千姫に代わって伊茶が本性を剥き出しに俺に詰め寄った。

 しかしそれでも俺には何の事だか見当もつかず、ついに言い返した。

 

「本当に身に覚えがない! この顔がやましい事を隠している顔に見えるか!?」

「昔からたっちゃ……秀頼様は何か隠すのが上手だったじゃない!!」

「な……お前、俺が一体何を隠したんだよ!」

「そんなの挙げ出したらキリがないわ! いかがわしい本を……」「まてぇぇぇ!! なんでお前がそれを!」

「ほらっ! やっぱり隠してたんだ!」

「くっ! 謀ったな!!」



 火花を散らしながら大声で文句を言い合う俺たちを、口をポカンと開けながら見つめる千姫。

 しかし次の瞬間、プクリと頬を膨らませると、俺たちの間に入って金切り声を上げた。

 

「また千をのけものにされるのですか! そんなに千は邪魔ですか!」


 どうやら彼女は俺たちが口喧嘩する様子に妬いていたようだ。

 伊茶を押しのけて俺に顔を近づけて文句をつけ始めた。

 

「秀頼さまは『お前を守る』とか言っておきながら、近頃全く千と遊んではくれないではありませんか!」


 もはや俺が誰かとキスをしたという疑惑から遠く離れている。

 しかしそんな事はお構いなしに彼女は続けた。

 

「病が治ったら、歌留多遊びをしたり、京にお出かけしたりしてくれるって約束したではありませんか! もうお忘れなのですか!?」

「い、いや、忘れてなどおらぬ。しかし、こう見えてもわれは忙しいのだ。だからその話はまた今度……」

「今度っていつにございますか!? 千はもう待てません!」


 俺は気まずくなって千姫の顔から目を離す。

 すると口元をひくひくさせた伊茶の顔が目に入ってきた。

 

「たっちゃ……秀頼様? 千様とはそのような御約束をされて、私とは何の約束もなしとは、どういう了見でしょうか?」

「ちょっと待て! お千は正室でお前は側室の身だろ! なんで俺がお前と何か約束をしなくちゃならんのだ!?」

「問答無用! 『ずっとかわいがる』と言ってくれたのを忘れたのですか!」

「ちょっと待て! それはお前が勝手に……」


 そこまで言いかけた時だった。

 俺の目の前にいる千姫から、燃え上がる黒い嫉妬の炎が燃え始めたのは……

 俺は恐る恐る彼女の方へと顔を向けた。

 

 すると、彼女はぼそりぼそりと呟き始めたのだった。

 

「千という者がありながら、他のおなごに『ずっとかわいがる』ですと……」

「お、お千? だからそれは誤解だって……」


 と、そこできりっと鋭い眼光で俺を睨みつけた千姫は、例の台詞を口にし始めた。


「秀頼さまなんか……秀頼さまなんか……」


――まずいっ! この至近距離で鉄拳を食らったら確実に俺はもう一度あの世に飛ばされる!


 俺はとっさに飛び上がると、広い部屋の隅へと転がるように飛び出していった。

 

「秀頼さまなんて、だいっ嫌いじゃ!! 待てぇぇぇ!!」

「待つものか!!」

「ちょっと秀頼様! まだ話は終わっていません!!」


 もはや修羅となって追いかけてくる二人を、俺は部屋をぐるぐると回りながら逃げた。


――ドタドタドタドタ!!


 大きな三人の足音が部屋中に響き渡る。

 ……と、その時だった。

 

――ピシャッ!!


 と鋭い音と共に、襖が勢い良く開けられたのだ。

 そこには鬼の形相をした甲斐姫が仁王立ちして俺を睨みつけていた。

 

「行儀が悪い男は嫌いでねぇ。お仕置きが足りねえか?」


 まさに地獄の底から湧いてくるような低い声に、条件反射的に俺は正座して彼女に頭を下げたのだった。

 そして頭上からは続いて淀殿の穏やかな声が聞こえてきた。

 

