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約束と決断

――お千なんだろう?


 俺は目の前で瞳を潤ませて俺を見上げる少女に向かって、優しく声をかけた。

 大きくてくりっとした瞳。薄い桃色をした頬。さらさらした長くて艶やかな髪。


 間違いない、彼女は千姫だ。


 彼女はぼそりと問いかけてきた。

 その声は俺のよく知る小鳥を思わせる可愛らしい声……


――いつから気付いていたの?

――江戸城へ行った時から

――なんで?

――お千の母上、江の方をひと目見たら君にそっくりだったから

――そっか……


 そこで途切れる会話。

 

 しばらくの沈黙の後、今度は俺の方から問いかけた。


――ここはあの世なんだろ?

――うん……

――じゃあ、俺は死んでしまったのか?

――ううん……まだ……


 すると遥か前方に眩しい光の筋が見えた。


――あそこから出られるの。だから秀頼さまはまだ死なない

――そっか……という事は俺は病に打ち克つという事なんだな?

――うん……それも運命さだめの一つだから……


 確かに俺の知る限りでは、史実上での豊臣秀頼は天然痘にかかるものの一命をとりとめる。

 という事は、これも始めから決まっていたのか……


 では、なぜだ……?


――なぜ君は俺の前に、今現れたんだい?


 俺は率直な疑問をぶつけた。

 するとみるみるうちに彼女の顔が悲痛に歪んだ。

 そして俺の問いには答えず、泣き叫ぶように俺に訴えかけてきたのだった。


――なんで!? なんで秀頼さまはじじ様や父上と争わねばならないのですか!?


 俺は絶句した。


 そうか……今目の前にいる千姫は、未だ九歳で何も知らない彼女ではないのだ。

 となれば、彼女は『いつ』の千姫なのだろうか……

 それを解く鍵は彼女自身の悲嘆から見えてきた。


――千はずっと待っていたのです! 父上の陣で、秀頼様が来られるのを!

――大坂の陣の事か……?


 彼女は頷く。そして続けた。


――だって約束したではありませんか! すぐにまた会えると! だから千は先に城を出たのです!

――俺が……約束……だと?

――秀頼さまの嘘つき! だいっ嫌いじゃぁぁ!!


――バッ!!


 彼女が俺に抱きついてくる。

 そして大泣きを始めた。


 俺は言葉を失っていた。

 ただ彼女の事を抱きしめ、背中を優しく撫でる事しか出来なかった。


 そして……


 もう一つの疑問を投げかけたのだった――



――お千はなんでそんなに若い姿でここにいるのだ?



 俺の知る限り、彼女は七〇歳まで生きたはず。


 なのにどう見ても一七か八にか見えない。


 ……となると考えられるのは一つだ。



――千は自ら命を絶ったのです。秀頼さまが戻って来られないから……



◇◇


「秀頼様!! よくぞご無事でぇぇ!! この加藤清正!! これまで以上に……」

「虎之助は暑苦しい!! 秀頼様は病み上がりなのだ! 少しは静かに迎えられんか!?」

「そういう佐吉だって、随分と声がでかいではないか!」


 数日間にも及ぶ病との戦いを終えた俺は、さらに三日間寝たきりのまま体力の回復を待った。

 その間もあざみは俺につきっきりで介抱してくれた。

 何度も『特製の薬湯』を飲まされたのだが、ついに最後まで独特の苦味に慣れる事はなかった。


 そうして十日以上に及ぶ闘病生活を終えた俺は、ついに病室を出たのだ。

 多くの人々が出迎えに来てくれていて、皆一様に笑顔で涙を流している。


 そんな中で俺はただ一人の人物だけを目指した。


 そしてその人物が目に入ると、自然と駆け出していた。


 突然俺が飛び出した事に驚き言葉を失う人々。

 しかし彼らの顔は俺の目には入っていなかった。

 なぜなら俺の目に映っているのはただ一人なのだから――


――バッ!!


 俺はその人物を強く抱きしめた。

 そして京の空を響かせるような大声で言ったのだ。



「俺が必ず君の命を守ってみせる!! 約束だ!!」



 と。


 その人物は小さな体を驚きに震わせている。

 

 しかししばらくするとそっと手を俺の背中に回して囁いた。



「はいっ! 千は秀頼さまが守ってくれると、信じております!」


◇◇

 

 慶長一二年(一六〇七年)一二月五日 京学府――


 幕僚全員が初めて顔を揃えたこの日、俺は評定を開いた。

 九州からは堀内氏善、そして甲州まで金掘衆集めに回っていた大崎玄蕃もいる。


「これが最初で最後の全員が揃った評定となる!」


 それが俺の言葉の出だしだった。

 にわかに皆の顔が引き締まる。

 この後俺の口から語られる乾坤一擲の方針を予感して――


「これより三年後、われは再三再四要請されていた徳川将軍家との会談に臨むものとする!」


 真っ先に反応したのは石田宗應だった。


「それはなりませぬ! それでは豊臣家は徳川に屈したと世間には知れ渡りましょう!」


 青筋を立てて反論する彼に対して、俺は片手を上げると静かに首を横に振った。

 そして沸騰した彼の頭に冷水を浴びせるように落ち着いた口調で続けた。

 

「よいのだ。『今』は世間にどう映ろうとも」


 俺はあえて『今』という部分を強調した。

 すると意図を理解したのか、宗應は乗り出した体を引き下げる。

 俺は続けた。

 

「その会談で『共存』か『決別』か、どちらかが選ばれる事になろう」


 もはや曖昧でいびつな形のまま両家が存在するのは歴史の歯車が許さない。

 特に史実と大きく異なる豊臣家の肥大化した『力』によって、歯車は急速に回転せざるを得なくなってしまった。

 