「おやおや、お千に伊茶まで……はしたない真似はいけませんよ」

「申し訳ございません」

「ごめんなさい、おかか様」

「分かればいいのですよ」


 大人しく座ってしゅんとなっている二人。

 俺はベロと出して「ざまぁ、見ろ!」と声にしないで言葉を投げかけた。

 しかし甲斐姫は俺の仕草を見逃さなかった。

 彼女はぴくりと青筋を立てると、

「調子に乗るでない!! あとで道場へ来るように!!」

 と、雷を落としたのだった――

 

◇◇


 さて、場がひと段落した所で、座り直した俺たち。

 俺は口を尖らせて甲斐姫にたずねた。

 

「一体なぜわれはここに呼ばれたのですか? このままではわれがただお叱りを受けただけではありませんか」


 恨めしそうな俺の口調に、甲斐姫は口元をわずかに緩ませた。

 

「まあそれも良いではないか。事実、お主は奥方や伊茶の事を全く構っておらんのだろう?」


 彼女の言葉に再び千姫と伊茶の二人が不機嫌そうな顔をする。

 俺は困った顔をして眉をへの字にした。

 すると甲斐姫は淡々とした口調で続けた。

 

「まあ、今の秀頼殿は、奥方と伊茶の二人がいつまでも穏やかに暮らせるようにと、頑張っているのは分かっているのだがな……」

「えっ……!?」

「秀頼さま……それはまことでしょうか?」


 二人の顔が今度は喜びに赤く染まり出すと、俺は恥ずかしくなって彼女たちから視線をそらした。

 

「うむ……まことの事じゃ」

「ふふ、もっと素直になればよい。心にゆとりがないと、良い仕事は出来ぬもの。今日くらいはこの後、奥方たちとゆっくり過ごすがいい」

「うむ……まあ、そうするとするかのう……」


 そう俺が小さな声で答えた瞬間に、千姫が俺に飛びついてくる。

 思わず目を丸くして彼女の顔を見ると、彼女はぱぁっと明るい笑顔を俺に向けたのだった。

 

「秀頼さまぁ! 千は嬉しいです! では歌留多遊びをしましょ!」

「千様! 秀頼様とは伊茶も共に過ごしますゆえ」

「えーっ! 伊茶はよいではないか! 秀頼さまは千と過ごすのじゃ!」

「そういう訳にはいきません」


 いつの間にか伊茶も俺の袖を掴んで上目遣いで俺を見つめていた。

 昔から彼女のこの表情に俺は弱いのだ。

 胸がドキドキと高鳴るのをどうにか抑えながら、再び困った表情を浮かべると、今度は淀殿が口を開いたのだった。

 

「では本題に入りましょうか」

「本題?」


 俺は千姫と伊茶を少し離すと、淀殿の方へと向き直った。

 すると淀殿は甲斐姫の方へちらりと視線を移す。

 甲斐姫はその視線を受け取ると、ぽりぽりと頬を掻きながら、何か気まずそうに言った。

 

「実はわらわは養子を取る事にしたのだ」

「ええっ!? 甲斐殿が母になるのか!?」


 俺、千姫、伊茶の三人が目を大きくして彼女の顔を見つめる。

 俺らの視線が気持ち悪かったのか、甲斐姫は助けを求めるように淀殿を見た。

 そして続きは淀殿の口から語られたのだった。

 

「ふふ、養子と言っても甲斐殿がお子を育てるという訳ではないのですよ」

「ではどういう事でございましょう」

「ふふ、百姓の身分の者を武家に取り立てる為の、言わば口実のようなものです」

「はあ……? 一体誰を? 何の為に?」


 俺は全く意味が分からずに淀殿に問いかける。

 さらに言えば、なぜ俺がここに呼ばれたのか、それも未だに分からない。

 

 しかし……

 

 次の淀殿の言葉でそれらの謎が全て解けた。

 

 そしてそれはこの部屋にさらなる混沌を生む要因となろうとは、思いもよらなかったのであった。

 

 

「あざみという農民の娘を『成田』の養子とし、名を『成田あざみ』といたします」

「へっ……?」


 

 突然の告白に目が点となる俺。

 淀殿はそんな俺の反応を楽しむように目を細めながら続けた。

 