 少しずつ全ての事象が、史実の年表よりも前倒しに進んでいる。

 俺はそう実感していた。

 となれば、『大坂の陣』もまた前倒しとなるに違いない。

 その為の選択が、『二条城での徳川家康と豊臣秀頼の会談』の場となる事は、史実の上からも明らかであった。

 

 そして俺はここにきて一つの『希望』にすがっていた。

 

 それは『大坂の陣』の回避。一時は諦めていた選択肢だ。

 だが生死の堺を彷徨っていた時に出会った謎のフードの少女、すなわち未来の千姫の涙を目の当たりにしてからは、その選択肢が再び浮上してきたのである。

 

 千姫は今も未来も信じてやまないのだ。

 未来を知る『俺』であれば豊臣家と徳川家が手を取り合う未来を作れるはず、と。

 だから死の間際の豊臣秀吉の前に現れ、そして『俺』に辿り着いた。

 なぜ『俺』である必要があったのかは分からない。

 それでも『俺』を彼女は最後の最後まで信じてくれている。

 

 ならば彼女の想いに応えてやらずして、彼女の夫と胸を張れるものか。

 

 ではどうすれば『大坂の陣』を回避出来るか……

 逡巡しているうちに甲斐姫が問いかけてきた。

 

「秀頼殿。今さら徳川と『共存』というのは面白くないねえ」

「甲斐殿のおっしゃる通り! かくなる上は逆賊徳川を断固として討つべし!!」


 清正が彼女に便乗するように声を荒げると、皆の視線が俺に集まった。

 多かれ少なかれこの場の全員が「なぜ今さら?」と感じているに違いない。

 しかし俺の意志は固かった。

 

「共存せねば必ずや戦となろう。しかも京や大坂の民を巻き込む巨大なものに。それは何としても避けねばならぬ」

「いや、秀頼殿。それは違う。お主は奥方の為を思っての事ではないか?」


 甲斐姫の鋭い切り込みに、思わずたじろぐ。

 彼女の言う「奥方」とは言うまでもなく千姫を指している。

 つまり彼女はこのままでは豊臣と徳川の板挟みになってしまう千姫の立場を俺が守ろうとしていると見抜いていたのだ。

 しかし彼女はそれ以上の追及はしてこなかった。それどころか俺の気持ちに理解を示してきたのであった。

 

「ふぅ……私情をお家の事に持ち込むのは良くないが……男が惚れた女を守ろうという気概は嫌いではない。しかし、皆に反論はないか?」


 ちらりと彼女は周囲を見回すと、即座に口を開いたのは幸村だった。

 

「我らの目標は豊臣家の存続であり、先にある天下奪還。その道がぶれてなければ、『共存』でも問題はないかと思われますがいかに?」


 幸村の問いかけに、皆も頷く。

 

 まさか俺のわがままとも言える意見に賛同してくれるとは……

 目を見開いて幸村を見つめると、彼はニコリと微笑んだ。

――彼はどんな事があろうとも俺の味方なのだ……

 ぐっと込み上げてくるものを抑えながら、俺は口を開いた。

 

「では、将軍家が当家と『共存』を選ぶにはいかにするか」


 全員が考え込み始めた為に、再び沈黙が場を支配する。

 

 そんな中、ぼそりと呟いたのは石田宗應だった。

 

 

「大義名分と外交力……」



 俺はニヤリと口角を上げた。それを見た宗應の顔がほのかに赤くなると、彼の口から言葉が流れてきたのだった。

 

「全てのまつりごとは天子様の勅命を持って行われるもの。すなわち徳川を征夷大将軍に任じられたように、秀頼様に対しても何らかの役職の勅命が下賜されれば、豊臣家存続の大義名分に成り得るもの」

「もし勅命に反し豊臣を取り潰す動きを徳川が見せれば、それはすなわち逆賊の臣となりうる」

 宗應の後を繋ぐように清正が続けると、二人は顔を見合わせて笑みを浮かべた。

 そして次に口を開いたのは明石全登だった。

 

「異国では、外交に強き王は経済力と軍事力を持っております」

「じゃあ、親父殿も強い兵を持っておればよい!」

「それに銭と武具、そして領民を潤せば、強き経済は自ずと手に入りましょう」


 全登に続いた堀内氏善と大谷吉治の言葉に俺は大きく頷いた。

 

「今までのわれらの動きはまさに『外交力』をつけるもの。それは今まで通り続けよ。朝廷とのやり取りの件については、近衛前久を通じてわれより働きかけよう」


 軍備の強化は、『船の建造』に堀内氏善、『武器開発と量産』に石田宗應。

 軍事力強化は、『紀州との軍事演習』に大谷吉治。

 防御強化は、『長居砦の強化』に桂広繁、『長居砦から大坂城への地下通路建設』に大崎玄蕃、『大坂城での奥方統制』に甲斐姫。

 経済力強化は、『異国への販路拡大』に明石全登、『大坂の街普請』に津田宗凡と安田道頓。

 対外政策は、『島津および琉球への対応』に加藤清正と俺、豊臣秀頼。

 

 それぞれの役割が明確となり、三年後に向けての目標も立った。

 あとは走るだけだ。

 徳川家康と対決出来るだけの力では足りない。

 彼が敵対する事に恐怖する程に力をつけるより道は残されていないのだ。

 

 不退転の覚悟を胸に秘め、俺たちはそれぞれの任務へと当たっていったのだった――


 

次は二話ほど幕間を挟みます。

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