「そして成田あざみを秀頼ちゃんの側室といたします」

「はい? ちょっと、母上! 何を言っておられるのか……」

「もうよいですよ! こちらに入ってきなさい!」

「はいっ!」



 淀殿が大きな声で部屋の外へ声をかけると、すっと襖が開けられた。

 するとそこには、ぺこりと頭を下げたあざみの姿があったのである。

 

「あざみ……? どうして……?」


 なおも言葉を失っている俺に対し、甲斐姫が答えた。

 

「こたびの秀頼殿の病では大きな世話になった。その恩に報いたいたくてな」

「お待ちください! なぜ恩に報いる事があざみをわれの側室にするという事なのですか!?」

「秀頼殿……それをわらわに言わせるか?」


 そう甲斐姫が言った瞬間に、あざみの顔がりんごのように真っ赤になる。

 そして彼女を見た俺の体も沸騰するように熱くなった。

 そんな俺たちを凍りつくような目で見ている千姫と伊茶。

 非常に微妙な空気に包まれる中、甲斐姫が続けた。

 

「それにまたいつ秀頼殿が病に倒れるか分からない。そこで万が一、秀頼殿の身に何かあった時にすぐに対処できるように、そして普段から秀頼殿の体の管理をしてもらうように、わらわの方からお願いする事にしたのだ」


 理路整然とあざみが俺の側室となる理由が述べられたが、未だに心と頭の整理が出来ない。

 一方のあざみは俺の目の前までやって来るともう一度頭を下げた。

 そしてゆっくりと顔を上げると、満面の笑みで言ったのだった。

 

「よろしくお願いします、秀頼さま。これからはずっと側にいるから安心してくれ」

「え、あ、はい」


 初めて出会った頃と変わらない可愛らしい笑顔に、思わず俺の表情も緩む。

 ますます不穏な空気を漂わす二人をよそに、俺たちは見つめ合った。



 しかし……

 

 この直後の彼女の言葉は混沌だけではなく修羅場を生む事になった……

 

 

「これであざみたちは夫婦めおと同士。秀頼さまに何かあったら、また口移しで薬を飲ませてやるからなぁ!」

 


「へっ……? 口移し……ってどういう事……?」

「何をとぼけてるんだぁ? 秀頼さまは少し元気になられてからも、あざみと口移しでお薬飲んでたでねえか!」


 実を言うと、闘病中の自分の事は全く覚えていないのだ。

 それ程、あの世で出会った『未来の千姫』の印象が強すぎた。


 だがうっすらとは覚えている……


 確かに熱が下がってからも彼女は積極的に俺と唇を合わせて薬草を飲ませてくれていたような……


 しかしあれは俺から求めていた訳では……いや、少しは求めていたかもしれん。

 だって可愛い女の子が口移しで薬を飲ませてくれるのを拒否するなんて、男としてありえないだろ!

 不可抗力だ! 俺は悪くない!


 そんな風に自分に言い訳をしていたのは他でもない。

 俺の目の前に座る二人の少女から発せられる嫉妬の炎が、いつの間にか殺意の業火に変わっていたからだ。


 俺は立ち上がると、高らかと言い放ったのだった――



「われは悪くないっ!!」


 

 そして、俺は……


 逃げ出した!!


「待てぇぇぇ!! 千という者がありながら!! 許しません!!」

「たっちゃ……秀頼!! 絶対に許さないんだから!!」

「お前らに許されなくても、われは悪くないんじゃぁぁぁ!!」


 いつの間にか淀殿と甲斐姫は姿を消していた。

 そしてあざみは笑い転げながら俺たちの様子を見ている。


 こうしてまた一人、千姫にとっては『ライバル』が増えた訳だ。


 そして俺にとっては守らねばならない幸せと笑顔が増えた。

 それはすごく素敵な一年の始まりだった――



 


実は架空の人物あざみ(モデルは成田小石ですが)を登場させる事を決めてから、この話を書きたいと思っていたのです。

実に一年半かけて願いが叶いました!


次回から新章突入です。

話としては幕間に近いかもしれませんが、本編に組み込みたいと思います。

では、寒い日が続いておりますので、皆様お体には十分にご注意くださいませ。

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